せっかち侯爵とゆったり夫人の結婚生活
侯爵令息ファレスト・グーウィックと伯爵令嬢タルティナ・レイドが婚姻を結んだ。
両家にメリットのある、いわゆる政略結婚というやつである。
この二人はほとんど交際をせず結婚したが、貴族社会ではなにも珍しいことではない。
ファレストは侯爵家の嫡子で、剣の腕が立ち、自前の騎士団を率いるほどの男である。
金髪碧眼で凛々しい顔立ちの美丈夫。すらっとした長身で、その立ち姿は礼服を着ていても甲冑を着ていても、非常に絵になる。
年齢はまだ二十歳で将来性も抜群である。
だが、ファレストにはいささか問題があった。それは――非常にせっかちなのだ。
そのせっかちさを示す逸話は枚挙にいとまがない。
例えば、朝は使用人よりも早く起きるとか、食事はいつも早食いだとか、剣の稽古をする時は準備運動などせずいきなり実戦練習に入るとか……。
「父上、どうか私に家督を! 家督を! 家督を!」
「わ、分かった……」
あまりにせっかちなので婚姻を結んだと同時に、家督まで継いでしまった。
すでに相応の能力を持つがゆえの早業・荒業ともいえる。
一方、これから夫人となるタルティナは「ゆったり」とか「おっとり」という言葉がよく似合う令嬢だった。
ふわりとした栗色の髪が肩のあたりまで伸び、クリーム色のドレスを愛用し、いつもニコニコ笑っている。
周囲はこうささやいた。
「あの子でファレストの妻が務まるのか?」
「結婚して一年も経ったら消耗しきってそうだ」
「いやいや、半年持つかどうか……」
こんな噂がタルティナの耳に入っていたかどうかは定かではないが、彼女は決して不安そうな顔は見せなかった。
***
グーウィック家の邸宅、寝室。
まだ朝日も出ていないのに、ファレストは目を覚ます。
ベッドの上で勢いよく上体を起こす。
「よし、目が覚めたぞ!」
隣のベッドでタルティナはまだ横たわっている。
「タルティナ、私は起きるぞ」
すると、タルティナは――
「あら残念ですね」
「む? なにが残念なのだ?」
「あなたともう少しの間だけ、こうして眠っていたかったのに」
「……」
上目遣いの妻を見て、ファレストはそそくさとベッドに戻る。
「もう少し寝てみるのもいいか……」
「ええ、せめて朝日が出るぐらいまでは」
この日、ファレストは珍しく朝日が昇ってから起床して、使用人たちを驚かせた。
***
朝食の時刻。
ファレストとタルティナはテーブルに向かい合って座る。
コッペパンとハムエッグが並ぶが、ファレストはさっそくコッペパンを手に取り、そのまま豪快にかじりつく。
ファレストにとって食事とは栄養補給の手段に過ぎない。このままガツガツと平らげるのが日課だ。
一方のタルティナはまだコッペパンをちぎってすらいない。実にゆったりしている。
ファレストはろくに噛まずにパンを飲み込もうとする。
「悲しいです……」
突然タルティナがつぶやいた。ファレストはきょとんとする。
「悲しい?」
「あなたがパンを噛む姿、もっと見ていたいと思ったから」
タルティナはゆっくりとパンをちぎり、ハムッという擬音が似合いそうな所作で食べる。
そのままモグモグとじっくりパンを噛む。
「よく噛むんだな、君は」
「こうした方が美味しいから」
「……」
ファレストもパンを噛み始める。
「ふむ……。確かに……パンの甘みをより感じられる気がする」
「でしょう?」
ファレストは妻のペースに合わせ、パンとハムエッグをゆっくりと食した。
「こんなにチンタラと朝食を取ったのはいつぶりだろうか」
「でも楽しかったわ」
にっこり笑うタルティナに、ファレストも思わず微笑を浮かべ――
「まあな」
と返した。
***
朝食後、風もなく穏やかな午前の時間帯。
邸宅内には広い庭園があり、ファレストはそこで選りすぐりの数十人の部下と訓練を行う。
通常、訓練を行う前には準備運動を行うのが基本であるが、せっかちなファレストはそんなことはしない。
いきなり実戦さながらの試合形式の訓練を始める。
木剣を握り締め、部下たちを厳しく指導する。
「さあ、どんどん打ち合え! 剣と戦は速さが命だ!」
すると、そこへ――
「私も参加していいかしら?」
「……タルティナ!?」
タルティナが運動着姿で訓練の場所にやってきた。
「なにをしにきた?」
「私も訓練に加わろうと思いまして。どなたか相手してくださらない?」
タルティナは木剣を持って微笑む。
「君はそんなもの振り回したこともないだろう。せめて準備運動しないと!」
「では、皆さんで一緒にやりましょう。準備運動」
「む……分かった。よしみんな、準備運動だ!」
入念なストレッチが始まる。
部下全員、これを見て目を見開いた。
(すごい……ファレスト様に準備運動をさせるなんて!)
