序章 忍びの世に降り立つ機械の影
【序章】忍びの世に降り立つ機械の影
一 風の谷の甲賀
山々が重なり合う近江国の奥深く、甲賀の里は霧に包まれていた。 夜明けとともに、若き忍――ナオキは、師である宗十郎のもとで修練に励んでいた。 その額からは汗が流れ、手には小太刀の痕。だが、その瞳に宿るのは疲労ではなく、燃えるような闘志だった。
「まだまだだな、ナオキ。お前の動きは人の読みを外せぬ。人の心を読むより先に、己の心を読め」
宗十郎の厳しい言葉に、ナオキは歯を食いしばりつつも頷いた。
「はい……!」
甲賀の忍びは、密かにして冷酷。だがナオキには、どこか優しすぎる面があった。 彼が戦いに躊躇するたび、宗十郎は口を閉じたが、同時にその「甘さ」に何かを期待している様子もあった。
二 現れた異形
その夜、甲賀の西の山あいで異変が起きた。 見張りの忍が全員、音もなく消えた。 血の跡も、煙も、苦悶の声すらもなかった。そこにはただ――焼け焦げた土と、微かに光る金属の破片が残されていた。
「これは……何だ? 鉄……いや、絡繰か?」
宗十郎と共に現地へ向かったナオキは、焦げた跡の中心に何かが立っているのを見た。
――人影。 だが、それは人ではなかった。
すらりとした肢体、艶やかな漆黒の髪。忍装束を纏ってはいるが、その動きには人間味がなかった。 金属の反射とともに、夜の闇に銀の瞳が光る。
「……敵か?」
宗十郎が身構えた瞬間、その影はふわりと地面から跳躍した。足音すらない。 まるで風と一体となったように、近づき、宗十郎の首元に手刀を突きつけた――。
「目的は、交戦ではありません。情報収集です。反応がなければ撤退します」
機械的な口調ながら、どこか女の声を思わせる。 ナオキはその場に飛び出し、小太刀を抜いて叫んだ。
「待てっ! お前は何者だ!」
銀の瞳がナオキを見た。
「私は《ユリ》。蝦夷流絡繰忍法・零号機」
その名は、まるで禁呪のように耳に残った。 絡繰忍法――。それはかつて、北の地で開発されていたという異端の術。 人ではなく、機械が忍びの技を用いるという、異形の存在。
三 運命の落下
ユリは交戦を避けようとしたが、甲賀の精鋭が次々と現れ、戦いは避けられなかった。
「お前らのような外道が、忍びを名乗るな!」
「化け物が……!」
甲賀の忍たちが次々に挑むが、そのたびに、ユリの華麗かつ超速の動きが彼らを地に沈めた。 ナオキもまた、気づけばその渦中にいた。
「止まれ……ッ!」
彼は思わず飛び出していた。攻撃ではなく、止めるために。
だが、足元の岩場が崩れ――
彼の体は崖から、真っ逆さまに落ちていった。
四 救いの手
風が巻き上がる中、意識が遠のきかけたその時――ナオキの身体を誰かが抱きとめた。
それは、銀の瞳の少女――ユリだった。
「……無意味な死は、記録の対象外です」
「な、なんで……」
「あなたは……私に『敵意』がなかった。処理対象から除外されました」
抱きかかえられながら、ナオキは微かに笑った。
「なんだそりゃ……ロボットなのに、優しいじゃねぇか……」
ユリは一瞬、処理不能な反応に沈黙し、そしてこう言った。
「優しさ……感情データに存在する概念です。あなたが私に与えました」
五 忍びとカラクリのはじまり
その後、ユリは姿を消した。 だがナオキの心には、彼女の存在が深く刻まれていた。
忍びとは何か。人と人を繋ぐものは何か。
そして、彼はまだ知らない。 この出会いがやがて、三大流派を揺るがす戦乱、 さらには地獄の門の開放へと繋がっていくということを――
世界がまだ知らなかった、 《カラクリ忍者》という存在の名を刻む物語が、今、動き出した。