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#29 ペガサスに乗る者

 

 まばゆい転移の光がふたりを運んだ場所は、バスチアンの客間だった。


 抱きあったまま柔らかなベッドの上に倒れ込むようにして着地する。

 全身ずぶ濡れのまま、顔を見合わせ――そして、ふたり同時に吹き出した。


「ふふっ……!」

「はは……。」


 びしょ濡れの衣服が肌に張り付き、冷たい水がベッドを濡らす。

 それでも、笑わずにはいられなかった。


「……ねえ、ティアン。」

「ん?」

「『沈みゆく船の中で愛し合う』は、難しかったわ。」


 セシルがくすくすと笑いながら言うと、バスチアンも肩をすくめ、真面目な顔で請け合う。


「ああ、でも俺たちは着実に課題を進めているよ。」


 バスチアンが、「君は」ではなくて、「俺たち」と言ってくれたことでセシルの胸がきゅんとする。


 ふたりは温かい湯をたっぷりと張った風呂に入り、芯まで温まると、心地よい疲れとともに、ふたたびベッドに潜り込んだ。

 もちろん、ベッドはバスチアンが魔法でしっかり乾かしてくれている。


 色々なことがあった一日。

 窓の外には、茜色に染まる空が広がっている。


 セシルはふわりと息をつきながら、バスチアンの腕の中でまどろむ。

 やわらかな温もりに包まれ、幸福な眠りに落ちそうになった、そのとき。


 遠くから、風を裂くような鋭い音が響いた。


 バサッ……バサッ……バサァァァ……!


 力強い翼の羽ばたき。

 空気を切り裂く疾走感。


 バスチアンがさっと身を起こし、窓へと歩み寄る。

 そして、夕焼けの空を見上げる。

 そして……ふっと険しい表情を浮かべた。


「ペガサスが……」


「えっ!?」


 セシルも驚いて身を起こす。

 ペガサス……それは、王家のみが使用を許される神聖な天馬。


「四頭立て? それとも二頭立て?」


 思わず問いかける。

 四頭立てなら、サフィール国王の馬車。

 二頭立てなら、現王太子候補のもの。今は暫定的にエメラルド王子が使っているはずだ。


 バスチアンは、ほんの一瞬だけ目を細め、それから静かに告げた。


「……いや、馬車じゃない。単独で飛んでる……。」


 夕焼け空を裂くように、白銀の翼が一筋の光となってこちらへ突き進んでくる。


 ほんの一瞬、部屋の空気が凍りついたような静寂が満ちた。


 バスチアンが、素早くセシルのもとへ戻る。


「リア、楽しい休暇は、おしまいみたいだ。」


 そう言いながら、彼はセシルの素肌をふわりとブランケットで包み込み、温もりを閉じ込めるようにそっと抱き寄せる。


「ここにいて。」


 そして、その額に軽く唇を触れさせると、すぐさま彼自身はローブを纏い、天蓋のカーテンから滑り出た。


 それ以上の猶予は、なかった。


 バスチアンは、窓の方向へと向き直り、片膝をたてて跪く。

 そのまま、深く頭を下げた。


 轟音とともにガラスが砕け散り、鋭い風が部屋に吹き込む。


 ペガサスの背から勢いよく誰かが飛び降り、そのままテラスの窓を割って部屋に飛び込んできた。


「バスチアン・フレアベリー……貴様か!」


 低く、怒りを抑えた声が響く。


「はっ……光輝く国王陛下の御親臨、ありがたく感謝申し上げます……。」


 ……え、サフィールなの!?


 セシルは、驚きに息を呑んだ。


 ペガサスに騎乗して、ここまで飛んできたの!?

 ペガサスは本来、鞍をつけることができない。

 いくら騎馬に秀でたサフィールとはいえ、そんな無謀な乗り方で飛来するなんて――危険すぎるではないか!


