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兄が連れ込んだ女が悪役令嬢だった。  作者: 京栞


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#7 悪「役」令嬢の秘密ー1(ヴィオラ視点)

 応接室を辞して、ミスティと名乗ったメイドが案内してくれた客室は、白と青を基調とした上品な一室でした。

 ムラのない空色で染められた絹で飾られた天蓋付きのベッドに、ガラスのサイドテーブル、白のキャビネット。

 どことなく祈りを捧げる神殿のような雰囲気さえ感じさせる部屋は緊張感を抱いてもおかしくありませんでした。しかし却って不思議なことに、私には今まで感じたことが無いような安心感を覚えさせるのでした。


「こちらがリドニクス様にお使いいただく客室になります。リドニクス様がご滞在になられる間は私めがお世話させていただきますので何なりとお申し付けください」

「ええと、ミスティ? お二人にも言ったけれど、出来れば名前で呼んでもらってもいいかしら? ……もうすぐ公爵家ではなくなるかもしれないのだし」

「……かしこまりました、ヴィオラ様」


 他家の使用人に家名ではなく名前で呼ぶことを願うのは少々はしたない行為かとも思いましたが、この屋敷でリドニクスの名を出されることは何故だか拒否感が強く、無理を言ってしまいました。

 ミスティも一瞬怪訝な顔をしましたが、私に合わせることを選んだようでした。 

 ミスティはクローゼットルームからいくつか部屋着になるネグリジェなどを出してきて私に申し出ます。


「ひとまずそのドレスはお着替えになられたほうがよろしいかと。お手伝いいたします」

「え? ええと、後で自分で着替えるから大丈夫よ」


 善意では、あるのでしょう。しかし、私の体は震えてしまっています。ドレスの下を見られるわけにはいかない事情があるからです。


「……失礼ですが、今お召しになっているドレスは早く着替えてしまわれた方が良いと思います。骨が歪みますよ」

「え?」


 公爵家では、皇子殿下の婚約者である長女の私よりも父の愛娘である妹の方に予算を割いているせいで、私のドレスはいつも流行遅れの物を使いまわす形で用意されるのが常です。今着ている赤と黒のドレスも、元は義母の若い頃に着ていたドレスを流用したもので、肌の露出も多く、公爵令嬢の正装としては不適格なもの。ですが欠席することもこれ以外のドレスを着ることも許されず、義母の侍女たちによってきつくウエストを絞られています。

 そのドレスで骨が、歪む? いったいどういうことでしょうか?

 私の恐れていた方向とは違う指摘に思わず首をかしげると、それを見たミスティがため息を吐いて教えてくれます。

 ミスティの紫色の瞳は先ほど応接室でレイチェル様が夜会の話を聞いた時のように冷え込んでいて、彼女の深い憤りをうかがわせます。


「一見分かりにくいように作られていますが、このデザイン、二十年前に禁止された内臓に負担のかかるコルセットが使われていますね? しかも、これは一人では緩める事すら難しいものです。ヴィオラ様のご趣味ではなさそうですし、このまま着せておくことはできません」

「えっと、あの」

「失礼いたします。……! これは、また……」


 なんとか穏便に止めようとしますが、ミスティの行動の方が少しだけ早く、彼女は私の背後に回り、手早くコルセットを外します。締め付けられていた体が一気に楽になったのと同時に布がバサリと落ち、私の体が露になります。ミスティの目が見開かれた後、鋭く細められました。

 現れたのは、無数の傷。腕や肩に背、腹部など、ドレスで絶妙に隠れている個所をピンポイントで狙って付けられたことが明白なその傷は、疾うに青痣になったものから、今日付けられたばかりの生傷まで小さいものを含めれば百近くあります。躾というの名の憂さ晴らしの末の傷跡は、高位令嬢に決してあってはならないものであり、知られてはならないものでした。

