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柊姉妹の過去

場所、北海道。時期、4年前4月下旬。

この日は特別に暑かった。平年の気温を数度上回り夏日となっていたようだ。北海道のこの時期に夏日とは、一体世界はどうなっているのか。

目の前には真っ赤なグラウンドが広がっている。陸上競技場のトラックがなぜ赤いのか。赤い色は本能的にヒトを興奮させる。そんなことをどこかで聞いた。それがこの理由かどうかはわからないが、他に理由が思いつかない。だからたぶんこれで正解なのだろう、と今の状況とは全く関係無いことを考えていた。

「・・・・・。」

気が付いた時にはすでにトラックの反対側にいた。辺りは驚きの声が響き渡っている。それが何に向けられたのか、誰に向けられたのか、興味は無かった。

「ちょっと、柊さん凄いわよ!」

話しかけてきたのは先輩だった。先輩は私よりもひとつ前の組で走っていた。ゴールした後、そのまま私が走ってくるのを待っていてくれたのだろう。

「・・・何がですか?」

「何って、あなた・・・。ほら自分で見て!」

くいっと頭を回される。

そこには4つの数字が並んでいた。

「へぇ、あそこからここまで来るのに10秒以上かかるんだ。」

「え?」

無論この数字が私の100mのタイムだということは分かっている。私なんかが10秒で走れるはずもない。だがこの距離を100mと知らずに走ったら、10秒もかからないような気がした。

「と、とりあえず、おめでとう柊さん!」

「・・・・・?」

そのおめでとうがどういう意味を持っているのか理解できなかった。

「だから、あなた全国に行けるのよ!」

「全国・・・ですか?」

全国大会。中学の陸上競技で全国大会に出場するには、標準記録というものがあり、それをを突破しなければならない。その記録がいくつかは知らないが、どうやらこの記録はその標準記録とやらを上回っているようだ。

「でも、ほんとにビックリしたわ。中1の、しかも一番最初の記録会で全国行き決めちゃうなんて。」

競技場内に広がる歓声が驚きに満ちている。その理由のひとつがこれであるとこの言葉で分かった。

中学1年生の私が簡単に突破できる標準記録なんだから大したことではないのだろうと思ったが、この驚きようからして大したことであるようだ。

「はぁ、そうですか・・・。それじゃあ、私ダウンに行ってきます。」

「え?あ、うん・・・。」

先輩の顔がキョトンとしていたが、なぜそうなっていたのか分からなかった。というより、むしろどうでもいい。

今日は記録会なので、競技が終わった人から帰ってもいいらしい。他の中学校は終わっても応援したり、最後にみんなで集合して先生のありがたいお話?を聞いたりしている。しかし私の中学校は、結構いい加減なのかそんなことは試合でしかしない。

中学校なのにこんなことをしていたら、どっかから怒られそうだが。

とりあえず今日は早く帰ることができる。今日は見たいアニメがあるのにこの記録会のせいで見れなくなってしまった。一応、妹に録画を頼んでおいたが、あまり信用できない。しかし、この終わった人から帰ってもいいというシステム知った今、録画ができているかどうかの心配はいらずリアルタイムで見ることが可能であるのだ。

「ふぅ、帰るか・・・。」

ダウンを終えルンルン気分?で家に帰るのであった。


「ただいま。」

家の2階にある部屋。そこが私たち姉妹の部屋である。

「ん?、あ、お姉ちゃんお帰り。」

妹はテレビに顔を向けながら言った。

「また、それやってるの?」

妹がやっていたのは少し前に発売された格闘ゲームであった。

妹はこのゲームを買ってから部屋で一日中ゲームをしている。しかも、専用のコントローラまで買ってとことんまでやりこんでいる。

「だって、面白いんだもん。」

相変わらず、テレビに顔を向けたまである。

「そういえば今日試合で遅くなるんじゃなかったの?」

「その予定だったけど、今日は記録会だから終わった人から帰ってもいいんだって。」

「へぇ~そうなんだ。ねぇ、陸上って面白い?」

突然、そんなことを聞いてきた。

「・・・どうだろ。わかんない。」

私が面白いと思うことは少ないと思う。というより他の人よりも面白いと思う度合いが低いのかもしれない。私は基本的にどんなことに対してもあまり興味を持っていない。それでも何かをやっているということは、少なからず面白いと思っているのだろう。

実際、陸上競技なんてただ走るだけのスポーツを、つまらないと思いながらできる人はいないと思う。少なくとも、私も面白いと思っていなければこんなことはしていない。ただその面白いが私にとって感じることが薄いのだ。だからこんな返事になってしまった。

「ふ~ん、そうなんだ。」

聞いてきたわりには適当な返事だった。

「あ、そうだ。この時間に帰ってきたってことは、テレビ録画しなくていいんだよね。」

「えぇ、もう大丈夫よ。」

「そっか、よかった。お姉ちゃんが帰ってくるまで、そのことすっかり忘れてたから。」

予感は的中していた。あのまま競技場に残っていたら、危うく見逃すところであった。どっちにしろ競技場に残る理由は無かったのだが。


数週間後。

その日、中学校体育大会の壮行会が体育館で行われた。

この時期になると毎年恒例のようにやっているらしい。各クラブのキャプテンたちが皆の前に立ち、一言ずつ意気込みや抱負などを語るという、なんとも見ている側としては暇な一時である。

暇すぎる。暇すぎるので天井をぽーっと見ていた。

『それでは、全国大会に出場する柊彩音さん、どうぞ。』

「・・・・・。」

天井の真ん中よりやや左側に、小さい穴が開いているのを発見した。この距離からだと分かりにくいが、穴の大きさはテニスボール一個分くらいか。

しかしなぜあんなところに穴ができたのか。どこかのクラブが練習中に穴を開けたのか。

体育館で部活動をするのはバスケットボール、バレーボール、ハンドボール、卓球くらいである。

バスケ、バレー、ハンド。この3つはボールの大きさからしてあの穴をあけるのは無理だろう。卓球は穴の大きさに比べると若干小さい気もするが、この距離からなのでもしかしたらピッタリサイズなのかもしれない。しかし卓球ボールで穴を開けようとするにはかなりの威力が必要であろう。というか卓球ボールで天井に穴をあけるなどできるのか。

っていうかボールで天井に穴をあけるなんて意図的にやっても無理でしょ。

ということで振り出しに戻ってしまった。

『えっと、柊彩音さん?』

しばらく考えていたが、どう頑張っても人の手であそこに穴をあけるのは無理だろうという結論にたどりついた。いや、どうにか頑張ったら可能かもしれないが、そんなに暇な人はこの学校にはいないだろう。

