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#2 セシル王女の密かな計画

 

「まあ……! 『フレアベリーの魔女』と呼ばれるあのアリシア様のこと?」


 アリシア・フレアベリー侯爵令嬢。

 彼女は、魔術師団長サミュエル・フレアベリー侯爵の愛娘であり、なかなかの魔力の持ち主だ。


 実のところ、少し前に開催された『令嬢たちの読書の集い』で、セシルはアリシアに声をかけたばかりだった。

 そのときのアリシアは、純真そうで可憐な令嬢であり、恋愛小説の話題ですぐに打ち解けた。

 セシルは、自作だとは明かさずにこっそり小説を「おすすめの本」として手渡したのだ。

 アリシアはそれをたいそう気に入ったようで、後日、丁寧な筆致で感想を綴ったファンレターを、『作者宛て』に送ってきてくれた。


 だが……。


「では魔術の能力を買われてのご縁談なのかしら?」

「それもあるかもしれないわね。……実際のところ、シャルトリューズ公爵はアリシア様に夢中らしいの。」

「夢中?」

「ええ。彼女に会うために、無理して仕事を調整しているって話よ。」

「そういえば、明後日の宮廷舞踏会の件で、シャルトリューズ公爵が宮務官長と打ち合わせをしていたそうよ。

 もしかしたら陛下に婚約の御許可をいただく準備なんじゃないかって……。」

「もうそこまで話が進んでいるの!?」


 セシルはどうしても納得できなかった。

 

 魔獣討伐を主な任務とする第一騎士団を率い、自ら辺境に赴いて幾多の戦果を挙げてきた、戦闘的で男らしいジェラール。

 彼の好みが、本当にあのような無垢で幼い雰囲気の令嬢だというの?

 それとも……彼女が『侯爵令嬢』だから?


 ジェラールもまた、妻には自分より高い地位を持たず、控えめで従順な相手を望むという、よくある男の一人だったのだろうか。


 がっかりだわ。

 彼はもっと強く、自分の信念に忠実な人だと思っていたのに。


 セシルは柱にもたれ、意識的に深く息を吐いた。


 ジェラールとは、情熱的な恋とはならなくても、お互いに尊重し、尊敬しあえる結婚生活が送れるのではないかと、思っていた。

 そしてそれは、公爵家の名誉と自分の安定を保証するものだった。


 だが、その可能性も今や完全に消えてしまった。


 再び聞こえた侍女たちの声がセシルの思考を遮った。


「となると、また『理想の結婚相手ランキング』が、ガラッと変わるのではないかしら?」

「あら、シャルトリューズ公爵が抜けてしまうだけではなくて?」

「それ以外にも何人か、王都を離れられたり、御結婚されたり……。

 ああ、でもアリシア様と言えばそのお兄様の……。」


 アリシアの兄?

 セシルの耳が無意識にその会話に傾く。

 そういえばアリシアには、兄が何人もいるはずだ。そしてその中の一人は……。


「あら、もしかして私、あなたと同じ方のことを考えているかしら?」

「ええ、きっとそうよ。」


 くすくすと笑い合う声。


「『夜の宮廷外務官』、バスチアン・フレアベリー卿でしょ?」


 やっぱり!

 その名前が、耳に飛び込んできた瞬間、セシルの息が止まった。


 バスチアン・フレアベリー。

 彼を、セシルが知らないはずがない。


 バスチアンとセシルは王立学園時代からの顔見知りであり、現在彼は宮廷外務官として他国との交渉を任される要職にある。

 セシルが親善外交で外遊する際には、必ず彼が同行していた。


 冷静な頭脳と洗練された物腰。

 どんな難局でも華やかな笑みを絶やさず、的確な判断を下す姿。

 そして、魔術師団にも引けを取らない強い魔力。


 彼には何度も助けられてきた。

 セシルにとって、彼は常に信頼と尊重に値する、頼れる存在だった。


 けれど……『()()宮廷外務官』とは?

 まるで意味深に時間が特定されているその通り名に、セシルは眉をひそめた。


「ええ。彼、表の外交だけじゃなく、そちら方面でも……引く手あまたなんですって! ね、なんとなく、わかるでしょ?」

「ええ……でも、実際のところ彼って、どんな感じなの?」

「それがね、とある令嬢の話によると……記憶が飛んでしまうほど素晴らしい夜だったんですって!」

「きゃぁっ!  本当に?」

「羨ましいわ……。」

「ああ、フレアベリー侯爵家の方って皆さま、恋の魔術師なのね。」


 恋の魔術師……?

 まさか、あのバスチアン・フレアベリーが……!?


 彼はいつも穏やかで誠実で、少なくともセシルの前では、浮ついたところなど一切見せたことはなかった。

 

 けれど。

 もし彼が、そんな顔を隠し持っていたのだとしたら……。

 外交の表と裏を自在に操るその手腕が、もし恋愛の場面でも発揮されているのだとしたら……。


 セシルは思わず頭を振った。


 冷静に考えれば、噂話など鵜呑みにする方が愚かしい。

 それでも、胸の奥に生まれた疑念は、理性の鎮静を簡単には許さなかった。


 バスチアン・フレアベリーは、本当に恋の魔術師なのだろうか。

 

 ふと頭に浮かんだのは、恋愛小説で読んだ情熱的な場面だった。

 けれど、それはどこか曖昧で、まるで霧の中を手探りしているような感覚。

 「それから先」を期待してページをめくっても、いつも寸前で描写は途切れてしまう。


 本の中では美しい言葉で飾られた場面も、いざ現実に置き換えようとすると、どう感じ、どう触れ合えばいいのかが全く思い描けない。


 だから、セシルもまた、自分の小説にその場面を描くことができないのだ。


  『リアリティがない」と言われてしまうような、薄っぺらな物語しか書けないのだとしたら。

 それは、きっと自分の不勉強のせいではないかしら?


 けれど、その秘密を……もしバスチアン・フレアベリーがよく知っているのだとしたら。

 そして、もし彼がそれを自分に直接教えてくれるとしたら……?


 想像しただけで、セシルは頬が熱くなるのを感じた。


 それでも、知りたい。


 知らなければ、自分の物語は完結しないのだから。


 彼女たちの会話が別の話題に移るのを待ち、柱の陰からそっと離れた。

 王宮の長い廊下を歩きながら、頭の中で計画を練り始める。


「クロエ。」


 すぐそばに控えていた侍女が、小走りでセシルに追いつく。


「シャルトリューズ卿のご婚約の噂の真相を確かめてきてちょうだい。

 それから、バスチアン・フレアベリー卿についても調べてきて。

 特に、『夜の宮廷外務官』という噂について詳しくね。

 今日中に、できる限り正確な情報を持ってきてほしいわ。」


「……承知しました、王女殿下。」


 クロエの表情には一抹の困惑が浮かんだが、何も聞かずに頭を下げた。


 セシルは廊下を進みながら、胸の中に湧き上がる奇妙な高揚感を覚えていた。


 もし、バスチアン・フレアベリーが『恋の魔術師』だというのなら……。

 

 その魔法をわたくしにも少し……いいえ、すべて使ってくれても、構わないのではなくて?


 だって、わたくしの降嫁先を奪ったのは、彼の妹のアリシアなのですもの。

 その責任を少しくらい取っていただいても……罰は当たらないでしょう?


 わたくしには、恋愛の真実を知る必要があるのだから。


 セシルの胸は熱く高鳴り、冷静を装おうとしても、湧き上がる期待をもう抑えることができなかった。


 

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