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勇者のハーレムからはじき出された重騎士の私、伝説の魔王陛下に拾われて溺愛される〜あの日助けた負傷兵が、実は世界最強の旦那様でした〜

作者: くるり
掲載日:2026/02/07

王都グラン・セシルの大聖堂は、まばゆいばかりの光に包まれていた。

ステンドグラスから差し込む陽光が、豪華なシャンデリアの光と混ざり合い、魔王討伐へと旅立つ勇者パーティを祝福している。

周囲には着飾った貴族や高官たちが集まり、これから始まる「神話の続き」に期待を寄せていた。


しかし、その中心で私は、心臓が握りつぶされるような感覚を味わっていた。


「リリア。残念だが、君の席はもうここにはない。……君をパーティから追放する」


幼馴染であり、この国の希望である勇者アル界が、冷徹な声で告げた。

手にしたグラスのシャンパンが小刻みに揺れる。私は、自分の耳を疑った。


「追放……? アル、何を言っているの? あと一週間で魔王城への最終進軍なのよ。今、盾役タンクの私を外してどうするっていうの」


「それだよ、リリア。その『理屈っぽさ』だ」


アルは、心底疎ましそうに私を見下した。かつて、訓練に明け暮れた夕暮れ時に「お前が盾になってくれるから、俺は安心して剣を振れる」と笑いかけてくれた面影は、もうどこにもない。


「君の堅苦しさが、パーティの士気を下げているんだ。僕たちはこれから世界を救う『英雄』になる。必要なのは、勝利を信じて共に笑い合える仲間であって、規律だの戦術だのと小言を並べる『お目付け役』じゃないんだよ」


「それは……あなたが無理な特攻ばかりするから、私が……っ」


言い返そうとして、胸に鋭い激痛が走った。

私は無意識に、重厚な銀の鎧に隠された左胸を押さえる。

そこには、前回の幹部戦でアルを庇った際に受けた、消えない呪毒の跡がある。


「あら、リリアさん。またお得意の『病弱アピール』ですか?」


背後から、鈴の鳴るような、しかし毒を含んだ声が響いた。

聖女セシリア。彼女が、アルの腕にしなだれかかるようにして前に出る。


「あなたのその古臭い守備スキル、正直もう邪魔なんです。私の『神聖障壁ホーリー・バリア』があれば、敵の攻撃なんて指一本触れさせません。わざわざ盾で受けて泥にまみれるなんて、美しくないわ。勇者様の隣に立つのに、鉄臭い女は相応しくありませんの」


「セシリアの言う通りだ」 賢者のミナ、武闘家のリンも、冷ややかな視線を私に向ける。

「リリアって、盾の重さに甘えて動きが鈍いし。最近、火力不足も目立ってたよね」


――違う。 私の動きが鈍いのは、彼女たちの魔法や拳が届く前に、全てのヘイト(敵意)を私一人に集め、その衝撃を逃がさず受け止めてきたからだ。

私の防具がボロボロなのは、彼女たちが「汚れるから」と嫌がった敵の粘液や血を、すべて私が代わりに被ってきたからだ。


しかし、その真実を理解している者は、この華やかな会場には一人もいなかった。


「……わかったわ。私が必要ないというなら、去りましょう」


私は震える手で、帯剣していた儀礼用の短剣をテーブルに置いた。

その時だった。 アルの腰に下げられた「聖剣エクスカリオン」が、わずかに震えたように見えた。


(……え?)