「ちょっと、柊さん。」

隣にいたクラスメイトがツンツンと腕をつついてきた。

「ん、どうしたの?」

「呼ばれてるよ。」

「呼ばれてる?誰に?」

『え~、柊彩音さーん。いませんかー。』

司会役の生徒が私の名前を呼んでいた。

「えっと、何で?」

と、隣の子に聞いた。

「え、何でって・・・。全国大会に出るから?」

「えっと、一応そういうことになってるけど・・・?」

「あー、え~っと、なんか言うんじゃないの?」

隣の子もなんだか状況が分かっていないらしいが、察するに全国大会に出場する私も一緒に壮行会をしよう、って話だろう・・・。

ってなんですと!そんな話は一言も聞いていませんよ。あー、いや話はあったかもしれないが、完全にスルーをしていた気がする。

『えっと、早く出てきてくださーい。』

「あ、い、いま行きまーす!」

タタッと駆け足で前へ出て行く。

司会の子からマイクを受け取る。しかし、何も準備をしていないこの状況。何を話したらよいのだろうか。

『あー、え~っと・・・。ぜ、全国大会なので、厳しい闘いになると思いますが、え~、が、頑張ります・・・一応。』

体育館の中はシーンと静まり返っている。

『えっと・・・い、以上です、はい。』

そう言って、一応話を終わらせた。

パチパチと少しずつ拍手が鳴り始める。ペコっと一礼し、マイクを司会者に返し元の場所に戻った。

はぁ、とため息をつく。

急な事でしかも話も全く考えていなかったので、ものすごく緊張した。

「何も考えてなかったの?」

帰ってきたら、また隣の子に話しかけられた。

「考えてなかったというか、知らなかったというか・・・。」

一応知らせれてはいたのだが、それを必要な情報として聞きとっていなかっただけである。ということは言わないでおいた。


====================

その日が来るのは案外早かった。

それまでに地区や県での試合など色々あったが、あまり記憶には残っていない。

記憶に残らないほど、あっけなく終わったのか。まったく関係のないことを考えていたのか。


短距離というものは主に100m、200m、400mのことを言う。400mというのはトラックをちょうど一周した距離である。ここまでを短距離として位置づけたのなら、なぜ300mという競技がないのだろうか。100、200ときたら自然に300も作りたくなると思うが、なぜかそれをとばし400になってしまっている。300mという距離が得意な人もいるかもしれないのになんだか不公平な気がしてきたのである。

ところが調べてみたところ実際には300mという競技はあるようである。一般的にはやらないようだが公式の記録も残っている。そこまでするのなら300mも公式の競技として取り入れても良いんじゃないだろうか。

と、いうことを考えていたことは覚えている。

たぶんこれが原因です。何してるんだよ私、暇人ですかい?


だが、今回はそんなことを考える暇は無かった。というより、考えようと思わなかった。

全国大会の決勝。そこに並んでいる8人の走者。その8人は皆、最速にふさわしい実力を持っており、全員の力が拮抗している。だからといって私は何をするでもなく、いつもどうりに準備をしていた。

しかし、いざスタートに着いたとき、私はふっと隣の人を見て思った。


あ、私、この人に負ける。


それは恐怖にも似た感情だった。

そんなことを思ったのは初めてであった。たとえ相手がどんなに速い人でも、そんな風に思ったことは無かった。それは勝ち負けに関係なく、たとえ負けたとしてもその相手を脅威に感じなかった。たぶん次に走ったら勝てるだろう、とかそういう感じだった。

でもこの人は違う。勝てる勝てないの問題じゃなかった。負けるという結果しか目に見えなかった。


ゴールした瞬間、その人は私のわずか数十センチ先を走っていた。わずか数十センチ。それだけなのに、その距離とても長く感じた。

「お疲れ様。」

その人が私に話しかけてきた。

「いや~、速かったわねぇ、あなた。」

「はぁそうですか。」

「うんうん、だってあなたが隣にいるとき、ものすっごい怖い顔してたから、うわっ殺られるって思ったもん。」

「・・・・・。」

なんだか想像していた感じと全く違ったイメージであった。むしろ、さっきまでとは別人のようだった。

というか殺られると思ったのは私の方です。

「ん、どしたの?」

「え、あ、いや、そんなに怖い顔してました?」

「ええ、もう、こ~んな感じでまさに鬼の形相だったわよ。」

そう言って彼女は指で角を作り、とても怖いとは言えない不思議な顔をした。

「・・・・・。」

「あー、私の予定では、そこであなたが笑って、こら笑うな的な展開を予想していたんですけど。」

「そういうリアクションをとったほうが良かったですか?」

「あ、ううん、もういいよ。逆にいま笑われるとものすごく切ない。」

「はぁ・・・。」

すごく不思議な人だ、と思った。たぶんこの人は、私たちよりも少し先の時代を生きているのだろう。

「う~ん・・・何でそんな顔してるの?」

「生まれたときからこんな顔でしたから・・・いや、生まれてから10年後にこんな顔になってました。」

「ほう、なかなかいいこと言うね。でも・・・・・。」

一呼吸置いて

「えいっ!」

という掛け声と同時に、私の顔をつまみグィングィン回してきた。

「ひょっほ、はひひゃっへふんふぇふふぁ。」(ちょっと、何やってるんですか)

「いやぁ、やっぱりどんなに面白いこと言っても、顔が笑ってないとね。」

いまだに顔をグィングィン回し続ける。

「いはひへふ。ひゃべへふはふぁい。」(痛いです、やめてください)

「ん、あぁ、ごめんごめん。ま、いっか。」

「何がですか?っていうか良くないです。」

「そうそう、まだ名前いってなかったよね。わたし木嶋疾風はやて。よろしく。」

急に話を変えてきた。こういうのをマイペースというのだろうか。完全に自分の世界でしゃべっている。

「あ、疾風は漢字ね。私的にはひらがなの方が萌えな気がするけど、まったく分かってないよねぇ。っていうか疾風だよ疾風。病気の名前じゃない。確かに今はそんなイメージが薄れてきたけど、もうちょっと考えてほしかったわ。」

疾風。確かにこういう漢字で表すのは珍しいかもしれない。しかし、疾風しっぷうと考えればなかなかいい感じはする。

「で、あなたの名前は?」

と聞いてきたので普通に答えた。

「・・・柊彩音。」

「柊彩音さんかぁ。うん、いい名前だね。とくに柊って響きがいいよね。なんか、男の人だとかっこいいし、女の人だと綺麗な感じがするよね。」

「そうですか?」

「そうそう、それで思ったんだけど。」

また、急に話を変えてきた。

「その、敬語っていうのは無しで。」

「何でですか?」

「何でって、そりゃ私たち友達だからね。」

「友達ですか・・・。」

よくある話だ。しかし理由としては悪くない。

「ほらほら、早くタメ口に変えなさい。」

「別にいいけど。でも・・・。」

「でも、何?」

「木嶋さん2年生だよね。」

「うん。」

「私1年だけど。」

「・・・・・。」

一瞬、木嶋さんの時が止まった。

「だー、もう。いいよいいよ。もう決めちゃったことだし。それに友達ってことに変わりはないからね。」

それは構わないのだが、もし私が3年生だったら、ものすごく失礼なことを言っていたことになる。

「じゃあタメ口はそのままで、木嶋先輩って呼ぼうかな。いや、疾風先輩のがいいかな。」

「ん~、どっちでもいいんだけどね。でも、できるだけ下の名前は・・・。別に呼ぶだけならいいけど漢字がねぇ。」

どっちでもいいと言っているわりには、下の名前で呼ばれるのは嫌なようだ。

「じゃ、疾風先輩で。」

「えぇ~。」

「どっちでもいいって言ったじゃん、疾風先輩。」

「むぅ。」

自分のいまの言葉を少しだけ後悔しているようだ。

「ふふ、疾風せんぱーい。」

「こら、連呼するな。・・・・・あ。」

何かに気づいたように声をあげた。

「どうしたの?」

「ふふ、ううん何でもない。ま、いっかぁ。うんうん。」

何に納得しているのか謎だった。


その後も疾風先輩の不思議ワールドにつれて行かれ、しばらく話しこんでいた。

「よしっ、これでオッケーだね。」

携帯電話を向けあって、送信ボタンを押した。

昔のアドレス交換は結構めんどくさいものだった。一番初めは手で打ち込み、次からは、その人からメールで送ってもらいコピー&ペースト。ここまでは良かったのだが、また別の人と交換するとき知り合いにアドレスを知っている人がいないと、また手打ちをしなければならない。

しかし今の世の中そんなことをせずとも良くなった。

この赤外線通信という画期的ナイステクノロジーにより、ボタンひとつで相手にアドレスから電話番号まで遅れるようになったのである。

ヒトは常に進化し続ける生き物なのだとつくづく思う。

だがこの画期的ナイステクノロジーにも欠点があった。それは赤外線通信の方法がいまいちわからないことである。方法と言うよりも、その赤外線通信をする画面に行く方法が分からないのである。

