歴史酒場謎語り――八岐大蛇を肴にする。
■一杯目 本日のお薦め。
早めに仕事を片付け、いつもの居酒屋を覗いてみた。夕方五時だというのに、もうあの男が呑み始めている。
「よう、先生。こっちでやってるよ」
別に待ち合わせた訳ではないので合流する必要はない。この店に入る必要も、もちろんない。
「ほら、隣にどうぞ」
といって、逆らう必要もない。流されるままに、示された席に腰を下ろす。
「オヤジ、生中一つ! とりあえず」
その男、須佐が勝手にこちらの分の酒を注文する。
「まずは駆けつけ三杯ってね。二杯目はもう駆けつけじゃないけど」
この男はいつも無駄口が多い。私の分まで喋ってくれるので、こちらは楽ができる。
私のビールが来たところで、形だけジョッキを合わせた。
「クーっ! 何がうまいって、明るいうちから呑む酒ほどうまいものはないね」
須佐はうまそうに酒を喉に流し込む。この男はいつでもうまそうに酒を呑む。
「ふう。落ち着いた――」
呑み込んだビールが胃に収まり、酒毒が回ってくる感覚を味わいながら、ようやく私は酒呑みモードに切り替えた。
「で、今日は何を肴にする?」
肴といっても料理のことではない。この二人が顔を合わせると、いつも歴史だの伝説だのの話になる。他の話をすることもあるが、どうせ記憶に残らない。なので、もっぱら伝説を肴に酒を呑む。
「本日のお題は『八岐大蛇』ってのはどう?」
須佐が返事を寄こした。
ベタだけど悪くはない。オーソドックスな肴も捨てがたい。安心と信頼の定番メニューだ。
「いいんじゃないか? 今夜は蛇料理で一杯やろう」
■二杯目 八岐大蛇を三枚におろす。
さて、先生。まずは素材の吟味から行こうか? 八岐大蛇ってなんだっけ?
うん? 大蛇? それは間違いない。
特徴は?
八つの頭と八つの尾を持つってか。それから?
八つの山と八つの谷に跨るともいわれるね。うん。
まあ、それほどデカいってことだよね。キング〇ドラ的なラスボス感があるわ。
八ってのは「数が多い」って解釈してもいいよね? 八百万とか八面六臂とかね。
お前の話は嘘八百だって? よくいうよ、先生。
大きいじゃなくて「多い」なんだよな。こういうところから、八岐大蛇=敵対集団説なんてのが出てくる。集団て考え方には賛成する? まあね。そんなにデカい蛇はいないだろうってね。
そのサイズになると生物の範疇には収まらないわな。集団か、自然現象か?
うん。大蛇を洪水や川の流れの比喩と見る説もあるね。ほう、それにもまあまあ賛成だと。まあまあとは煮え切らないが。
じゃあ「集団」の方はどういう正体を考えてるの? 「穴師」集団だって? 穴師というと鉱業に従事する山師のことだね。
なるほど山師が徒党を組んで暴れていたって言いたいのね。そんなに単純じゃない?
