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#51 扉の向こうに、あなたがいるなら

 サフィールの言葉に、セシルは思わず前のめりになった。


「……では、すぐに叙爵を!」


「そうではない。奴を取り戻すほうの話だ。」


 鋭く言い放たれた言葉に、セシルは息をのむ。


「え……それ、は……どのような…?」


 魔術師団長のサミュエルでさえ、もう手を尽くした状況なのだ。

 ならば、それを覆せる何かがサフィールにあるというのだろうか?


 サフィールが静かにベルを鳴らす。


「王妃と、サミュエル・フレアベリーを、ここに。」

 

*******


「フレアベリー侯……子息の容態は、いかがか。」


 若き国王の問いに、魔術師団長は深く頷いた。


「おかげさまで変わりなく……ですが、体温は低く、呼吸は浅い。

 鼓動は、まるで時を止められたかのように、わずかにしか動いておりません。

 まるで、死と眠りの狭間に、魂が彷徨っているかのようでございます。」


「そうか……。」


 サフィールの目が細められた。


「そのような者を、これまでに見たことは?」


 一瞬、深い沈黙が流れる。


 サミュエルとサフィールの視線が絡み合う。

 まるでその答えを互いに知っているかのように。


 やがて、サミュエルは低い声で告げた。


「………恐れながら………王妃陛下が眠られていたときと、よく似ております。」


 王妃様が!?


 セシルの胸が跳ねた。

 思わず、サフィールの隣に座るエルセリアの健やかな頬を見た。

 穏やかに目を伏せながらも、どこか懐かしさを覚えているように小さく微笑んでいる。


「………ならば……彼が、『扉』の向こうにいる可能性は?」


「大いにあると考えます。なぜなら息子は……一度そこに行っておりますから。」


 サミュエルはそう答えてから、ちらりとエルセリア王妃を見た。

 エルセリアがそれを受けて、僅かに頷く。


「実は数か月前に……わたくし、事故で『眠りの国』に、また飛ばされたのですわ。

 そのとき、彼が探しに来てくれたのです。」


 セシルの心は混乱する。


 扉?

 眠りの国?

 でも……()()、とは?

 王妃様は、その『眠りの国』に何度も行っているの……?


 セシルの頭の中で、混乱しながらも、少しずつ過去の記憶が繋がっていく。


 バスチアンが王妃を探しに…?

 ああ………フェルモント侯爵領から一人で旅立った、あのとき?


 では……バスチアンは今、ただ昏睡しているのではなく、今はその『眠りの国』に囚われているということなの?


 けれど王妃は今、救い出されてここにいる。

 ならば、彼も………。


「……そこには、どうやって行くの……?」


 セシルがおずおずと問いかけると、サフィールはあっさりと答えた。


「魔法陣を作り、『扉』が開いたら、それをペガサスの馬車で越えればいい。簡単だ。」


 簡単……?

 そんなはずがない。

 そうだったらフレアベリー侯爵家で、もうとっくに対処しているはずだ。


 セシルが疑問を浮かべたのを見て、サフィールは頷き、続けた。


「……行くのはね。」

「どういうこと?」

「問題は、彼を探し出し、そして、どうやって連れて帰るかなんだ。」


 サフィールはちらりとエルセリアの顔を見て、それから目を伏せた。


「向こうに行けば、彼の魂はきっと別の身体に宿っているだろう。

 まず最初にそれを探し出さないといけない。

 見つけたら次は……その身体ごとこちらに連れてくるか……魂だけを連れ戻すか……。

 でも、こっちにはすでに元の身体がある。だから、魂だけを連れ帰るほうがいい。

 そのためには、向こうの身体から魂だけを引きはがす必要がある。」


 言ってサフィールはセシルをじっと見つめた。


「セシル、ごめん。少しはやり方を知っている俺が代わってあげたいものなんだけど……できないんだよ。」


「……ええ、あなたは国王だもの。そんな危険なこと、無理よね」


 セシルが頷くと、サフィールは首を横に振った。


「そうじゃない。すでにそこに安らいでいる魂に、『自分の身体に還りたい』と思わせるのが……難しいんだ。」


 サフィールは、言いながらふっとエルセリアの手を取った。

 彼はそこに今、エルセリアがいることを確認するように、その手をそっと包み込む。


「それには……『本当の自分の身体で触れ合いたい』と感じさせることが一番いい。

 魂に、過去の身体の記憶を呼び覚まさせるんだ。

 …………たとえば、心を込めてキスする……とかね。」


 心を込めて、キス……。


「他にもあるかもしれないけど、それが一番安全で確実な方法だ……経験上ね。」


 サフィールは、少し苦笑して続ける。


「そういうことだから……この間はバスチアンも、王妃を見つけられたけれど、連れて帰ることはできなかった。

 それで改めて、私が迎えに行ったんだ。

 まさかまたそこにいるとは思わなかったから、見つけてくれただけですごく助かったけど……。」


「わかったわ。つまり、彼を見つけ出して、心を込めてキスをすれば……そうすれば、連れ帰ることができるのね?」


「おそらく。」


 しばし沈黙が広がる。


 やがてサミュエルが控えめに、言葉を発した。


「ですが『眠りの国』は広うございます。王妃陛下と同じ場所に息子がいるとは限りません。」


「ああ……。なにか……引き合う『鍵』が存在すればよいのだが……。」


サフィールは、セシルをまっすぐに見た。


「君には、心当たりはないか?

