#45 仮面のおかげで?……モテモテです
トライン王子は無事リリス王女に求婚したらしく、いつの間にか主役の二人はひっそりと消えていた。
新妃への求婚の儀式はもっとわかりやすく、誰もが見届ける形で行われるものだと思っていたが、意外にも静かに行われたらしい。
……まあ、新妃が途中で入れ替わる可能性があるならば、それも当然なのかもしれない。
偽とはいえ、一度は求婚を断った自分が、好奇心から王子を追いかけるわけにもいかないから、セシルはその瞬間を見損ねてしまったのが少し残念だった。
けれど、すぐにバスチアンの腕の中に攫われ、ぴったりと寄り添ってワルツを踊ったので、それで満足していた。
とりあえず求婚の儀式は終わった。
あとは二人に頑張ってもらうしかない。
セシルはもう、せっかくの仮面舞踏会を楽しむつもりだった。
華やかな渦の中で、バスチアンの腕の中で、セシルは密かに願う。
今夜は彼と、恋人たちのワルツを、何曲も踊れるかもしれない……。
けれど、彼は一曲踊ると、惜しむそぶりもなく、すっと彼女を離した。
え……?
すると、まるでそれを待っていたかのように、すぐに別の男性が申し込んできた。
「金の髪の御令嬢。どうか私と踊っていただけますか?」
整った声の響き。
洗練された物腰。
わずかに混じる南方のなまり。
だが、それを問うのは無粋だ。
ここは仮面舞踏会。
そして、セシルは外交のためにここにいるのだから。
セシルは穏やかに微笑んで、差し出された手に、そっと手を乗せた。
彼のリードは上手で、とても踊りやすかった。
「あなたとこうして踊れる日を、ずっと願っていました。」
不意に囁かれた言葉に、セシルは瞬きをする。
「ずっと……?」
ダンスが終わると、一度礼をし、再び彼がセシルに手を差し伸べた。
「ああ……もしよかったら……」
そのとき、別の手がスッと差し出される。
「御令嬢、私にも美しき手を取るチャンスをいただけますか?」
続けて誘われるなど、学園を卒業して以来のことだった。
セシルは驚きながらも、微笑んでその申し出を受ける。
……だが、それでは終わらなかった。
次々と何人もの男性がセシルにダンスを申し込んできたのだ。
今までのセシルなら、こんなことは考えられない。
リュミエール国内では、いつもひとりぼっちだったし、外国を訪れたときですら、儀礼的に数人の王子に誘われる程度だった。
こんなことが自分の身に起こるなんて……!
何がどうなっているのかしら。
仮面のせいかしら?
きっと顔が見えないから、誰だかわからないから、多くの方が誘ってくれるのかもしれない。
そう考えると、少し納得がいった。
何人目かわからないほど踊った頃、最初に踊った彼が再び手を差し伸べてくる。
セシルはすこし躊躇した。
同じ舞踏会で二曲続けて同じ相手とダンスを踊るのは、リュミエールでは恋人の印。
けれど、ここはリュミエールではない。
しかも、連続ではないし……。
お互いに、仮面をかぶっている。
そんな迷いが伝わったのか、彼は微笑み、そっとセシルの手を取る。
「たくさん踊ってお疲れでしょう。少し、お話しませんか?」
優雅な仕草で、彼はセシルをバルコニーへと導いた。
外は涼しく、生き返るような夜風が心地よい。
彼の侍従らしい男性が、ふたりにグラスを渡し、泡立つシャンパンを注ぐと、静かに立ち去っていく。
……なんなのでしょう、これは。
まるで……恋人同士のようではありませんか!?
顔が見えないというだけで、このように大切に扱われるなんて。
これが……仮面舞踏会、なのですね!
彼との会話は決して押し付けがましくなく、穏やかで楽しいものだった。
言葉の端々から、彼がセシルが過去に訪れたことのある某皇国の出身であるらしいことが推測できる。
そして……おそらく、彼の立場も。
彼はセシルが誰か、気づいているのだろうか。
………それとも?
長く二人きりでいるのはよくないと判断し、適当なところで切り上げようとしたとき——
彼はセシルの手を優しく握り、引き留めた。
「また、お会いできますか?」
セシルは考える。
それは……仮面舞踏会が終わったあとで、という意味?
彼は、セシルに個人的な興味を持った……ということ?
せっかく他国の皇子と仲良くなれたのだ。
これから友好的な関係を築いていきたい。
でも二人きりで会うのは避けたい……どう答えるのがよいかしら。
……まあ、もし彼がセシルに気づいていないのだとしたら、
彼も仮面を外せば、きっと、もう二人きりで会いたいとは言わないだろう。
明日はトライン王子の結婚式。
そこには招待客が全員、仮面を外して集うのだから……。
セシルは、ふんわりと微笑んだ。
「結婚式でお目にかかりましょう。」
彼は、一瞬息を呑んだようだった。
が、仮面の下で、わずかに微笑んだように見えた。
セシルの配慮に感謝しているのだろうか。
「では……後ほど正式な使者を……。」
少し大仰ね。
けれど、セシルは深く気に留めず、彼を残して会場へと戻った。
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会場に足を踏み入れた瞬間、待ちかねていたように、別の男性がセシルに話しかけてくる。
それを適当に交わしながら、バスチアンの姿を探して会場をぐるりと見渡す。
隅の方で、彼が知らない令嬢と熱心に話し込んでいるのが目に映った。
一瞬、足が止まる。
そして、セシルは、静かに息を吐いた。
忘れていたわ。
いつだって彼は、あっという間に令嬢方に囲まれてしまうのよね。
仮面をつけていても、それは変わらないのかしらね。
セシルは通りすがりの給仕から、新しいワインのグラスを受け取る。
「別に驚くことじゃないわ。だって……」
一度、視線をそらし、手元のグラスを軽く傾ける。
深紅の液体が、ゆっくりとグラスの内側を伝う。
「『夜の宮廷外務官』なのですものね。」