***
訓練が終わり、昼食を済ませると、ファレストはうってかわって事務仕事に移る。
すでに家督を継いだ以上、領地経営は彼の仕事となるからだ。
数々の書類に目を通し、領主として決裁を下す。
さっそくファレストは一枚目の書面をざっと読み、署名しようとする。
「あなた、紅茶を淹れたわ」
「……ん」
絶妙なタイミングでタルティナが登場した。
「あら、今度は書類仕事なのね」
「まあな。さっさと終わらせねばならん」
「ですけど、紅茶を飲みながらゆったり書類を読むのもいいものですよ」
タルティナにこう言われると、ファレストの表情も幾分か緩む。
「む、そうかもしれんな」
ファレストは改めて書面に目を通す。
「これはなかなか素晴らしい案だ。これを出した者とはぜひ直接会って話をしたい」
一方で――
「なんだこれは? こんな予算を認められるわけなかろう。まったく……危うく署名してしまうところだった」
一歩立ち止まる落ち着いた判断をするようになった。
決裁のスピードはやや落ちたものの、精度は大幅に上がり、臣下や領民の声がよく届くようになった。
そんな夫を、タルティナはいつもの笑顔で見守っていた。
***
夕食を済ませると、ファレストはすぐに寝ようとする。
なにしろせっかちな男、一日の幕を引くのも一般的な貴族に比べると遥かに早い。
「待って」
そんな夫をタルティナは引き止める。
「ん? どうした?」
「もう少し夫婦でおしゃべりしませんか?」
「……仕方ない奴だな」
妻の頼みは断れず、ファレストはワインを、タルティナはハーブティーを飲みながら談笑する。
内容は当たり障りのないものだが、ファレストの顔つきは穏やかになっていく。
「不思議なものだな。こうして君と話していると、心が安らぐ」
「それは私もお互い様よ」
この日のファレストは普段早寝をした時よりもぐっすり眠ることができた。
寝る前に妻とあれこれ話したことで、心の中に知らず知らずのうちに溜まっていたストレスをいくらか吐き出せたからかもしれない。
こうした日々は続き、ファレストのせっかちさはなくなることすらないものの薄れていき、タルティナは使用人や騎士たちから密かに感謝された。
***
ある時、貴族同士の会合があり、ファレストは昔からの悪友ともいえる貴族からこんなことを言われた。
「ファレスト、お前もずいぶんせっかちさがなくなってきたじゃないか」
「そうかな」
ファレストは曖昧に応じる。
「あのタルティナって令嬢、いや今は夫人か、に上手く操縦されてるんじゃないか?」
悪友はファレストをからかう。
これにファレストは愕然とする。
(操縦……!? 私が……!? タルティナに……!?)
