アルテミスの森の魔女 その42
「君が好きだ。僕と結婚してくれ」
シュナンの求婚の言葉を受けて、メデューサは心臓が止まりそうなほど、びっくりしました。
もちろん、シュナンの事は大好きでしたが、いきなり結婚を求められるとは、思わなかったのです。
メデューサは驚きと恥ずかしさで、心が混乱して、顔を真っ赤にして、うつ向く事しか出来ません。
そんなメデューサと、真正面で向き合っているシュナンは、緊張の面持ちで杖を片手に棒立ちになり、彼女が答えを出すのを、じっと待っています。
目の見えないシュナンは、手に持つ師匠の杖によって視覚情報を得ており、魔獣の背の上でメデューサと向かい合う彼は、杖を手前の方にかざして、蛇娘の姿を確認しながら、固唾を飲んで、その一挙一動を見守っています。
しかし、そのシュナンの前で、顔を上げる事も出来ず、真っ赤になって、蛇に覆われた顔をうつ向かせるメデューサが、やっと喉から絞り出した言葉は、このようなものでした。
「ありがと・・・シュナン。でも駄目よ。あたしなんかと結婚したら、あなた、いつか絶対後悔する。こんな蛇の髪の毛と、相手を石に変える魔眼を持つ、化け物みたいな子なんかとー」
その言葉を聞いたシュナンは、血相を変えてメデューサに詰め寄ると、声を荒げて言いました。
盲目の彼は、自らの視覚をになう師匠の杖を、更に強く握りしめると、杖を持っていない方の手を、メデューサに向かって伸ばし、彼女の震える肩を、ギュッと掴みます。
「そんな事は、絶対にない。僕は、ずっと、君と一緒にいたいんだ。お願いだ、メデューサ。僕を、僕を信じてくれー」
その時、不意に、シュナンが片手に持つ、師匠の杖が声を発しました。
「メデューサ、わしが、口を出す事ではないかもしれんが、聞いてくれ。人を愛するという事は、その人を信じるという事だ。心からー。だから、メデューサ。君がもし、シュナンの事が好きなら、こいつの事を信じてやってくれないか。シュナンには、心から信じあえる、誰かが必要なのだからー」
弟子を思いやる、師のその言葉は、メデューサの小さな胸に、果たして、どの様に響いたのでしょうか。
シュナンに肩を掴まれながら、彼の前に立つメデューサは、相変わらず蛇で覆われた顔を、ずっと、うつ向かせています。
しかし、彼女の心の中では、様々な想いが、濁流のように渦巻いていました。
そして、それらの様々な想いの中で、最も強いのは、先ほどの、師匠の杖の発した言葉によって、メデューサの心に芽生えた、一つの想いでした。
その一つの想いは、荒れ狂う他の様々な想いを統合し、光の矢となって、メデューサの心を射し貫き、一本の真っ直ぐな道を、彼女に示します。
(そうだわ・・・。わたしは、シュナンを信じるべきなんだわ。この人の心をー)
メデューサはシュナンを信じ、彼と共に歩みたいと、心から思いました。
彼と共に生き、幸福も苦難も分かち合い、人生の長い旅路を、一緒に過ごしたいと思ったのです。
ならば、自分の、シュナンに対する答えは、決まっています。
メデューサは伏せていた、その顔を上げて、シュナンに返事をしようと思ったのですが、その瞬間、彼女の脳裏に、魔女マンスリーの、不吉な予言の言葉がよぎります。
マンスリーは、メデューサがいずれシュナンを裏切り、それが転機となって、シュナン少年が死ぬであろう事を、暗に予言していました。
マンスリーの提示した「吊られた男」と「死神」の、2枚のカードの不吉な絵柄は、今もメデューサの脳裏に焼き付いています。
嫌な思いを振り払うように、ブンブンと首を振る、メデューサ。
自分がシュナンを裏切るだなんて、そんな馬鹿な事があるわけはありません。
きっと、何かの間違いに、違いありません。
それにマンスリーだって、予言の言葉に、こだわりすぎるのは良くないと、言っていたではありませんかー。
メデューサはうつ向かせた顔を、やっと上げると、ようやく気持ちの整理がついたのか、目の前で彼女の言葉を待つ、シュナン少年の方に、改めて向き直ります。
そして、その蛇で覆われた顔を赤らめながら、シュナン少年に対して、おずおずとした口調で、声を発します。
少年のプロポーズに対する、自分の答えをー。
