#17 青い空が目に映る
彼女の震える声に、バスチアンの唇がわずかに弧を描いた。
その微笑みには、穏やかな余裕の内側に、隠しきれない情熱が微かに滲んでいる。
「君は、本当に……人を困らせるのが上手すぎるよ。」
そう呟いて、彼はそっとセシルの頬に触れた。
その指先は、彼女の意志を確かめるようでありながら、同時に彼自身の熱を静かに伝えてくる。
セシルの身体がふるりと震えた。
バスチアンが顔を近づけ、彼の唇が、セシルのすぐ傍で囁く。
「ああ……本当は、もう、とっくに火がついているんだ……。」
その声に込められた静かな覚悟が、耳元でやわらかく震えながら響いた。
その響きが心の奥深くまで沁み込み、セシルの身体にじんわりとした熱が広がっていく。
肌を撫でる風さえ熱を帯び、全身の感覚が研ぎ澄まされていくようだった。
セシルはそっと視線を上げた。
彼の瞳の奥に揺れるものは、言葉では言い表せないほどの熱と、深く切ない何か。
……それを、知りたい。触れたい。もっと……近づきたい。
「大丈夫よ、ティアン。……教えて。」
バスチアンの赤い瞳が、風に揺れる麦畑の波と重なり、切なげに揺れる。
彼の指先が、再び彼女の頬に触れる。
そして彼の唇が、ふるえるように彼女の唇に触れた。
それは、花びらが頬をかすめるようなやわらかさ……。
けれど、内に秘めた熱は確かにそこにあった。
「……ティアン……。」
セシルの声もまた、甘く、震えていた。
バスチアンの腕がそっとセシルの背中を抱き、彼女を優しく引き寄せる。
身体が触れ合い、互いの鼓動が重なり合った瞬間、セシルは気づく。
彼の鼓動が、自分よりも速く、高鳴っていることに。
バスチアンがもう一度顔を近づけた。
今度は深く、ぴたりと唇を重ね、彼女の息を奪ってゆく。
「ん……っ、ん……っ……。」
セシルの唇がわずかに開いた瞬間、彼は迷いなくその隙を捉え、さらに深く、濃密な口づけを交わした。
熱を含んだ彼の舌が、セシルの口内を優しく誘い、彼女は戸惑いながらも、少しずつ応じていく。
触れ合うたびに、熱が重なり、心地よい混乱が身体を包み込んだ。
まるで身体が溶けてしまいそうなほど……彼の存在が、全てを満たしていく。
バスチアンの腕の中で、セシルは、自分の心も身体も、初めて知る甘美な幸福に染まっていくのを感じていた。
「……ああ、ティアン……『愛を交わす』って、こういうことなのね……?」
セシルは、少し掠れた声でそう呟く。
「まだはじまったばかりだよ、リア。」
バスチアンの声は低く穏やかで、それでいて、甘く、熱い何かを孕んでいた。
彼の瞳がふわりと輝きを帯びる。唇が、首筋をなぞるように軽く触れてゆく。
情熱的でありながらも、決して急かすことなく、セシルを優しくとかしていくようだった。
「あっ……。」
思わず洩れたセシルの声に、バスチアンは小さく笑った。
その恥ずかしさに思わず身体を縮こまらせると、バスチアンはその気配を感じ取って、優しく囁いた。
「リア……大丈夫だよ。」
けれど、セシルは答えることができず、ぎゅっと目を瞑って俯いた。
次の瞬間、ふわりと背中が柔らかな布に触れた。
バスチアンが、自分をそっと寝かせていたのだと気づいたときには、彼の瞳が、空を背景に見下ろしていた。
その眼差しには、溢れるほどの優しさと、真っ直ぐな情熱が宿っていた。
彼の指先が、ドレス越しに彼女の身体の曲線をたどる。
布の上からそっと与えられる刺激は、焦らすような甘さで、セシルの感覚を研ぎ澄ませてゆく。
彼の唇が胸元に触れ、彼の手がドレスの裾を優しく彷徨う。
青く澄んだ空の下で、知らない自分に出会うような感覚がセシルを包む。
その感覚が、彼女の意志とは裏腹に、身体の奥深くをとろけさせてしまう。