入学や、新学期など最初はアドレス交換をよくするので覚えているのだが、しばらくするとこの赤外線通信自体を使うことがなくなるので忘れてしまうのである。

しかし、やや戸惑いながらも、無事アドレス交換は完了したのであった。

「ん~なになに、abbaab-migi.migi.hidariって何これ?」

私のアドレスを見ながら聞いてきた。

「たぶん知ってる方が凄いと思う。」

「ふぅん、知らないネタはつまんないわね。ま、アドレス交換できたし、いっか。」

ぱぱっと登録を完了してケータイを閉じる。

「じゃ、わたし帰るわ。また、メールしてよね。次に会うのは1年後。その時は、またいい勝負しようね。」

「大丈夫。次に勝つのは私だから。」

「さらっと凄いこと言ったわね・・・。ま、いいか。それだけ来年が楽しみってことだ。」

「うん。」

「じゃあね。ばいば~い!」

ひらひら~と手を振って先輩は去っていった。

しかし不思議な人だった。若干うっとうしくて、面倒くさかった。けど、面白い人だった。


====================

「はぁはぁはぁ。」

酸素を求め息を激しく吸い込む。

どれだけの本数を走ったのだろうか。

いつも通りに練習しているのに、頭がふらふらしてきた。

「柊さん、大丈夫?」

「え?あ、うん、だいじょうぶ。」

地元に帰ってから、私は自分でも驚くようなくらい練習を真面目にした。

今までが不真面目だったわけではない。なんと言えば良いのだろう。取り組む姿勢が変わったとでも言おうか。

「ねぇ、今日の練習、いつもより辛くない?」

と、隣の子に聞いてみた。

「わ、私はいつも辛いんだけど。」

「そう・・・。」

今までなんとも思っていなかった練習が苦しく感じ、そして楽しいとも感じた。この二つは明らかに矛盾している感情である。

私は変わったのだろうか。いや、変わってはいない。ただ、元々興味を持っていたことに、純粋に感情を抱くようになっただけ。自分がしたいことや、やりたくないことは変わっていない。

私は最初から陸上が好きだった。それだけのことである。

一応言っておくが、私はMではない。


練習後、ある2人の同級生が話をしていた。

「あ゛~、今日も一段ときつかった~。死にそう・・・。」

「大丈夫?」

「だいじょばな~い。」

「じゃあ、大丈夫ね。」

「どういう解釈?」

「ねぇねぇ。このあと、どっか食べに行こうよ。」

「む、無視か・・・。しかし、その提案には賛成だ。どこ行こうか?」

どうやら、どこか食べるところを探しているようだ。

「う~ん、どうしよっかな~。ねぇ柊さん、どこかいいとこない?」

「え、私!?」

たまたま通りかかったら、話を私に振ってきた。

私にそういうことを聞くなんて、珍しいこともあるものだ。こういう話題には、あまり参加したことがないので驚きと戸惑いがあった。

「いいところかぁ・・・。」

しばらく考えて

「ここは新作の出たベアーズにしよう。」

『え!?』

2人が同時に驚いた。

「新作って、あの見るからして、ちょ~辛そうで、着色料でも使ってるんですか、っていうくらい真っ赤な食べられるのか食べられないのかよく分からない、謎の物体Xのことですか。」

ひどい言われようだ。製作者もここまで言われるとは思っていなかっただろう。

「見た目と味は別だよ。」

と、隣の子が言った。

「いいこと言うじゃん。」

「って言ってみたけど、私もあれは食べたくないかも。」

「えぇ~、期待させておいてそれぇ~。食べようよ、物体X。」

二人は目を合わせ少し考えた。

「そこまで言うならいいけど・・・。」

「そうだね。柊さんがここまで言うの珍しいし。」

「ホント?よし、じゃあ、いますぐ行こう。」

ということで、三人でベアーズに行くことになった。

考えてみると、みんなとどこかに行く、ということはこれが初めてかもしれない。


「こ、これが、物体Xか・・・。」

言っておくが商品名は物体Xではなく、レッドチリチリハバネーロである。名前にある通り、今はやりのハバネロとかいう激辛な唐辛子を使っている。

「ほ、ホントに食べられるの?」

「大丈夫でしょ。」

ぱくっと一口食べてみた。

食感は普通のハンバーガーと一緒。そのハンバーガーの中に、ハバネロやらなんやらを混ぜ合わせたペーストが塗りたくってあった。それ以外にもパンとハンバーグにも激辛の要因となっている何かが混ぜ合わせてあるようである。

食べた瞬間にピリッとした辛さが舌に伝わってきた。そしてその後、口全体にヒリヒリするような辛さがくる。後から辛さがくるというよくあるパターンだが、確かに今まで食べたことのある激辛食物よりかは、いくらかランクが上である。

「うん、美味しいよ。」

「ほんと?」

「じゃあ、食べてみよっかな。」

二人がパクっと同時にかぶりついた。

「・・・・・。」

二人はかぶりついたまま微動だにしなくなり、額から汗があふれ出てきた。

「あ、あああ、ああ。」

口を大きく広げたまま、はぁはぁ言っている。

「だいじょうぶ?」

二人は首を横にフルフルっと振った。

「ああ、あ、あああ。」

話すことも苦しそうだ。

二人は一気に水を飲み干した。

「あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛~。」

「ホントに大丈夫?」

「だ、だから大丈夫じゃないって・・・。」

なるべく口に振動が伝わらないように、ヒソヒソと話す二人。

「み、水を飲むだけで焼ける・・・。」

本当に苦しそうだ。しばらく口は聞けそうにないようだ。

「・・・食べる?」

二人の食べ残しを見て聞いてみた。

二人はがーっと首を横に振った。

「そう、じゃあ、いただきま~す。」

パクパクっと一気に平らげた。いやしかし、うまかった。辛さも刺激的だったし、最近食べたジャンクフードでは一番美味しいと感じた。

「ひ、柊さん。よくそんなもの食べられるわね。」

なんとか、まともにしゃべることはできるようになったようだ。

「う~ん、美味しいよ。」

「・・・な、なんか、柊さんのイメージ少し変わった気がする。」

「そ、そうね。」

「そうかなぁ?う~ん、そうかも。ふふ、私は生まれ変わったのだよ。」

「・・・?」

二人は顔を見合わせて不思議そうにしていた。

久々に、というより、初めて友達と食べたご飯は美味しかった。

わたくし、こういうところに来たの初めてなんです。とかいうお嬢様キャラとは違うけど、それに似たような感情だったと思う。

その後二人は物体Xがトラウマになり、しばらくベアーズ行けなくなったそうな。


====================

一年という時間はとても長く、そしてとても短く感じた。そして、勝負も案外あっけないものだった。

「・・・・・。」

ゴールした二人は顔を見合わせ、しばらく立ちつくしていた。

勝ったのはどちらだったか。今の出来事をあまり覚えていなかった。

その時は一瞬のように感じた。気付いたらここに立っていた。それは、先輩も同じだったと思う。

スタートした時には二人ともすでにゴールにいて、結果がどうだったのか、その過程がどうだったのか、理解することができなかった。

しばらくして、掲示板に表示された結果は私の勝ちであった。

しかし、その勝利も、先輩の敗北も、お互いなんとも思わなかった。

あまりにも今の出来事が不思議過ぎた。そのせいで感覚が鈍っているのだろうか。勝利の喜びも、敗北の悔しさも、どこか遠くへ飛んでいってしまった。

「あ、私が優勝か・・・。」

「そう・・・みたいね。じゃあ私が負けたのか。」

「ということは勝ったのは私・・・。」

そんな当たり前のことを二人は口にした。

二人の周りは歓声で埋め尽くされているのに、それに気付くことはない。

二人はずっと立ちつくすのみであった。


====================

「あーもう、悔しい!なんで?くっそ~、だ~~~~!」

変な奇声とともにバタバタ悔しがる疾風先輩。

「へへ~ん、私の勝ちだよ~、せ・ん・ぱ・い!」

子供みたいな挑発をし、喜びを全開に表現する。

「が~悔しい、っていうか悔しい、むしろ悔しい。」

さっきまで、どこかに遠くにあった喜びと悔しさが二人に戻ってきた。その瞬間、ぼーっとしていた二人はその感情が暴走し、まるで子供のようにはしゃいでいた。というより子供よりたちが悪い。はしゃぐのはまだ良いとして(ダメだろ!)場所がトラックの上だったということが問題であった。