ああ、穴師の生活が里人の生活を侵害し始めたということね。お互い生活圏が別々だったらよかったが、だんだん開拓が進んで生活圏が重なるようになっちまった。畑と野生動物のせめぎ合いみたいに。
はい、出ました! 「鉄穴流し」ね。穴師がこれをやるから里が水害に見舞われると。そこで、さっきの大蛇イコール水害説と結びつくって塩梅ね。
■三杯目 大蛇の生態を考察する。
鉄穴流しのやり方についておさらいしておこう。
砂鉄を含む土砂を山の上から水と共に流す。水の勢いで土砂の塊を粉砕しつつ水流は斜面を下り、途中に設けたダムで砂鉄を含む土砂とただの土に分離される。比重の違いを利用した処理である。
蒸留精製の仕組みのようにこの過程を下流に向けて何度も繰り返すと、最後には砂鉄だけを取り出すことができる。これが鑪製鉄の原料となる。
鉄穴流しで砂鉄を採集する人々は、「鉄穴師」と呼ばれていた。これもまた穴師の一部である。
穴師の中には当然ながらいろいろな職種、役割分担が存在して一つの社会を構成していた。鉱山開発をする山師、狩猟をする猟師、炭焼人、木地師(木工職人)など多様な職能集団を総合して穴師と呼んだのだ。
それはすなわち「山の民」。海彦山彦でいう山彦の方に当たる。海彦山彦というのも不思議かつ含蓄の多い話なのであるが、それはまた後日の肴としよう。
穴師すなわち山人と里人の関係に話を戻そう。
上流にいる山人が鉄穴流しで水を放出すれば、たちまち里は水浸しになる。下手をすると田畑を流され、作物が全滅する。里人にとっては大災害だ。
そんな連中が部族として徒党を組んでいたら、里人は落ち着いて生活ができない。しかも山人は製鉄や冶金の技術まで持っているので桁違いの武力を持っている。弓に長けた狩人を部族の一部としているのだから、軍事力的に山人の圧勝である。
荒っぽい連中は里を襲って物資を略奪したり、女を奪ったりしただろう。八岐大蛇に譬えてもおかしくない脅威であったのだ。
■四杯目 大蛇を噛みしめて味わう。
「そうだよね。山人と里人の争い、というか里人が一方的に蹂躙されていた悲劇を里人側から描いたのが八岐大蛇伝説ということになる」
「うん。大蛇つまり『おろち』の描き方をよく見ると、山人の属性が比喩的に散りばめられているね」
須佐がいうように里人側による山人への反撃と勝利を描くことが、伝説の物語のメインテーマである。
私がつつきたい大蛇の属性とは――。
「まず若い女や酒を好むというところ。蛇には関係ないだろう。これはもう蛮族の性癖だ」
古今東西、蛇に対するイメージの悪さといったら。爬虫類愛好家の人たちに申し訳ないくらいだ。
「スサノヲが大蛇を退治してその尾を切ると、中から剣が出てくる。これは山人が鉄剣を作っていたということでしょう」
「草薙剣ね。天皇家三種の神器の一つだもんね。そんな大事なもんが蛇から出てくるかっていうね」
この辺がなかなかに滋味が深い。噛めば噛むほど味が出るのだ。
出てくる場所が「尾」からというところがまず渋い。尾とは多くの場面で「末端」を表す。
「鉄穴流しの末端で鉄が採れるという象徴だよ、これは」
酒がうまい。ぐびり。
■五杯目 尾の部分をさらによく噛みしめる。
「『ヲロチ』という名前も味が濃いねえ」
「『お』じゃなくて『ヲ』ね、重いお」
「ヲロチ」を万葉仮名で書くと、「遠呂智」または「遠呂知」となる。「遠」は「峰」を表し、「智」や「知」は霊力を表すという説がある。「呂」は接尾辞でつなぎの役割。
つまり「ヲロチ」とは「山の霊力」を意味するということになる。
また、万葉仮名では「ヲ」は「尾」であり「男」や「雄」でもある。象徴学的にくくれば、「山」は「剣」であり「男性のシンボル」と同一視される。「尾」は「男根」と同義にも読めるのだ。
「尾」が鉄穴流しの末端であるとすれば、その力とは「鉄を産み出す霊力」ともいえる。
「山の力」は「男の力」を同時に意味する。「チ」は「血」でもある。「雄呂血」と書いても同じ概念を指すはずなのだ。
