#3 悪役令嬢は伯爵家へ誘われてー1(ヴィオラ視点)
今話から時を数刻ほどさかのぼり、ヴィオラ視点です。
王城のホールに私の婚約者であるカリュエン第一皇子殿下の怒号が響いたのは、夜会が始まってまだ数分と経たない時のことでした。
「ヴィオラ・リドニクス! お前との婚約を破棄してやる!」
いつものように一人で、ただただ時が過ぎるのを待とうと壁際にいた私の手を掴み、殿下は無理やりホールの中央に引っ張り出します。乱暴に掴まれた腕は手袋で隠れていても、赤くなっていることは容易に想像がつきました。
予想は、していました。
殿下のいきなりの言葉を聞いても、私はもう驚きもありませんでした。
ただ、早く楽にしてくれ、と。諦観にも似たそれだけが、私の思うこと。
「理由を、伺ってもよろしいでしょうか」
「理由? はっ、お前はとことん鈍い愚図のようだな。身に覚えがないとは言わせんぞ。お前は俺の寵愛が妹のステラに向いたことに腹を立て、裏で他の令嬢に命じて、彼女に嫌がらせをしていたそうではないか! 母親が違うからと言っても血のつながった妹を虐げるほどの女にはもう我慢がならん」
「! 婚約破棄はともかく、妹を虐めるだなんてこと、私はしていません。そのような非道な行いは決して!」
殿下の言いがかりに、無駄だと知っていても反論せずにはいられませんでした。
いくら私が皆から都合の良い存在として扱われていても、亡くなった母に顔向けできなくなるような真似はしまいと誓っています。……そもそも、私に命じられて動いてくれるような令嬢が学園に存在しているとも思えませんが。
「白々しい台詞を吐くな。証人も証拠もあるのだおとなしく認めれば良いものを。そこまで王妃の座が欲しいのか? 浅ましい」
「違います、婚約破棄は構わないと申し上げたではありませんか。私は本当に何もっ⁉」
「うるさい、しつこいぞっ」
私が必死に言いつのっても、聞く耳も持っていただけないのは、きっと殿下にとっては真実なんてどうでもよいからでしょう。寵愛を求めようと縋る気配も見せない人間よりも、素直に慕ってくる愛らしい妹を好んでいたことも知っています。それに、家族から疎まれている私よりも、公爵家の令嬢として必要なものはすべて持っている妹の方が条件的にも良いことは事実ですから。
「お義姉さまぁ、いい加減罪をお認めになって? お父様だってそうすれば修道院行くらいで許してくださるわよ?」
ニコニコと笑い、殿下の隣に並んだ私の異母妹・ステラは聖魔法の資質の証である金髪をいじりながら言います。
「ああ、ステラ! お前はなんと優しいのだ! このような卑劣な人間を修道院行くらいで許してなるものか!」
「殿下ぁ、あれでも私のお姉さまですよ? いくら私と違って聖魔法も使えない役立たずなお姉さまでも殺してしまうなんてかわいそうだわっ」
妹の発言は、明らかに私を徹底的に排除するための誘導でした。妹がこう言えば、殿下は必ず罪をさらに重くすることでしょう。それを悟ってしまった私にはもう、抵抗せずに俯くことしかできませんでした。
そのときです。
「殿下、お待ちください」
「ん? 誰だ、お前は?」
つかつかと、私たちの目の前に歩いてきて声を上げたのは黒い髪に蒼い瞳の美しい青年でした。面食いの妹などが頬を赤らめているのも見えました。
良い気分を遮られたからでしょうか、殿下が少しだけ憮然とした顔で彼に対して声を掛けます。
「失礼いたしました。レオナルド・グロッタと申します。ご縁がありまして、今年度より陛下の補佐官を務めております。殿下にも陛下の執務室にて数度お目にかかる機会があったかと」
青年は丁寧に礼をし、にこやかに名乗ります。
優し気な瞳の奥に一瞬だけ突き刺すような冷気を宿していることに気づけたのはわたしと殿下くらいだったようです。あれほど偉そうだった殿下も一瞬気おされているようでした。
しかし、その名を聞いた殿下は思い出したようであざけりの表情を浮かべます。
「なっ! ……いや待て。グロッタ、だと? ああ、下級貴族の間で有名な魅了の伯爵とやらか。して、伯爵家ごときが俺たちの問題に口を挟むとはどういうつもりだ?」
「いくら殿下といえど、公爵家のご令嬢への扱いとしては紳士らしからぬ振る舞いに感じまして。今宵は殿下方の卒業祝いのための夜会ですから、せめて陛下や公爵様たちがお越しになるまでお待ちしてはいかがですか」
グロッタ卿はさりげなく私を背に庇うと、殿下をなだめようとします。
「何だと! 俺の決定に文句をいうか!」
「いえいえ、そんな滅相もない。私はただ陛下にご報告もなしに行うのは危険かと愚考しただけでございます」
どうして、この方は私を助けてくださるのでしょう。私と彼の面識はありません。私が家長である父にさえ疎まれていることは噂で知っているでしょうし、助けることはデメリットしかないはずです。現に彼以外の貴族令息・令嬢が声を上げる様子はありません。
私がこうやって狼狽えている間も、彼はずっと殿下に対して行動をいさめようと訴えかけています。このままでは、この優しい方まで私に巻き込まれてしまう。お止めしなくては___
「殿下ぁ、お義姉さまを庇う方なんて、一緒に放り出してしまえばよいのではなくて?」
「ほお、確かにそれは良いかもしれんな」
私の考えは一歩遅く、気づけば妹がそんな意地悪な提案をした後でした。
殿下もやり取りに嫌気がさしたのか、随分と乗り気な表情を見せています。
「それだけはっ「構いませんよ私は」」
他人を巻き添えにすることだけは止めなければと私が発した声は、平然とグロッタ卿が放った言葉に遮られました。彼は私に背を向け、殿下を見据えたまま朗らかに言い切ります。
「殿下に私の提言を理解していただけなかったことは残念でなりませんが。格式高い公爵家の正当なご令嬢をエスコートできる機会をいただけるなら、悪くありません」
「減らず口をたたきおって。そこまで言うなら追い出してやる! 今すぐこの城から出ていけ!」
顔を真っ赤にした殿下がそう口にしたのを聞いて振り返り、私にひざまずいた青年は私に向かって微笑みます。
「ヴィオラ・リドニクス公爵令嬢。どうか今宵ひと時を私に預けてくださいませんか?」
一晩限りのエスコートの申し込みは、まるで物語の王子様によるプロポーズのようで。
私がその手を取ることに、未だ躊躇していることに気づくと口元だけを動かし、
私を信じてください。
そう、言いました。
手を取ってはいけなかったことは百も承知でした。その選択をすれば、この人を私の苦しみに巻き込んでしまう。ここは物語ではなく、どうしようもなく冷たい現実で。私にハッピーエンドは存在しなくて。国の権力者を敵に回し、この人の未来を、幸せを、奪ってしまう。そんな考えもしっかり私の中にはありました。
それでも、私はとにかく限界で。もう、逃げ出したくて。
優しい王子様の手を、取ってしまったのです。




