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#36 お望み通り閉じ込められました

 

 バルコニーの扉に青い魔法陣が浮かび上がる。

 振り返ると、入口の扉にも同じ模様が現れていた。


「ちょ……ちょっと、バスチアン!? ふざけてる場合じゃないわ!

 わざと閉じ込められるなんて!」


 セシルは慌てて彼の胸を押そうとする。

 けれど、バスチアンはまるで解放するつもりがないようだった。


「ふざけてなどおりません。」


 低く、楽しげな声が耳元をくすぐる。


「王女殿下をおひとりにすることは危険だと判断しました。」


 セシルが身じろぎすると、バスチアンは唇の端を上げた。


 けれど……。

 セシルは気づく。


 その赤い瞳はちっとも微笑んでいなかった。

 むしろ……ちょっと……

 いや、すごく……

 怒ってる……?


「……そろそろ王女殿下のお部屋に伺おうかと思っていたところです。

 王女殿下の方から来て下さるとは……。」


 彼はセシルを抱えたまま、暖炉のそばのソファまで歩いていった。

 腕の中で、セシルはもぞもぞと身をよじる。

 しかし、ほどよく強い力で抱きしめられ、逃れることはできそうになかった。


 バスチアンは慎重にセシルをソファに下ろす。

 そのまま彼女の両手を取り、冷えた指先を優しく包み込んだ。


 セシルの手はすっかり冷えていたが、バスチアンの手のほうが、さらに冷たかった。


「ティアン……?」


 そっと名を呼ぶと、バスチアンは微かに目を伏せた。

 その指が、ぎゅっとセシルの手を握る。


「…………………。」


 彼の唇が僅かに動く。


「えっ?」


 聞き取れなくて彼を見上げる。

 けれど、バスチアンはすぐに表情を隠し、暗い暖炉に向かって指先を軽く向けた。

 小さな火花が、ぱち、と音を立てて瞬き、暖炉の中に炎が回る。


 それから、彼は静かに立ち上がり、ティーポットを手に取った。

 琥珀色の紅茶が、カップにゆっくりと注がれる。


「どうぞ。」


 言葉少なに差し出されたカップを、セシルはそっと受け取る。

 指先にじんわりと伝わる温もり。

 その温かさが、冷えた身体だけでなく、ほんの少しだけ心まで溶かしていく気がした。


 それぞれに座り,炎を眺める。

 暖炉の火が、パチパチと静かに弾けた。


「……あの。」


 しばらくして、セシルは遠慮がちに口を開いた。


「わたくし……そろそろ、自分の部屋に帰ったほうがいいのよね……?」

「……もちろん、そうですね。」


 バスチアンは頷く。


「王女殿下が、随行外務官の部屋にいていいわけがありませんから。」

「それなら……」

「でも。」


 バスチアンがわざとらしく言葉を切り、紅茶を飲み干して、ゆっくりとカップを置く。


「鍵がありませんからね。」

「……あなたが投げたのよ…?」

「ええ。」


 バスチアンはひどく優雅に、そして 悪びれる様子もなく うなずいた。


「ねぇ、ティアン……やっぱり、怒ってるのね?」


 じっと彼の顔を観察する。


 バスチアンがふいっと顔を背けた。

 暖炉の炎に照らされたバスチアンの横顔が、固くて……。


「………………王女殿下。あなたはいつも、無鉄砲すぎる。」


 振り向いた赤い瞳の奥に、炎が揺らめく。

 けれど、その瞳が宿すのは怒りだけではなく、もっと違う、深い何か……。


「もし、私が気づかなかったら……あのまま、塔から落ちていたかもしれないのですよ?」


 バスチアンの低い声が、静かな室内に落ちる。

 赤い瞳がじっとセシルを見据える。


「……っ。」


 セシルは、喉を詰まらせる。


 確かに。

 バスチアンが間に合わなかったら……

 もう二度と、こうして彼と話すことも、触れることも、笑い合うこともできなかったかもしれない。


 それだけじゃなくて……バスチアンや護衛騎士たちは、きっとその『事故』の責任を取らされるのだろう。


 そう考えた瞬間、背筋がひやりと冷たくなった。


「……ごめんなさい。」


 セシルは、そっと目を伏せる。


 バスチアンは、そんな彼女の表情をじっと見つめたまま、ゆっくりと息を吐く。


「……王女殿下。」


 彼の声が、かすかに揺れる。

 セシルが顔を上げると、バスチアンの眉間に、深い影が落ちていた。

 彼はぎゅっと目を閉じ、まるで何かを必死に堪えるように、小さく息を吐く。 


 そして、じっとセシルを見て、言った。


「あなたが無事で、よかった……。」


 セシルのまつげが震える。

 どうしてこんなに優しく叱るの?

