#31 終わりにしたくないのに
バスチアンは宣言通り、それから数日でエルセリア王妃の行方を突き止めた。
再び王宮では、仲睦まじい国王夫妻の姿が見られるようになった。
その詳細をバスチアンは多く語らなかったが、それだけで十分だった。
サフィールと王妃の間に何があったのか、王妃はどこで何をしていたのか……。
気になることはたくさんあったけれど、きっとセシルが知らないほうがいいことなのだろう。
少なくとも、王妃の帰還後、サフィールはバスチアンをより信頼するようになり、側近の一人としてあらためて認めたらしい。
セシルとの関係についても、公認こそしないものの、少なくとも見て見ぬふりをしてくれるようになった。
だからセシルも、あの日サフィールが王妃の声を聴き分けられなかったことについては、とりあえず胸の内に納めることにした。
王都では、なかなかバスチアンとゆっくり過ごすことはできなかったが、エクリプス王国訪問の準備を通じて、頻繁に顔を合わせることができた。
そして以前よりもずっと、バスチアンは恋人らしい態度を取るようになっていた。
例えば……。
人目を避けてセシルにそっとキスをしてきたり、何かと理由をつけて花を贈ってきたり。
一度など、部屋で報告中、副官が席を立ったほんの一瞬の間に、ふわりと抱きしめられ、
「君を愛したくて……正気を保つのが難しいよ。」
なんて、耳元で囁かれたこともあった。
セシルは、頬を熱くしながらも、そっと目を伏せる。
きっと、エクリプス王国訪問の旅の間は、もっと彼と過ごす時間が増えるに違いない。
そう期待せずにはいられなかった。
*******
エクリプス王国へ出発する前日。
セシルのサロンでバスチアンと最終的な打ち合わせをする。
日程を確認して、随行員との顔合わせを終えると、彼は、部下たちを下がらせた。
「では……王女殿下。もう一つの打ち合わせをしましょう。」
バスチアンは胸ポケットからたたんだ2枚の紙を取り出し、セシルの前に広げる。
それは、セシルが以前作った『恋人としてみたい18のリスト』
<1枚目>
✔ 1.特別な名前で呼びあう
✔ 2.恋人のワルツ
✔ 3.バルコニーの語らい
✔ 4.馬車の中で手を繋ぐ
✔ 5.湖で舟遊びをする
6.ラブレターを交換する
✔ 7.風麦畑で愛を交わす
✔ 8.薔薇園でキスをする
✔ 9.平民の服を着て街でデートする
✔ 10.お互いの瞳の色のアクセサリーを交換する
<2枚目>
11.仮面舞踏会に参加する
✔ 12.媚薬の夜を楽しむ
✔ 13.沈みゆく船の中で愛し合う
14.閉じ込められた塔から脱出する
✔ 15.権力者の手を逃れて駆け落ちする
16.牢獄の中で永遠の愛を誓う
✕ 17.魔獣に襲われて死にかける
18.忘却の魔法にかかった恋人を呼び戻す
「あと5項目……『魔獣』も合わせると6項目ですが……14、16、18は、まとめて最後にしましょうか。
幸い王宮の西の塔に、貴人用の監獄があります。
陛下の御機嫌をほんの少し損ねることで……非常にスリリングな経験を保証します。」
バスチアンは、まるで新しい外交案件でも提案するかのような調子で言うと、くすりと微笑んだ。
その表情があまりにも自然で、セシルは思わず息を詰まらせる。
「いやよ! サフィールの魔法は怖いわ! もうこれはできたことにしましょう?」
セシルは思わず身を乗り出して否定する。
バスチアンはそんな彼女の反応を、楽しげに見つめながら、さらりと肩をすくめた。
「ですが王女殿下は、命懸けの恋に憧れていたはずでは? 大丈夫です。お任せください。」
彼の赤い瞳が、愉快そうに細められる。
「もう十分に命懸けよ! この項目は破棄するわ!」
強く宣言したセシルに、バスチアンはふっと目を細め、一拍置く。
まるで、言うべきかどうか、ほんの一瞬だけ迷ったような――けれど、最終的には決めていたかのように、穏やかに言葉を続ける。
「そうですか……。
では……このリストについては、『仮面舞踏会』と『ラブレターの交換』で完了、ということでよいですね。」
あまりにもあっさりとしたその口調に、セシルは思わず息を呑んだ。
「……え?」
バスチアンの何気ない言葉が、思った以上に鋭く胸に突き刺さる。
完了……?
……これで終わりなの?
このリストが終われば、もう彼は「恋の教授」としての役目を果たしたことになる。
それはつまり……バスチアンとの、この甘い時間も終わりを迎えるということ……?
胸の奥がじんと痛む。
でも。
彼を王女の愛人としての立場に、いつまでも縛り付けておくわけにはいかない。
それはセシルにも、分かっていた。
だから、ここで取り乱してはいけない。
「王女殿下……? どうかなさいましたか?」
バスチアンが、少し不思議そうに問いかける。
その声に、セシルははっと我に返った。
セシルはそっとまつげを伏せ、ゆっくりと呼吸を整える。
けれど、ほんのわずかに指先が震えているのが自分でも分かった。
気づかれないように、そっと膝の上で手を握りしめる。
そして、何事もなかったかのように、微笑んだ。
「……ええ。そうね。」
美しく、何の翳りもない微笑み。
けれど、その笑顔の奥で、寂しさが静かに広がっていくのを止められなかった。
「仮面舞踏会、楽しみだわ。」