粘着質の科学者と、灰色の密会
「……さあ、吐いてもらおうか」
レインの声は、深夜の空気よりも冷たかった。
ロープで縛り上げられた二人の実行犯は、地面に正座させられ、青ざめた顔で互いに顔を見合わせている。
だが、彼らの目にはまだ、諦めきれない狡猾な光が残っていた。
「へっ……知らねぇよ。俺たちはただ、路地裏で拾った粉を使っただけだ」
「そ、そうだ。誰に頼まれたわけでもねぇ!」
しらばっくれる男たち。
シルヴィアが不快そうに眉をひそめ、剣の柄に手をかける。
「往生際が悪いぞ。私の剣で、その記憶の扉をこじ開けてやろうか?」
「ひぃッ! 騎士サマ、乱暴は勘弁してくれよ!」
男の一人が大げさに悲鳴を上げながら、身体を丸める。
だが、それは演技だった。
彼は懐に隠していた手を素早く動かし、地面に何かを叩きつけた。
ボンッ!!
破裂音と共に、強烈な刺激臭を伴う白煙が爆発的に広がった。
目くらましだ。
「げほっ、ごほっ……!?」
「レイン、伏せろ!」
シルヴィアがレインを庇うように前に出る。
だが、その一瞬の隙に、男たちはロープの結び目を隠し刃で切り裂き、煙の中へと飛び出した。
「あばよ! バーカ!」
「このことは商会に報告して、次こそ殺してやるからな!」
捨て台詞を残し、男たちが闇夜の路地へと駆け出す。
足の速さには自信があるのだろう。煙が晴れる頃には、彼らの姿は迷宮市場の複雑な路地裏に消えているはずだ。
――本来ならば。
「……あー、そこ。右足の着地角度が悪いよ」
不意に、闇の中から気の抜けた、しかし理知的な声が響いた。
直後。
ベチャッ!
グチャアアァッ!
「ぶぎゃっ!?」
「な、なんだこれ!? 足が……動かねぇ!?」
男たちの悲鳴が上がった。
レインとシルヴィアが煙を払って視線を向けると、そこには奇妙な光景が広がっていた。
逃げたはずの男たちが、路地の壁と地面にへばりついている。まるで蜘蛛の巣にかかったハエのように、半透明の緑色の粘液に全身を拘束され、もがけばもがくほど絡め取られていたのだ。
その横に、白衣を纏った一人の青年が立っていた。
ボサボサの黒髪に、瓶底のような丸眼鏡。手には試験管を持ち、満足そうに頷いている。
「うん、硬化速度3.5秒。粘着度は……想定の300%増しか。素晴らしいデータだ。やっぱり『沼スライム』の核を使ったのは正解だったな」
「……誰だ、あんた」
レインが警戒して尋ねると、青年はクルリと振り返り、眼鏡の位置を直しながらニヤリと笑った。
「やあ、レイン君。君の『塩水鑑定』、感動したよ。実にエレガントで、そして科学的だった」
「……俺を知ってるのか?」
「もちろん。僕はセオ。セオ・アシュフォード。しがない錬金術師さ。君の料理と鑑定眼に惚れ込んで、勝手に見学させてもらっていたんだが……いやあ、役に立てて光栄だよ」
セオと名乗った青年は、悪びれもせずに言った。
シルヴィアが呆れたように溜息をつく。
「……また変なのが湧いてきたな」
「変人というのは心外だな、騎士様。僕はただの『真理の探究者』だよ」
セオは軽薄に肩をすくめると、粘液でもがく男たちに近づいた。
「さて、実験動物諸君。この『拘束粘液』は、無理に剥がそうとすると皮膚ごと持っていかれるよ? 溶かすための溶解液が欲しければ……僕の友人の質問に、正直に答えることだ」
セオの瞳が、眼鏡の奥で冷徹に光った。その狂気じみた笑顔は、ある意味シルヴィアの剣よりも恐ろしかった。
「は、話す! 全部話すから助けてくれぇ!」
男たちは泣きながら、知っていることを洗いざらい吐き出した。
指示を出したのは、やはり黒いローブの男――昨日の騒動で逃げたザガンだということ。
そして、その指示を受けるために呼び出された場所が、市場の最奥にある『第三区画』の倉庫街であること。
「……『灰色倉庫』か」
男の口から出たその名前に、セオが反応した。
「知ってるのか、セオ?」
「ああ。市場の帳簿に載らない、訳ありの荷物が搬入される場所だよ。正規のルートを通せない密輸品や、危険な魔法薬の原料なんかは、だいたいあそこに集まる。……つまり、そこが奴らの『毒』の供給口ってわけだ」
レインの中で、パズルのピースが嵌まった音がした。
偽物の食材、毒入りの霊蜜、そして屋台潰しの妨害工作。
全てはそこから流れ出ている。
「……行くぞ」
レインは短く告げた。
時刻はもうすぐ夜明け前。闇が最も深くなる時間帯だ。動くなら今しかない。
「待てレイン、まさか乗り込む気か? 相手は何人いるかわからんぞ」
「だからこそだ。証拠を押さえるなら、荷が動いている時がいい。……それに、俺には心強い味方が二人もいるしな」
レインはシルヴィアと、そしてセオを見た。
