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追放鑑定士はダンジョン市場で偽物グルメを暴く ――屋台ひとつで成り上がり、王都の“味”を取り戻す――  作者: U3


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5/12

凍てつく炭と、月下の剣舞

 迷宮市場の夜は早い。

 魔導ランプの光が一つ、また一つと消え、昼間の喧騒が嘘のように静まり返ると、そこは闇と湿気が支配する別の顔を見せる。

 地下特有の淀んだ空気。遠くで聞こえる魔物の唸り声のような風の音。

 そして、獲物を狙う者の潜める息遣い。


 レインは、自身の屋台『真実の匙』から少し離れた、崩れかけた石壁の影に身を潜めていた。

 時刻は深夜2時を回っている。

 手には調理用のナイフではなく、師匠の形見である岩塩の皮袋と、護身用の警棒が握られている。


(『次は火を消す』か……)


 レインは脳裏で、昨夜見つけた脅迫状の文面を反芻していた。

 単なる殺害予告なら、もっと直接的な言葉を選ぶはずだ。「殺す」や「首を洗って待て」といった具合に。

 だが、奴らは「火を消す」と書いた。

 料理人にとって、火は命だ。竈の火が消えれば、料理は作れない。だが、それ以上の意味が含まれている気がしてならなかった。

 たとえば、調理中に火力が落ちればどうなるか。

 生焼けの肉、芯の残った野菜、煮沸消毒されきっていないスープ。

 それは客の腹を壊し、店の信用を失墜させる。物理的に屋台を破壊するよりも、料理人としてのレインを社会的に抹殺する、陰湿で効果的な手口だ。


(ヴォルク商会……あるいはそのバックにいる連中なら、やりかねない)


 奴らは味よりも利益、客の健康よりも効率を優先する連中だ。

 ならば、レインの屋台を潰すために選ぶ手段も、料理への冒涜に満ちたものになるだろう。


 ふと、レインの鼻が微かな異臭を捉えた。

 腐敗臭でも、市場のドブの臭いでもない。

 もっと乾いた、灰のような、それでいて喉に張り付くような不快な粉っぽい臭い。


(……来たか)


 レインは息を殺し、右目に神経を集中させた。

 『異端の鑑定眼』が、暗闇の中に揺らめく二つの人影を捉える。

 黒い作業着に身を包み、足音を忍ばせて屋台の裏手へと回り込む男たち。その動きは素人ではないが、プロの暗殺者というほど洗練されてもいない。市場のゴロツキ崩れといったところか。


 男たちは屋台の裏に積んであった予備の燃料――『黒鉄炭』の麻袋に近づくと、懐から何かを取り出した。

 灰色の粉が入った革袋だ。


 レインの視界が、その粉の成分を瞬時に解析する。


 ――『氷結石の微粉末』。

 ――『酸素阻害剤』。

 ――『燃焼遅延触媒』。


(なるほどな……そう来たか)