「ふふん、私の勝ちは揺るぎないものなのだよぉ!」

「む~、この敗北も、次の戦いの布石です。なのよ!」

「馬鹿め!その布石ごと、ことごとく打ち破るのみ!ふははははぁ!」

周りにいるみんなの目線が痛いが、その時は全く気にしなかった。

あとで審判の人に怒られる羽目になったのは言うまでもない。


なんだかんだ言っていたが、中学で勝負できるのはこれが最後。今度の勝負は2年後の高校生になってから。そうおもうと少し寂しい思いがあった。

「はぁ、高校まで彩音との勝負はお預けかぁ。んー、なんか勝ち逃げでずるいわね。ま、しょうがないか。負けは負け。それは認めるし、何より楽しかったからね。」

「あれって楽しかったの?」

「無の境地に辿り着いた者だけが見ることのできる世界。そこで戦った私たちは何者にも屈しない強き心の力を手に入れた。」

また訳の分からないことを言い出した。

「ごめん、まったく理解できなかった。」

「ふはは、若いな少年。それでは私に届きはしない。」

「・・・負けたのそっちだけど。」

「ごめんなさい、それは言わないで。」

先輩はぺこりと頭を下げた。

「ふふ、うふふふ。」

「はははっ、あははは。」

二人は顔を合わせて笑った。あと2年という時間は長いからその分目一杯笑った。

二人でいた時間は短かったけど、一緒にいてとても楽しかった。だから、また二人で笑いたいと思った。

「ふふ、じゃあこれでお別れだね。」

「うん・・・。先輩、2年後またここで会おうね。」

「開催地が違うから、正確にはここじゃないけどね。」

「こら、いい雰囲気を壊すな。いいんだよ全国大会ここってことで。」

「まぁまぁ、ボケは最後までいるでしょ。・・・じゃ、ホントにこれで最後。バイバイ。」

「バイバイ、またね!」

こうして二人は2年後の再会を約束し、それぞれの帰る場所へ帰っていった。


北海道の我が家にて

「ただいまぁー。」

帰ってきたのは昼の3時頃だった。

試合が終わりその日に帰るというハードスケジュールではなく、1泊して午前中をゆっくり過ごし、ここ北海道に帰ってきた。

「おかえり~。」

「って、あんたまた・・・。」

疲れて帰ってきた私の目の前にはゲームをする妹がいた。

「しょうがないじゃん、ゲームは私の命なんだから。」

「なんだかあきれるを通り越して感心するわ。」

どう頑張ったらこれだけのゲームがクリアできるのだろうか。

「まぁね。で、どうだったの?」

いや、ほめてないし、その返し方はおかしい。

もちろん、妹の質問は全国大会のことである。

「ふふん、聞いて驚きなさい。わたくし柊彩音は試練を乗り越え、見事優勝を果たしました。」

「え、ホント!?」

「ホントもホント、まじ話よ。ほら、これを見なさい。」

といって、賞状をバンッと目の前に出した。そこには、でかでかと優勝の文字が書かれている。

「うわぁ、スゴイ・・・。これ自分で書いてないよね。」

「書くか!」

と、すかさずツッコミを入れる。

「へへっ、でも、ホントにすごいや。」

「どうよ、少しは見なおした?」

「ははぁー。これからはお姉さまと呼ばせて頂きたく存じますぅ。」

「うむ、よいぞ。我が妹として存分に働くがよい。・・・っとまぁ冗談はさておいて、普通に疲れてるのよねぇ。」

「あ、じゃあ何か冷たい飲み物持ってくるね。」

「悪いわねぇ、頼んだぁ。」

トントントンと階段を下りて行く音が聞こえる。

ジジジとアブラゼミの鳴き声が部屋の中に入り込んできている。

さすがの北海道でもこの時期は普通に暑い。

この部屋にはエアコンがあるが、なぜかそれは起動していない。

「あ、暑い・・・。」

ピッとエアコンのリモコンで、スイッチをオンにする。

ゴォーっと勢いよく風が吹き出てくる。が、最初の数十秒は生暖かい風しかこない。

「・・・・・お、きたきた。」

冷たい風が部屋の中をサーッと流れて行く。

顔を風の吹き出し口に近づける。

「はぁ~、きもちいぃ~。」

その時トントントンと階段を上がってくる音が聞こえた。

ガチャッと扉が開き

「お姉ちゃん、おまたせ~。って何やってるの?」

「あ゛~、ありがとぉ。そこに置いといてぇ~。」

コトンとコップを机に置く音が聞こえた。

「ふぁ~、気持ち良かったぁ。」

ふと見ると、飲み物と一緒に水ようかんが置いてあった。

「お、気が利くじゃん。」

コップを手に取り一気に飲み干す。

「ぷはぁ~、生き返るぅ~。」

「お母さんが隣の木村さんに貰ったんだって。」

「へ~そうなんだ。」

しかし水ようかんは一人分しか用意されていなかった。

「あれ、あんたの分は?」

「あ、アタシはお姉ちゃんが帰ってくる前に食べたから。」

「そうなんだ。」

それなら気兼ねなく食べられる。

「頂きま~す。」

チュルンと口の中に水ようかんを放り込む。

「ふわぁ~、甘々だよぉ~。」

今の私には最高の食べ物だった。

「食べていきなりで悪いけど、本気で疲れてるのよねぇ。だからぁ、寝る!」

ベットにバタと倒れ込む。そして一瞬で眠りについた。

「は、早い・・・。」

彩夏は布団を私に掛け(実は暑かったのでやめてほしかった)コップと水ようかんの皿を片付け、また階段をトントントンと下りていった。

こうしてまた、いつもの日々に戻っていくのであった。


====================

季節は変わって冬に・・・

「あ、ああ、さ、寒い・・・。」

年も明け、あと2ヶ月もすれば春休みがくる。しかしその春休みも、私たち柊家にとっては忙しい日々になるだろう。

まだクラスや陸上部の皆には言っていないが、柊家はこの春休みに引っ越すことになった。

引っ越しが決まったのは少し前のこと。理由は父親が転勤することになったのでそれに付いていく、というよくある話である。しかし、いざ引っ越すとなると複雑な気分である。そしてなにより、ここではないどこかで自分が過ごすということが想像できない。

「あ、お姉ちゃん。」

校門を出ようとした時、昇降口の方から妹がやってきた。

「あれ、彩夏。何やってんの?」

私の疑問は当然のことで、時刻は6時すぎ。部活動を終え、いま私はここにいる。授業が終わったのは3時ちょうど。掃除当番であったとしても3時20分には下校できる。そして彩夏は帰宅部である。帰宅部であればとっくの昔に帰っているはずだが、なぜか今ここにいる。

