#42 王都の視察はどこまでも
翌日、三人の王女たちはリリス王女のもとを訪れ、『贈り物』を手渡した。
「……ありがとうございます、皆さま……!」
リリス王女は胸に抱いた贈り物をぎゅっと抱きしめる。
その手は小さく震えていたが、次の瞬間、彼女はまっすぐ顔を上げた。
「わたくし、正妃になれるように、頑張りますわ!」
その瞳には、昨夜までの迷いはなく、強い決意が宿っていた。
その決意に、セシルたちは安堵する。
さらに、フレールの婚約者であるレアリー王子の釈放についても、リリス王女は協力を約束した。
リリス王女を励ました後、三人はすっかり打ち解けた気分で、エクリプスの城下町へ繰り出した。
プリンセスたちの『視察』…… それはつまり、市内観光である。
エクリプスの城下町は、おとぎ話のような美しさだった。
夜空を思わせる青色の屋根瓦が連なり、建物の壁には月と星の紋様が刻まれている。
石畳の道を歩くたび、靴音が小さく反響する。
すれ違う人々の笑い声が風に乗り、どこからか甘いシナモンと柑橘の香りが漂ってきた。
屋台では異国の焼き菓子が並び、黄金色のハチミツを垂らした熱々のパイから、こんがり焼けたバターの香りが立ち昇る。
「ねえ、ご覧になって! あそこのカフェ、エクリプス特産の星の果実のケーキがあるそうですわ!」
フレールが目を輝かせながら指をさす。
「素敵! 昨夜のタルトも、とても美味しかったですわね!」
「昼と夜とでは星の果実の味が異なるそうですもの……気になりますわ!」
「ふふ、大国の食文化を学ぶのも視察の一環ですもの。お茶を楽しむくらい、許されますわよね?」
そんな名目のもと、三人はカフェのテラス席に腰を下ろし、優雅にティータイムを楽しむことにした。
出てきたのは、金色に輝く果実が贅沢にあしらわれたケーキと、ほんのり紫がかった星屑のような紅茶。
「ああ……まるで星を味わっているみたい……!」
セシルは、ふわりと口の中でとろける甘酸っぱいケーキにうっとりする。
昼の星の果実は、夜よりも爽やかな酸味が引き立ち、すっきりとした味わいだった。
カフェでお茶とケーキをたっぷり楽しんだ後は、三人はさらに城下町を散策する。
次に目を引かれたのは、星の光を集めたような小さなアクセサリーショップだった。
「まあ、素敵な髪飾り!」
ショーケースには、繊細な銀細工の髪飾りが並び、
月や星のモチーフが施されたそれらは、エクリプスの夜空を思わせる幻想的な輝きを放っていた。
「ね、ご一緒に買いませんこと?」
セシルの提案に、フレールもアステリスも嬉しそうに頷く。
三人は、それぞれ銀の髪飾りを選んだ。
セシルは、三日月をかたどった可憐なデザイン。
アステリスは、流れる星のようにしなやかなラインを描く優雅な細工。
フレールは、小さな星の粒がちりばめられた可憐なもの。
「まあ……とてもお似合いですわ!」
フレールが鏡を覗き込みながら微笑むと、アステリスも髪飾りにそっと指を滑らせる。
「ふふ、こうしてお揃いのものをつけるなんて、素敵ですわね。」
三人は嬉しそうに微笑み合いながら、店を出た――その瞬間だった。
スッ……!
風のように何かが動いた気がした。
「きゃっ!」
セシルが小さく悲鳴を上げる。
「……えっ? ない……!?」
手元を見下ろし、目を見開く。
つい今しがた手にしていたはずの包みが、まるで幻のように消えていた。
買ったばかりの銀細工の髪飾りが――。
「まあ……スリ、ですわ!」
アステリスがすぐに気づき、指をさす。
人混みの中を、小柄な貴婦人の影が素早く駆け抜けていく。
その動きは、まるで風のように素早い。
「待って!」
護衛騎士のエミールが、即座にスリを追う。
セシルも後を追いかける……。
その時――。
エミールが消えた角と別の方角に、先ほどの小柄な貴婦人と同じ色のドレスがちらりと見えた。
――こっちだわ!
