#63 俺を、君の幸せにして
セシルは、器用にバスチアンの服を緩ませてゆき、素肌に触れる。
楽し気に筋肉を辿りながら、慈しむように指先を這わせる。
身体に聖水の熱が回る。
バスチアンの身体がびくりと硬直し、その震えが、セシルの指先に伝わる。
「王女殿下……。」
彼は再びセシルに触れようと手を伸ばした。
「だめ。」
セシルは、妖艶に微笑みながら、その手を避ける。
「だって、今は……あなたの番、でしょ?」
その瞬間……。
バスチアンの瞳が大きく揺れた。
まるで何かを思い出そうとするかのように、拳を握りしめる。
けれど、その指先はわずかに宙を彷徨い……。
「……っ……!」
低く、熱を孕んだ吐息が漏れる。
彼の胸が大きく上下する。
そして……。
彼の全身が弾かれたように跳ねた。
稲妻のような衝撃が全身を駆け抜ける。
「っ………!」
二人の間で、眼差しがぶつかりあい、熱が弾け、記憶が弾けて………そして………
セシルは、震えが止まらない彼の全身を愛おしむように抱きしめる。
お互いの胸の鼓動が、伝わる。
やがてセシルはそっと離れた。
バスチアンは、遠ざかるセシルを凝視し………そして一度目を瞑った。
そして再び、ゆっくりと開いた。
「………セシィ……?」
かすれた声で、彼がセシルを呼ぶ。
もしかして………?
バスチアンの息が乱れ、手が震えている。
その深紅の瞳が、迷いなくセシルを射抜いた。
「……ああ、君は……いつも、気づくと俺の上にいる。」
その言葉だけで、セシルの胸が熱く疼く。
これは、バスチアンが彼女を深く愛していたときの声……。
「……思い出した……?」
セシルが囁くと、彼は苦しげに眉を寄せた。
そして、まるでこの瞬間まで息を止めていたかのように、荒く息を吐いた。
「ああ………たぶん………。」
かすかに震える声。
思い出そうとしなくても、彼の中に、まるで奔流のように流れ込んできたのだろう。
セシルが何度も何度も囁いた言葉。
交わしたキス。
肌を重ねた夜。
抱きしめた温もり。
セシルの指が、彼の髪を撫でた感触……。
すべてが、彼の心に焼き戻されたのだ。
バスチアンは、少し気まずそうに微笑み、そのまま彼女の頬に触れた。
「セシィ……すまなかった……。」
「いいえ、許さないわ。一生……許さない。」
彼のもう片方の手も、ためらいがちに彼女の頬へと伸びる。
指先がそっと触れた瞬間、まるで安堵するように、わずかに力がこもった。
「でも……君を……愛してる……。」
「ええ。私も愛してるわ。」
彼の言葉に応えるように、セシルはそっと微笑む。
バスチアンが続ける。
「君が幸せになればいいと、思っていた。
そう信じ込もうとした。
でも、どうしても……無理だったんだ。
君が、幸せになるところをただ見守ることは……。」
一瞬、言葉が途切れる。
まるで、それを自分で認めることが怖いかのように。
「……俺には、できない。」
彼の声が、かすかに震える。
バスチアンは、セシルの頬を撫でる指に力を込めた。
まるで、今この瞬間を確かめるように……。
手放してしまえば、消えてしまうとでもいうように。
やがて、彼は深く息を吸い込んだ。
「……君が、欲しい。」
低く、掠れた声だった。
それが許されないことだと、それでも求めていることを……
自分自身に言い聞かせるような、確かめるような響き。
セシルは目を瞬き、彼をじっと見つめる。
「……俺は……」
バスチアンの瞳が揺れ、喉がわずかに震えた。
まるで、言葉が喉の奥で絡まり、出せないかのように。
けれど、バスチアンはゆっくりと目を閉じ、一度息を整えてから、一気に言った。
「セシィ、俺を、君の幸せにしてほしい。」
言葉を吐き出した瞬間、バスチアンの肩がかすかに震えた。
自分自身の言葉に驚いたかのように、まるで信じられないとでも言うように唇を噛む。
しかし、それでも彼の目は逸らされることなく、セシルを見つめていた。
静寂が、落ちる。
セシルにとって、バスチアン・フレアベリーは、いつもスマートで自信に満ちていた。
しかし今、彼は……まるで行き場を失った迷い子のように、縋るような眼差しで彼女を見つめていた。
それが、あまりにも愛おしくて。
セシルの心臓が、苦しいくらいに、跳ねる。
セシルはそっと彼の手に触れた。
震えていた彼の指が、ぴたりと止まる。
「……それってどういう意味……?」
慎重に、確かめるように問いかける。
バスチアンは、助けを求めるように彼女を見つめ、そして観念したように、小さく息を吐いた。
しばしの沈黙のあと……。
「気高き麗しきセシル王女殿下。」
揺れていた瞳が、赤く、深く、決意に染まる。
指先が、彼女の手を包みこむ。
「……どうか……エールヴァン侯爵夫人になっていただけませんか。」
その瞬間、セシルの瞳が潤んだ。
頬が紅潮し、息が詰まるほどに胸が高鳴る。
セシルの涙が、ひと雫、頬を伝い……彼の手の甲に、静かに落ちた。
そして……。
すぐに、彼女は微笑んだ。
まっすぐに彼を見つめて。
「ええ……もちろんよ。喜んで!」
やっとここまで到達しました。もうすぐ完結です☆