一瞬、剣の隙間から、どす黒い霧のようなものが滲み出した。

それはまるで、意思を持つ影のようにアルの手首を這い回り、彼の瞳を一瞬だけ赤く染め上げる。


「アル、待って。その剣……何かがおかしい。最近のあなたの苛立ちも、その力の奔走も、もしかしたら剣の呪いなんじゃ……!」


「黙れ! 負け惜しみは見苦しいぞ、リリア!」


アルが激昂し、鞘に収まったままの聖剣を私に向けた。

衝撃波が走り、私は数メートル後方へと吹き飛ばされる。

祝宴の出席者たちから悲鳴が上がり、次の瞬間には「勇者に無礼を働いた女」を見る蔑みの視線へと変わった。


「その剣は神から授かった聖なる力だ。それを呪いなどと……これ以上、僕を侮辱するなら、ここで処刑してもいいんだぞ?」


アルの顔は、狂気と傲慢に歪んでいた。

私は、言葉を失った。

もう、私の知っているアルは死んでしまったのだと、ようやく理解した。


大聖堂を追い出された私を待っていたのは、無情な雨だった。


「リリア・ヴァン・クロムウェル。お前を勘当する」


実家のクロムウェル侯爵家に辿り着いた私に、父が投げつけたのは冷たい一言だった。

勇者パーティという栄光を失った娘に、貴族としての価値はない。

家を追い出される際、私の鎧や剣、貯めていた報奨金までもが「パーティの共有財産」として差し押さえられた。


残ったのは、着古した平民の服と、ぼろぼろの外套。そして、呪毒で蝕まれた体だけ。


(どこへ行けばいいんだろう……)


私は、降りしきる雨の中を歩き始めた。

向かう先は、北。

王国と隣国の国境にある「アシュレイ辺境伯領」だ。


なぜ北へ向かったのか。

一つは、王都に私の居場所がもうないこと。

もう一つは、亡き母から聞かされていた「伝説」を思い出したからだ。


『北の果て、世界の果てには、あらゆる傷を癒やす「静寂の地」がある。そこを守るアシュレイの家系は、王家さえも干渉できない古いことわりを持っている』


もし、この胸の呪いを癒やせる可能性があるなら、そこしかない。

そして何より……勇者アルのあの異変。もし彼がこのまま暴走すれば、王国は、世界はどうなるのか。

彼らの手が届かないほど遠く、それでいて、最悪の事態が起きた時に「盾」として立ち上がれるだけの静かな力を取り戻せる場所。


私は、ぬかるみに足を捕られながらも、北を目指した。

雨はいつしか雪へと変わり、視界を白く染めていく。


「寒い……な」


指先の感覚がなくなり、膝が折れた。

雪の上に倒れ伏した私の視界に、最後に映ったのは、闇夜のような深い漆黒を纏った、一台の馬車だった。





意識が遠のく中、鼻を突いたのは、冷たい雪の匂いと、微かな「沈香」のような落ち着いた香りだった。


(ああ、私はここで死ぬのね……)


勇者の盾として、ボロ雑巾のように使い潰された人生。

最後に見たのは、自分を裏切った幼馴染の冷酷な瞳だった。

そう思うと、悔しさよりも、深い疲労が全身を支配した。


だが、閉ざされかけた視界に、漆黒の外套が翻るのが見えた。


「……見つけた。ようやく、見つけたぞ」


その声は、低く、奏でられるチェロのように心地よく響いた。

誰かが私を抱き上げる。

鎧を失い、薄汚れた服一枚の私は、驚くほど軽かったはずだ。

その腕は驚くほど力強く、そして温かかった。


「……だれ、ですか……」

「忘れたか? 無理もない。だが、私はあの日から一日たりとも、君を忘れたことはないよ。リリア」


それが、私とギルバート・アシュレイ

――北の「黒狼」と恐れられる辺境伯との、本当の意味での出会いだった。


目を覚ますと、そこは天国かと思うような場所だった。

最高級のシルクの寝具、暖炉で爆ぜる薪の音、そして窓の外には銀世界の北国が広がっている。


「目が覚めたかい? リリア」


傍らには、漆黒の髪を無造作に流した美青年が座っていた。

彼こそが、この地の主、ギルバート様だ。

彼は驚くことに、領主自ら私にスープを飲ませようと匙を差し出してきた。


「あ、あの、ギルバート様! 自分でできます、私は騎士ですから!」

「いいや、今はただの病人だ。それに……」


彼はふっと目を細め、私の左手のタコをそっと指先でなぞった。


「この手は、今まで多くのものを守り、傷ついてきた。今は休ませるべきだ。リリア、ここには君を戦わせる者も、君を盾にして隠れる卑怯者もいない。君はただ、私のそばで笑って、好きなものを食べ、健やかに眠ればいい。それが私の望みだ」


