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#39 正しい求婚の断り方

 

 その日、エクリプス王国の王宮の庭は、まるで天上の楽園のようだった。

 緑の木漏れ日に包まれた優美な庭園には、各国から集った王女たちが、咲き誇る花々のごとく優雅に微笑み、ティーカップを傾けている。

 風に乗るのは甘やかな花の香りと、遠くの噴水が奏でる穏やかな水音。

 すべてが美しく、まるで夢のようだった。


 白いクロスがかけられたテーブルには、繊細な銀食器 が並べられ、瑞々しい果実の彩りが映えるタルトや、薔薇の花びらをそっと散らした焼き菓子が目を引く。

 ティーポットから立ち上る湯気とともに、芳醇な紅茶の香りがふんわりと広がり、心をほぐすような優雅なひとときを演出していた。


 この日集まったのは、エクリプス王国の結婚式を祝うために訪れた、各国の誇り高き令嬢たち。

 彼女たちは外交という名目を持ちながらも、華やかに談笑し、国ごとの文化や結婚にまつわる習慣について楽しげに語り合っている。


「エクリプス王国伝統の結婚式が執り行われるのは、ずいぶんと久しぶりなのではなくて?」


 一人の王女がそう言うと、周囲の王女たちが一斉に頷く。


「ええ、今の国王陛下以来ですわ。……そのときに参列したわたくしの父が申しておりましたの。」

「仮面舞踏会で殿下が新妃様を見つけ出すなんて、まるでおとぎ話のようですわ!」

「とてもロマンチックな儀式ですこと。」

「列席の皆様にも、まだお相手は秘密にされているのでしょう?」

「エクリプスには美しい令嬢が多くいらっしゃいますもの。どなたが選ばれるのかしら……考えるだけで胸が躍りますわ。」


 王女たちは瞳を輝かせながら、次々と言葉を重ねる。


「それにしても、トライン王子殿下はとても素敵な方ね。」

「ええ、たとえ偽りの求婚でもよいから、求婚を受けてみたいものですわ。」

「あら……まあ、そんなことを仰って。ふふふっ。」


 王女が集えば、最初は格式張った話題でも、お菓子とお茶が進むうちに、いつしか恋の話へと花が咲くもの。

 どこの国の近衛騎士の制服が素敵か、どこの国の宰相が美形だとか……。

 お忍びのデートでの理想の服装、可愛く見えるミートパイの食べ方、ちょっとだけ大胆なドレスを仕立てる際に女官長に気づかれないための工夫、婚約者の誠実さを確かめる方法……。