中学1年で帰宅部ってどうなの?と言いたいが、今は置いておこう。

「いや~、実は友達とずっと話しこんでいて・・・。」

「え、いままで?」

「うん。ちょっと熱く語り合いすぎちゃった。」

「何をそんなに・・・って一つしかないか。」

妹の興味あることなんてゲームくらいしか思いつかない。

「よく何時間もそれだけで話がもったわね。相手の子もそんなにゲームが好きなの?」

「ん~、口ではあんまり言わないけど、アタシの言うことがほとんど理解できてるから、相当ゲーマーだとおもうよ。ま、アタシには敵わないけどね。」

エヘンと胸を張る妹。

「そこ、誇るとこじゃないから。で、今から帰りってわけ?」

「うん。」

「はぁ、ホントに呆れた子ね。」

「へへっ。」

褒めてません、とツッコミたかったが、面倒だったのでやめておいた。

「ま、いいわ。私も今から帰るから、一緒に帰りましょ。」

「うん。」

久々に姉妹そろって家に帰ることになった。

一緒に帰るなんて何年振りだろうか。小学校の時は時限数が同じなので、下校時刻が自然と同じになるのだが、それでもなぜか一緒に帰ることは少なかった。

だいたいの原因は、妹が放課のチャイムと同時にダッシュで家に帰るからであったのだが。

「ね、お姉ちゃん。引っ越し先の学校ってどんなとこかな?」

ふとそんなことを聞いてきた。

「さぁ、その辺の情報は全く聞いてないからね。」

「そっかぁ。楽しいとこだといいな。そしてまたゲー友を・・・。」

「本当にそれしか頭にないのね・・・。」

そろそろ、このくだりも面倒になってきた。


「ん、あんなところにネコがいる。」

歩道の真ん中に野良猫らしきネコが堂々と座っていた。

タタッと彩夏はネコに駆け寄った。

「おーよしよし。いい子だねぇ~。にゃ~にゃ~。」

額をくいくいっと撫でる。ネコは気持ちよさそうに、猫撫で声(ネコだから当たり前だが)でにゃ~と声をあげている。

「あ~、あんまり懐かせないでよ。」

「ん?お姉ちゃん、ネコ嫌いなの?」

「いや、そうじゃなくて。懐いて家までついてきても、うちじゃ飼えないでしょ。」

柊家の人間で動物(犬や猫)が嫌いな人はいないが、世話やらなんやらで金が掛かったりするので、ペットは禁止なのである。結構ケチである。

「ん~、なんで飼っちゃダメなのかなぁ。・・・・・あっ!」

その時、妹の手からネコがピョンと跳びはねてトコトコっと走っていった。

「こら、待てぇ~。」

あとを追いかける妹。

ネコは交差点の方へ走っていった。

交差点の信号は青から赤に変わろうとしている。

「あー、気をつけてよぉ。」

その時信号がパッと青から赤に変わった。

するとネコはピタッと止まった。

「お、赤信号が分かるのか~。すごいなぁおまえ。」

信号を理解しているとは、なかなか賢いネコだ。


信号が青に変わった途端、ネコはピョンピョンと跳びはねていき、あっという間にむこう側へとたどり着いた。

「あ!」

そしてそれを追いかける彩夏。

「あーあ、行っちゃった~。」

彩夏が追いついたとき、ネコはどこぞへと跳びはねて去っていった。


私も渡ろうとした時、反対側にいるトラックに目がいった。どうやらこちらに曲がろうとしているようである。

私はまだ横断歩道の手前にいる。先に渡るかどうか少し迷った。

しかし相当急いでいたのか、私が渡るまえに曲がろうと勢いよくトラックを発進させた。

その時、ネコがどこからともなく目の前に現れた。

運転手はネコに気付いていない。

『危ない!』

二人の声が重なった。

妹はネコを助けるため、横断歩道へと飛び出す。

どう考えても、ぶつかる。それほどしか2つの距離はなかった。

でも、私なら・・・!


あの子のところまでは四歩で行ける。


勢いよく足を蹴り出す。


あと三歩。


運転手は飛び出した妹に気付き、ブレーキを踏む。


あと二歩。


しかし、踏み込んだ時間とブレーキが伝わる時間、そして完全に止まるまでの距離は、私たちにとってあまりにも長過ぎた。


あと一歩。


あと少しであの子に届く。

ネコをつかんだ妹は飛び退こうとした、が間に合わない。


あと零歩。


妹の体をガシッとつかむ。

トラックと私たちの距離は50cm。

そのままの勢いで横っ跳びする。

「きゃ!」

ドスンと左肩から落ちる。肩が焼けるように痛い。

その衝撃で妹はネコを放した。その隙にまたどこかへ行ってしまった。

「いった・・・、だ、大丈夫?」

「・・・へ?あ、うん、大丈夫・・・。」

ギリギリのところで衝突は免れた。そう思った。だが・・・。


直後、メシッという聞いてはいけない音とともに、激痛が左足を襲う。

「あああぁぁ!」

「お、お姉ちゃん!?」

その激痛は、痛みという言葉では表現できないほどの感覚だった。

「あ、あぁ、お姉ちゃん、あ、足が・・・!」

妹は泣きそうな声で言った。

左足がどうなっているか、確認する必要もないことになっているのは分かる。だが、見てしまった。

「うっ・・・!」

見た瞬間、吐き気が襲った。

それはどう見ても私のものではなくなっていた。

曲がってはいけない方向に曲がっている。

曲がらないところが曲がっている。

そもそもこれは本当に足なのだろうか。

「お姉ちゃん!」

「はは、見なきゃ、よかったな・・・。」

「あ、ぁ、ど、どうしたら・・・そ、そうだ、救急車!」

痛みは徐々になくなってきている。いや、アドレナリンにより痛みを感じなくなってきているだけだが。放っておいたら、確実にこれは私のものではなくなるだろう。それでも、あんな激痛を感じるよりはましだ。

少しずつ、意識がなくなっていく。

救急車がきたのは約10分後だったと思う。

その時は考えるという行為が、ほとんどできなかった。

どうやって救急車に運び込まれたのか。

いつ病院に着いたのか。

どういう手術をしたのか。

そして、いつからここにいたのだろうか。


====================

「・・・・・。」

パチと目を開ける。意外にも寝覚めはよかった。

天井は真っ白で、部屋の中も白が基調になっていて、妙な感覚にとらわれた。

ここはどこ、なんていうよくあるセリフは言わないでおこう。もちろん、ここが病室であることは分かりきっていることである。

ベットの横で妹が付きっきりで看病してくれた、という跡も無く、この病室は私一人だった。

「まだ、こんな時間か・・・。」

横に置いてあった時計は9時をさしている。窓から外を見る限り、いまは夜のようである。そしてカレンダーは同日であることを示していた。

事故があったのは、おそらく6時半くらい。そう考えるとあれから2時間半しかたっていない。

その時ガラガラっと部屋の扉が開いた。

「あ、お姉ちゃん、気が付いたんだ。」

妹はいつもと変わらない口調だった。

「彩夏、こんな時間なのにまだ病院にいたんだ。」

「まぁね。気付いた時に一人だと寂しいと思って。」

「そう、ありがと。」

「・・・・・。」

急に彩夏の顔色が変わった。

「どうしたの?急に黙って。」

「・・・うっ、ひっぐ、お、お姉ちゃん!おねえちゃああぁぁん!」

バッと私のところに駆け寄って来た。そして、大声で泣いた。まるで、子供のように。

「ごめんね!ごめんね!うわあぁん!」

「・・・なんであんたが謝るのよ。」

「だって、だって、アタシのせいで・・・!」

「・・・あんたのせいじゃないわよ。あれは私がちょっとドジっただけ。あんたは悪くない。」

「お姉ちゃん・・・。」

「むしろ、悪いのはあのトラックの運転手よ。くそ~、あの運ちゃん、どこ見て走ってんだつーの。こんど会ったら石版抱かして海に沈んでもらうわよ!」

「・・・・・。」

私は彩夏をギュッと抱きしめた。

「・・・私は大丈夫。こんな怪我くらいで人生が変わるわけでもないし、それに、もし陸上ができなくなっても他にも楽しいことはいっぱいあるからね。だから、あんたが心配しなくてもいいよ。」