「なぜ、私のようななれの果てを助けたのですか?」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

それは三年前、「赤土の断崖」での戦い。

功績を焦る勇者アルは、動けない負傷兵たちを「捨て駒」として見捨てた。


「リリア、放っておけ! 雑魚を助けても評価は上がらんぞ!」


その声を背に、私は一人、泥沼の戦場へ引き返した。

そこで見つけたのが、折れた旗印の下で横たわる黒髪の兵士


――変装していたギルバートだった。


「よせ……私はもう助からん。君まで命を落とすことはない……」

「私は騎士よ。命を効率で秤にかけたりしない!」


ボロボロの盾を構え、私は一晩中、彼を庇い続けた。

朝焼けが戦場を照らすまで。

名も名乗らず、彼が救護班に引き継がれるその瞬間まで。

私にとっては「騎士としての義務」でも、彼にとっては「世界のすべて」だったのだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「あの時の、負傷兵……?」


目の前の気高き辺境伯と、泥まみれの彼が重なり、私は絶句した。


「そうだ。私はあの日、人間を見定めようとしていた。……だが、君が現れた。私をただの『命』として守り、泥だらけで笑ってみせた」


彼は私の手をとり、熱を込めて握りしめた。


「君が忘れていても、私があの日を覚えている。今度は私が君の盾になろう。私の統べるすべての闇を賭けて」


それからの日々は、これまでの私の人生を根底から覆すような「甘やかし」の連続だった。

朝は彼が選んだ、肌触りの良いドレス(騎士時代には考えられなかった!)に着替えさせられ、昼は彼が執務をこなす傍らで、最高級のお菓子を振る舞われる。


「リリア、この焼き菓子は君の瞳の色と同じ琥珀色だ。食べてごらん」

「……美味しいです。でも、こんなに良くしていただいては、罰が当たります」

「罰? もし神が君に罰を与えるというなら、私がその神を討とう」


さらりと恐ろしいことを言う彼は、冗談を言っているようには見えなかった。



大切に扱われるほど、私の心にはざわつきが生まれた。

私は「盾」だ。

誰かを守ってこそ価値がある。

何もしない自分は、ただの役立たずではないのか。


ある日、私はたまらず城下町へ逃げ出した。

少しでも自分にできる「騎士らしい仕事」を探そうとしたのだ。

そこで目にしたのは、意外な光景だった。


「ギルバート様! 今年の冬も暖かい結界をありがとうございます!」

「旦那様、見てください! 去年植えた魔力の種が、こんなに立派な大根になりました!」


領民たちが、ギルバート様を心から慕い、英雄のように、あるいは神のように崇めていた。

雪深いこの地で、人々が飢えず、凍えず、笑顔で暮らしている。

それはひとえに、ギルバート様がこの地を「守っている」からだ。


私は気づいた。

彼は、力で支配しているのではない。

圧倒的な「守護」の力で、この地を慈しんでいるのだ。


(私は、自分を犠牲にすることばかり考えていた……。でも、ギルバート様のような『守り方』もあるんだ……)


そして同時に、一つの強い想いが芽生えた。 この優しい世界を、この人を、今度は私が「盾」として守りたい。

アルに捨てられた時、一度は捨てたはずの騎士の魂が、静かに、しかし熱く再燃したのを感じた。





しかし、生活に慣れるにつれ、ギルバート様にはいくつかの「奇妙な点」があることに気づき始めた。


一つは、食事だ。

彼は私の前で食事を共にするが、彼が口にするスープからは、時折、大気中の魔力が凝縮されたような、紫色の燐光が立ち昇っている。

人間が食べるにはあまりに高濃度な魔力の塊。

それを彼は、さも平然と、優雅に飲み干すのだ。


そしてもう一つ。

ある夜、寝付けなかった私は、バルコニーから城の庭を見下ろした。

そこには、月光を浴びて立つギルバート様の姿があった。


「……『古の盟約に従い、境界を定めん』」


彼が短く呪文を唱えると、彼の影が生き物のように巨大に広がり、城全体を包み込んだ。

それは聖女セシリアが使っていた「障壁」など比較にならないほど、重厚で、絶対的な「闇の防壁」だった。 その影が揺らめいた瞬間、彼の背後に、巨大な翼のような輪郭が見えた気がした。


(ギルバート様……あなたは、一体……?)


