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#7 バスチアン・フレアベリーの決意


 だが、その影には、俺自身の問題も潜んでいた。


 この仕事は、通常、さほど魔力を必要としない。

 俺の身体に満ちる力は持て余され、使い道を失った魔力が胸の奥で渦を巻くような感覚に襲われる。

 息苦しさを感じるたび、暴発する前に何とかして放出しなければ……そんな焦燥が胸を締めつけた。

 けれどその衝動を抑えるたび、体の奥深くで軋むような鈍い痛みが走る。


 セシル王女とたとえ一言でも言葉を交わせば、胸の内は焼けつくように熱を帯び、理性では抑えきれないほどの欲求が押し寄せた。

 彼女の笑顔、ふとした仕草、何気ない言葉の一つ一つが、俺を追い詰めていく。


 それは決して許される感情ではなかった。

 なのに、目を閉じるたび、彼女の姿が鮮やかに脳裏に浮かび上がる。

 触れたい……。

 その想いが抑えきれず、夢の中で理性の堤防が崩れ落ちる。


 夢の中の俺は、彼女に手を伸ばす。

 その細い身体を抱きしめ、金色の髪を指に絡める。


 天使のように純粋な彼女に、こんな欲を抱く自分が、許せなかった。

 知られてはならない。絶対に。


 だから俺は、熱を持て余すたび、気安く声をかけてくる女たちと迷いなく一夜を共にした。

 彼女たちに望まれるままに応じ、ただ渇きを紛らわすだけの夜を過ごす。

 そして、夜明け前に静かに魔術のヴェールをかけ、記憶の輪郭を曖昧にした。

 声も、触れた感触さえも、霧のように滲ませて……。


 それでも、身体に残った熱が何かを伝えてしまったのかもしれない。

 「記憶が飛んでしまうほど素晴らしい夜だった」

 「言葉にできないほど甘美な時間だった」

 そんな噂が、花の香りのように静かに広がっていった。


 けれど、目を閉じれば浮かぶのは……。

 淡い金の髪、サファイアの瞳、小さく微笑む紅色の唇。

 いつだって、俺の熱を支配しているのは彼女だけだった。


 どんなに他の女を抱いても、俺の渇きは癒えない。

 片手で幻を掴むように、自分自身を慰める。

 そこにあるのは、悦びではない。

 ただ、苦痛の果てに訪れる一瞬の解放だけだった。


 それでも、それが俺の精神を保つ唯一の手段だった。


 *******


 そして今朝も、俺は何事もなかったように、王女殿下の呼び出しに応じた。

 心を隠し、作られた微笑を浮かべ、忠実な宮廷外務官として振る舞う。


 それは、いつも通りの公務のはずだった。


 だからこそ、ふたりきりで扉が閉ざされ、彼女の口から発せられた言葉を、最初は信じられなかった。


 「降嫁先がなくなった」と俺を責め、「恋の情熱を知りたい」と訴える。

 紅潮した頬、潤んだ瞳、そして微かに震えるその仕草……。

 それらが、彼女の言葉が真実であることを物語っていた。


 その瞬間、張り詰めていた理性の鎧が、音もなく崩れ落ちた。


 セシル王女殿下。

 これまで決して触れてはならない、神聖な存在だった彼女が、目の前に……「現実の女性」として、確かにいた。

 俺を詰り、責任を取れと言いながらも、その奥に滲んでいたのは、彼女自身の渇望だった。


 「恋の情熱を知りたい」

 それは、ただの好奇心だと、自分に言い聞かせるような響きだった。

 けれど、震える声も、潤んだ瞳も、それを否定していた。


 彼女は、情熱を求めている。

 その細い身体に、熱を宿したいと願っているのだ。


 たとえ、それが一時の迷いだったとしても。

 ただ、恋の形を学ぶだけのつもりだったとしても。

 その役を他の誰かに譲るなど、到底できるはずがなかった。


 他の誰にも渡せない。

 彼女が他の男の腕に抱かれる未来を思い描くだけで、息が詰まるような苦しみが襲う。


 俺は、覚悟を決めた。

 どれほど許されぬことだとしても。

 決して、公にできない関係だったとしても


 彼女の願いを叶え、名誉を守るためにも、全力を尽くす。


 彼女に、初めての恋の記憶を与えるために。

 その肌の奥深くに、俺の存在を刻みつける。

 たとえ、心のすべてが得られなかったとしても。

 たとえ、それが一時の夢だとしても。


 ただその一瞬だけでも、俺だけを感じていてほしい。


 差し出された手首の内側に、そっと唇を落とした。

 柔らかな感触と、微かな体温が全身を駆け巡り、衝動が胸を突き上げる。

 だが、それを彼女に悟らせてはならない。

 俺はその熱を喉の奥で飲み込み、冷静を装った。

 

 そして……。

 明日の舞踏会で、彼女とワルツを踊る約束をしてしまった。


 宮廷の舞踏会。

 彼女に触れることが許される、唯一の公式の場。


 細い腰に手を添え、優美な旋律に合わせて踊る。

 二曲目以降、恋人たちの象徴とされるそのワルツを、彼女と分かち合うのだ。


 その時間は、俺だけのものになる。

 音楽に合わせて彼女をリードし、その手を引き、回るたびに彼女の体温と香りが俺だけに届く。

 そのすべてが、自分だけのものだと感じられる、刹那の幸福。


 たとえ、それが儚い夢だったとしても。


 つまらぬ噂や、余計な視線など、すべて俺が処理してみせる。

 セシル王女の夜を、傷ひとつなく完璧に飾ることなど、朝露を払うほど容易い。


 明日。

 彼女をこの腕の中で守りながら踊る。


 その未来を思い浮かべるだけで、胸が高鳴る。

 それは、他の何にも代えがたい、至上の幸福だった。

  

読んで下さってありがとうございます☆バスチアン……重い……(笑)

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