「・・・・・。」

相変わらず彩夏は泣き続けている。

「ほら、いつまで泣いてるの。そんな顔されたら、こっちまで泣きたくなってくるじゃない。だから、もう泣かないで。いつもの彩夏に戻りなさい。その方がお姉ちゃんも嬉しいから。」

「・・・うっ、うん。」

そう返事はしたが、彩夏はずっと泣いていた。

どれくらいだったかは分からなかったが、ずっと泣いていた。


====================

私の足の状態だが、トラックに踏まれたのは左足首より下。そのうえは、いままでどおり私の足として機能している。しかしその下は完全に私の足では無くなっていた。

私が手術室に運ばれた時、それはとても治せるようなものではなかったらしい。切断という選択肢が一番の可能性だったという。しかし、それはいま私の足にくっついている。私の足としては機能していないが、私の一部分としてここにある。

私の担当医として毎日来てくれている医者が、なんとか治してくれたようである。噂によると、結構な凄腕だとか。

「お、いたいた。柊さん、お見舞いにきたよ。」

ガラガラとドアを開けて入ってきたのは、陸上部の同級生たちだった。

「ほら、これ。」

といって渡してきたのは、果物が山のように入ったバスケットだった。

「なにを持って行ったらいいかみんなで考えてたんだけど、やっぱりこういうのしか浮かばなかった。」

はははと笑って山の中からリンゴを一つ取り出す。

「うん、ありがとぉ。」

「これ剥いてあげる。私、結構うでには自信があるんだよ。」

果物ナイフを取り出しスルスルスルと皮を剥いていく。皮は一定の太さを保ちながら、途切れることなく下へと流れていく。

「おぉ、すごいすごい。隠れた才能だねぇ。」

「ふふ、でしょ。」

リンゴは瞬く間に丸裸になった。

「よし、これでオッケー。」

綺麗に8等分されたリンゴを皿に並べる。

「はい、どうぞ。」

「うん、ありがとぉ。いただきまぁす。」

パクっと一口で食べる。

中に詰まっていた蜜があふれ出し口の中に広がる。そしてリンゴに含まれる水分が喉を潤す。

「ふぁ~、おいしぃ~。」

残りの7切れもパクパクっと一気に食べきってしまった。

「あらら、もうなくなっちゃった。じゃあもう一ついきますか。」

そう言ってまたリンゴを取り出し、スルスルっと皮を剥く。

今度はみんなで分けて食べることにした。

その後も他愛もない話でみんなで盛り上がった。


気が付けばみんなが来てから1時間近くたっている。

窓から射していた赤い夕日も、いつしか外套の白い光に変わっていた。

「ねぇ、もうこんな時間だけど、みんな大丈夫?」

「ん~そうだね、そろそろ帰ろうかな。」

「うん、そうだね。あんまり長居しちゃ悪いしね。」

そう言ってみんなが帰ろうとした時、一人の子が私に聞いてきた。

「ねぇ、一つ聞いていいかな?」

その子はとても真剣な表情だった。

「うん、何?」

「もう、陸上できないの?」

その質問は聞いてほしくない思いが半分と、聞いてほしい思いが半分だった。

「こら、そんなこと聞くなよ。」

「・・・ううん、いいよ。・・・正直言うと、いまの状態じゃ歩くことはできても走ることはできないって。」

私の足はかなりに深刻な状況らしい。肉は潰され、骨はぼろぼろに砕けていたのだ。今これがくっついているというだけで奇跡に近いことだ。本当ならここに無かったかもしれなかった。

歩くことですら困難かもしれないと言われたのだ。もう陸上はやっていけないだろう。

「でもね、だからといって何か変わるって訳じゃない。別に自暴自棄になったり、ぐれたりしないよ。だって、私の周りには楽しいことがいっぱいあるからね。アニメ見たり、アニメ見たり。」

「アニメばっかかよ!」

「へへ・・・。まぁ、陸上ができなくなったのは少し・・・ううん、すっごく悔しくて、すっごく寂しいけど、でも、私のやりたいこと他にもあると思うから。だから・・・。」

そこまで言って、私は言葉を切った。

だから、なんなのだろう?大丈夫?

いや、大丈夫じゃない。

陸上をしていない私は、どうなっているのだろう。

昔ならそんなこと考えもしなかった。

私が陸上を始めたのはなんとなくだ。たまたまクラブ見学で最初に見たところが陸上部だった。特にやりたいことなどなかった。だから陸上部に入った。

でも、いまは違う。陸上が楽しいと思える。いや、昔もそう思っていたはずだ。ただそれに気付くことができなかっただけだ。

他のやりたい事って何?分からない。

私の周りの楽しいこと。それは、友達と遊ぶこと、話すこと、一緒に何かを食べに行くこと。アニメを見ること。妹に付き合ってゲームをすること。他にもいっぱいある。

陸上もその中のひとつで、それがなくなっただけ。なんの変りも無い。100ある内の1がなくなっただけ。確かに変化は起こっていても、それはたいしたことではないのだ。

でも、そうは思えなかった。その一つはとても小さいのに、抜け落ちることでその小さなものは大きな穴をあける。

「ど、どうしたの?」

いつの間にか、目からは涙がこぼれ落ちていた。

「え?あ・・・。わ、私・・・。」

楽しいことと、やりたい事は違う。

私のやりたい事は今も昔もずっと一つだけだった。

ギュッとこぶしを握る。

声は少し震えていた。

「私、陸上を続けたい、続けたいよ。やめるなんて嫌だ!ねぇ、どうしたらいいの・・・わかんないよ・・・わたし、どうしたら・・・。」

そんなことを聞いても、答えなんて返ってくるはずはなかった。

その答えを持っているのは私自身である。他人に聞いても意味は無い。しかし、いまその答えを導き出すことはできないでいる。

「・・・ごめん。私たちじゃ、その質問に答えられない。でも、私たち頑張るから。柊さんに負けないくらい頑張るから。だから、大丈夫だよ・・・なんて言えないよね・・・ごめんね。」