 王妃と私は、互いのアミュレットリングを交換していた。

 彼女が持って行った私のリングが鍵になって、自然に、彼女のいるところに引き寄せてくれた。」


「鍵……。」


 エルセリア王妃が横から声を上げる。


「そういえば以前、バスチアン卿の耳に、セシル様の瞳の色のピアスがありましたが……あれは……?」


「ええ……わたくしがあげたものよ。でも……どこかになくしてしまったみたいで…。」


 セシルが残念そうに言うと、サフィールがぐっと身を乗り出した。


「つまり今、バスチアンの身体はそれをつけていないのか!?」


 セシルが小さく頷く。

 サミュエルも言葉を添えた。


「発見した時、ピアスなどは息子の身体にありませんでした。」


「ではもし……彼がそれを持ったまま『扉』を渡ったのだとしたら……何かそれと対になるものがあれば……。

 セシル、彼から何か受け取ったものはないのか?」


 サフィールがそう言ったとき、セシルの胸元で、小さな熱が疼いた。

 それは、いつも彼女の肌に、微かな温もりを与えていたもの……。

 

 セシルは、いつも首にかけている鎖を外す。


「……わたくし、交換したの。バスチアンに、これをもらったわ。」


 そこには、バスチアンのリングが通されていた。

 優しく光を揺らす深紅の石が、彼の瞳を思い出させる。


「失礼します。王女殿下……。」


 言ってサミュエルがそのリングを確認する。

 サミュエルの手のひらの上で、小さくリングが震える。


「息子の誕生の日のアミュレットリングです。

 王女殿下に手渡した日の彼の想いが……ここに残っています。」


 サミュエルが小さく笑い、柔らかい声で付け加えた。


「息子は、王女殿下のことをとても……大切に思っていたようです。」


 セシルの胸がトクンと鳴った。


「それなら……鍵として引き合うかしら?」


 一瞬の沈黙が落ちた。


 サミュエルは深く息を吐き、唇を引き結ぶ。


「しかし、王女殿下の安全が第一でございます。」


 セシルは目を閉じ、胸の奥で疼く想いを噛みしめた。

 そして彼に向き直り、はっきりと言った。


「サミュエル・フレアベリー。鍵の導く先に、扉を開けて。」


 サミュエルは一瞬、驚いたようにセシルを見た。

 長く見守ってきた愛しい子を見つめるように。

 その瞳の中には、躊躇と、そしてわずかな誇りが宿っていた。 


*******


 サフィールがこっそりと、ペガサス一頭立ての馬車を仕立ててくれた。

 バスチアンが以前使ったのと同じだから、これで飛行には問題ないという。

 サミュエルの手のもとで、ペガサスの馬車の下に複雑な魔法陣が展開される。

 送り出される直前に、サフィールがセシルを抱きしめて耳元でそっと秘密を囁いた。


「実は、ひとつの身体に魂をふたつ抱えて扉を越えるのは、とても負担がかかる。

 まるで、全身を焼かれながら引き裂かれるような……そこに様々な思念が流れ込んでくる。

 でもそれは決して彼に悟られてはいけないよ。

 身体がない魂は、動揺すると少しずつ、風の中に解けて、散っていってしまうから。

 だから……もしそれが不安だったら、こっちに戻ってこなくてもいい。

 向こうで幸せに暮らせ。」


 セシルの指先が、ぎゅっとこわばる。

 背筋を撫でる冷たい風に、一瞬だけ足が竦みそうになる。

 それでも、やめるという選択肢はなかった。


「ありがとう、サフィ。

 でもわたくし、必ずバスチアンを探し出して、連れ戻すわ。

 彼の身体をあのままにはしておけないもの。」


 そしてセシルは、ペガサスの馬車に乗り込んだ。

 深呼吸をして目を瞑る。

 ぎゅっと首にかけたバスチアンのリングを握りしめる。

 それはいつもより少し、温かいように感じた。


 ペガサスの翼が大きく羽ばたいた。

 夜の帳が彼女を包み込む。

 広がる星々が、行く先を照らすように瞬く。

 そしてふわりと……セシルの身体は、夜の空へと舞い上がった。

  

読みに来て下さっている方、ありがとうございます。

あと10話くらいです。

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