「『呂』も地味に面白いと思うんだ」
私は須佐に投げかけた。
「どういう意味で?」
「『呂』という一文字は本来背骨の連なりを表す象形文字でしょ。よくできているよね。背骨の末端としての「尾」である訳で」
「なある。山、その連峰に宿る力であり、男の背骨つまり男根に宿る精力でもあると」
そうなのだ。個人の感想であるが、「呂」の文字が「チャクラ」を表すようにも見えてくる。
■六杯目 スサノヲは激辛風味。
「そうなると『スサノヲ』の『ヲ』とのつながりが気になるよね」
須佐が新たな味付けを持ち込んでくる。
「素戔嗚」と書いたり「須佐之男」や「素戔男」となることもある。「ヲ」が「男」であるならば、「荒ぶる男神」と訳すのが素直だろう。「乱暴太郎」でもいいけれど。
「神話のエピソード的に暴れまわる話が多いスサノヲが、八岐大蛇神話では『邪神を滅ぼす勇者様』って立ち位置なんだよね」
「分かるよ。スサノヲは元祖『俺TUEEE!』キャラ的なイタイ部分があるよね。急に勇者様ってどうなのという違和感はある」
そうなのだ。どうも「正義は悪に勝つ」的な予定調和パターンに収まりにくい。
「てことはだ。『暴れるヲ』である大蛇を『暴れるヲ』であるスサノヲが倒したと」
ややこしい見解を、須佐が陳列する。
「ならば『同族相食む』ということか」
共食いじゃん。穴師同士の内部抗争。それが八岐大蛇神話の意味するところではないか。
「事のついでだったのか、そもそもそっちが目的だったのか、スサノヲはクシナダヒメを娶る結果になった」
須佐がぐびりと酒を呑む。
■七杯目 クシナダヒメは元祖ロリータ。
クシナダヒメは古事記では「櫛名田比売」と表すが、日本書紀では「奇稲田姫」となる。
書紀は漢文表記なので大和言葉の「音」と「意味」を伝えるべく翻訳してあるとすれば、「奇稲田姫」の方に本来の意味が込められていそうである。
「『奇し稲田の姫』つまり『霊妙な田んぼの姫』という名の童女を娶ったと」
「スサノヲ氏は元祖『ロリコン』男爵でもありますな。ハハハ」
須佐が下品に笑う。
「『奇稲田』は鉄穴流しの結果できてしまった田んぼということで決まりだね」
「ある意味『できちゃった婚』て訳だ。フハハ」
こいつだいぶ出来上がってきたな。
体裁よくいうならば、悪の穴師一派を退治しつつ段々畑を里に寄付した勇者様は、お姫様と幸せに暮らしました。めでたし、めでたしとなる。
「ダークサイドから眺めればだ。お盛んな同業者を闇討ちにして既得権益を分捕りつつ、産業廃棄物を里に押し付けて幼女を召し上げたっていうことよ」
「スサノヲ半端ねえな」
須佐のまとめっぷりが容赦ない。そこまでいうかね。
「だって俺んち『須佐』なんだもん。ご先祖様の悪行から目をそらすわけにはいかんでしょ」
そういう類のコンプレックスもあるのか。昔の話なので、許してもらおう。
「ほら、呑めよ」
私は空いたグラスに熱燗を注いでやった。
■八杯目 八雲立つで杯を伏せる。
クシナダヒメを娶ったスサノヲは日本最古の和歌を詠む。
『八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣え』
「くどい歌たぞ。下手糞め」
須佐はもはやダウン状態だ。
「お前呑み過ぎだな。水をもらえ、水を」
八雲立つは出雲の枕詞。製鉄のためにそこら中で炭を焼いていたからだといわれる。煙ぼうぼう。
八重垣というのは連れてきた妻を囲うために築いた壁だという説があるが、どうかね。乗り越えれば出入りできるよね。
それよりも鉄穴流しで作った段々畑。その段を補強した石垣のことをいっているんじゃないかなあ。
「ほれ、立派な田んぼをたくさん作ってやったぞ」って自慢しているような。
日本最古の歌は、ロリコン勇者の自己アピールだった。そういう下種なオチで、その夜の酒盛りは締めとなった。
「帰るぞ、須佐――」
(完)