#13 瞳の色のピアスと薔薇園のキス
「瞳の色のアクセサリーは、『お互いに交換する』ところまでがわたくしの夢なの。
だから、あなたも受け取ってね。
何にしたらいい? ピンかブローチか……指輪でも……?
ティアンが好きなものにするわよ。すぐに作らせるわ。」
セシルが笑顔で提案すると、バスチアンは少し意外そうに目を細めた。
「……好きなものを、選んでいいのですか?」
彼はセシルを見つめながらそう言ってから、ふと片手を伸ばし、彼女の耳元に触れる。
「このピアス……学園時代、よくつけていらっしゃいましたね。」
その言葉に、セシルは目を見張って彼を見上げた。
片耳だけに付けた空色のシングルピアス。
彼女の瞳に似た青い宝石が球状に加工されている。
王立学園への入学の記念として仕立ててもらったものだった。
卒業後は自然と身につけなくなっていたが、今日はふと目に留まって、懐かしさから耳につけていた。
それをバスチアンが覚えていたことに、胸がじんと温かくなる。
「もしよろしければ……これをいただけますか?」
親しい距離を崩すことなく、けれど丁寧に尋ねるその声に、セシルは小さく頷いて、ピアスを外し、手のひらに乗せた。
「いいわよ。
どんな形に加工すればいいかしら?
このままならタイピンにもできそうだし、時計の鎖に埋め込んでも素敵かも……。」
わくわくしながら提案するセシルに、バスチアンはそっと彼女の手からピアスを取る。
それを光にかざし、サファイアの青とセシルの瞳の色を交互に見比べながら、ふっと微笑んだ。
「……ああ。本当に、リアの瞳と同じ色だ。」
そのひとことに、セシルの胸がかすかに高鳴る。
けれど次の瞬間、彼はそのピアスを自らの左耳に近づけた。
「ちょっ……えっ?」
セシルが驚く間もなく、「パシッ」という音とともに、魔力の火花が散り、彼の耳朶が貫かれる。
「………っ! ……直接、つ、つけたの!?」
思わず目を瞬かせるセシルに、バスチアンは涼しい顔で答えた。
「ピアスですから。」
あまりに当然のように言われ、セシルは思わず口を開いた。
「で、でも……わたくしには、瞳の色を使ったアクセサリーを表で着けるのは難しいって……。」
「王女殿……いや、君の場合は……そうですね。」
一度呼び方を言い直し、柔らかく笑って続ける。
「王女が新しいアクセサリーをつけていれば、必ず貴族の令嬢たちの目に留まります。
しかも、赤い宝石は君が普段あまり身につけない色でしょう? 間違いなく話題になります。
同じように、宮廷外務官が王女殿下の瞳の色を模したタイピンなどつけていたら……当然、勘繰られる。」
「……でも、ピアスのほうがよっぽど目立つのでは?」
セシルの疑問に、バスチアンは首を横に振る。
「いいえ。目立ちすぎるものほど、人はその意味に気づきにくいんです。
……人の心とは、案外そういうものなんですよ。」
公務で見せるのと同じ、少し自信ありげな笑み。
左耳で青く光るサファイアが、まるで空を閉じ込めたように輝いていた。
セシルは、またうまく言いくるめられてしまった気がしたけれど。
それでも、こうしてはっきりと「自分の色」を身につけてくれた彼に、心がときめくのを止められなかった。
「ありがとう、ティアン。
……あなたの身体に、私の色があるなんて……ちょっと不思議な気分だわ。」
「不思議?」
「ええ。まるで、本当に……私たちが特別な関係に見えるみたいで。」
セシルの声がわずかに揺れる。
けれど彼女の笑顔の奥にある切なさに、バスチアンは気づかない様子で、いつもと変わらぬ優しいまなざしを返した。
「もちろん、特別な関係だよ。リア。」
その一言に、セシルの胸はまた少し痛んで……けれど同時に、甘く温かい期待で満たされる。
彼の手がそっと重ねられ、セシルの右手を包み込む。
そのぬくもりに、言葉にならない想いが静かに溶けてゆく。
「……それから、『8.薔薇園でキスをする』も、叶えようか。」