 レインは奥歯を噛み締めた。

 あれは通称『死に火の粉』。

 炭に混ぜておくと、着火した時は普通に燃えるが、温度が上がるにつれて化学反応を起こし、急激に熱を奪って立ち消えさせる代物だ。

 もし気付かずにこれを使って調理すれば、ピークタイムの真っ只中に火が消える。あるいは、表面だけ焼けて中が生焼けという最悪の状態を作り出す。

 客に食中毒を出させ、レインを「管理不足の無能料理人」として追放するシナリオだ。


「へっ、これであの生意気なガキも終わりだぜ」

「さっさと混ぜちまおう。明日の昼頃には、腹を下した客の苦情で店はパニックだ」


 男たちが下卑た笑い声を押し殺し、炭の袋に粉を振りかけようとした、その瞬間。


「――料理の味付けにしちゃ、随分と無粋なスパイスだな」


 レインは隠れ場所から姿を現した。

 冷徹な声が、夜の闇に響き渡る。


「ッ!? 誰だ!」


 男たちが弾かれたように振り返る。

 レインは警棒を肩に担ぎ、ゆっくりと歩み寄った。魔導ランプの薄明かりに照らされたその瞳は、怒りよりも深い、絶対零度の侮蔑を湛えていた。


「この店のシェフだ。……あいにく、うちは隠し味に毒を使う趣味はないんでね。お引き取り願おうか」

「チッ、待ち伏せかよ……!」


 実行犯の一人、大柄な男が舌打ちをし、懐からバタフライナイフを取り出した。

 もう一人の小柄な男も、手にした粉袋を放り投げ、鉄パイプを構える。


「見られたからには仕方ねぇ。痛い目見てえのか、兄ちゃん?」

「火を消すついでに、テメェの口も利けなくしてやるよ!」


 二対一。

 武器を持った荒くれ者を相手にするには、分が悪い。

 だが、レインは一歩も引かなかった。

 背後にあるのは、ただの屋台ではない。自身の誇りと、明日訪れる客たちの笑顔を守るための城だ。


「やってみろ。……その鈍った身体で、俺に触れられるならな」


 挑発に乗った実行犯Aが、雄叫びと共に突っ込んでくる。

 大振りなナイフの一撃。

 レインは『鑑定眼』で軌道を先読みし、最小限の動きでそれをかわす。

 鼻先を凶刃が掠める風圧。

 すかさず警棒を叩き込もうとするが、相手も喧嘩慣れしている。レインの手首を狙って、逆の手で裏拳を放ってきた。


「ぐっ……!」


 重い衝撃が走り、レインはたたらを踏んだ。

 所詮、レインは料理人であり、戦闘のプロではない。動きを見切れても、身体能力で押し切られれば防ぎようがない。


「へっ、口ほどにもねぇ! 死にな!」


 体勢を崩したレインの脳天目掛け、実行犯Bが鉄パイプを振り下ろす。

 回避は間に合わない。

 レインは反射的に腕を上げ、致命傷を避ける防御態勢を取った。

 骨の一本や二本は覚悟する。だが、屋台だけは守り抜く――その執念だけが、彼の体を支えていた。


 鉄塊が迫る。

 死の感触が肌を粟立たせる。


 その時だった。


 キィィィィンッ――!