「……っ……ティアン! ……もう、わたくし……恥ずかしい……っ…」
思わず……泣きそうな声で訴えるセシルに、バスチアンは小さく微笑んだ。
その笑みは決してからかうものではなく、むしろ、心から彼女を愛おしむものだった。
「でもリア……これは、君が知りたがっていた『愛を交わす』ということの、一部なんだよ。」
真っ赤に頬を染めながら、セシルはバスチアンの瞳を見上げた。
左耳に揺れる空色のピアスが、青空に溶け込み、彼の微笑みをいっそう艶やかに引き立てる。
小さく震えるセシルを、バスチアンはそっと抱きしめる。
「怖いのですか?」
セシルは、ふるふると首を振った。
「いいえ。
でも……わたくし、こんな風になってしまって……。
それなのに、空が……青い空が、目に映るのだもの……」
震える声でそう言ったセシルの頬には赤みが差し、瞳には涙が浮かんでいた。
「……今、とても、恥ずかしいわ。」
バスチアンはその姿を静かに見つめ、そっと彼女の手を取り、自らの胸元へ導いた。
指先が触れた瞬間、彼の胸の鼓動が、驚くほど速く伝わってきた。
「恥ずかしいのは、同じです。
こうなったのは、リア……君のせいだよ。」
その声は低く掠れ、セシルの心にまっすぐ響いた。
彼もまた、抑えきれない想いに揺れている。
それを知ったことで、セシルの中に小さな勇気が灯った。
そのままの姿勢で、バスチアンはそっとセシルを抱き寄せる。
彼の唇が額に触れ、頬を撫で、やがて耳元に寄り添った。
「ああ……リア……『愛を交わす』ということの意味……君に、伝わった?
それでも君は、ここで……このまま愛されたいと思う?」
青空の隙間から差し込む光の中で、彼の瞳が優しくセシルを見つめていた。
セシルは恥ずかしそうに微笑み、まだ熱を宿したままの瞳で、小さく頷いた。
「ええ……たぶん、わかってきた気がするわ。
それと、そうね。
……わたくしも、屋根が、あったほうがいいと思うわ。」
そうバスチアンは最初から言っていたではないか。
するとバスチアンは、優しくセシルの頬を撫でた。
その仕草には、愛おしさとどこか切なさが込められている。
「よかった。
いつか、もっと安心できるところで、ゆっくりと分かち合おう。」
セシルはこくりと頷いた。
胸の中にまだ残る熱を、そっとなだめる。
「ティアン……。」
小さく名前を呼びながら、セシルはそっと目を伏せ、彼の腕の中に顔を埋めた。
彼のまだ速い鼓動が耳元で微かに響き、それが不思議と心地よい。
いつだってバスチアンは、セシルのことを考えてくれているのだ。
そのときふと、セシルの中に別の疑問が浮かんだ。
「でも……ティアン……あなた、途中ではやめられないって言ったわ。
その……今、とても苦しいんじゃない?」
彼女の言葉に、バスチアンは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせたが、すぐに微笑みを浮かべた。
その笑顔には、少しばかり苦さが滲んでいる。
「正直に言えば、君の言う通りだ。
……君がこんなに可愛くて……それでも冷静でいようとするのは、簡単じゃない。」
バスチアンの声は低く掠れ、そこに秘められた感情がほんの少しだけ漏れ出る。
けれど、彼はすぐに柔らかく微笑み、セシルの髪にそっと唇を押し当てた。
「でも……君が、わかってくれるなら、それでいい。」
その仕草は彼女を愛おしむようで、同時に自らの情熱を抑えるようでもあった。
セシルは彼の腕の中で静かに瞬きをし、胸に灯った感情を大切に抱きしめた。
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