プロローグ
「....うん?」
ふと、目が覚める。なんだか、暗闇の中に居たような気がするが、何も思い出せない。不審だが、自分の事にばかり気を取られている訳にはいかなかった。そりゃあそうだろう。目の前に、記憶喪失なんぞよりもよっぽど異様なヤツが居るのだ。爬虫類を思い起こさせるウロコに、空を飛ぶ為の翼。そして、生物としてはあり得ないほどの巨躯。そう、ドラゴンだ。
「....何....?貴様は....?」
そいつは、まるで信じられないものを見たように目を見開いていた。"ドラゴンの癖にどうも人間的だな"、"というか日本語喋ってたな"、なんてとりとめのない感想が浮かぶが、やっぱりそんな事を考えている場合でもない。
「こんにちは、ドラゴンさん。私は人間です。今日は晴々とした良いお天気ですね」
礼儀正しい挨拶。それこそがこの意味不明の状況を切り抜ける唯一の手段であると俺は確信する。そう、第一印象が良ければ大抵の事はなんとかなる。
「は?」
ただ、ドラゴンの反応はあまり芳しくない。もしや文化圏の違いが出てしまったのだろうか。確かに、ドラゴンが居る時点で此処は明らかに異世界。もしかしたら聖典にはナイフを舐める男が神として紹介されているかもしれないし、会話中であれば執拗にローキックを放ち続ける事が最低限の礼儀かもしれないのだ。
折角なのでドラゴンの足にローキックを放ってみようか。そんな事を考えていたら、ドラゴンは微妙な顔をしてチラリと目線を上げる。人間としての本能に従って俺もまた上を見上げてみると、そこには空が広がっていた。光一つない、これでもかというほどどんよりとした曇天の空だ。
「....」
「....」
「──この空もまた良いものとして眺める心の余裕を持つ事。我々はそれを忘れてはいけません。どうも、人間でした」
完璧なフォロー。一時はどうなる事かと思ったが、これで第一印象はバッチリに違いない。目の前のドラゴンはめっちゃ延びるトルコアイスくらい長い溜め息を吐いているが、まぁ完璧だ。ヨシ!
「もういい、貴様が話の通じない手合である事はよく分かった」
駄目だった。普通に全然駄目だった。ドラゴンといっても5割くらいは爬虫類。つまり四捨五入すればただの爬虫類。人間のくせに爬虫類に呆れられるという状況は割とメンタルに来る。命の方もやばい。爬虫類だろうがなんだろうが、この大きさを前にすれば、人間などおやつカルパスも同然だ。
「あの、すいませんドラゴンさん。自分食べても美味しくないっす。あのボジョレーヌーボーがここ10年で最悪の出来だって謗るくらい不味いっす。記憶に残る最悪の出来栄えっす」
「本当に何を言っているんだ。そもそも我は人間を喰わんし、殺さんし、手も出さん」
「なんと」
驚くべき朗報だ。なんとこのガチで殴り合いに発展したら俺が一万人居ても勝てなさそうなドラゴンは、人間に対してめちゃくちゃに平和な三原則を持っているらしい。
「ああ、良かった。それならちょっと話そうぜ。というかここって何処?あとラインやってる?」
「なんだ貴様、距離の詰め方縮地か?」
遂にドラゴンが俺の言動にがっつりツッコミ始めた。100%直感だが、どうやら本当に悪いやつではなさそうだ。
「....まぁ、良い。それよりも貴様、その身なりにその珍妙な言動。転移者だな?」
「転移者....って、え、ここに転移して来た奴って皆こんな言動してたの?悪い事は言わんから選出基準見直した方が良いぞ?」
「言ってて悲しくならんのか?というか、貴様ほどに奇矯な人間がそうそう居てたまるか。魔法の痕跡もなく目の前に現れた奇妙な服を纏った人間が明らかにこの世界にはない固有名詞を吐いている。それが、異世界からの転移者の典型的な特徴だ。最早時間の感覚も薄いが、最後の召喚から1000年は経ったろう。よもや、また現れるとはな」
「....なるほど」
この世界が異世界である、という予想は的中したようだ。実際、ここに来るまでの記憶はかなり曖昧だ。なんだか、赤いうどんを食べていたような気もするし、緑のそばを食べていたような気もする。
「──それよりも、聞け。転移者よ」
ドラゴンが、神妙な顔をしてこちらを見つめる。冗談では済まないような真剣さが、そこには含まれていた。
「貴様らは常に新奇な知識と知恵によってこの世界を切り拓いて来た。しかし、今回は違う」
「それは、俺が何の役にも立たなそうって話か?大正解だけども」
「違う、そうではない。我が持つ力を継承しろと言っているのだ」
「力だって?」
なんだか奇妙な話になって来た。とんでもなく怪しいが、やはり冗談を言っている気配はない。
「我はもうすぐ死ぬ。老衰だ。竜としての生に悔いはないが、我の力、そして可能性を絶やすのは惜しい。貴様には、それを引き継いで貰う」
「そんな力、赤の他人である俺が受け取って良いのか?」
「良い。貴様が我の目の前に召喚された事。それはきっと、運命なのだろう。というより、受け取れ。拒否権はない」
「え──」
ドラゴンの身体から、眩い光の塊が俺に向かって飛んでくる。なんてこった。あの野郎、手を出せないからって光を出してやがる!