とっさにそちらに駆け出すセシル。
しかし、追いかけるうちに城下町の入り組んだ路地に迷い込み、気づけば完全に道を見失っていた。
「……え? ここは……?」
見知らぬ裏路地。
人通りはなく、ひっそりと静まり返っている。
ふと、背後に気配を感じた。
いつの間にか、誰かがそこに立っている。
「……失礼。御令嬢、ここで何をなさっているのですか?」
低く、静かな声が響く。
振り返ると、そこには巡回中の騎士が立っていた。
精悍な顔立ちに鋭い眼差しを宿し、誠実そうな雰囲気を漂わせている。
「えっ?」
騎士はセシルを一瞥すると、さらに鋭い視線を向けた。
「このあたりで、貴族の令嬢を装ったスリが目撃されました。
失礼ですが、お名前を伺っても?」
「わ、わたくしは――」
ここで『リュミエール王国のセシル王女』と名乗るのはまずい。
お忍びで視察に来ている以上、余計な騒ぎを起こすわけにはいかない。
だが、何も答えなければ、かえって疑われる……。
セシルが逡巡していると、騎士の眉がわずかにひそめられた。
「……あなたの装いは高貴な方のもの。しかし、お付きの者もなく、名前も名乗れない?」
騎士はふっと片眉を上げ、静かに息をつく。
それから、わずかに唇を歪めた。
「おかしいですね。」
その目は、まるで逃げ場のない獲物を見つめる鷹のように鋭い。
「詳しくお話を伺いたいので、ご同行願えますか?」
言葉遣いこそ丁寧だが、その手は容赦なくセシルの腕を捉えた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいませ! わたくし――」
「大声を上げても無駄ですよ。」
だが、彼はセシルの言葉を信じる様子はなかった。
「抵抗はお控えください。詳細は、王宮にてお伺いします。」
静かな声だったが、そこには確固たる威圧感があった。
「ええええええっ!?」
まさかの展開に、セシルは驚愕する。
この騎士が言う「王宮」とは、明らかに王宮の端にある、牢のことに違いない。
セシルは必死に腕を振りほどこうとしたが、騎士の力は想像以上に強い。
まるで鋼でできた枷のように、びくともしない。
「や、やめ……ちょっと! わたくし、なにもしておりませんわっ!」
騎士は涼しい顔のまま、しかし手の力を緩めることはない。
「……せめて、もう少し優しくお連れくださいませ……!」
「では、お望み通り。」
そう言うが早いか、騎士はするりと手を回し、セシルの腰を支える。
「きゃあっ!? そ、そういう意味ではありませんわ……っ!」
結局、セシルは成す術なく、ずるずると連行されてしまった。
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王宮の端にある、冷たい石造りの塔の中。
ごつごつとした石壁に囲まれた薄暗い空間の中で、セシルはがっくりと肩を落とした。
「牢屋まで視察することになってしまいましたわ……。自国の牢ですら見たことがないのに……。」
硬い木製の椅子に腰掛け、天井を見上げる。
牢の外では、兵士たちが何やら話し込んでいるのが聞こえた。
「はあ……バスチアンに知られたら、どんな顔をされるかしら……。」
間違いなくこれは「小言」 では済まない。
いや、それどころか、「このような軽率な行動は、王女殿下として……」 と、延々と説教される未来が容易に想像できる。
セシルは思わず頭を抱えた。
――それにしても、あの騎士の方、悪い人ではなさそうですわね……。
思い返せば、彼は終始礼儀正しく、横柄な態度を取ることもなかった。
むしろ、真面目に国の治安を守ろうとしているだけ。
彼のような誠実な騎士がいるなら、この国の治安が良いのも納得できる。
それでも、もし、セシルがリュミエールの王女だとわかったときには……。
いくら誠実な騎士でも、「王女を牢に入れた」となれば 責任問題となり、処罰されることは間違いないだろう。
……でも、だからといって、わたくしがこのまま牢にいるわけにはいきませんわ!
セシルは立ち上がり、頑丈な木の扉をじっと見つめる。
「早く気づいて助けに来てくれないかしら……。」