 どうしてこんなにも、大切にされていると感じるの?


 胸の奥が、じんと熱くなる。


 けれど、バスチアンはそれ以上何も言わず、そのままセシルを見つめていた。


「…………ティアン?」

「はい、王女殿下。」

「セシィって呼んでくれないの?」

「今、呼んでほしいのですか?」


 セシルは小さく息をのむ。

 そして、静かに、確かに、頷いた。


「ええ……呼んでほしいわ。」


 バスチアンの目が、僅かに見開かれた。


 次の瞬間、彼がソファから立ち上がり、一気に距離を詰める。

 そして、セシルのソファの上に片膝をついた。


 手を伸ばして、躊躇いがちにセシルの頬をなぞる。

 熱を帯びた肌に、冷えた指先の感触がひどく鮮明に残る。


「……でも、早く脱出したほうが良いのでは?」

「え?」

「王女殿下のリストの目的は『閉じ込められた塔から脱出する』なのでしょう?」


 優しく、けれど少しだけ掠れる声。

 バスチアンの指が、頬をなぞる動きを止める。

 そして――指先が、そっとセシルの唇をかすめた。


 それは、触れたか触れないかの、曖昧な感触。


 けれど、それだけでセシルの心臓は大きく跳ねる。

 触れた場所が、暖炉の炎よりも熱くなった気がした。


「………どうやって、塔から脱出するの?」


 震える声で問いかける。


 いつもならすぐに返ってくるはずの言葉が、今日はなぜか遅れる。

 バスチアンは、口元に笑みを浮かべながら彼女を見つめた。

 けれど、その瞳には、ほんのわずかに揺らぎがあった。


 指先が、もう一度、頬をなぞる。

 すでに暖炉の火で温められていた肌に、熱がさらにじんわりと滲んでいく。


 彼の唇が、ゆっくりとセシルのそばに近づいた。

 触れるか触れないかの距離。

 吐息が絡むほどの場所で……。


「実は……。」

「………実は?」


 ふっと彼が笑った。


「……………何も、考えていません。」

「えっ?」

「あなたが落ちてしまうかと……気が動転してしまって……。」

「………………。」


 じゃあ、どうするの?

 そう言おうとした瞬間、唇が静かに重ねられた。

 ゆっくりと。

 なにかを確かめるように。

 そして、離れる。


「それは、あとで、考えます。」


 バスチアンは、わずかに瞬きをしたあと、さらに距離を詰めてきた。


「………今は……君の無事を……確認したい……。」


 赤い瞳の奥に、隠された熱が揺らめく。


「セシィ……。」


 名前を呼ぶ声が、ひどく甘くて、切なかった。


 暖炉の炎が揺れる中、彼の手が、セシルのナイトドレスの上を彷徨う。

 やさしく、そっと……触れる。


「………!」


 指先が布越しに熱を伝えるたび、心臓の鼓動が跳ねる。

 けれど、それ以上に、バスチアン自身もまた、少しずつ息を乱していくのがわかった。


 セシルは、ごくりと喉を鳴らし、そっと彼の腕を掴む。


「あっ………あの、ティアン?」

「何?」


 低く、甘い声が、わずかに苛立ちを含む。

 指先で密やかな探索を続けたまま、彼は顔を上げた。


 なんだか……すごく、落ち着かない。

 見つめられるだけで、息が詰まりそう……。


 セシルは唇を噛み、ためらいがちに口を開いた。


「………ベッドに行かないの?」


 一瞬の沈黙。


 バスチアンの瞳が、わずかに揺れる。

 ちらりと、ベッドの方を見る。


 ――あと、10歩。


 ほんの少し考えるように目を細めて、ふっと小さく息を吐いた。

 そして――。


「……ちょっと遠すぎるからね。」


 バスチアンの腕が、ゆっくりとセシルの腰を引き寄せる。


「君も、そう思うだろう?」

  

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