「シルヴィア、あんたの武力と騎士としての権限が必要だ。万が一の時は、俺を守ってくれ」
「……ふっ、調子のいい料理人だ。だが、乗りかかった船だ。最後まで付き合ってやる」
シルヴィアは口元を緩め、愛剣の柄を撫でた。
「セオ、あんたはその知識と道具で、潜入のサポートを頼む。……報酬は、新作のピザ一枚でどうだ?」
「交渉成立だ! 君の作る『発酵生地とチーズの熱化学反応』……あれをもう一度分析したかったんだ!」
奇妙なパーティが結成された。
元・鑑定士の料理人、高潔な女騎士、そしてマッドな錬金術師。
市場の闇を暴くには、十分すぎる布陣だ。
市場の第三区画は、表通りの喧騒とは無縁の、死んだような静けさに包まれていた。
巨大な石造りの倉庫が立ち並び、冷たい霧が地面を這っている。
三人は物陰に隠れながら、慎重に『灰色倉庫』へと接近した。
セオが調合した『消臭ミスト』のおかげで、魔物の番犬や鋭い嗅覚を持つ見張りにも気づかれずに済んでいる。
「……あそこだ」
セオが指差した先。古びた鉄の扉の前に、数人の男たちが立っていた。
ヴォルク商会の腕章をつけた見張りだ。
そして、その奥から、一台の馬車が運び出されようとしている。
レインは『異端の鑑定眼』を発動させた。
距離はおよそ50メートル。だが、彼の眼にははっきりと見えていた。
馬車の荷台に積まれた木箱。その中から滲み出る、ドス黒いヘドロのような靄。
間違いなく、あの毒入り霊蜜の原料だ。
「……当たりだ。大量の『痺れ草』と『幻覚茸』が積まれてる」
「なんと……あんな量を市場にばら撒くつもりか」
シルヴィアが憤りを露わにする。
その時、倉庫の中から二つの人影が現れた。
一人は、見覚えのある黒いローブの男。ザガンだ。昨日の騒動で顔にアザを作っているが、その態度は相変わらず横柄だ。
そして、もう一人。
ザガンと親しげに言葉を交わしている、フードを目深に被った男。
その男が、ふとフードを直そうとして手を上げた瞬間。
レインの視線が、男の胸元に釘付けになった。
外套の下から覗いた、銀色に輝くバッジ。
天秤と瞳を模した意匠。
「――ッ!?」
レインの息が止まった。
見間違えるはずがない。それはかつて、レイン自身も憧れ、そして裏切られた組織の象徴。
――『王都鑑定ギルド』の一級鑑定士章。
「……嘘だろ」
レインの声が震えた。
ザガンと密会しているのは、ただのゴロツキや裏社会の人間ではない。
「本物」を保証し、市場の秩序を守るべき立場の人間。鑑定ギルドの高官だ。
「どうした、レイン?」
「……あいつだ。あいつが『供給元』の正体だ」
レインはギリと歯を食いしばった。
ガランドだけじゃなかった。
組織そのものが、もっと深いところまで腐りきっていたのだ。
ヴォルク商会はただの実行部隊。その背後で糸を引き、毒を「良薬」として鑑定し、市場に流しているのは、あろうことか鑑定ギルド自身だった。
「……皮肉なもんだな。偽物を排除すべき鑑定士が、偽物の親玉だったとは」
レインの瞳に、怒りを超えた冷徹な光が宿る。
それは、もはや料理人の目ではない。獲物の急所を見極め、確実に仕留める狩人の目だった。
「セオ、あの二人の会話、拾えるか?」
「お安い御用さ。『集音イヤーカフ』の出番だね」
セオが耳に手を当て、小さな魔導具を調整する。
「……聞こえるよ。『昨日の騒ぎはどうなった』『例の屋台は始末したのか』……ああ、やっぱり君の話をしてるね。そして……『次の搬入は三日後』『例の"新商品"の実験も兼ねて』……?」
セオの表情が曇る。
「……おいおい、穏やかじゃないね。『新商品』って、まさか霊蜜以上の毒薬を作る気か?」
「奴らをここで捕まえるか? 今なら奇襲で制圧できる」
シルヴィアが剣を抜きかけるが、レインは首を振った。
「いや、ここでザガンたちを捕まえても、トカゲの尻尾切りで終わる。あのギルドの男――奴の正体と、決定的な証拠を押さえない限り、組織は潰せない」
レインは冷静さを取り戻していた。
怒りに任せて暴れるのは簡単だ。だが、それではリズのような被害者は減らない。
根こそぎだ。
腐った根っこを、一本残らず引き抜く。
「……一度戻ろう。作戦を練り直す」
「いいのか? 目の前に敵がいるんだぞ」
「ああ。最高のメインディッシュを仕上げるには、下準備が必要だからな」
レインは倉庫の前で笑い合う二人の悪党を、その眼に焼き付けた。
(待っていろよ、鑑定ギルド。……お前らが捨てた『無能』が、お前らの喉元を食いちぎってやる)
夜明けの光が、東の空を白ませ始めていた。
それは市場の闇を照らす希望の光か、それとも血塗られた戦いの幕開けか。
屋台『真実の匙』の戦いは、国家規模の陰謀へと繋がっていく。




