#65 光を抱きしめて、未来へ
新侯爵バスチアン・エールヴァン卿が、新たな外交の一環として在ソレイユ王国大使に任命されたことが発表された。
それが、宮廷外務官として名高いバスチアン・フレアベリー卿の新しい名であることがわかると、その選定に誰もが納得した。
そして彼がこれまでの功績を讃えられ侯爵に叙されたことも、貴族社会にきわめて好意的に受け入れられた。
バスチアン・エールヴァン侯爵の名はたちまち王都の令嬢たちの間で熱く囁かれ、『理想の結婚相手ランキング』の首位に踊り出た。
だが、それも束の間のことだった。
翌週には、新たな驚きが王都を駆け巡った。
彼とセシル王女との婚約が発表され、王都は再びその話題で持ちきりとなる。
もっとも、それは驚きというより、「やはり」という納得の声が多かった。
社交界で『夜の宮廷外務官』と称されながらも特定の相手を持たなかったバスチアンの恋人が誰なのかは、長く噂の種になっていたが、そのうちのひとつが「セシル王女の秘密の恋人なのでは」という説だったのだ。
それは、『恋の教授』が始まるよりも、ずっと前から囁かれていたことだった。
そして噂は、さらなる憶測を呼び……
「学園時代、図書室で語り合っていたのを見たことがある。」
「とすると、そのころからもう秘密の恋人同士だったのだろうか。」
「いや、それよりももっと昔、子供の頃に出会っていると魔術師団で噂になっていた。」
「つまり、ふたりは幼なじみだったということか……?」
「それどころか、結婚の誓約魔法を交わしていたらしい。」
「そうだとすればバスチアン卿の夜遊びは、セシル王女を噂から守るためだったのだろう。」
真実と妄想の間をさまよう新説が飛び交い、ふたりの愛はいつしか『ようやく結ばれた運命の恋』として、誰もが祝福するものとなっていた。
*****
結婚に際して、セシルは臣籍降嫁を申し出ていた。
長年、王族として歩んできた彼女は、これからは自らの心の赴くままに生きてみたいと考えていた。
このところの数々の経験を経て、新たな恋愛小説の着想が次々と湧いて仕方がなかったし、私的な社交の場でもっと気軽に人々と交流したかった。
それに、公的な場では夫になるバスチアンと対等な立場でいたいとも思っていた。
だが、その希望はサフィールが許さなかった。
夫婦でソレイユへ派遣される以上、セシルの外交的役割はむしろ重要性を増していた。
そして何より、リュミエール王室として、今は王族の数を減らすつもりはなかった。
そこでサフィールは、結婚の祝いとしてバスチアンに公爵位を授けることを約束し、セシルを説得した。
結局彼女は、結婚後も王女としての称号を保つこととなったのだった。
*****
ふたりの結婚式は、王宮の聖堂で、親しい者たちだけを招いて静かに挙げられた。
当日、神官長が謎の急病により欠席となり、代理として新任のペレル司祭が式を執り行うことになった。
祭壇を背にペレル司祭が穏やかに微笑んだ瞬間……。
参列者たちは一様に視線を泳がせ、聖堂内には不思議な緊張が漂い始めた。
そして、婚姻成立の証として、『聖水の盃』を交わすそのとき。
バスチアンとセシルがそれぞれに盃を受け取ると、聖堂内の空気が凍りつくような沈黙に包まれた。
交わされる視線。息を呑む気配。そわそわと身じろぎをする者たち。
多くの者が顔を赤らめ、ペレル司祭の澄んだ微笑をまともに見られなかった。
彼らも、『ペレル司祭の聖水』について、何らかの事情を知っているようだった。
ペレル司祭は慈愛深く微笑みながら、静かにふたりを促した。
セシルとバスチアンは視線を交わし、頷き合い、作法通り互いに腕を絡めて、同時に盃を傾けた。
しん……と静まり返る聖堂。
そして、そっと息をつく。
口に触れたのは、静謐な水の味だけだった。
安心してくすりと笑い合うふたりを見守りながら、ペレル司祭は厳かに祝福の言葉を述べた。
聖堂内には、誰からともなく温かな拍手が広がっていった。
*****
式の後、王宮内では高位貴族を招いた舞踏会が開かれた。
その席で、サフィールはバスチアンに、約されていた栄誉を与える。
「王女との婚儀の祝いとして、新たに公爵位を授けよう。名は……自ら選ぶがよい。」
曰くつきの旧公爵名をそのまま使わせることはせず、家名の変更も許された。
貴族たちの視線が注がれるなか、侯爵位のときとは異なり、丁寧な陞爵の儀が行われた。
予め用意されていた勲章を、サフィール自らバスチアンの肩に斜めにかける。
バスチアンはセシルと視線を交わし、柔らかく微笑むと、サフィールに申し出た。
「家名は……クロフォードと致します。」
それは『眠りの国』でバスチアンの魂が宿ったセバスチャン・クロフォードの名。
セシルと共に選んだ、思い出と新たな出発の象徴だった。
「よかろう。」
サフィールが頷き、こうしてバスチアン・クロフォード公爵とセシル王女の夫妻が、正式に誕生した。
*******
翌日、ふたりは王都を離れ、南の国ソレイユへと旅立った。
大使夫妻として、三年間の赴任にむけて。
「三年も南国で滞在とは………ハネムーンが長すぎるだろう。」
サフィールは遠ざかる馬車を見つめたまま、ぽつりと呟く。
「まったく……セシルには昔から弱いんだ、俺は。」
その腕に、王妃エルセリアがそっと手を添えた。
「陛下、ご安心くださいませ。きっとふたりは、見合うだけの成果をもたらしますわ。」
「そう願いたいものだ。」
「少なくとも、新しい公爵家には、すぐに新たな光が宿ることでしょう?
そのために……陛下は先に侯爵位を与えられたのでしょう?」
フレアベリー家の次男であるバスチアンには、本来、爵位の継承権はない。
だが、サフィールは、まずその功績を認めて侯爵位を授け、さらに結婚祝いとして公爵位を加爵した。
つまり……彼らに子がふたりできても、それぞれに爵位を継がせることができるのだ。
「たまたま公爵位が余ってただけだ。それに今、王族を減らすわけにいかないからな。」
言い訳じみて呟くサフィールに、エルセリア王妃が小さく笑う。
「陛下。それはきっと、良いことですわ。……だって。」
そして王妃は、少し背伸びをしてサフィールの耳元で囁いた。
「公爵家の御子たちに、気兼ねなく王宮に遊びに来ていただかないと……。」
そう言って、彼の手を自分のお腹にそっと導いた。
「……え?」
サフィールの呼吸が、一瞬止まる。
「まさか……。」
サフィールが驚いて見下ろすと、エルセリアは静かに微笑みながら頷いた。
「はい。近いうちに、リュミエールの宮殿は、きっと賑やかになりますわね。」
柔らかな風がそよぎ、窓の向こうでは陽光がやさしく揺れていた。
サフィールはエルセリアの身体をそっと包み込み、誓うように言う。
「この国の明日が、本当に豊かな光満ちる国になるように。」
穏やかで温かな未来は、もうすぐそこに……。
~ fin. ~
読んで下さってありがとうございます。
このお話は、いったんこれで完結と致します。
ここまで読んで下さった方、お付き合いありがとうございました。
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そして、よかったらまた次のお話を読みに来てください☆
またお会いできる日まで。
りねり