「ぐえっ....!?」
体育の成績が4でも素数でもなかった俺は当然ながら避けられず、光の塊を身体で受ける。ふんわりとした力が溢れる感覚がある。しかも全身が光り輝いている。やばい。
「我は何の属性も持たぬ無の存在。その力は数多の可能性に分かれ、貴様の望みに応じて在り方を変えるだろう。クク、良く吟味する事だな──」
ニヤリと笑いドラゴンの姿が掻き消える。しかしまぁ、満足げな最期だ。悲しむ必要はないだろう。というか、全身に溢れる力が"さっさと自分を定義しろ"とめちゃくちゃ急かしてくる感覚がある。あいつめ、とんでもない無茶振りを遺して逝きやがった。
「ああっと....全言語翻訳にステータスの可視化、状態異常無効....」
最初に得られる能力をひとまず4枠と定め咄嗟に必要そうな能力を挙げていくが、ここで重大な失敗に気付く。確かに全体的に異世界生活が便利になりそうだ。しかし、戦闘能力が一切確保されていない。このままではちょっと毒をノーダメでがぶ飲みしてあらゆる言語を操れるだけの温室育ちの一般人になってしまう。色々と考え直そうとしたが、定義済の力たちが"俺はもうこのスキルの口なんだよ!"と叫んでいる感覚がある。正直すごく分かる。俺も行きたかったラーメン屋が閉まってた時に同じ感情を抱くし。
「残り1枠....」
かなり悩む。魔法という手も考えたが、この世界における魔法がどのようなものなのか、まだ分からないのがなかなか怖い。もしかしたらごっそり寿命を削ってくるかもしれない。だが、定義されていない部分が俺の身体から荷物を纏めて出て行こうとしているような感覚もある。明らかにもう時間がない。
「じゃあもういいからなんか凄い力を寄越せ!なんか凄い力!」
俺がそう叫ぶと同時に、持て余し気味だった力がすっと身体に馴染む。"最初からここに居たが?"とでも言いたげな馴染みっぷりだ。今の俺なら線文字Aを余裕で解読出来る自信があるし、自分のステータスを可視化出来る自信がある。少なくとも後者は可能でないと困る。
「"ステータス可視化"」
ひとまず声に出してみる。すると、視界に青色のスクリーンのようなものが現れた。これがステータス欄なのだろう。どれどれ....
■■■■
ステータス
能力値
HP 40/40
MP 10/10
力 E
生命力 D
器用さ D-
素早さ E-
魔力 E
抵抗 ■
スキル
なし
ユニークスキル
全状態異常無効化
全言語翻訳
なんか凄い力Lv1
「.....」
なるほど。色々と気になる点は多い。何故か一部が黒塗りだったり、スキルが一つも無かったり。ただ、そこらは一旦どうでもいい。問題は一番下だ。
「違う、そうじゃない」
確かに要求通りだけどさ、"なんか凄い力"ってなんだよ。