#6 バスチアン・フレアベリーの記憶
魔術師の家系に生まれた俺は、幼い頃から特に強い魔力を持っていた。
その力をコントロールできずに何度も暴発させてしまったため、父は兄弟たちよりも早く、俺に訓練を始めさせた。
父は魔術師団長であり、いずれ俺を魔術師団に入れるつもりだった。
侯爵家を継ぐ兄よりも、俺をよく連れ歩いていたのも、その布石だったのだろう。
十四歳のある日、俺の人生を根底から覆す出会いがあった。
父に連れられて王宮を訪れた日。
魔術師団の執務室へ向かう途中、広い回廊でひとりの少女とすれ違った。
両手に本を抱えた、俺より少し年下に見える少女。
その本には、見慣れない異国の文字が並び、どれも分厚く難解そうだった。
彼女がその華奢な体で一生懸命それを運ぶ姿に、目を奪われた。
絹のように柔らかな金の髪が、窓から差し込む光を浴びてまばゆく輝いていた。
サファイアのように澄んだ瞳、淡い薔薇色が滲む頬、熟れた果実のようにふっくらとした唇。
どこをとっても、この世のものとは思えないほど美しい。
俺の足は勝手に止まり、呼吸さえ忘れていた。
父が彼女に道を譲り、丁寧に礼をする。
「王女殿下。お手伝いいたしましょうか?」
彼女は本を抱え直し、どこか控えめに、けれどしっかりと笑った。
「ありがとう。でも、大丈夫です」
透き通るような声。
その奥に、確かな芯の強さが感じられた。
後に父から聞いた話によれば、彼女は異国の文化や言語に興味を持ち、図書室で調べ物をするのが日課だという。
侍女に任せることもできるのに、彼女はいつも自分の手で本を運び、自らの足で知を求めているのだと。
「セシル王女殿下は聡明で、好奇心が旺盛な方だよ。」
その名が胸に刻まれる。
ただその響きだけで、胸が締めつけられるような感覚に襲われた。
父の言葉さえ遠く、ただ彼女の姿だけが、鮮烈に脳裏に焼きついて離れなかった。
家に帰ってからも、彼女のことが頭から離れなかった。
俺は必死で考えた。
どうすれば、また彼女に会うことができるのかと。
そして思いついたのが……王立学園だった。
王族や貴族の子弟が学ぶ全寮制の学園。
身分を問わず広く門戸を開いている。
王族である彼女は、きっといつかそこに入学するはず。
その可能性にすがるように、俺は父に頼み込んだ。
「王立学園に通いたい。」
父は驚き、反対した。
すでに魔術学院への入学が決まっていたからだ。
だが、学術の幅を広げたい、将来のために人脈を築きたい……など、それらしい理由を並べて説得し、ついに王立学園への進学を勝ち取った。
実際に彼女と同じ学園で過ごせたのは、たった一年だった。
けれど、それは俺にとって何にも代えがたい輝ける日々だった。
彼女が図書館に向かうと知れば、理由をつけて同じ場所を訪れた。
彼女が興味を持つ異国の言葉を学び、少しでも会話のきっかけを作った。
廊下ですれ違う機会を作るため、彼女の行動を調べ、その時間にその場所を通った。
たった一言、彼女の好きな国の言葉で挨拶をしたとき、彼女が浮かべる微かな笑み。
その一瞬のためだけに、俺の世界は回っていた。
セシル王女。
彼女の微笑み、声、たった一言の挨拶でさえ……。
それだけで、俺の一日が意味を持った。
けれど、彼女がそれを知ることは、きっとなかった。
俺は、卒業後も彼女の近くにいるための道を模索した。
常に彼女を身近で守ることができるのは近衛騎士。
だが、俺にはその道は閉ざされていた。
剣を構えるよりも早く、指先から魔力が飛び出してしまう俺にとって、剣術はあまりに非現実的だったのだ。
近衛騎士団に入ることは諦めざるを得なかった。
それでも、少しでも彼女に近づきたい。
たとえ遠くからでも、その姿を見守りたい。
そう願い、俺は宮廷官僚の道を選んだ。
働き始めて間もなく、セシル王女がルナリア王国への外遊を計画していることを知った。
その知らせを聞いた瞬間、胸を満たしたのは喜びではなく、焦燥と不安だった。
当時、情勢は不安定で、彼女にとっても初めての異国訪問だった。
もし、何かがあれば……その可能性を思うだけで、胸が潰れるような思いだった。
せめて、彼女の傍にいて守りたい。
その一心で祈った俺に奇跡が訪れる。
王族と年齢が近く、さらにルナリア語を話せるという理由で、俺は随行団の一員に選ばれた。
その役目は、随行団の中でも雑務に近いもの。彼女の身の回りの世話までも含まれていた。
けれど、それで構わなかった。
いや、誰よりも近くにいられることに、心の底から震えた。
この任務に全てを懸けることに、一片の迷いもなかった。
その後も、俺はひたすら努力を重ねた。
与えられた仕事を確実にこなし、信頼を積み上げる。
そうして、引退を控えたベテランの宮廷外務官の後継として、名を挙げられた。
今では、王室外務に関わる重要案件のほとんどを任される立場にある。
もちろん、セシル王女殿下に関わる案件はすべて、俺が担当している。
彼女は、どの国を訪れても、男たちの羨望と欲望を一身に集める。
だが、彼女が浮いた噂が一つも流れなかったのは……俺が昼も夜も全力で彼女を守り続けたからだ。
すべての危険な企みを、水面下で封じ込めた。
飢えた視線、無遠慮な求婚、夜闇に紛れて近づく者たち。
昼は洗練された態度で友好的な雰囲気を装いながらも、確かな威圧感をもって。
夜には、暗闇に潜む陰謀を一つ残らず摘み取り、静かに処理した。
王女殿下の身に危険が及ぶことなど断じて許さない。
そのすべてを、俺が影として背負う……ただそれだけだ。
読んで下さって、ありがとうございます☆