 セシルは、一瞬、緊迫した空気に飲み込まれそうになる。

 けれど、その直後、少しほっとした。


 賊や刺客ではなく、ペガサスの正統な持ち主である従兄のサフィールだったーーそれだけで、ほんの少し安心できたのかもしれない。

 しかし――その油断が、彼女の思考を鈍らせた。


「……()()。」


 サフィールが、何かを確かめるように、ゆっくりと呼びかける。


「そこにいるのだろう?」


 その時、彼女はなぜ彼が「()()」と呼んだのかと疑問に思うことができなかった。

 それほどに、その声は優しく、そして、とても甘やかなテノールだった。

 セシルは、ふっと気を緩める。

 ベッドの天蓋のカーテンの内側で、ブランケットにくるまれたまま、彼女は無意識のうちに口を開いた。


「………はい、陛下。」


 その瞬間。


 バスチアンの肩が、わずかに強張る。

 サフィールの瞳に、鋭い光が宿る。


 けれど、サフィールは決して声を荒げることはなかった。

 むしろ、先ほどよりも優しい声音で、セシルに語りかける。


()()……俺は、君を責めるつもりはない。」


 セシルの胸が、きゅっと締めつけられる。


「こっちにおいで。」


 そして、サフィールが告げた次の言葉に、セシルの全身が恐怖で凍りついた。


「大丈夫。すべて……忘れさせてあげる。」


 ………っ!!!


 サフィールは、記憶を『消す』力がある。

 一片の痕跡も残さず、跡形もなく。

 愛も、痛みも、すべてを奪ってしまう。 

 決して、取り戻すことはできない。


 王宮に連れ戻されるのは、まだいい。

 でも……。


 バスチアンのことを、忘れさせられるの!?

 どうして!?

 わたくしが王女だから……!? でも……


「い…嫌……。忘れたくない。ティアン……助けて……!」


 必死に叫んだ瞬間……サフィールの銀の刃が、迷いなく抜き放たれた。


 彼は、ためらいもなく剣を振り上げる。

 鋭い閃光を放ちながら、まっすぐにバスチアンへと斬りかかる。


 刃が風を裂き、音さえも飲み込むかのような鋭い一閃――


 しかし、バスチアンもまた、一瞬の迷いもなかった。

 セシルのもとへ即座に転移し、その身体を強く引き寄せる。

 同時に、光の壁がはじけるように展開される!


 白く輝く結界が、鋼の剣を受け止めた。


 ――ガシャッ!!


 金属と魔法の衝突音が、鋭く室内に響き渡る。


 国王への反逆とも取られかねないその行為を、彼は一瞬の判断で行った。


 バスチアンが張った保護結界に、サフィールの剣先が突き刺さる。

 刃と魔法がぶつかり合ったその微かな接点から、細かいひびがじわじわと広がり始めた。


 バスチアンの額には、じっとりと汗が滲む。


 このままでは持たない……!


 そしておそらく保護結界を維持したままでは、転移魔法を発動できない。

 転移の瞬間に隙が生まれる。


 その危険性は、セシルにも理解できた。


 セシルは、咄嗟にバスチアンの手に自分の手を重ねた。

 王族だけに与えられた保護の力を、精一杯流し込む。

 白い結界の光が、澄んだ青へと変わった。

 その瞬間、バスチアンの唇がかすかに動いた。


「ああ……今日はもうひとつ、リストを実践できそうですよ、()()殿()()。」


 セシルの耳元で囁くように告げるバスチアンの声は、驚くほど穏やかで……そして、どこか楽しげですらあった。

 あまりに場違いな冗談に、セシルの頬が一瞬だけ熱を持つ。

 恐怖の中で、それでも彼の言葉は、妙に心地よく響いた。


 その言葉に、サフィールの剣が一瞬揺らぐ。

 微細な戸惑いが、刃の軌道に生じた。

 バスチアンは、そのわずかな隙を見逃さなかった。

 素早く自らの保護魔法を解き、セシルの腰を抱き寄せる。


 次の瞬間、眩い光が、ふたりの周囲に広がり、転移の力が収束していく。


 転移までのわずかな時間、セシルの未熟な保護魔法がサフィールに対抗できるとは思えない。

 けれど……


「……セシ、ル……?」


 ふたりが光に包まれるその刹那、セシルは見た。

 サフィールが、信じられないものを目にしたかのように、ただ茫然と立ち尽くしている姿を。


 ………そして、ふたりはその場から消え去った。

 

 

またまた転移します。

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