驚きに息を呑んだ私に気づいたのか、彼はゆっくりと振り返った。

その瞳は、昼間の穏やかな紫ではなく、深淵のような真紅に輝いている。


「おや、リリア。まだ起きていたのかい?」


彼はいつものように優しく微笑み、私の元へ歩み寄る。

だが、その足取りは重力さえも従わせているかのように静謐だった。


「……ギルバート様。その力は……」

「ふふ。怖がらせてしまったかな。だが、安心してほしい。この力は、君を守るために磨いてきたものだ」


彼は私の手を取り、その甲に深く、刻印を残すように口づけした。


「リリア、近いうちに『招かれざる客』が来るだろう。その時は……君が私の隣で、その美しい盾を掲げてくれるかな?」


彼の言葉には、不吉な予感と、それを上回るほどの高揚感が混じっていた。 王都の方角、暗雲が立ち込める空の向こうに、かつての仲間たちの歪んだ気配が迫っているのを、私は確かに感じ取っていた。





「おい、セシリア! 回復が遅いぞ! さっさと傷を塞げ!」


王都から北へと進軍を続ける勇者パーティの陣営に、アルの怒号が響き渡った。

魔王軍の先遣隊との小規模な小競り合い。

以前のリリアがいれば、無傷で、あるいは彼女一人が泥を被るだけで終わっていたはずの戦闘だ。

しかし今、アルの頬には切り傷があり、自慢の黄金の鎧は土に汚れている。


「そ、そんなことを言われましても! アル様が猪突猛進しすぎるから……私の障壁が追いつかないんです!」


聖女セシリアが、震える手で杖を振るう。

彼女の「神聖障壁」は華やかだが、リリアの物理的な盾のように、敵の攻撃を「受け流す」柔軟性がない。一度割れれば、その反動でパーティ全員が衝撃に晒されるのだ。


「ちっ……。リリアがいれば、こんな雑魚どもに手間取ることはなかったのに」


賢者ミナが、魔力切れに近い状態で毒づく。

彼女もまた、リリアという「壁」がいなくなったことで、詠唱中に敵に接近される恐怖に晒されていた。リリアは、彼女たちが呪文を唱え終えるまで、その身を挺して「安全な時間」を作り出していたのだ。


だが、アルはその本質を理解しようとはしなかった。


「ふん、あの女がいなくなったから戦いづらいだと? 違う。僕の火力が、奴らを一瞬で消し飛ばすほどに育っていないのが問題なんだ」


アルは腰の聖剣エクスカリオンを強く握りしめた。

その瞬間、剣の鍔に埋め込まれた不気味な宝玉が、ドクン、と脈打った。


(もっとだ……もっと「力」を注げ。そうすれば、お前は神にさえなれる……)