バスチアンの声は、どこか冗談めいているのに、奥底に熱が宿っていた。
そしてその手がわずかに動き、彼女の体を引き寄せる。
「え……?」
問い返す暇もないまま、バスチアンの唇がそっと彼女の唇に触れた。
花びらが風に舞うように儚く、それでいて確かに心に刻まれる感触。
セシルは目を見開いたまま、何が起こったのか理解しきれずにいた。
バスチアンの瞳が、艶やかな光を帯びて、ただ彼女を見つめている。
「……み、短すぎて、何も……わからなかったわ!」
羞恥に耐えかねて頬を膨らませるセシルに、バスチアンは一瞬だけ目を丸くした。
だがすぐに、ふっと息を吐き、小さく笑う。
その笑みには、彼らしい悪戯っぽさと……それを隠しきれない想いが滲んでいた。
「そっか……なら、もう一度だね。」
その声は、迷いを断ち切るように静かで決然としていた。
彼は腕を伸ばし、一気にセシルを抱き寄せる。
優しく、けれどためらいのない力で。
「えっ、ちょ、ちょっと……っ!」
戸惑いの声は、彼の腕に包まれると同時に喉奥に消えた。
セシルの体が彼の膝の上に乗せられ、彼の顔が近づいてくる。
「もう一度するよ、リア。今度は……ちゃんと、君にもわかるように。」
その囁きは、風のように柔らかく、それでいて熱を帯びていた。
そして再び、彼の唇がセシルの唇を捉える。
今度のキスは深く、けれどどこまでも丁寧で……まるで大切なものを扱うような優しさがあった。
初めはただ触れるだけだった感触が、ゆっくりと確かさを増していく。
そのたびに、彼の温もりが彼女の内側に染み渡っていく。
背中に回された彼の手が、さらに彼女を引き寄せるたびに、身体の奥に火が灯る。
息が止まりそうなほど長く繋がった唇。
セシルがほんの少し口を開いた瞬間……
バスチアンはまるでその瞬間を待っていたかのように、情熱を注ぎ込んできた。
柔らかな交わりは、次第に濃密さを増していく。
彼の舌先が彼女の唇をなぞり、時に境界を越え、想いが絡み合う。
まるで彼の鼓動までもが、すべて口づけに乗せられているかのようだった。
セシルは、自分と彼の輪郭が曖昧になる感覚に飲み込まれ、ただ身を委ねるしかなかった。
やがて、息が足りなくなり、彼女が唇を離そうとしたとき……バスチアンがすかさず追いかけて、再び角度を変え、深くキスを重ねてくる。
何度も、何度も、確かめるように。
そのたびに、胸の奥から鋭くも甘い感覚が全身を駆け抜けていく。
ようやく唇が離れたとき、セシルは息を整えることさえ忘れていた。
目を見開いたまま、熱を帯びた彼の額が、自分の額にそっと触れているのを感じる。
赤い瞳が、熱を秘めながらも彼女のすべてを見つめていた。
「これでも……まだ、覚えていられない?」
濡れた唇で、囁くように言うその声が、セシルの全身に余韻を残す。
「……いいえ、きっと、忘れられないわ……」
震える声で答えたセシルは、自分の胸の奥で渦巻く熱に、ただ身を任せるしかなかった。
両腕で自分を抱くように肩を押さえ、彼の唇の残り香にふるえる。
「でもね、リア……。」
バスチアンの視線が、何気なく植え込みの向こうへと流れる。
「クロエに、見られたかも。」
その言葉に、セシルの背筋がぴんと伸びた。
反射的に彼の視線を追い、しかし、もう取り繕うことなどできないことを悟る。
「彼女は……巻き込むしかないね。」
バスチアンの声音は淡々としていた。
いつも外交の場で見せる自信に満ちた表情が、そのまま薔薇園の光景に溶け込んでいる。
けれどその唇に浮かぶ笑みには、どこか覚悟のようなものが滲んでいた。
セシルの瞳の色を映すピアスが、バスチアンの左耳で陽光を反射して揺れる。
もう、後戻りなんてできない。彼も、わたくしも。
セシルは、もらったばかりの指輪をぎゅっと握りしめた。
自分が彼の色に染め上げられ、身体の中で行き場を失った熱がまだ渦巻いているようだった。
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