責任と本音と その1
「お疲れ様でした!」
今日も練習が終わった。
控えている大会が全国大会、つまりインターハイなので気合いの入れようが違う。しかし、インターハイに出場するのは女子100mが二人とその二人を含むリレーチーム。男子はまさかの一人である。
ここ最近のインターハイ出場人数をみてみると一番少ない。原因の一つとして、三年生の人数が少ないこともあるが、結局は言い訳である。
スポーツとは実力があるものが勝ち残る。そこに学年や年齢の差などないのだ。
ともかく、今年は人数が少ない。だが、それを感じさせないほど気合いが入っているのもたしかである。部内全員が団結し、インターハイ出場選手を応援している。
そうなると逆に緊張してしまうのも事実で、私こと藤井友喜は妙なプレッシャーを感じていた。それは、先日の大会で今期ランキング一位を獲得してしまったことも要因の一つである。
ちなみに、ランキング一位は直ぐさま塗り替えられ、今ではランキング七位だ。
とまぁ自分語りはここまでにしておいて、さっさと先生のところに行こう。何故か知らないが、練習後に呼び出しをするという珍しいことが起きたのだ。
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というわけで職員室までやってきた。
河野先生の席まで行き話を伺うことにする。
「ああ、来たか。まぁ座れ」
「いや、どこに座れと言うんですか」
椅子でも用意してくれていたのなら別だが、そこには何もない。
「はっはっは、すまん、いつもの癖が出た」
いつもの癖とは一体なんだろうか。
自分の部屋に人を呼んだときの事か、それとも普段は生徒を地べたに座らせるのか。
まぁ、そんなことはどうでも良いわけで、早く本題に入って欲しいところだ。
「唐突だが、藤井はリミッターという言葉を知っているか?」
「リミッターですか?」
リミッター。それはよく耳にする言葉だ。主にゲームやアニメの世界でだが。
現実世界でのリミッターも、意味合い的には似たようなものである。運動や出力に制限をかけ、必要以上の出力を出させないようにするための、云わば安全装置のようなものだ。理論上は可能である出力も、現実で起こるとなんらかの不具合が発生するためにそれを設ける。
「人間にもそのリミッターがあることは知っているだろう?」
河野先生は続けて聞いてきた。
人間のリミッター。人間は常に力を抑えて行動している。先と同じように、100パーセントの力を出すと身体のどこかに損傷を負ってしまうからだ。
「それで、そのリミッターがどうかしたんですか?」
話が見えず先生を問いただした。
「ふむ、簡潔に言おう。佐藤のことだ」
「佐藤先輩のことですか?」
話が見えず首をかしげる。
「リミッターというのは云わば安全装置。だが、それは物理的な損傷を抑えるためだけではない。そう、心にもリミッターがあるんだ」
「こ、心ですか……」
「そう、そして佐藤はその心のリミッターを解除できずにいる……たぶん」
何故そこで自信がなさそうに言うのだこの人は。
「なんとかして心のリミッターを解かねば、あいつはずっとあのままだ」
「は、はぁ……なんとなくわかるようなわからないような」
とりあえず、河野先生が言いたいことをまとめるとこうだ。
佐藤先輩は何らかの理由で心にリミッターをしており、それを解かなければ先輩はずっとあのままだという。
そのまますぎてまとめにもなっていないが、つまりそういうことだ。
「それで、どうしてその話を俺にしたんですか?」
返ってくる答えは予想できるが、とりあえず聞いておくことにした。
「藤井、佐藤の心のリミッターを外してやってくれないか」
ああ、やはりそうだったか。
「でも、どうして俺なんですか? 他にも会長とか三年生の友達がいるじゃないですか」
「まぁ、なんだ。男の力が必要だと思ってな」
そのいい加減な理由はなんなのだろうか。
「ある意味でお前たちは似た者同士だ。その似た者同士、少しは話しでもしてみたらどうだ?」
「してみたらどうだ、って、先生はどうしたいんですか」
人に頼んでおいて、その実どちらでもいいような先生の態度に呆れながら聞く。
「……私個人としてはどちらでも構わない。人の生き方は自由だからな。堅苦しく生きるも、自由に生きるもそいつ次第だ」
佐藤先輩が何を望むのか。
陸上競技というものに学生時代、その先の人生を懸けるのであるなら手助けする。
ただ単純に、一度しかない青春と言うやつを、自分の出した答えで楽しむなら放っておく。
先生はそう語った。
「でも、先輩はどんなものにも全力で、その方法があるのなら試すと思います」
「だろうな」
「なら、どうしてそんなに曖昧なんですか?」
椅子に腰掛け、遠くを見ている先生に再度問う。
そしてその問いに一言だけで答えた。「私は教師だからな」と。
「わかりました。それじゃあ俺も適当にやります」
いつも通りに接してそのリミッターとやらが外れるならそれでよし。外れなくてもそれでよしだ。
先生はそれ以上は何も言わず、少し笑みを含み頷いて答えただけだった。
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職員室を出てグラウンドへ行くには一度下駄箱を通らなければいけないのだが、職員室のすぐ横に渡り廊下がありグラウンドに直接繋がっている。なので、外で部活をしている生徒が校内に入る時はそこから出入りすることが多い。例に漏れず俺もそこから出入りをしているので、まずは渡り廊下へと出た。