頭の中に響く、甘く、低い声。アルの瞳の奥で、黒いおりのような光が渦巻いた。



数日後。

パーティの雰囲気は、もはや「英雄」のそれではなくなっていた。


「……アル様、そのお体、どうされたのですか?」


セシリアが、恐怖に顔を強張らせて尋ねる。

朝、テントから出てきたアルの体躯は、一回りも二回りも巨大化していた。

服の袖からは、人間とは思えないほど盛り上がった血管と、岩のような筋肉が覗いている。


「ああ、力が溢れて止まらないんだ。食欲もすごい。……おい、次の村はまだか? 獲物が足りないんだ」


アルの声は重く、歪んでいた。

彼はもはや剣を振るう必要さえなかった。

遭遇した魔物を、素手で引き裂き、その鮮血を浴びて高笑いする。

その姿は、守られるべき民から見れば、魔王軍の幹部以上に恐ろしいものに映った。


「アル、もうやめましょう。今のあなたは、どこかおかしいわ……」

武闘家のリンが彼の肩に手を置こうとした瞬間、アルの腕が目にも止まらぬ速さで彼女の喉を掴んだ。


「……僕に指図するな。僕は『選ばれし者』だ。お前たちは、僕という太陽に群がる月でいればいいんだよ」


アルの指先がリンの首に食い込み、ミシミシと音が鳴る。

彼の瞳は、もはや白目の部分まで赤く充血し、瞳孔は縦長に裂けていた。

セシリアたちは、その圧倒的な暴力と、アルから放たれる禍々しい魔力プレッシャーの前に、ただ平伏するしかなかった。


一度「力」に依存してしまった彼女たちは、もはや彼なしでは生きられない。

恐怖に従属し、彼が魔族のような形相に変貌していくのを、ただ見守ることしかできなかった。



アルの暴走は、ついに自国へと向けられた。


「魔王は、この国の地下に潜んでいる。僕はそれを炙り出すだけだ」


そう嘯き、アルは王都グラン・セシルへと舞い戻った。

かつて彼を称賛した国民たちは、変わり果てた勇者の姿に悲鳴を上げた。

アルが聖剣を一振りするたびに、豪華な市街地は黒い炎に包まれ、美しい大聖堂の塔が崩れ落ちる。


「勇者様! おやめください! ここには魔物なんていません!」

駆け寄った騎士団長を、アルは一蹴した。


「黙れ。僕の正義を疑う者は、すべて魔族の味方だ」


その瞳は、すでに完全な「真紅」に染まっていた。

アルの背中からは、黒い霧が固まり、まるで翼のような形を成して蠢いている。

彼は聖剣を媒体にして、かつてギルバートたちが封印した「負の魔力」を逆流させ、自らを異形へと作り変えていたのだ。


「……次は、北だ」


アルは、瓦礫の山となった王宮の玉座に座り、北の空を睨みつけた。

彼の記憶の中に残る、たった一つの「消えない棘」。

自分に指図し、規律を説き、そして自分を裏切って(と彼は思い込んでいる)去っていった、あの鉄臭い女――リリア。


「リリア……。お前が欲しがっていた『完璧な正義』を見せてやる。お前が守ろうとしたすべてを、僕がこの手で握りつぶしてやる」


アルが立ち上がると、その足元から黒いヒビが広がり、王都全域に絶望の咆哮が響き渡った。

生き残ったセシリアたちは、虚ろな目で彼に従う。

もはや彼女たちの神聖な魔法は、アルの魔族化を促進するための「餌」でしかなかった。


勇者という名の魔物が、北の辺境へと牙を剥く。

その軍勢が巻き起こす暗雲が、リリアとギルバートが待つ銀世界へと、刻一刻と近づいていた。





穏やかだったアシュレイ領の朝は、絶望の咆哮によって引き裂かれた。

北の空を覆い尽くす不吉な暗雲。その中心から、黄金と漆黒が混ざり合った異様な光が降り注ぐ。


「魔王の残党を匿う逆賊、ギルバート・アシュレイ! 勇者アルの名において、この地を浄化する!」


空を切り裂き、地に降り立ったのは、かつての勇者パーティだった。

しかし、その姿に「聖なる」気配は微塵もない。

アルの周囲には、物理的な質量を持った「悪意」が渦巻き、踏みしめた大地の花々が黒く萎れていく。


「アル……!?」


城のバルコニーに飛び出した私は、その光景に息を呑んだ。


アルの背後には、虚ろな表情で呪文を唱え続けるセシリアたちがいる。

彼女たちが放つのは、もはや癒やしの光ではない。

対象を強制的に焼き払う、暴力の奔流だ。


「リリア! 戻ってこい! お前のような『盾』は、僕という絶対的な強者に相応しいスペアパーツだ。そこの男を殺せば、許してやる!」


アルが聖剣を抜く。

その瞬間、凄まじい衝撃波が城下町を襲った。

領民たちの悲鳴が響き渡り、平和だった市場が炎に包まれる。



「……スペアパーツ、ですって?」


私は拳を強く握りしめた。

恐怖で足が震えていたのは、一瞬だけ。

今の私の胸にあるのは、かつての幼馴染への情愛ではない。

自分を救い、居場所をくれたこの領地と、ギルバート様を傷つけようとする存在への、静かな、しかし激しい怒りだ。


「私はもう、あなたの道具じゃない。……ギルバート様、私に行かせてください」


