カラクリ忍者外伝:紫紺に咲く盾
序章 紫紺の夢
――静寂の底。
そこには、ひとつの「夢」が揺蕩っていた。
幾千の歯車と鋼鉄の鎖に縛られた意識。
重い装甲の奥で、ただ「声」を待つ存在。
(……わたしは……なに……?)
答えはない。
だが、確かに耳に残る残響がある。
「お前は“盾”だ。すべてを守るために造られた」
それは錬金術師・天海が残した記録の声。
だが夢の中で幾度も繰り返し再生されるそれは、祈りにも呪縛にも思えた。
(盾……? でも、わたしの胸は……どうしてこんなに苦しいの……?)
紫紺の花弁が、虚空に降る。
その花の名を、彼女は知らない。
ただ一言だけ、自分を呼ぶ声がある。
――「アジサイ」
そう名付けられたとき、眠れる巨影が微かに震えた。
⸻
第一章 目覚め
甲賀流の少年だったナオキは、今や青年として仲間を導き、
カラクリ忍者のユリと並び立つ存在となっていた。
戦乱は収束し、里には穏やかな時が流れている。
だが平和の裏で、人々は忘れかけていた。
かつて地獄の門が開き、妖鬼が大地を踏み荒らしたことを。
その影のさらに奥で、天海が遺した“最後の遺産”が眠り続けていた。
甲賀の里の外れ、深山の地下に封印された石窟。
そこに安置された巨大な棺が、低く唸り声を上げる。
――ゴゥン、ゴゥン。
封印術式が軋み、淡い光が漏れる。
中で眠っていた巨躯が、微かに動いた。
「……起動……コード……承認」
低く澄んだ声が洞窟に響く。
閉ざされた瞳が開かれる。
深い紫紺の光が、闇を切り裂いた。
決戦用特型最重量装甲カラクリ忍者――アジサイが、ついに目を覚ましたのだ。
⸻
二
起動から数日。
アジサイは姉妹たち――ミカ、ユズ、サクラ――の前に姿を現した。
「……大きい……」
思わずミカが息を呑む。
彼女らカラクリ忍者の身体はしなやかで人に近い。
だが、アジサイは違った。
その身長は三メートルを優に超え、全身は黒鉄と紫紺の装甲に覆われている。
肩は厚く、胸甲は山のように重く、両腕は大太刀を握るために作られた鋼の柱。
「……あなたが……アジサイ」
ユリがそっと名を呼ぶ。
アジサイの瞳が淡く光る。
だが彼女は答えられず、ただ低く呟いた。
「わたしは……盾。すべてを……守る」
それは命令のように刻まれた言葉。
だが声には震えが混じっていた。
⸻
三
ナオキが姿を現したのは、それから間もなくのことだった。
「……こいつが、天海殿の最後の遺産か」
青年へと成長したナオキは、アジサイを見上げた。
彼の背は高く逞しくなっていたが、それでも装甲巨人の存在感は圧倒的だった。
「初めまして、アジサイ。俺は甲賀流の……いや、仲間のナオキだ」
その言葉に、アジサイは大きく瞬いた。
“仲間”――その響きが、装甲の奥の心臓を揺さぶる。
「……仲間……」
その一語を、彼女は確かめるように繰り返した。
⸻
四
しかし里の人々の目は厳しかった。
「あれは……化け物ではないか」
「守る? いや、あんな鋼の巨人、いつ暴れるかわからぬ」
恐怖と偏見が、囁きとなって広がる。
子供が泣き出し、農民は視線を逸らす。
アジサイは静かに立っていた。
誰も傷つけてはいない。
ただ、そこにいるだけ。
だが、己の巨体が恐怖を呼ぶことを、彼女自身も痛感していた。
――自分は、人と共に在れるのだろうか。
胸の奥で紫紺の夢が揺れる。
第二章 姉妹の中で
一
アジサイが目覚めてから数週間。
彼女は里の奥に設けられた広場で暮らしていた。
ユリやユズ、サクラたちは何とかして彼女を受け入れようとしたが、日常の中でその存在感はあまりに大きすぎた。
「アジサイ、ちょっとそれ取ってくれる?」
ミカが指差したのは棚の上に置かれた竹籠。
アジサイは黙って手を伸ばした。
――バキッ。
軽く触れただけのはずが、棚の支柱が粉砕した。
竹籠は落ち、ミカが慌てて抱え込む。
「ご、ごめんなさい……」
アジサイはうなだれる。
「ちょっと力を抜けばいいのよ」
ミカが微笑むが、言葉は優しくとも表情には困惑がにじんでいた。
ユリはそれを見逃さなかった。
(……アジサイは、きっと自分の存在に苦しんでる)
⸻
二
夜。
アジサイはひとりで月を仰いでいた。
巨体に似合わぬほど静かに、花のように座り込んで。
「……紫色の光。これが……月」
その時、後ろから足音が近づいた。
「眠れないのか」
振り返るとナオキが立っていた。
「……ナオキ」
名を呼ぶ声は微かに震えていた。
「わたしは……ここにいていいの……?