 もちろん肝心なところは、ほんのりとぼかしながら。

 それでも、そんな甘くときめく話題は、やはり楽しいものだった。


 ふわりとした華やかな笑い声が広がる。

 紅茶のカップを傾けながら、セシルも静かに微笑んだ。


 そんな中、この会を主宰したエクリプス王国のリリス王女は、どこか儚げな笑みを浮かべながら、各国の王女たちをもてなしていた。

 彼女の仕草は優雅で慎ましく、穏やかに。

 誰もが心地よく過ごせるよう、細やかな気配りを欠かさない。


 やがて、お茶会の時間が終わりを迎え、王女たちはそれぞれの塔へ戻るため、侍女を伴って席を立ち始めた。


 そのとき、リリス王女がそっとセシルへと歩み寄る。

 淡い紫のドレスが、そよ風に揺れてふわりと舞った。


「あの……これから、少しお時間をいただけますこと?」


 静かで、優しい声音。


「え……ええ……?」


 セシルが瞬きをすると、リリス王女はほんのりと微笑む。


「では、わたくしの部屋にお席をしつらえますので……。お越しになってね。」


 そう言うと、彼女はそっと侍女に合図を送った。

 そして、別の令嬢にも、変わらぬ穏やかさで声をかけに向かう。


 セシルは 胸の奥に、ほんのわずかな違和感 を覚えながら、彼女の背を見送った。


 *******


 セシルが通されたリリス王女の応接室は、彼女の雰囲気にふさわしく、気品と静謐に満ちた優美な空間だった。

 金糸が織り込まれた白百合のように柔らかなカーテンが、そよ風にふわりと揺れ、窓辺には柔らかな影を落としている。

 足元に広がるのは、まるで夜空に星を散りばめたような織柄の深い絨毯。


 部屋には、セシルのほかに二人。

 先ほどのお茶会に参加していた令嬢たちだった。

 ひとりは、黒曜石のように艶めく長い髪を肩に優雅に流した、深い琥珀色の瞳の令嬢。

 もうひとりは、夕陽に染まったような髪に、若草色の瞳を持つ可憐な令嬢。

 どちらも、それぞれの国の気品と美しさを纏いながらも、どこか慎重な面持ちをしていた。

 彼女たちもまた、この場に招かれた意味を、そっと胸の内で探っているようだった。


 リリス王女が、三人に着席を促し、自身も静かにソファの一つに腰を下ろした。

 指先に触れる書簡の端が、微かに震える。

 扉が音もなく閉じられると、まるで時が静かに降り積もるように、室内は静寂に包まれた。


 彼女はそっと息を整え、静かに口を開く。


「改めまして……わたくし、エクリプス王国王女、リリスと申します。」


 彼女の声は穏やかだった。

 けれど、その響きの奥には、どこか言葉にしがたい緊張が滲んでいた。


「仮面舞踏会にて、王子殿下から……四番目の求婚を賜ることとなりました。」


 四番目――。

 その言葉が落ちると、まるで静かな水面に波紋が広がるように、空気が張り詰めた。


「ここにお集まりいただいた皆様におかれましては、トライン王子殿下の求婚をお受けいただくことになり……ありがとうございます。」


 一瞬、互いの視線が交錯する。

 今ここにいる三人は、トライン殿下の「偽りの求婚」を受ける者たちなのだ、とお互いに理解する。


 黒髪の令嬢が、リリス王女に聡明そうな眼差しを向け、優雅に言葉を紡いだ。


「……あなたが、本当の新妃様なのですね?」


 リリス王女は、小さく頷く。


「ええ……そうなのです。」


 セシルは、リリス王女の微かな緊張を感じ取りながら、ふっと柔らかく微笑んだ。


「おめでとうございます。」


 セシルが微笑むと、他の令嬢も優雅に頷き、それぞれに祝福の言葉を添える。

 リリス王女は、ふっと頬を染め、小さな安堵の笑みを見せた。


 けれど、その指先はなおも落ち着かぬように、そっと膝の上の書簡をなぞっている。

 やがて彼女は、思い切ったように、細い指先で丁寧に書簡を開いた。


「では、みなさまに、儀式に従った求婚に対する御辞退の言葉をお知らせいたします。」


 優雅な手つきで、テーブルに置かれた紙を指し示す。

 その瞬間、三人の王女たちは自然と背筋を正した。


「最初の求婚相手、ノワール王国アステリス公女殿下には、

 『幾千の星がこの夜を照らす限り、殿下の隣に立つのは私ではございません。』

 と御辞退いただきますよう、お願いいたします。」


「ええ。わかりましたわ。」


 黒髪の公女が頷いた。

 リリス王女は小さく微笑むと、次に、その隣に座る夕陽色の髪の令嬢に向き直った。


「二番目の求婚相手、ソレイユ王国フレール公女殿下には、

 『天の星の輝きが尽きぬ限り、殿下の花嫁たる身ではございません。』

 とご辞退いただきますよう、お願いいたします。」


「はい。謹んで。」


 フレール公女は、にこりと微笑みながら請け合った。


「そして、三番目の求婚相手、リュミエール王国セシル王女殿下には、

 『夜空に瞬く星々が、殿下の真なる伴侶を照らしますように。』

 どうか、この言葉をもって、正式に御辞退くださいますように……。」


「はい。そのようにお答えいたします。」


 セシルも答える。


 三人の王女たちは、それぞれ深く息をつきながら、胸の内で言葉の重みを噛み締める。

 この国の習慣を重んじるリリス王女にとって、これは決して疎かにできないことなのだ。

 セシルも、リリス王女の結婚式が無事に執り行われるように、辞退の言葉を深く胸に刻んだ。


「なお……皆様が、求婚のお相手であるということは、決して外に漏らさぬようお願いいたします。」


 彼女の声が、微かに震えていた。

 ふと、セシルがリリス王女を見つめると、その瞳には淡い光が揺れていた。


「リリスさま……?」


 その一言に、リリス王女ははっとして瞬いた。

 慌てて手の甲で目元を拭い、そっと微笑む。


「……申し訳ありません。」


 だが、その笑顔はどこか寂しげな翳りを帯びていた。

 そして、静かな決意の色も。


 彼女は、再び背筋を正し、静かに頭を下げる。


「あの……それでは、鐘が鳴ることなく、星の光が三度西に沈んだときには……

 トライン王子殿下を……どうぞよろしくお願いいたします……。」


「は?」

「えっ?」

「どういうことですの?」


 三人の王女が口々に問いかける。

 先ほどまでの儀式の話とは、何かが違う。

 違和感が胸をよぎった瞬間、リリス王女がふいに顔を上げた。


「『お役目』について……ですわ。」


 セシルが首を傾げる。


「御辞退の言葉のことですか?」


「いいえ……その、求婚相手の皆様の………。もしかして……ご存じ、ないのですか?」


 リリス王女の瞳が不安げに揺れる。

 長いまつげがかすかに震え、静かに瞬いた。


 静寂が、そっと降り積もる。

 

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