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#40 求婚される王女達のお役目

 

「お役目?」

「求婚を辞退するだけではなく?」

「他に何か……?」


 王女たちが一斉にリリス王女を見つめ返す。

 応接室に、時が凍りついたような沈黙が広がる。


 リリス王女の頬が、すっと青ざめる。

 彼女はぎこちなく唇を噛み、戸惑うように視線を彷徨わせた。

 まるで、その言葉を紡ぐことを恐れるように。


「あの……まさか……? 本当に……ご存じでなく……?」


「だから、何を!?」


 セシルの声が、少しだけ強まる。

 もどかしさが、さらに空気を張り詰めさせる。


 リリス王女は、おそるおそる言葉を紡いだ。


「つまり……あの……。もしも、わたくしが……殿下の御期待に応えられなかった場合……。

 そのときは、みなさまのうちどなたかが、代わりに……その……閨にお招きされることに……なっておりますの……。」


「な、何ですって……!?」

「そんな……そんなこと、一言も聞いておりませんわ!」

「あ………あの…………その………っ……えええっ!?!?」


 三人の王女たちの悲鳴にも似た声が、応接室に響き渡る。

 それまでの優雅な空気は、跡形もなく吹き飛んだ。


 目を見開き、言葉を失う王女たち。

 先ほどまで、優雅なティータイムで語り合っていた異国の結婚文化の美しさが、突如として 「とんでもない話」 へと変貌を遂げる。


 最初に冷静さを取り戻したのは、ノワール王国のアステリス公女だった。

 長い黒髪を指先でかきあげると、落ち着いた声音で静かに問いかける。


「……そのお話、詳しく伺ってもよろしくて?」


 リリス王女は、小さく頷く。

 けれど、その指先は、膝の上で震えていた。


 リリス王女の話によると――。


 仮面舞踏会の夜、王子と新妃が 「初閨の儀式」 を無事に終えるまで、舞踏会は終わらない。

 それが、エクリプス王国に古くから伝わる、神聖なるしきたりだった。


 この国では、「純潔こそが最も尊い美徳」 とされ、王族の婚姻はその象徴となる。

 ゆえに、王子も新妃も、身も心も清らかなままで、初閨を迎えることが義務付けられていた。

 他国で行われているような、帝王学の一部としての閨教育などは存在せず、結婚の儀式が全てが終わるまで、一切の情報も与えられない。


 それがどれほどの重責となるか、想像に難くない。


 王国の人々は、それを 『試練』 と呼び、二人で困難を乗り越えることを美徳として受け入れてきた。

 そのため、一晩で『証』が立たないことも珍しくなく、過去にも何度も例があるという。


「しかし……これは、あまり公にはされていないことですが……」


 リリス王女の声がかすかに震えた。


 彼女は小さく息をのみ、ためらいがちに続ける。


「わたくしに許される猶予は、たった三夜。

 三回の夜を過ごしても『証』が神殿に捧げられなかった場合……。

 新妃は、別の方に……入れ替えられますの……。」


「………………っ!!」


 思わず息を呑む三人の王女たち。


「入れ替え ですって……?」

「まさか……。」

「そんなこと……。」


 リリス王女は、震える指先をぎゅっと握りしめる。


「その場合……仮の求婚相手である皆さまのうちのどなたかが、

 密やかに神官の祈りを授けられ、閨へと招かれるのです……。

 つまり……それこそが、仮面舞踏会の本当の役割なのですわ。」


 しん……とした沈黙が、室内に広がる。

 カーテンが風に揺れ、夕陽の残照がゆらゆらと絨毯に影を落とす。


「新妃が密かに入れ替わっても……何の問題も起こらぬように。」


 その言葉を告げるリリス王女の指が、小さく震えていた。


「いいえ! それでは……むしろ、国際問題になってしまうわ!」


 セシルの声が、静かな部屋に響く。

 紅茶の湯気が、静かに揺れた。


「そうですね……。」


 リリス王女は、かすかに瞳を伏せ、そっと指先を組んだ。


「本来、そのような事態を防ぐため、選ばれるのは国内の貴族令嬢に限られます。

 それこそが、本来の儀式の意義ですから……。」


 その言葉に、誰もが微かに息をのむ。


「ですが………トライン殿下は、王族同士の婚姻に対する反対を押し切って、わたくしを新妃として選んでくださいましたの。」


 リリス王女の眼差しがきらめき、一瞬、仄かな喜びが揺れる。


「殿下は……深くご懸念されておられました。

 もし他の御令嬢が、然るべき『御辞退の言葉』を述べずに、殿下の求婚を受け入れてしまったら……と。」


 部屋に再び、沈黙が落ちる。

 それぞれが、それぞれの胸の内で、この事態の深刻さを噛み締めていた。