隣に立つギルバート様に視線を向ける。

彼は悲しげに、それでいて誇らしげに目を細めた。


「……止めても無駄なようだね。これを使いなさい。君の魂に相応しい、真の守護者のための器だ」


彼が差し出したのは、一切の装飾を排した、しかし鏡のように磨き上げられた「白銀の円盾ラウンドシールド」だった。


「この盾は、逃げる者には重すぎる。だが、守ると決めた者には、世界で一番軽い」


それを手にした瞬間、私の全身を清涼な魔力が駆け抜けた。


胸の呪毒が、嘘のように消えていく。


「リリア・ヴァン・クロムウェル、参ります!」


私はバルコニーから飛び降りた。

着地と同時に、アルが放った黒い炎の斬撃が迫る。

私は白銀の盾を構え、かつてない集中力でその一点を見据えた。


「――『守護者の咆哮ガーディアン・ハウリング』!」


ガギィィィィン! と、世界が震えるような金属音が響く。

これまでの私なら、吹き飛ばされていただろう。

しかし、今の私には「守るべきもの」が背後にあり、信じてくれる人が隣にいる。

一歩も引かず、私はアルの斬撃を完全に弾き返した。


「なっ……僕の一撃を防いだと!?」


「……そこまでだ、哀れな器よ」


静かな声が、戦場全体を支配した。

いつの間にか私の後ろに立っていたギルバート様の雰囲気が、一変していた。

彼の周囲から溢れ出すのは、夜そのもののような深い闇。

だがそれは、アルの濁った黒とは違い、星々を抱く宇宙のように透き通っている。


「君は、私がなぜこの北の果てに引き籠もっていたか、考えたことはないのか?」


ギルバート様がゆっくりと歩き出す。

一歩ごとに、彼の背中から巨大な、神々しいまでの漆黒の六翼が展開されていく。


「私はかつて、魔界の秩序を重んじるがあまり、破壊を望む過激派によってその座を追われた。……『真の魔王』とは、滅ぼす者の名ではない。この世界の循環と理を維持する守護者の名だ」


「ま、魔王……だと? 貴様が……!?」


アルが顔を歪めて後ずさる。


「リリア、驚かせてすまない。だが、君がいるこの世界を、私は気に入っている。この美しく、脆く、愛おしい世界を、こんな『出来損ない』に壊させるわけにはいかないんだ」


ギルバート様の瞳が真紅に輝き、その圧倒的な威圧感の前に、勇者パーティの女たちは膝をつき、泡を吹いて倒れ伏した。


「ギルバート様、待ってください! アルのあの剣……あれは何なのですか?」


私の問いに、ギルバート様は冷酷な事実を告げた。


「それは、私が数百年前に封印した、魔族の犯罪者の『核』だよ。……聖剣エクスカリオン。その正体は、持ち主の精神を食い散らかし、強制的に魔族化させるための『寄生型魔具』だ」


「な……んだと……?」

アルが自分の手の中の剣を見つめる。


「君が選ばれたのではない。その剣が、最も扱いやすく、最も欲深い『器』を選んだだけだ。君が手に入れた力は、君自身の努力の結果ではない。ただ、人間をやめて魔物に成り下がった代償として与えられた、毒入りの餌にすぎないんだよ」


ギルバート様の言葉は、アルのプライドを完璧に粉砕した。


「嘘だ……嘘だ! 僕は勇者だ! 僕が……僕こそが、世界を救う光なんだぁぁぁ!」


発狂したアルの体から、大量の黒い触手が噴き出した。

聖剣が彼の肉体と同化し、もはや人間の原型を留めない異形へと変貌していく。


「リリア。仕上げをしようか」

ギルバート様が私の肩に手を置く。

彼の闇の魔力が、私の白銀の盾に流れ込み、月のような輝きを放ち始める。


「あなたの盾と、私の闇で。この哀れな悪夢を終わらせよう」


私は力強く頷いた。

かつての仲間への感傷はない。

あるのは、ただ、この愛する土地と、愛する人を守り抜くという決意だけだった。





「否定するな……。見るな……。僕を、正しいと、言え……!」



異形へと成り果てたアルが、肉体と同化した魔剣を振り上げる。

その一撃は、周囲の空間さえも歪ませるほどの質量を持っていた。

かつての「聖剣」の面影はなく、放たれるのはどす黒い憎悪の波動。


対する私は、白銀の盾を静かに構えた。

足元には、ギルバート様の闇の魔力が魔法陣として広がり、私の「守りたい」という願いと共鳴して白く輝いている。


「アル、あなたはいつもそう。自分の力を見せつけることばかりで、誰の痛みも見ていなかった……!」


振り下ろされた絶望の刃。

しかし、私の前には目に見えるほどの厚みを持った光の壁が展開される。


「――『守護者の聖域ガーディアン・サンクチュアリ』!」


ドォォォォォン!! という衝撃音が辺境の山々にこだまする。

アルの攻撃は、私の盾に触れた瞬間、波紋のように霧散していった。一歩も、指先一つさえも動かされない。今の私を支えているのは、背後にいる領民たちの祈り、そして肩に添えられたギルバート様の温もりだ。


