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#59 辞表は受理されました

バスチアン視点続きます。


 バスチアンは、セシルに手を引かれるようにして国王の執務室へと足を踏み入れた。


 国王サフィールの透き通るような青の瞳が、まっすぐに彼を射抜く。

 その視線を受けた瞬間、バスチアンの胸に、かつての記憶がよぎった。


 この扉を、こうして強引に開けたことが、過去に一度だけあった。


 王妃の消息に関わる重大な件だった。

 あのときは、一刻を争う状況だった。


 だが、今回は違う。

 自分の進退の話をするために、こんな無礼を働くとは……本当に、こんなことが許されるのだろうか?


 サフィールは、さっと人払いをしてから二人を見据え、静かに口を開いた。


「それで……緊急の用件とは?」


 低く響く声が、室内の空気を張り詰めさせる。

 

 バスチアンは無意識に僅かに肩をすくませた。


 たかが一官吏の辞任。

 どう考えても、これが国王にとって『緊急の用件』であるはずがない。


 迷いが生まれる。


 そんな彼の逡巡を察したかのように、セシルが一歩前に出た。

 そして、あっさりと言い放つ。


「陛下。バスチアン・フレアベリーが宮廷外務官を辞任したいって言うのよ。」


「何?」


 サフィールの鋭い視線が、バスチアンに突き刺さる。


 その一言だけで、部屋の温度が下がった気がした。


 いたたまれない。


 だが、ここで怯んではいけない。

 もう、後には引き下がれないのだ。


 バスチアンは深く息を吸い、意を決して言葉を紡ぐ。


「この度のエクリプス王国への随行に際し、王女殿下の身に危険を生じさせてしまいました。

 その責任を取り……職を辞したいと存じます。」


 そう言うと、静かに胸元から辞表を取り出し、両手で捧げた。


 薄い一通の封書。

 けれど、それはまるで自らの人生の一部を差し出すようだった。


 サフィールはちらりと彼を一瞥して、それを受け取る。

 そして、中身を確認することなく、何の感慨もなさそうな口調で、あっさりと言った。


「ああ、辞めるのか。わかった。」


「え!?」


 セシルが弾かれたように声を上げた。


「ちょっと待って? まさか、本当にやめさせるつもりじゃないでしょう?」


 彼女は勢いよくサフィールに詰め寄った。


「バスチアンがいなければ、これからリュミエールの外交はどうなるの?」


「別に困らないだろう。」


 サフィールは淡々と答える。


「宮廷外務官室には、もう十分に優秀な人材が揃っている。

 事実、フレアベリー不在のこの三カ月間、外交が滞ったという報告は受けていない。」


 言いながら、サフィールはバスチアンに挑むような視線を向けた。

 それだけなら、まだ良かった。

 次の言葉が彼の胸に鋭く突き刺さる。


「それに……フレアベリーには、セシルの髪が短くなった責任を取ってもらわないといけないしね。」


 氷のように冷静な、澄み渡る青い眼差しが絡みつく。

 一瞬、時間が止まったように思えた。


 心臓が、一拍、痛む。


 バスチアンは何も言えなかった。


 隣で、セシルが怒ったように声を張る。


「サフィール! それは彼だけの責任じゃないわ!」


 しかし、国王は即座に言い返した。


「いや、明らかにこいつのせいだろう!」


 バスチアンは、そのやり取りを眺めながら、胸の奥に鈍い痛みを覚えていた。


 詳しい事情は知らない。

 だが、自分の判断が王女の美しい髪を失わせる結果になったと聞いている。

 だからこそ、潔く辞めると決めたのだ。


 そんな自分を、サフィールが手放そうとするのは、当然のことだ。

 過去にどれほど実績を積んできたとしても。


 誰かがいなくなっても、国は回る。

 代わりはいくらでもいる。

 それは、ずっと前からわかっていたことだった。


 サフィールがふいに、ぽつりと呟く。


「俺は、王子の時も、国王となってからも……王妃を迎えに行ったことがある。」


 突如として投げかけられた、一見脈絡のない言葉。

 バスチアンは思わず眉をひそめる。


「だが、一度だって俺の髪が焦げたことなんてないし、王妃は五体満足で帰ってきた。

 ……一体、帰りの空でセシルに何をしたんだ、フレアベリー!」


「帰りの……空?」


 何のことだ。


 そこで何か大きな過ちを犯したかのような叱責。

 自分は……そこで王女の髪を失わせるような、何かをしてしまった……?


 思い出せない……。


 気づくと、セシルがそっとバスチアンの袖を握っていた。

 まるで、引き留めるように。


 不安げな瞳が、揺れている。


「わたくし、この髪型、気に入っているのよ……。」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がかすかに疼いた。

 申し訳なさと同時に、小さな喜びを感じてしまう。


 セシル王女は、やはり自分を必要としてくれていたのだ、と。


 だがそんな自分が、どうしようもなく情けなかった。


 すべてを放り出して逃げ出せば、だれかが抱きしめて甘やかしてくれるとでも思っているのか。

 まるで、小さな子どものように。


 そんな未練がましい自分を振り切るように、バスチアンは前へ向き直り、唇を引き結んだ。


 サフィールが小さく息をつき、手に持った封筒に目を落とした。


「まあセシル本人がいいというなら、これをもって不問としよう。」


 そして封も開けずに決裁済の書類箱に投げ入れると、淡々と告げた。


「辞表は受理した。」

 

読んで下さりありがとうございます。嬉しいです☆

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