「わかったわ、ショナン・・・。あなたが、そう言ってくれるなら・・・。わたし、あなたと結婚します」
メデューサの、その言葉を聞いた、シュナン少年の目隠しをした顔が、喜びに輝きます。
「ほ、本当かい!?メデューサ!!」
シュナン少年は、上ずった声でそう叫ぶと、メデューサに更に身体を密着させ、彼女の気持ちを、きちんと確認しようとします。
「本当なんだねっ!?本当に、僕と、結婚してくれるんだねっ、メデューサ!!」
メデューサは、自分に肉迫するシュナン少年の姿に、ちょっと引きながらも、彼の目隠しをした顔を、蛇の前髪の隙間から、上目遣いで見上げると、コクリと首をうなずかせました。
「やったぁっ!!!」
その瞬間、シュナン少年は、喜びのあまりか、手にした杖を、足元に放り出すと、左右の手を、メデューサの両わきに差し入れ、そのまま力まかせに、彼女の身体を、グイッと宙に持ち上げました。
そして、両腕で宙に浮かせたメデューサの、そのきゃしゃな身体を、まるで赤ん坊に高い高いをするような姿勢で、頭上高くへと、抱え上げました。
「きゃっ!!」
いきなり、シュナンの両腕で、空中に抱え上げられ、悲鳴を上げるメデューサ。
更に、シュナン少年は、杖を手放した、目の見えない状態でありながら、とんでもない行動を取って、メデューサを仰天させます。
なんと彼は、メデューサの身体を、高い高いするような姿勢で頭上に抱え上げたまま、その場で、まるで独楽のように、くるくると回り始めたのです。
まるで赤ん坊みたいに、宙に抱え上げられた上に、くるくると回転する、シュナンの動きに合わせて、メデューサの身体も、空中で振り回され、足がつかない状態で、くるくると回ります。
移動する「家獣」の背中の上で、目の見えないシュナン少年が、こんな行動をする事は、落下の恐れもある、大変、危険な行為であり、身体が浮いた状態で振り回されているメデューサは、さすがに抗議の声を上げました。
「ちょっと、シュナン危ないわっ!早く降ろしてー」
シュナンの両腕で抱え上げられ、空中で振り回されながら、その蛇で覆われた顔に、困惑の表情を浮かべる、メデューサ。
しかしー。
「あはははーっ!!メデューサー!!」
自分を頭上に抱え上げながら、くるくると回るシュナン少年の、その目隠しをした顔に浮かぶ、幸せそうな笑顔を見て、メデューサの心に変化が生じます。
少年のその顔を見て、なんだか嬉しくなったメデューサは、空中で振り回される怖さも忘れ、自分も大声で笑い始めます。
蛇の前髪の下で、満面の笑みを浮かべて、大声で笑うメデューサ。
「もーっ!!シュナンたらーっ。あはははーっ!!」
シュナン少年も、空中でメデューサの身体を振り回しながら、大声で笑っています。
「家獣」の背に設けられた柵の側で、メデューサの身体を高い高いしながら、独楽のようにくるくると回る、シュナン少年の姿を、黄昏の淡い光が優しく照らし出します。
「あはっ、はははーっ!!」
「うふっ、あははーっ!!」
互いの顔に笑顔を浮かべながら、くるくると回る、シュナンとメデューサ。
そして、そんな二人の笑い声が聞こえたのか、はたまた、二人の帰りが遅いのを心配したのか、「家獣」の背中に建っている家の中から、他の仲間たちがゾロゾロと外に出て来ました。
外に出て来た旅の仲間たちは、移動する「家獣」の背中の上で、シュナンが、メデューサを高々と抱え上げながら、くるくると回っている、その姿を見て、全員が一瞬、自分の目を疑いました。
しかし、彼らは、すぐに二人の間に何があったのかを察すると、それぞれの顔に、笑みを浮かべます。
巨人ボボンゴは、腕を胸元で組みながら、大きくうなずき、満面の笑みを、その顔に浮かべています。
吟遊詩人デイスは、にっこりと笑いながら、二人を祝福するように、両手を大きく頭上に広げています。
そしてレダは、二人の姿を見た瞬間は、ふくれっ面になりましたが、やがて大きく肩をすくめると、何だか複雑な表情で笑っています。
仲間たちが、三者三様の笑みを浮かべて見守る中、メデューサを頭上高くに抱え上げたシュナンは、移動する魔獣の背中の上で、嬉々として回り続けます。
くるくると回る二人から発せられた、明るい笑い声が、黄昏の光に包まれたアルテミスの森に、高らかに響き渡りました。
[続く]