「・・・私も、ごめんね。こんなこと聞いても、意味ないのにね。」

カチカチカチと時計の針が進む音が、しんとした病室に響く。

「へへ、私のせいで変な空気になっちゃったね。うん、わたしは大丈夫。」

「柊さん・・・。」

「強がってるの見え見えだと思うけど、私のせいでみんなが暗くなるのは嫌だから。だからみんなも私の強がりに付き合って。」

そう言って、私はニィっと笑った。

「ほら、みんなも笑って。ほらほら。」

みんなを無理やり笑顔にさせた。

「やっぱり笑顔が一番だよぉ、ふふふ。・・・私、どうしたらいいかわかんないけど、その答えが見つかるように頑張るから。」

「・・・うん。私たちも頑張る。」

私も皆も頑張るとしか言えなかった。答えの見つからない今、そう言うしかなかった。

そう言うことで、みんなは安心する。

それは偽物の安心感だけど、今はその安心感が必要な時である。いつか本当の安心感が得られるように。

「それじゃあ、ね。」

「うん、ばいばい。」

そう言って、みんなは病室から出て行った。

みんなが出て行ったあと、私はそれまで我慢していた涙を流した。

今はまだ答えが見つからない。いや、捜そうともしていない。捜したくないのだ。陸上を捨てるのが嫌だから。

答えが見つかるのはまだまだ先である。だから、今のうちに泣いておこう。みんなが来たときに笑顔でいられるように。


その後、退院したのは春休みに入ってからであった。そして退院してすぐに引っ越しの準備に取り掛かった。

みんなには引っ越しのことは伝えずにおいた。最後までいつもどおりに過ごしたかったから。

妹も同じこと思ったようで、引っ越しのことを知っているのは教師だけであった。

知らせるのは新しい学期が始まってから。みんなからは激しいブーイングが来そうだが、やっぱり知らせない方がいいと思った。

なんだか申し訳ないことをした。

「ねぇ、お姉ちゃん。」

「ん?」

部屋の片づけをしていると、ふいに妹が話しかけてきた。

「・・・・・。」

話しかけてきたのに黙り込んでしまった。

「どうしたの?」

「・・・ううん、何でもない。」

「・・・そう?」

片づけが忙しかったので、気にしなかったが、その時の妹の顔は真剣だった。それなのに、その真剣な顔つきの中に少し迷いがあるように見えた。

「だいたい終わりね。」

「うん。」

引っ越し屋に運んでもらう荷物は全てまとめた。

片づけた後の部屋を見るともの凄く殺風景だった。でも、この部屋には匂いが残っていた。私たち姉妹がここで過ごしていたという匂いが。


====================

数日後

私たち柊家は新しい土地へとやってきた。今日から私たちはここに住む。

その日はいろいろ大変だった。大抵のことは引っ越し屋さんがやってくれたが、生活用品などの配置は私たちですることになった。

この春休みは、なんだかんだで引っ越しの片づけや学校への手続きなどがあり、あって無いようなものだった。


そして新学期

クラス替えの時期に転向すると言っても、同じ学年の子なら結構みんな仲がいいし、少し入りづらい雰囲気はあった。

「えー、今日からこの学校に転向してきた、柊彩音さんだ。」

「えっとぉ、柊彩音です。え~、皆さん、よろしくお願いしまぁす。」

と普通にあいさつをした。

「それじゃあ、この列の一番後ろの席に座ってくれ。」

あっけなく自己紹介は終わった。

まぁ、実際こんなものなのだろう、と思いながら席に着いた。

窓側から2番目の一番後ろ、そこが私の席だった。左には男の子、右には女の子がいた。

「よろしくね。」

右側の女の子があいさつをした。

「うん、よろしく。」

左にいる男の子にも挨拶をしようとしたが、その子はぼーっと窓の外を眺めていてた。

「あのぉ、よろしくね。」

男の子は振り向いて

「ん、ああ、よろしく。」

と言ってまた窓の外を眺めた。

この人の第一印象は変な人だった。

しかし、実際そう思ったのは最初だけで、話していると普通すぎるくらい普通だった。


さて、これは恒例の行事とでもいうのだろうか。

新学期(1学期)の体育は必ずっと言っていいほど陸上競技をする。

陸上競技はどんなスポーツにおいても基礎となる動きが多い。だからこそ、初めにやるのだろうが、今の私にとっては酷なことだ。

「よし、これから50m走を行う。出席順に2列に並べ!」

先生の合図と同時にバババっと移動をする。

私の順番は12番目だった。一組また一組と少しずつ順番が回ってくる。

今はもう普通に歩けるようになった。でも、走ることはできない。いや、まだ試していないから分からないが、たぶん走れない。医者もそう言っていた。もう、走ることはできない、と。

それでも走れるような気がした。私の頭の中では、走るイメージができている。そのイメージ通りに走ることができると。

「つぎ、柊、平井。準備!」

私の順番が回ってきた。

あの時のイメージを思い起こす。

いつも通りだ。なにもかも。怪我をしていたことすら忘れそうなくらい、いつも通りだ。

「位置について。」

神経を研ぎ澄ます。

雑音をすべてシャットアウトする。

聞き入れるのは先生の声とピストルの音のみ。

「よーい・・・。」

スッと腰をあげる。

『バァン』という轟砲とともに、後ろの右足を押し出す。

次に前の左足で、スタブロをグッと押す。

しかし、思うように力が入らない。

「・・・!」

そのせいで左右のバランスが崩れる。

3歩目の右足の着地で、何とか持ち直す。だが・・・。

「きゃ・・・!」

4歩目の左足。設置することはできた。しかし、そのまま左足は崩れ落ちる。

力が入らない。どんなに踏ん張っても、力が抜けていく。

私はバランスがとれずに、そのままの勢いで左肩からくるっと一回転して、ドスっと尻もちをついた。

「柊、大丈夫か!」

先生が駆け寄ってきて、どこか怪我をしていないか確かめていた。

周りではみんながザワザワとしている。

「あ、えっとぉ・・・えへへ、失敗失敗ぃ。」

と笑ってみんなに見せた。

「柊さん、ホントに大丈夫?」

「うん、ヘーキヘーキ!私の体、結構丈夫にできてるんだからぁ。」

「本当に?」

「うん。」

「そっか、よかった。」

みんなはほっとした様子で元の場所に戻った。

「へへ、今度から気を付けるよぉ。」

とりあえず、みんなを安心させて私も元の場所に戻った。

実際にけがはしていないし、大丈夫なのは本当のことだ。しかし、それ以上に私には気になることがあった。

あの感覚。本当にあれは私の足なのか。今はどう見ても、私の足として機能している。だが、あの一瞬だけ、これは足として機能しなかった。

その時、わたしは初めて実感した。本当に走れなくなったのだと。


昼休み

前の学校では給食だったが、ここの昼食はお弁当を持参で食べるのが主流らしい。購買にはパンも売っているが、量はかなり少ない。

クラスには6つの班がある。一つの班はだいたい6、7人くらいで成っている。クラスを真上から見ると、ちょうど真ん中に真横に線を引き、そして2列ずつ縦に切ると班が出来上がる。

昼食中は、この班で机をくっ付けあって食べる、という形をとる。ここの部分は前の学校と同じであった。

机をくっつけると、目の前に来るのは、あの窓の外見ていた子。普通すぎる普通な男の子だが、今はどこか遠くを見ている気がする。

「なぁ、柊さん。」

その男の子が声をかけてきた。

「ん、どしたの?」

「陸上、やってるのか?」

「・・・!」

その言葉に、食べかけていたご飯を吹き出しそうになった。

「ど、どうして分かったの?」

「いや、スタブロ合わせるときに、ちゃんとしていたから。」

なるほど。たしかにスタブロの合わせ方はちゃんと習うけど、覚えている人は少ない。私はいつも通りに合わせていたので、それで分かったのかもしれない。

「でも、それだけじゃ陸上やってる、なんて分からないんじゃない?」

「ん~、それ以外にも、動きが陸上部っぽい感じだった。特に・・・。」

「特に?」

「最初の1歩目。あの動きは凄いと思った。たぶん、俺以上だよ。」

「転んだのに?」

「ああ、転んだのに、だ。転んだのに、あの1歩が凄いと思ったんだよ。」

この人はあの一瞬の出来事をそんな風にとらえていたのか。

「あ、でも、私はもう陸上やってないよ。」

「そうなのか?なんでやめたんだ?」

それは、あまり聞かれたくなかった。

「んー、まぁ、色々とあったんだよぉ。」

「色々か。まぁ言いたくないこともあるんだろうし、これ以上は聞かなでおくよ。」

「そうしてくれると助かります。」

この人も何かを察してくれたようだ。とりあえず何とかごまかしてその場をやり過ごした。


放課後、私はグラウンドに来ていた。理由はあの男の子の言葉が少し気になったからである。

たぶん彼の言葉からして、彼は陸上をやっているのだろう。だから何なのだ、という話なのだが。別に彼の走っている姿を見たい訳ではない。もしそうだとしたら、もしかして・・・。

顔がカーッと熱くなる。

「な、な、何を考えているのだ私は。」

と、つい心の声を声に出して言ってしまった。

幸い周りに人はいなかった。

ともかく理由は他にある。たぶん・・・。


くるっとグラウンド見わたす。そこではたくさんのクラブが活動をしていた。

グラウンドの真ん中にサッカー部。その周りを陸上部。そして陸上部のトラックの南側に野球部。反対側にソフトボール部。

東側にはプールがありそこには水泳部が。結構丸見えだ。けしからん。

そしてプールの横にはハンドボール部とバスケ部のコートが。体育館が使えない日はここで練習するらしい。

この学校の校舎はコの字になっていて、西側が教室棟。東側が職員室や実験室、音楽室などがある棟になっている。コの字の縦の部分は、1階が昇降口で、2階は棟を繋ぐ渡り廊下となっている。1階の昇降口からも、隣の棟に行くことは可能である。その棟と棟の間、コの字の真ん中にテニスコートがある。コの字の空いているところは、その入口となっているのだ。ちなみに、この入口の部分も棟と棟を繋ぐ渡り廊下となっている。