人はわたしを恐れる。姉妹たちでさえ、わたしにどう接すればいいのか迷っている」
ナオキはしばらく黙っていた。
そしてゆっくり答えた。
「……怖がられるのは仕方ない。だけど、お前は“仲間”だ。天海殿が遺した最後の希望なんだ」
「仲間……希望……」
アジサイは胸の奥でその言葉を反芻する。
「お前が自分を盾だと言うなら、俺たちはその盾を信じる。だから……お前も俺たちを信じろ」
その言葉に、アジサイの瞳が微かに揺れた。
⸻
三
それからアジサイは、少しずつ姉妹たちと過ごすようになった。
ユリは彼女に力加減を教え、カスミは身のこなしを工夫した訓練を与えた。
ユリはただ隣に座り、同じ景色を見て過ごした。
だが、どうしても埋まらない距離があった。
彼女は他の姉妹たちよりも“重すぎる”存在。
走れば地面が揺れ、触れれば物が壊れる。
「わたしは……皆のように自由に動けない」
ぽつりと零す言葉は、いつも夜の闇に溶けた。
⸻
第三章 影の兆し
一
そんな折、異変が起きた。
甲賀の里の外れで、再び妖の気配が観測されたのだ。
かつてアマクサを倒し、封印したはずの怨念が、別の形で蘇ろうとしていた。
「どうやら……放ってはおけぬな」
ナオキの声は重い。
ユリたちは即座に出陣の準備を整えた。
「アジサイ、君も来るか?」
ナオキが問いかける。
アジサイは深く頷いた。
「……わたしは盾。仲間を守る」
その瞳に宿る光は、どこか決意を帯びていた。
⸻
二
戦場は、闇に包まれた峡谷だった。
そこに現れたのは、甲冑を纏った異形の鬼たち。
古代の戦場に眠っていた骸が、妖気に操られて蘇ったものだった。
「こいつら……数が多い!」
ミカが叫ぶ。
無数の骸武者が波のように押し寄せる。
ユリたちは素早く立ち回るが、数で押されればいずれ突破される。
その時、アジサイが一歩前に出た。
「――任せて」
地響きを立てて進み出た彼女は、巨腕を広げ、仲間たちの前に立ちはだかる。
次の瞬間、骸武者の大軍が彼女に襲いかかった。
ガァン! ガァン!