 硬質な金属音が夜気を切り裂き、火花が散った。

 レインの腕に衝撃は来ない。

 代わりに、彼の目の前に、月光を纏った白百合が咲いていた。


「……私の気に入った店で、無粋な真似をするな」


 凛とした声。

 レインを背に庇い、鉄パイプを受け止めていたのは、一本の短剣だった。

 流れるような銀髪が、夜風に煽られて美しく舞う。

 白銀の軽鎧ではなく、今は動きやすい濃紺の夜着に身を包んでいるが、その佇まいは戦場にある騎士そのものだった。


「シ、シルヴィア……?」

「夜食のピザを買いに来たのだが……どうやら品切れどころか、閉店の危機だったようだな」


 シルヴィア・ランカスター。

 彼女は肩越しにレインにウィンクを送ると、手首を返して男の鉄パイプを弾き飛ばした。

 その所作は優雅で、舞踏の一節のように洗練されている。


「な、なんだこの女!?」

「騎士だと……!?」


 男たちが狼狽する。

 シルヴィアは短剣を正眼に構え、冷ややかな視線で二人を射抜いた。

 その瞳は、昼間の穏やかな蒼色ではない。絶対零度の氷原を映したような、冷徹な蒼。

 月の光が彼女の美しい横顔を照らし出し、この世のものとは思えないほどの神々しさと、恐ろしさを演出していた。


「レイン、下がっていろ。……料理人に包丁以外の刃物は似合わない」

「言わせてくれるな。だが、相手は二人だぞ」

「問題ない。ゴミ掃除は騎士の務めではないが……害虫駆除なら話は別だ」


 シルヴィアが地面を蹴った。

 速い。

 重装備の昼間とは比べ物にならない、疾風のような踏み込み。

 実行犯が反応する間もなく、彼女の短剣が男のナイフを根元から叩き折る。


「ひっ!?」

「遅い」


 返す刀で、柄頭を男の鳩尾に叩き込む。

 ゴフッ、と空気を吐き出し、大男が白目を剥いて崩れ落ちた。

 一撃。

 無駄のない、完璧な制圧。


 残された実行犯が、恐怖に顔を引きつらせて後ずさる。


「ば、化け物かよ……!」

「失敬な。レディに向かって化け物とは」


 シルヴィアは微笑みすら浮かべていた。だが、その笑みは獲物を追い詰める捕食者のそれだ。

 彼女はゆっくりと、しかし確実に男との間合いを詰めていく。


「さあ、どうする? その鉄くずを捨てて降伏するか、それとも私の剣の錆になるか。……どちらを選んでも、その薄汚い粉の正体と、依頼主の名前は吐いてもらうがな」


 男は腰を抜かし、へたり込んだ。

 戦意喪失。

 圧倒的な実力差と、彼女が放つ「格」の違いに、魂ごとへし折られたのだ。


「す、すまねぇ! 俺たちはただ金で頼まれただけで……!」

「静粛に。言い訳は後でたっぷりと聞いてやる」


 シルヴィアは鮮やかな手並みで、持っていたロープで男たちを拘束した。

 そして、短剣を鞘に納めると、ふぅと小さく息を吐き、レインの方を振り返った。


「怪我はないか、レイン?」


 先ほどまでの修羅のような気配は消え、そこには心配そうに眉を下げる、一人の美しい女性の姿があった。

 月光に透ける銀髪を耳にかき上げる仕草が、不意にレインの胸を高鳴らせる。


「ああ……おかげで助かった。いいタイミングだったな」

「たまたまだ。……本当に、たまたま夜風に当たりたくて散歩をしていたら、君の屋台の方から不穏な気配がしたのでな」

「散歩にしては、随分と物騒なものを持ってるんだな」


 レインが彼女の腰の短剣を指差すと、シルヴィアはばつの悪そうに視線を泳がせた。


「こ、これは護身用だ! 乙女の夜道は危険がいっぱいだからな!」

「へぇ。……ま、そういうことにしておくよ」


 レインは苦笑し、懐からハンカチを取り出すと、シルヴィアの頬についていた小さな煤汚れを拭った。


「っ……!?」


 シルヴィアがビクリと肩を震わせ、瞬時に顔を真っ赤にする。

 戦場では無双の強さを誇る騎士が、こんな些細な接触で初心な反応を見せる。そのギャップが、レインには何とも言えず愛らしく思えた。


「汚れてたぞ。……ありがとう、シルヴィア。あんたがいなきゃ、今頃俺の頭はカチ割れてた」

「う、うむ……。君が無事なら、それでいい……」


 シルヴィアはハンカチ越しに頬を押さえ、俯いてしまった。

 その耳まで赤く染まっているのを、月明かりは隠してくれない。


 レインは視線を転じ、縛り上げられた二人の男と、地面に散らばった灰色の粉を見た。

 危機は去った。

 だが、これは始まりに過ぎない。


「さて……」


 レインの声色が、再び冷徹なものに戻る。

 彼は男たちの前にしゃがみ込み、『鑑定眼』をギラリと光らせた。


「洗い浚い吐いてもらおうか。誰に頼まれたのか。そして、この『死に火の粉』をどこで手に入れたのか」


 男たちは震え上がり、縋るような目でシルヴィアを見たが、彼女もまた氷の聖騎士の顔に戻り、冷ややかに見下ろしているだけだった。


「さあ、尋問の時間だ」


 夜の市場に、レインの静かな怒りが満ちていく。

 襲撃者たちの口から語られる真実は、レインたちを更なる闇の深淵へと導くことになるだろう。

 そしてその陰には、まだ見ぬ協力者――科学の力で真実を解き明かす、あの錬金術師の出番が待っていた。

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