 静寂を破ったのは、アステリス公女だった。


「実を申しますと……わたくし、先日、婚約を破棄されたばかりですの。」


 さらりと黒髪を指先でかきあげながら、淡々とした口調で続ける。


「おそらく、自国でもわたくしの存在を持て余していたのでしょう。

 だから……国がお引き受けしたのだと思いますわ。」


 苦笑混じりに、紅茶の縁を指でなぞる。


「……つまり、厄介払い、ですのね。」


「………!」


 言葉を失うセシル。

 そして、そっと俯いたソレイユ王国のフレール公女が、かすかに頷く。


「わたくしも……たぶん、その……。」


 震える声。


「婚約者が、先の戦争で『御身お預かり』となり……いまだに、この国に囚われていますの。

 わたくしがここにいる理由は……きっと、それなのでしょう。」


「フレール様の御婚約者って……まさか……?」


 アステリス公女が、いたわるように尋ねる。


「……ソレイユのレアリー王太子殿下……ですわ。」


 フレール公女は、かすかにまつげを伏せた。


「まぁ……。」


 リリス王女の小さなつぶやきが、夕暮れの静寂に溶ける。


「セシル様は?」


 リリス王女が、そっと問いかける。


「……何か、思い当たることは?」


 セシルは、一瞬、言葉に詰まる。


「わたくしは……。」


 ……でも、特に思い当たることはなかった。


「たぶん、ただの『人数合わせ』……なのでしょうけれど……。」


 微妙な沈黙。

 けれど、その言葉に誰も異論を挟まなかった。


「それにしても……何か、誤魔化す方法はないのかしら?」


 ふと、アステリス公女が呟く。


「その『証』というのは……乙女の…純潔が散らされた痕跡……のことでよろしくて?」


「い……いいえ……。」


 リリス王女は、顔を真っ赤に染めて首を横に振った。


「聖なる初閨の敷布に……浮かび上がるのです。」


 かすかに震える声。


「純潔なふたりが……初めて結ばれた証として……星空の魔法陣が……。」


「…………。」


 呆然とする三人の王女。


 アステリス公女が、ため息混じりに呟き、肩をすくめた。


「……なんと申しますか……これほどまでに 手の込んだ風習 ですと、むしろ感心いたしますわ。

 これでは、ごまかしようがありませんのね。」


「でも……。」


 フレール公女が、そっと唇を噛む。


「もしトライン殿下が、本当に愛する新妃さまと、その……『証』を立てられないのなら……代わりの方でも、やはり……。」


 最後まで言えずに、頬を赤らめる。

 するとリリス王女が小さく微笑んだ。


「代妃の方々には、特別に祈りが捧げられ……何か、不思議な魔法がかけられると聞いておりますわ。」


「ちょっと待って?」


 セシルが食い気味に言う。


「だったら最初からその『不思議な魔法』をかければいいのでは?」


「それも……実は……。」


 リリス王女が、申し訳なさそうに視線を落とす。


「『試練』のひとつなのですわ。」


「どの国も、不可思議な伝統があるものね……。」


 誰もがそれ以上言葉を継げず、重い沈黙が降りた。


 行き詰まるような空気の中、誰かが何かを言おうとして――けれど、言葉にならない。

 紅茶の湯気が静かに揺れ、遠くで時計の針がカチリと鳴った。


「あの……。」


 かすかに震える声が、静寂を破る。

 フレール公女が、意を決したように口を開いた。


「……もし、そのようなことになったら……。

 ……わたくしがトライン殿下の寵を得ることで……それで……レアリー殿下は、ソレイユにお戻りになれるのでしょうか……?」


「フレール様……?」


「それなら……わたくしは……。」


 小さく震える肩。

 指先が食い込むほど強く握りしめたハンカチ。

 滲む涙を堪えるように伏せられた瞳。


 セシルは、慌てて声を上げた。


「ちょっと待って! まだそうと決まったわけじゃないわ!」


「……リリス様。」


 アステリス公女が慎重に問いかける。


「あなたは……トライン王子殿下を、愛しておられるのですね?」


 リリス王女の瞳が、わずかに揺れた。

 けれど、その光はまっすぐで。


「はい。心から。」


 彼女は、涙がこぼれそうな笑顔を浮かべる。


「殿下は、この結果がどうなっても、いつかわたくしを側妃に迎えると……約束してくださいましたの。」


「……………。」

「……………。」

「……………。」


 沈黙。

 夕陽の光が、赤く部屋を染める。

 誰もが言葉を失い、ただリリス王女を見つめていた。


 

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