#49 君に捧げる最後の手紙
シャルトリューズ邸に着くなり、エミールは意識を失った。
震える声で状況を説明するセシルに、魔獣討伐を専門とする第一騎士団長のジェラールは即座に理解を示し、魔術師団長であるサミュエル・フレアベリー侯とともに、現場へと急行した。
彼らが到着した時、魔物たちは突如バスチアンから離れ、王家の血を僅かに引くジェラールへと襲いかかったという。
魔獣に慣れた彼ですら手こずるほどの数。
しかしセシルたちを転移させたバスチアンは、もはや戦う力を残していなかった。
ただ、魔物たちの猛威に晒されるばかりだったのだ。
発見されたバスチアン・フレアベリーは、既に全身を魔物に襲われ、瀕死の状態だった。
すぐにフレアベリー邸へと運ばれ、あらゆる治療が施されたが……今もなお、意識は戻らない。
ひと月が過ぎた今も。
なぜ、王族ではない彼が、ここまで執拗に狙われたのか。
セシルは、答えに思い至った瞬間、息を詰まらせた。
彼は知っていたのだ。
結界が解けるその瞬間こそが、セシルにとって最も危険な時だと。
だから、最後に彼が求めたのは、魔力ではなかった。
彼は、セシルに擬態するために……
あの時、彼女の力を受け入れたのだ。
魔物の注意を、自分に引き寄せるために。
それに気づいた時、セシルの胸を激しい後悔が締めつけた。
もっと早く気づいていたら……。
もし、彼を一人にしなかったら……。
せめて、ひと目でいい。
生きている彼に会いたい。
けれど、王女である以上、その願いは、簡単に叶うことではなかった。
*******
ある日、セシルのもとに、一通の面会申請が届く。
アリシア・フレアベリー侯爵令嬢。
バスチアンの妹にして、今はジェラールの婚約者。
セシルの部屋に通された彼女は、静かに一通の手紙を差し出した。
「……もしものときは、こちらを王女殿下にお渡しするように、と言付かっておりました。」
バスチアンによく似た赤い瞳が揺れる。
まるで遺書のように差し出された手紙を前に、セシルの心臓が大きく跳ねた。
アリシアは深く一礼すると、そのまま立ち去ろうとする。
だが、セシルは思わず彼女を引きとめた。
「……もう少し、ここにいてくれる?」
とても、一人で読む勇気がなかった。
彼女は小さく頷くと、静かに席につく。
セシルは机の上からペーパーナイフを手に取り、慎重に封を切った。
中には、数枚の便箋。
見慣れた、けれど、どこか優しく滲んだ文字。
『親愛なるセシル王女殿下
あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にいないのでしょう。
魔獣を退治するのに失敗したのか、それとも牢獄で処刑されたのか。
私は最後まであなたを守れたでしょうか。
もしそうなら、思い残すことなど何もありません。
これは、私があなたに捧げる最初で…そして最後の手紙です。
『ラブレターを交換する』
あなたの願いだったでしょう?
独りよがりな手紙になってしまいますが、ラブレターとは本来そういうものです。
どうか、お許しください。
十四のあの日、宮殿の西の回廊で、あなたを見かけた瞬間、
私の世界は、あなたの色に塗り替えられました。
学園時代、何度も図書館の同じ棚の前で逢ったのは決して偶然などではありません。
たった一言、あなたの好きな国の言葉で挨拶しただけで、
微かに浮かんだあなたの微笑みを受け……私は天にも昇る心地になったのです。
それからもずっと。
私はあなたを想い続けてきました。
重すぎるでしょうか。
それでも私は、ただあなたを見ているだけで、あなたを守るだけで、十分に幸せだったのです。
……けれど。
あの日、あなたに「恋の教授」を頼まれたとき――私は、つい欲を出してしまった。
せめてひとときでも、あなたと恋を重ねることができたなら。
あなたの心を引き留めることができたなら……。
そしていつか陛下に認められ、しかるべき爵位を授かることができたなら……。
そのときは、日の当たる場所で、あなたの手を取ることができるかもしれない。
ささやかではあっても、この手であなたを幸せにできるのではないかと。
それも、もう叶わぬ夢となりました。
けれど、あなたと過ごした数か月は、
私の人生すべてと引き換えにしても惜しくない、かけがえのない時間でした。
想いが強すぎて、幸せに押しつぶされそうで……
あなたに「愛している」という言葉さえ紡げなくなるほどに。
今、私は、あなたに謝らなければならないことがあります。
私は、これまでに、あなたに持ち上がった縁談のすべてを、
あなたの耳に届くことのないように、この手で摘み取ってきたことをです。
シャルトリューズ公爵のことだけではありません。
これまで、どの国を訪れても、あなたには数多の求婚が舞い込んでいました。
けれど……私は、あなたを誰にも渡したくなかった。
そして、堂々と求婚できる彼らが、妬ましかった。
ただ、それだけの浅ましい理由からです。
ここに、これからのあなたの人生の伴侶にふさわしい方々のリストを同封します。
過去にあなたに求婚を打診してきた方々の中から、人格に問題のない方を選びました。
特におすすめなのは、南の皇国の皇太子殿下です。
かの国は恋の経験を美徳とする国ですから、過去のことを引け目に感じる必要もありません。
ほかの候補者についても、それぞれ所感を記しましたので、ご覧下さい。
今まで隠していて、申し訳ありません。
本当は、あの日、あなたが涙を見せたときに、
恋の教授などではなく、この選択肢を差し出すべきでした。
それでも、身勝手な私は、後悔などしていないのです。
時を戻すことができたとしても、きっと同じことをするでしょう。
今こうして手紙を書いている時でさえ、あなたに熱を灯したくて、私の身体は苦しいほどに疼いているのですから。
王女殿下、もしかして今、泣いていらっしゃいますか?
でしたら、読み終えたら、この手紙を燃やしてください。
その悲しみを手紙とともに煙に変えられるよう、ささやかなまじないがかけてあります。
それでももし、心が重く、辛さが消えないのであれば――
どうか陛下に「忘却の魔法」を頼んでください。
私と過ごした時間を、すべて。
初めて恋を知ったあの日も、最後に触れた夜も。
そうすれば、あなたはまた新しい恋を、まっさらな心で始められるでしょう。
陛下には、すでに話してあります。
――永遠に、あなたの幸せを願っています。
バスチアン・フレアベリー 』
涙がぽろぽろと頬を伝う。
手紙から伝わる仄かな熱が、まるで彼に抱きしめられているかのように、セシルの身体の芯を静かに暖める。
アリシアが心配そうにセシルを見つめ、そっとハンカチを差し出した。
「王女様…?」
思い残すことはない、ですって?
何を勝手なことを言っているの?
幸せにするって誓ったじゃない!
こんなの……これでは、わたくし、全然幸せになんてなれないわ……。
ラブレターは『交換する』までが願いなのよ。
こんな一方的な手紙じゃ、全然足りないわ!
「アリシア……。」
セシルはアリシアの手をぎゅっと握った。
「わたくし………バスチアンに会いたいの。
なんとか……連れて行ってもらえる?」