ファレストはせっかちである。その日のうちにタルティナに詰め寄る。
「タルティナ!」
「なんでしょう?」
語気の強い夫にも、タルティナは怯まない。
「今日こんなことを言われた。お前はせっかちではなくなった、夫人に操縦されているのではないか、と。君は私を操縦しているのか?」
タルティナはゆったりと答える。
「私の性格があなたに影響を与えているとするなら、そういう面もあるかもしれません。お嫌ですか?」
これを聞いたファレストは首を横に振る。
「……! い、嫌じゃない! むしろ、もっと操縦して欲しい!」
ファレストとしても、タルティナの影響を受け、ゆったり気質になっている自分を嫌いではなかった。
だからこそ、ストレートに「もっと操縦して欲しい」と告げてしまった。
タルティナはにっこりと応じる。
「では遠慮なく」
ファレストはすっかり妻の虜であった。
***
国境付近の砦が、隣国から攻撃を受けたとの知らせが入る。
隣国の軍勢は勢いを緩めず、このまま中心部まで攻め上がってくるつもりとのこと。
王家から、国中の諸侯に出陣命令が下される。
当然、ファレストの元にも命令書が届く。
「こういう時はいち早く迎撃することが肝心だ! 我が騎士団も出るぞ!」
ファレストは国の一大事と、どの貴族よりも先に出陣を決意する。
そんな夫に対し、タルティナは沈黙を保つ。
「タルティナ、君はなにも言わないのだな」
タルティナにいつもの笑顔はない。真剣な眼差しで出陣を見守る。
「ええ、戦は私が足を踏み入れる領域ではありませんから。ですが」
「ですが? ぜひ聞かせてくれ」
「あなたのそばには、いつも私がいるとお思いくださいませ」
「……心得ておこう」
ファレストはグーウィック家が抱える全ての兵を率いて、国境付近に出陣した。
そのスピードは凄まじく、不意を突いたはずであった隣国の軍勢は面食らってしまう。
ファレストの騎士団の猛攻で、先発部隊は徹底的に叩きのめされた。
「くそっ、退けっ! 退けーっ!」
隣国軍が背を向け、逃げていく。
退却した敵を追撃すれば大打撃を与えられるというのは、戦場での定石である。
ファレストの部下たちも次々にそれを口にする。
「ここで奴らを追い詰めれば、一気に壊滅させられますよ!」
「ファレスト様、追撃の許可を!」
「我らが手柄を独占できます!」
ところが、ファレストは――
(もし、タルティナがここにいれば、なんと言うか……)
彼の心の中にいるタルティナはこう言った。
『あなた、あまり焦らないで。もっとゆったり戦ってもあなたたちは勝てるわ』
いかにも言いそうだ……。わずかに笑むと、ファレストは部下たちに告げる。
「焦ることはない。国中の貴族たちが軍を率いてこちらに向かっている。ここはひとまず情報収集に務め、彼らの到着を待ち次第、総攻撃をかける!」
「はっ!」
ファレストの中でも追撃することに対して不安のようなものがあり、それを心の中に住まう妻が明確化してくれたような形であった。
そして、この決断は正しかった。
密偵によると隣国軍は伏兵を用意しており、ファレストが功を焦って追撃をしていたら、手痛い反撃を受けていたのは間違いなかった。
だが、落ち着いて援軍を待ったファレストは、その中心となって総攻撃を加え、隣国の軍勢に壊滅的なダメージを与えた。
このままでは致命的な報復を受けると危惧した隣国は、慌てて和睦を申し出る。多額の賠償金を支払い、自国に不利になる数々の条約も呑むしかなかった。軽はずみな侵略行為の代償はあまりにも大きかった。
ファレストはこの戦いの英雄として大きく名を上げた。
夫婦で王城に呼ばれ、勲章を賜ることとなる。
ファレストは白い礼服を着て、その横にはクリーム色のロングドレスを纏ったタルティナがつく。周囲が見とれるほど気品ある夫婦がそこにはいた。
国王自らファレストに勲章を授けようという時、彼は相変わらずのせっかちぶりを発揮する。
王が言葉を発する前に――
「陛下! このたびの戦争の勝利は我が妻のおかげです! というわけで、勲章は妻にお与えください! どうかお願いします!」
「う、うむ。わ、分かった……」
その横に立つタルティナはいつも通りのゆったりとした笑みを浮かべていた。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




