柊姉妹の過去 後
「今でもこの道は間違いなんじゃないかって思う。でも、それでも、たとえ間違っていたとしても、私はこの道を選び続ける。それが、私の決めたことだから。」
柊の話が終わった時には、すでに空が黒く染まっていた。競技場には俺たち以外、ほとんど残っていなかった。
「そう。だったら、あなたはもう後悔したらダメよ。妹さんのためにもね。」
「・・・?」
柊は木嶋さんの言っていることが、半分理解できていないようだった。
「あれ?彩音の意思を妹さんが継いだのだと、私は思ったんだけど。」
「私の・・・?そうなの?」
と柊は彩夏ちゃんに聞いた。
「え~っと、一応そのつもり?」
「なんで、そこで疑問形になるのよ。」
「私は姉との約束がどうとかって聞いたけど?」
「約束?」
また、柊は彩夏ちゃんに聞いた。
「あーっと、アタシの中での約束?」
またまた疑問形で返す柊妹さん。
「ごめん、話が見えないんだけど。どういうこと?」
それまで黙っていた佐藤先輩も、しびれを切らしたのか彩夏ちゃんに聞いた。
「えっと、簡単に説明すると・・・。」
姉の代わりに全国で優勝することで、姉を喜ばせようとした。
ただそれだけだった。姉の苦しんでいる姿を見て、いてもたってもいられなくなった。
姉の代わりに私が走る。姉の代わりに私が勝つ。そう思って陸上部に入った。
・・・ということらしい。
「そ、そうだったの。初耳よ。」
「うん、言ってなもん。」
それは約束とは言わないんじゃないだろうか。
「ま、でもいいじゃないの。彩音の代わりにこの子が相手してくれるんでしょ。ふふふ、さぁて、どうやって料理しようかな~。」
木嶋さんが不気味な声をあげながら彩夏ちゃんに近寄る。
彩夏ちゃんはあわあわしている。
「それはさておき。」
木嶋さんの驚くべき変わりよう。これが木嶋世界か。
「何で連絡のひとつもくれなかったのよ。そんな大変なことになってるなら、少しは相談してくれてもいいのに。」
「ん~それには深いわけがあってねぇ。じつは・・・。」
とある日(全国大会から帰ってきた日)の柊家にて
「おねぇちゃ~ん。ここにある服、全部洗っていいの~?」
妹の声が階下から聞こえてきた。
「いいよぉ~、全部ササッと洗っちゃってぇ~。」
しばらくしてガタガタという洗濯機の音が聞こえてきた。
なぜかは分からないが、この洗濯機の音は私にとって心地よく聞こえる。不思議だ。
「そうだ、疾風先輩にメール送ろぉっと。」
ガサゴソとポケットを捜すがケータイは見当たらなかった。
そう言えば、着替えたときにポケットから出した気がする。
ということで辺りを捜してみた。が、結局見つかることは無かった。
「ま、いっか。あとで彩夏にケータイ鳴らしてもらおぅ。お休み・・・。」
その日の夜
「ん~聞こえないなぁ。なんでだろぉ?」
「さぁ、なんでだろ?・・・ねぇ、お姉ちゃん、まさかと思うけど・・・。」
彩夏の言いたい事はなんとなくわかる。
「いやぁ~、さすがにそれはないでしょ~。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
ダダッと階段を下り、洗濯物が取り出してある籠を確認する。
バババっと服を取り出す。
今日はやけに洗濯物が多い。まぁ、私のものばかりだが。
「あ、あった・・・。」
妹がそれを発見した。
どう見ても大丈夫そうではない。
「あ、あぁ~、私のケータイがぁ~~~。」
「っていうわけ。」
「あ、浅い・・・。」
「ああ、浅いな。」
「えぇ、浅いわね。」
全員同じ感想だった。
「まぁ、彩音らしいと言えば彩音らしいけど。」
「えへへ、というわけで、もう一回アドレス交換しよ。」
二人はピッと携帯を向けあってアドレスを交換した。
「でも、安心したわ。けっこう元気そうで。」
「ホントはかなり怖かったけどね。」
「とてもそういう風には見えないわよ。」
二人は笑っている。それはお互いがお互いのことを理解しているからであろう。
柊は本当に怖かったはずだ。
柊が木嶋さんを見たときの表情。あれは確実に怯えていた。
木嶋さんは気付いていなかったとしても、少なくとも柊は木嶋さんが走っていることに気付いていたはずだ。木嶋さんは常にトップで走り続けていたのだ。知らない人はいない。マネージャーである柊なら、すぐに気付いたはずだ。
知っていたにも関わらず、会いに行かなかったのは、それだけ怖かったということだ。
そして、木嶋さんは柊が怯えていたことが分かっていたはずだ。だからこそ木嶋さんは笑ってみせたのだ。お互い、あの頃に戻れるように。
「じゃあね、みんな。こんど試合があるときは、ちゃんと会いに来てよ。」
「うん!」
「私はあんまり会いたくないんだが。」
と佐藤先輩の冷たい一言。
「なにぃ。どの口がそんなこと言うかぁ。」
勢い良く迫ってきた木嶋さんをヒラリとかわす。
「あんたと絡むのは面倒なんだよ。」
「もう、そんなこと言っちゃって~。このこの~。」
「あー、はいはい、会いに行ってやるから、さっさと帰った帰った。」
なんだかんだ言って、佐藤先輩もこの人たちのノリについていっているという・・・。
「いやぁ~、疲れた疲れた。」
「全くだな、あいつの相手ほど疲れることは無い。」
柊と佐藤先輩が滅茶苦茶なことを言っている。
あまり聞かないでおこう。
「――――― じゃあな、私はこっちだから。」
佐藤先輩は、俺たちとは反対に進んで帰っていった。
「ふぅ、今日はホントに疲れたねぇ。思わぬ告白もしちゃったしぃ。」
「そうだな。」
「――――― ねぇ、藤井君・・・ありがと。」
それは突然だった。
「あの時のお礼。まだ言ってなかったから。」
「あの時?」
何のことかは想像が付いた。でも、礼を言われるようなことはしていない。
「あのとき藤井君が無理やりにでも陸上部に入れてくれなかったら、たぶん今の私は無かったと思う。」
「それは違う。俺のしたことは、結果的に柊を苦しめてしまっただけだ。」
「うん、でも結果的には陸上を続けることができた。でしょ。」
「・・・それは、お前自身が選んだことだ。俺は関係ないよ。」
「ううん。あのままだったら、私は考えることさえしなかった。でも、藤井君のおかげで考えることができた。苦しむことができた。今のこの道を選ぶことができた。――――― だから、ありがとう、だよ。」
柊はニコッと笑った。その笑顔は、もう強がりなんかではなかった。
「・・・そっか。それじゃ、その『ありがとう』は、もらうことにするよ。」
「へへ、ありがと。・・・ふふふ、なんか変だったね。」
そのありがとうがあまりにも不自然だったので、2人でクスクスと笑ってしまった。
「あのー、アタシ、空気になってる?」
そのとき、後ろにいた彩夏ちゃんの、さりげない一言が発せられた。
「へ!?あ、いや!」
柊は驚きとともに、慌てふためいた。
「だ、大丈夫、大丈夫ぅ。忘れてないよぉ。」
確実に忘れていたな・・・。
「それじゃあね。」
「おつかれさまでーす。」
二人の姉妹は仲良く帰っていった。
「さて、明日も頑張るか。」
こうして今日も、いつもの1日として終わりを告げた。