 せめて、傷の原因だけは隠し通さなければ。

 私は慌てて、落ちたドレスの布地を手繰り寄せると体を覆い、必死の言い訳をします。


「ち、違います! これは、この傷は、わ、私が悪いことをしてしまっただけで!」


 真っ青になって言い訳を試みる私のことをミスティは責めず、そっと私の方にガウンをかけると気遣うような声で言います。


「……これほど酷い傷は痛むでしょう。すぐに薬を用意しましょう」


 彼女はきっと、私の傷が人為的であることに気づきながら私には指摘しないのです。

 そうなると、現金な私は途端にグロッタ家の兄妹に知られることが怖くなります。もし、軽蔑の目で見られたら? 傷物を置いておくことが出来ないと言われたら? 優しい人間の手のひら返しは何度も見ていますから、それが恐ろしくて仕方ありませんでした。

 それに、私を庇うだけでなく、私を取り巻く環境の実態が外部に知れたら、原因となったこの屋敷の人々を父公爵が見逃すはずがありません。ただでさえ、皇子殿下に目をつけられているのに、さらに困らせてしまうことも、お二人を危険にさらしてしまうことも本意ではありません。


「あの、レオナルド様やレイチェル様には、黙っていていただけませんか! これ以上この家にご迷惑をおかけするわけには!」


 しかし私の懇願もむなしく、ミスティははっきりと言い切ります。


「……それはできかねます。私は伯爵家の者。お客様が怪我をなさっていることを主家に黙っていることはできませんし」


 ミスティの主張は正しいことです。使用人が主の言うことに背き客人の言葉を優先することなど裏切りと呼ばれても仕方のない行為です。

 それでも、このあとこの家に降りかかるであろう火の粉を想うと、絶望せずにはいられませんでした。


「……何も問題はありません」

「え?」


 失礼します、と断りを入れてから私に近寄ったミスティは、傷に触れないようにそっと抱きしめてくれました。一瞬強張った私の体もその温もりに、自然と力を抜いてしまいます。ミスティは私に向かって優しく諭すように言います。


「誤解させてしまったかもしれませんが、どんな事情があれ、当主が客人として認めた者を害そうとするものはここにはおりません。閣下がヴィオラ様をご実家に戻されることをしなかったのはこういったことも危惧されていたからでしょう。あなた様がここでなさるべきことは傷を隠すことではなく、傷を癒すことです」


 そこまで言い切ると、抱きしめていた私の体から離れて彼女が微笑みます。白い髪と、慈愛に見た紫色の瞳はどこか宗教画の天使を彷彿とさせました。

 彼女は今度は、私の手を取りじっと見つめてきます。


「つまり、私が申し上げたいのは、ここでは無理して痛みを隠す必要はない、ということです」

「あ……」


 ぽろぽろと涙がこぼれていくのに、どうしてでしょう? 私は悲しいとは感じず、むしろ嬉しさと安堵でいっぱいでした。

 ずっと居場所が無かった私が、こんな素敵な人たちに肯定してもらえる日がくるなんて、あり得ないと思っていたのに。

 婚約破棄をされたショックを感じることもなく、こんなに幸せで良いのでしょうか。

 一通り泣き、涙の止まった私にミスティがそっとハンカチを差し出してくれました。それを受け取って涙をぬぐいます。涙まで流した所為か、眠気がぐっと増してきます。

 私の眠気を察したミスティが、そっとベッドまで誘導してくれたので私は大人しく、そこに横たわります。肌触りの良い上質なシーツとベッドに意識はだんだんと遠のいていきます。


「あなたがここにいらっしゃる限り、私どもは客人としてヴィオラ様をお守りすることが出来ます」

「……ありがとう、ミスティ」

「いえ、差し出がましいことを言ってしまいました」

「そんなことはないわ。……本当に、嬉しいの。私のことを想って言ってくれたのでしょう? 私、すごく幸せよ。レオナルド様に助けてもらってから、ずっと。本当に……」


 夢を、見ているみたい。

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