なぜこんな場所にテニスコートがあるのかは謎だが、よくボールが教室に飛んできたりする。なので結構危険だったりする。しかし、何故かガラス窓が割れたことは一度もないとか。謎だ・・・。

こう見ると、この学校は結構大きいということがわかる。


さて当初の目的の、窓の外を眺める彼だが・・・って当初の目的じゃないって!と自分にツッコミを入れる。

「ラスト一本!」

『はい!』

グラウンドに響いた大きな声。その主が彼だった。

他のクラブも声を出して頑張っているが、彼の声はその中でも一際目立っていた。

ラスト一本。彼らが今までに何本走ったかは分からないが、見ただけで相当疲れていることが分かった。

「ラストいきます。よーい、ゴー!」

マネージャーの合図と同時に、一斉に走り出す。

人数で言えば5人。その集団の中から1人飛び出した。彼だ。彼はそのままスピードを維持して、トラックを回っていく。

速い。彼の走りを見た率直な感想だ。皆、彼の走りに追いつけずにいる。これまでの疲労が溜まっているからなのか、それとも彼自身が単純に速いのか。おそらく両方とも正解だ。持久力も、加速力もある。だからこそ、見た瞬間に速いと思ったのだ。

彼がゴールした時、彼らはまだ遥か後ろを走っていた。

彼は速かった。でも、何かが足りないと感じた。彼の走りは全国でも通用する。しかし、それは通用するだけであって、勝てる訳ではない。私があのとき感じた雰囲気を、彼は持っていなかった。

「何やってるんだ?」

「へ?うわ!」

いつの間にか彼が私の目の前にいた。

「そんなに驚かなくてもいだろ。」

「あはは、ごめん、ごめん。」

「で、何やってたんだ?」

「え~っとぉ、何って言われるとぉ・・・。」

あなたをずっと見ていました。ってもうそれはいい!まぁ実際見てたわけだが。

「・・・?」

「ああっと、ごめん、ごめん。また一人で妄想しちゃったぁ。」

「また?妄想?」

「わぁ!わぁ!いやいや、気にしないで気にしないで!」

慌てて誤魔化す。

「・・・で?」

「あ~、えっとねぇ・・・。」

ここは正直に言うとしよう。

「あなたの走りを見てたの。」

「俺の?なんで?」

「んー、なんでだろぉ?」

「俺に聞くなよ・・・。」

そりゃそうだ。私も分からないのに、彼が分かるはずがない。

「・・・陸上、やめたんだったよな。」

突然、またあの話を持ち出してきた。

「なんで辞めたのか、っていうのは聞かないでおくよ。聞かれたくなさそうだったしな。」

彼はなにか考えているようだった。そして・・・。

「よし、マネージャーになれ。」

「へ!?」

それは想像もしない言葉だった。

「お前が走れないなら、いや走らないなら、俺がかわりに走ってやる。」

「な!?」

「よし、ついてこい。」

といって、腕を引っ張られる。

「みんな、今日からマネージャーとして陸上部に入ることになった、柊彩音さんだ。」

「ちょ!え!?なんで!?」

勝手に話を進めないでくれー。

「柊さん、よろしく。」

と手を出された。

「あ、よろしくお願いします・・・じゃなくて!」

「よし、じゃあ今日の練習はここまで。お疲れ様でした。」

『お疲れ様でしたー!』

みんなが散り散りに去っていく。

「あ、あぁ!ちょっと、あのぉ・・・。」

すでに話を聞いてくれるような状態ではなくなっていた。

「・・・なんで?なんでこんなことしたの!?私は・・・。」

そのあとの言葉は出なかった。

「ごめん、最初に謝っておくよ。でも明日から、ちゃんと毎日来てくれよ。最初は見てるだけでもいいから。」

正直ムカついた。わけがわからなかった。何がしたいのか。


みんなに言ってしまった以上は部活動に参加しなくてはならない。私は渋々グラウンドに顔を出すことにした。

グラウンドにいるとき、私は本当に見ているだけだった。

陸上部に所属している以上帰るわけにはいかない。しかし、マネージャーとしてここにいるのに、何もしていない。

最初はよかったが、日が経つにつれて、仕事をしない私をみんなはよろしく思っていなかったようだ。それもそうだ。何もしない奴なんてただ邪魔なだけだ。

それだけでも嫌だったのに、みんなが走っている姿をずっと見ていなければならない。私にとってはこっちの方が苦痛だった。

本当に彼は何がしたかったのか、苛立ち以上に疑問に思った。


何日かの後、練習後に彼が話しかけてきた。

「柊、ごめんな。」

「なによ、いきなり。」

本当にいきなりだった。

なにに対して謝ったのか。だいたいの想像はついた。でも、謝るくらいなら、こんなことやめてほしかった。

「やっぱり辛いよな。」

その言葉に私は少しイラッときた。

「分かってるなら、最初からこんなことしないでよ!」

そんな言葉を無視して、彼は話し続けた。

「お前の顔を見てると、ホントに陸上が好きだったんだなって分かるよ。」

「だったら、なんで!?なんでこんなことしたの!走れないの分かってるのに、なんで!」

私は声を荒げた。

「・・・俺は、お前がホントに陸上が好きだって分かったから、だからやめてほしくなかった。どんな立場でもいいから、陸上を続けてほしかった。・・・でも、それは間違ってた。それはお前を苦しめているだけだった。ただの、俺の自己満足だった。陸上と繋がってるだけでいい、っていう俺の勝手な解釈だった。・・・ごめん。」

最後にそう加えて彼は言った。

「もう、無理して来なくていいよ。皆にはちゃんと言っておくから。ごめん。」

また彼は謝った。そして私の前から去っていった。

「・・・・・。」


次の日、来なくてもいいと言われたのに、私はここに立っていた。

何故ここにいるのか分からなかった。

なぜ私はずっとここにいたのだろうか。

見ていることが辛いのに、走れないことが辛いのに、私はずっとここにいた。

なんで?


辛いなら、ここから逃げ出せばよかった。来なければよかった。彼と話をしなければよかった。なのに私はここにいた。


なんで?


分からない。あの時から何も変わっていない。ずっと分からないでいる。どうしたらいいのか。


それでも私はここにいる。

それは答えなのか。

半分正解、半分間違い。

私はここが嫌いなのに、ここにいたい。

ここにいたいのは、陸上が好きだから。

ここが嫌いなのは、陸上が嫌いだから。


ならば私の取るべき道は一つ。


答えなんて必要ではなかった。答えは永遠に導き出されることは無い。常に矛盾が生じているなら、それは答えではないのだ。

私は道を選ぶだけで良かったのだ。矛盾した答えに辿り着くまでの、二つの道のどちらかに。


ならば私の取るべき道は一つ。


最初からそれしかなかったではないか。


「わたし・・・マネージャーやります!」

みんなの前ではっきりと言った。

「だ、だいじょうぶ?」

一人が心配そうな顔をして聞いてきた。

「む、私は頭なんか打ってませんよぉ~。」

「そんなこと言ってないって。」

「へへへ、でも、ちゃんと言っておきたかったから。」

「・・・?」

みんなは不思議そうな顔をしていた。

そして彼は聞いた。

「・・・どうして?」

「そんなの、決まってるよ。」

そう、決まっている。ずっと前から。

迷いはあったかもしれない。

後悔していたかもしれない。

間違っているかもしれない。

それでも私の声は、はっきりと進むべき道を示していた。

「私、陸上が大好きだから!」

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