「私が守りたかったのは、あなたじゃない! 命を慈しみ、今日を懸命に生きる、この優しい人たちだったんだ!」


盾を強く押し返すと、聖域の光がアルの邪悪な魔力を浄化するように爆ぜた。


「ぐあぁぁぁっ!? なぜだ、なぜ僕の攻撃が届かない! 僕は最強の勇者なんだぞ!!」


アルの最期と、崩れ去ったハーレム


「……勇者とは、守るべき者のために剣を振るう者の名だ。己の欲望のために振るうそれは、ただの暴力にすぎない」


ギルバート様が冷徹に告げた。


その言葉が引き金となったかのように、アルの肉体が内側からひび割れ始める。

聖剣の正体である「魔族の核」が、もはや使い物にならなくなった「器」を見捨て、自壊を始めたのだ。


「熱い……体が、焼ける……! セシリア、助けろ! 回復しろぉ!」


アルが這いつくばり、聖女たちに手を伸ばす。

しかし、セシリアやミナ、リンの三人は、あまりの恐怖にガタガタと震え、腰を抜かしていた。

彼女たちが信奉していた「最強の勇者」の無惨な姿を前に、その歪な絆は一瞬で崩壊したのだ。



「ひっ……来ないで! 怪物! 化け物!」 セシリアの悲鳴が響く。



「……あ、あぁ……。僕は……どこで、間違えた……」


アルの手が力なく砂を掴み、次の瞬間、彼の肉体は黒い灰となって霧散した。

残されたのは、砕け散った魔剣の破片と、静まり返った雪原だけ。

逃げようとするセシリアたちを、ギルバート様の影の魔力が優しく、しかし抗いようのない力で拘束する。


「彼女たちは王都へ送り返そう。自分たちが信じた正義が何をもたらしたのか、その目で確かめさせるのが一番の罰だ」


ギルバート様はそう言って、戦いの終わりを告げた。






それから数ヶ月が経った。

アルの暴走によって壊滅的な被害を受けた王都グラン・セシルは、今、驚くべき速度で再建が進んでいる。 驚いたことに、その復興を支援しているのは、ギルバート様が率いる「魔族の技術者」たちだった。


当初、人々は魔族を恐れた。

しかし、彼らが黙々と瓦礫を撤去し、魔法で強固な橋を架け、冬を越すための食糧を分け与える姿を見て、その認識は変わりつつある。


「リリア様! 今日もパトロール、お疲れ様です!」


アシュレイ領の市場を歩けば、領民たちが明るい声をかけてくれる。

私の手には、あの日ギルバート様から贈られた白銀の盾が、今も誇らしげに握られている。


「リリア。そんなに熱心に働いてばかりでは、私の婚約者としての時間がなくなってしまうよ」


不意に背後から抱きしめられ、私は頬を赤らめた。

振り返れば、そこには世界で一番愛しい、漆黒の髪の婚約者が、少し困ったような笑みを浮かべて立っている。


「ギルバート様……。皆さんの笑顔を見ていると、つい嬉しくて」

「ふふ、君は本当に『守護者』だな。だが、今日の午後は私のために空けてもらうよ。正式な結婚式の打ち合わせ、まだ終わっていないだろう?」


彼は私の手をとり、大切に慈しむように口づけを落とした。





城を見下ろす丘の上。

雪が溶け、芽吹き始めた緑の草原で、私たちは寄り添っていた。


「リリア。君をあの雪の中で見つけた時、私は決めたんだ。この世界が君を傷つけるというなら、私は世界ごと君を守り抜こうとね」


「ギルバート様……。私は、あなたに守られるだけじゃありません。あなたが魔王であろうと、辺境伯であろうと、あなたの隣に立ち続けると誓いましたもの」


私は彼の胸に頭を預け、穏やかな風を感じた。

かつて勇者の背中を追いかけていた頃の自分に、教えてあげたい。

本当の居場所は、誰かの影に隠れる場所ではなく、愛する人と手を取り合い、共に明日を創っていく場所なのだと。


「リリア。今度は私が、君を一生守らせてほしい。愛している」


「ふふ、陛下。私も負けませんわ。私の盾は、あなたに一生分の幸せを届けるためにあるのですから」


今日も私は、白銀の盾を磨く。

戦うためではない。

明日も、この人と、この世界が無事であるように。

私たちは、誓いのキスを交わした。

空はどこまでも高く、青い。

追放された聖騎士と、隠居していた魔王。

二人の物語は、ここから永遠に続いていく。

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