剣が、槍が、斧が彼女の装甲に叩きつけられる。
だが、紫紺の盾はびくともしなかった。
「わたしは……仲間を守る盾!」
アジサイの声が峡谷に響き渡る。
その姿に、ユリたちは改めて気づいた。
彼女の存在は“恐怖”ではなく、“安心”なのだと。
第四章 紫紺の誓い
一
骸武者の大軍を前に、アジサイは立ち続けた。
その巨体は盾となり、仲間を守り、幾度も斬撃を受け止めた。
「アジサイ、下がれ! あまり無理をするな!」
ナオキが叫ぶ。
「いいえ……これが、わたしの役目」
紫紺の装甲に、次々と刃が叩きつけられる。
轟音の中、彼女の瞳は揺らがなかった。
だが、確実に負荷は蓄積していた。
重装甲の奥で、錬金の術式が軋む音が聞こえる。
(このままでは……寿命が縮む)
ユリは気づいた。
だが、アジサイの決意を止めることはできなかった。
⸻
二
戦いのさなか、骸武者の群れの奥から異形の存在が現れた。
それは、アマクサの怨念の残滓が新たな器を得て生まれた“鬼”だった。
「……まだ残っていたか」
ナオキは目を細めた。
鬼の咆哮が峡谷を揺らし、骸武者たちが再び動き出す。
その瞬間、アジサイが大地を踏みしめた。
「――わたしが、前に立つ!」
紫紺の装甲が月光を反射し、花弁のように煌めいた。
仲間たちはその背に守られ、攻撃に専念できた。
「みんなっ! 一気にいくぞ!」
ナオキの号令で忍たちは駆け出す。
アジサイの盾が道を切り開き、仲間の刃が鬼を斬り裂いた。
⸻
三
激闘の末、鬼は討たれた。
骸武者も次々と崩れ落ち、峡谷に静寂が戻る。
しかし、アジサイはその場に崩れ落ちた。
「アジサイ!」
ユリが駆け寄る。
紫紺の装甲には無数の亀裂が走り、内部の術式が光を漏らしていた。
「わたし……少し、無理を……したみたい」
微笑むように口元を動かす。
「馬鹿……あんたがいなきゃ、私たちは……!」
ユリの声が震える。
ナオキは静かに頷いた。
「……アジサイ、お前は本当に“盾”だった」
その言葉に、彼女の瞳はわずかに潤んだ。
⸻
第五章 未来への扉
一
戦いのあと、アジサイは里の奥で修復を受けた。
だが、完全には直らなかった。
天海が施した術式は精緻すぎて、他の錬金術師には手が出せない。
アジサイの身体は、少しずつ限界へと近づいていた。
「……わたしには、もう時間が少ないのね」
彼女は静かに呟いた。
ユリたちは首を振る。
「そんなこと言わないで! 一緒に未来を見よう!」
だがアジサイは、優しく微笑むだけだった。
⸻
二
ある夜、アジサイはナオキに問うた。
「ねえ……わたしは“生まれてよかった”のかな」
ナオキは迷わず答えた。
「ああ。お前がいたから、俺たちは生き延びた。お前がいたから、守られた命がある。だから……生まれてくれて、ありがとう」
アジサイの瞳から、一筋の涙が零れた。
「わたし……生まれてよかったんだ……」
その夜、彼女は静かに誓った。
――最後の瞬間まで、仲間を守り抜くと。
⸻
終章 紫紺に咲く盾
最終決戦の時が訪れた。
怨念の残滓が再び蠢き、里を覆わんとしていた。
ユリたちは立ち向かった。
その先頭に立つのは――アジサイ。
「みんな……任せて」
彼女の装甲はすでに限界を超えていた。
だが、瞳は強く輝いていた。
「わたしは盾。仲間を守る花」
最後の力を振り絞り、アジサイは全ての攻撃をその身で受け止めた。
亀裂は広がり、光は溢れ、やがて彼女の身体は紫の花弁のように砕け散った。
だが、その一瞬で仲間たちは勝利を掴んだ。
……静寂の中に残ったのは、紫紺の花びらのような破片。
それはまるで、アジサイが盾として咲き、散った証だった。
「アジサイ……ありがとう」
ユリはその破片を胸に抱き、涙を流した。
ナオキもまた、静かに頭を垂れた。
「お前の記録は、俺たちが受け継ぐ」
紫紺の盾は散った。
だが、その記憶は永遠に仲間たちの心に咲き続けるのだった。
【外伝:紫紺に咲く盾 完】