#4 悪役令嬢は伯爵家へ誘われてー2(ヴィオラ視点)
グロッタ卿は、私を安心させるように微笑み、立ち上がると殿下に向かって礼をします。
「では殿下。私たちはお先に失礼しますが、これ以上の妄言など、失態は犯されませんように。……リドニクス嬢、行きましょう」
「は、はい……失礼します、殿下」
グロッタ卿は脳内で処理が追い付かなかったのか、動きを止めている殿下たちを放置し、流れるように私をエスコートしてくださいます。余りにも堂々とした振る舞いは却って咎めづらかったのでしょう、陛下がいらっしゃる前に退出することになったにも関わらず、衛兵たちもすんなりと外へ通してくれました。
ホールの外に出て私が腕に添えていた手を離すと、グロッタ卿は胸ポケットから折りたたまれた紙片を取り出します。空間が揺らぎ、瞬く間に黒い小鳥に変わった紙片は、そのままどこかへと飛んでいきました。私は思わず目を見張って彼の手元を見つめてしまいました。
「これで良し。……どうかしましたか?」
「……今のは、卿の魔法ですか?」
「ええ、私の記憶や考えをあの小鳥が従者に伝えてくれます。簡単な伝言をするのに便利なのです」
「そう、ですか」
彼がさらっと何でもないようにやってみせたそれは、学園で学べるような単純な魔法ではありません。一般的な、声を録音して手紙の形で届ける魔法ですら、魔法省で研究員となる実力があってやっと習得できるかという難易度のはずです。声も出さずに記憶や考えをそのまま伝えられることも、動物の形にして動かすことも容易にやってのける姿は、陛下の補佐官となるだけの人物と言わざるを得ません。
「それでリドニクス嬢、このあとはどうなさいますか?」
その問いに先ほどまでのどこか夢見がちな感覚が覚め、一気に現実に引き戻されてしまいます。
そうでした。私は、婚約破棄をされてしまったのです。父は私を政略の道具としてしか見ていませんから、父が知ればいつものように折檻が行われるのでしょう。
「……屋敷へ、戻ります」
「馬車は? この時間なら公爵邸へ戻った後でしょう」
「いえ、歩いて帰ります。大丈夫です。慣れていますので」
「慣れている?」
私の返答に不穏なものを感じたのか、卿は少し険しい顔になりました。
私は何か言ってはいけないことを言ったのでしょうか?
彼は私の顔を見て何も分かっていないことを理解して、少し悩むと私に向かって言いました。
「リドニクス嬢、本当は我が家の馬車で公爵邸へお送りするつもりでいましたが、それもどうやら不適切だったようですね。今あなたを帰してしまってはいけないようです」
「えっ?」
「この後の話を出した先ほどから、あなたの顔色も震えも尋常ではありません。……屋敷に、戻りたくいないのでしょう?」
卿に指摘されて初めて、私は自分の両手が震えていることに気づきました。手は真冬のように強張って行き先を決めかねたようになっています。
確かに屋敷に戻ることはしたくありません。妹がきっかけであっても、責められるのはいらない子の私であることは確定していますから。
それでも、屋敷に戻らねば、もっと酷い仕打ちをされるに違いありません。怖くても、嫌でも、生きるためには帰らねばならないのです。
「で、ですが
「リドニクス嬢、わが家へ来ませんか?」
「……え?」
グロッタ伯爵家へ、行く?
おっしゃる意味がまたしても理解できず首を傾げた私に向かって、卿が説明してくれます。
「今夜は我が家、グロッタ伯爵家の屋敷に泊まってください。我が家であれば警備もしっかりしていますし、妹の侍女もいるので一晩くらいは保護させてください。あの騒動は恐らく殿下方の独断です。リドニクス嬢に妹君を虐めている暇などないことは、城の者は皆知っておりますし。陛下は今夜の出来事を事前には知っておられませんから。明朝に陛下へ謁見し事の次第を私から説明すれば、婚約破棄も撤回できましょう。殿下の言い分の証拠もなかったようですし、何よりリドニクス嬢は城に使える役人からは評判が良いですから、悪いようにはなさらないはずです」
ここまで一気に言い切ると、何かに気が付いたように顔を青くした卿が弁明を始めます。余程動揺しているのか一人称が変わっていることにも気付かずに謝ってきます。
「……すみません! 婚約者のいる令嬢に提案することではありませんでした! そうですよね、遊び人の噂があるような男の馬車に同乗するように言うだけではなく、屋敷に来いなどというのは怖がって当然です!……勿論、下心なんて一切ありません! なんなら私はこのまま城に残りますので! ご令嬢が安全に過ごせる場所を提供したいだけだったのです! 本当です!」
私はそれを聞いて、ホールを追い出される前に殿下が彼に向って言った言葉の意味を思い出しました。
魅了の伯爵、レオナルド・グロッタ。
帝国貴族にも数人いるかいないかという闇属性の魔力を持って生まれた稀代の秀才にして、黒い髪に蒼い瞳の端正な容姿の持ち主。帝国貴族学園を首席で卒業した後王宮勤めとなり、僅か1年で国王の補佐官の一人に抜擢された有望株と謳われる方。
役人の間ではいずれは宰相にまで上り詰めるのではないかと言われているその才能と同じくらい評判になっているのが、彼の女性関係にまつわる噂です。
曰く、伯爵家には娼婦から下級貴族の令嬢、時には未亡人まで毎晩違う女性が連れ込まれ、夜が明けるといなくなっている。
曰く、貴族令嬢との縁談は悉く破談になるにも関わらず、皆一様に伯爵を庇う。
曰く、幼い妹を病弱だと偽り屋敷に閉じ込め溺愛しており、陰口を言った女は魅了して信者に変えさせる。……などなど。
先日まで学園に通っていた私は、公式の夜会に出ることがほとんどなく、実際に卿と直接会話するのは初めてだったので忘れていましたが、噂を思い出しても彼がそんなことをする方には思えません。城で遠くから見かけたときの姿も誠実で実直な文官そのものでしたし。もし本当に女遊びがしたいのであれば、あの場をやり過ごし、追い出された私をこっそり浚えば良かったのですから。
何よりあのとき彼が差し伸べてくれた手の暖かさを、私は信じたい。そう思うと、自然と私の口から言葉が零れました。
「是非、お願いします」
溢した言葉の勢いのまま、私の決意が逃げ出す前にと私は再度言葉を重ねます。
「貴方が私にして下さったことは噂通りの方ならきっとなさらないことです。卿にご迷惑をおかけすることになりますが、今晩だけ卿の邸宅にお世話になる事は可能でしょうか?……グロッタ卿?」
返事が無いことが不安になり、グロッタ卿を見ると、卿は私の顔をハッとするように見つめていました。そして、少しだけ潤んだ瞳の彼は私に尋ねました。
「信じて、くださるのですか?」
「はい、卿こそ私が妹を虐める女だと言われているのを信じていないのでしょう?」
「勿論です! リドニクス嬢はそのような方ではありません」
少しだけ、その姿がかわいらしく思えてしまい、つい揶揄うように返してしまいます。
卿は慌てて否定すると、私に再び腕を差し出して、微笑みます。
「それではご令嬢、改めまして私の屋敷にご招待しましょう。折角ですので私のことはレオナルドと、名前で呼んでください」
「それなら私のこともヴィオラと、そう呼んでください。レオナルド様」
これがきっと私を幸せにしてくれる転換点でした。
それが分かるのはもう少しだけ、先の話です。
次回は再びレイチェル視点(予定)。