「ご無沙汰しております、藤井君」
とそこで後ろから誰か女生徒に声をかけられた。
振り返ってみると、そこにいたのは会長こと姫川美羽先輩だった。
「どうもお久しぶりです」
久しぶりと言ったが、実際に合うのはあのゲーセンデート以来なので五日ぶりである。
「生徒会のお仕事ですか?」
なにやら資料らしきものを手に持っているのを見て聞く。
「ええ、少し職員室に用事がありまして」
生徒会室から職員室へ向かうには渡り廊下を通る必要がある。
そこでちょうど俺と出くわしたのだと言う。
「藤井君は部活ですか?」
「ええ、まぁ。もう終わったんですけどね。生徒会も結構遅くまでやってるんですね」
時間的にはそろそろ下校する時刻である。運動部が時間ギリギリまでやっているのは日常茶飯事だが、文化部はどうなのだろうか。
たまに部屋の明かりがまだ点いていたりするので、同じくらいまではやっているのだろう。
しかし、生徒会を文化部と呼んでいいのかは定かではない。
「今日はたまたまですよ。佐々木君が写真部で忙しい時は、これくらいになるのが普通です」
「へ~そうなんですか」
などと、とりとめのない話しをしていると、急に姫川先輩は真剣な眼差しをこちらに向けた。
「ど、どうしたんですか?」
「いえ、美雪のことで少し相談にのって欲しいことがありまして」
また佐藤先輩のことか。一日に二度も同じ人の相談を受けるとは思わなかった。
「……?」
「いや、なんでもありません」
不思議そうな顔をする姫川先輩に答える。
「そうですか。では、早速本題なのですが、彼女を助けて欲しいのです」
「た、助けて、ですか?」
随分と仰々しい言い方をするので思わず聞き返す。
詳しい話を聞こうとすると、「話が長くなるので」ということで掻い摘んで話を聞くことになった。
端的に言うと、昔に自分が助けられたのでその恩返しとして佐藤先輩のことも助けたいと、そういうことである。
「昔から美雪はどこか人とは違うものを放っていました。それはごく普通の責任感だとかそういったものなのに、どこかが違うんです」
「責任感ですか……」
確かに佐藤先輩の責任感は強いほうだろう。だからこそ、陸上部のキャプテンとしているのだ。
しかし、それ以上に何かあるのだと姫川先輩は言う。
「でも、それがわからないんですよね」
問うと先輩はこくんと頷いた。
わからないものをどうにかするのは難しい。だが、頼まれた以上はどうにかしたいと思うのも事実だ。
幸いと言うかなんというか、同じようなことを先生から頼まれているので、ついでにそれも解決できれば御の字である。
「いいですよ。先輩にはいつもお世話になっていますからね」
答えると、何故か姫川先輩は泣きそうで、そして嬉しそうに言った。
「ありがとう。友として、お願いします」
「お願いされました。柊たちにも言っておくんで気長に待ってて下さい」
姫川先輩はそれに深くお辞儀をして答えた。
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姫川先輩との話を終えてグラウンドに戻ってくると、辺りはだいぶ暗くなっていた。陸上部の部員達も皆帰ったようで、そこには誰もいなかった。他の部活動はとうの昔に終わっているので、もちろん彼らもいない。
誰もいない夜の静かなグラウンド。うん、普通に怖いね。
「みんな早いな。待ってくれててもいいのに」
誰が聞くでもないその呟きを吐き部室へと向かう。
「……ん?」
と、誰もいないはずのグラウンドに、うっすらとだが影のようなものが走っていくのが見えた。
「ま、まさか……幽霊とか?」
そんな非現実的なものを信じるほどの年齢ではないが、この季節にこの時間帯、この生暖かい空気にこの暗さだ。非現実的なものであろうと、想像してしまうのが人間である。
その正体を確かめるのも面倒で、というか確かめたくないのでさっさと部室へ行こうと駆け足で向かったのだが、
『ザッザッザ』
と、足音が近付いてくる。
いやいやいやいやいや!
そんなわけがない!
そんなもの存在してはいけないのだッ!
足を速めるが、それに追いつく謎の足音。
これでも陸上部。そんな素性の知れぬ足音に、そう簡単に追いつかれるわけにはいかないんだ。
「おい」
「え゛っ!」
追いかける足音から聞こえる声。
思わず変な声を出してしまったが、構わず逃げる。
「おい藤井」
な、なんで名前をッ!
いや、そんなことはどうでもいい。
「待てって藤井」
待てと言われて待つ馬鹿がどこにいるというのか!
「――――――ん?」
何故だかその声に聞き覚えがある気がして、というか間違いなくその人だろう。
その正体の予想はついていたが、恐る恐ると振り返る。そしてその正体が予想通りの人で、ホッと胸を撫で下ろす。
「さ、佐藤先輩ですか。ビックリさせないで下さいよ」
「ん? ああ、いや、別にそんなつもりはなかったんだがな」
佐藤先輩はやけに息を切らしながら言った。
もう既にダウンも終わっているはずなのに、どうして走り終わった後のように息が切れているのだろうか。それを問うとこう返ってきた。
「まだ練習したりないなぁ、って思ったからさ。ここ最近は皆が帰った後も、残って練習してたんだ」
「ま、マジですか」
この人はやはり、すごいというかなんというか、やるべきものに対して全力だなぁと思わざるを得ない。
「今のままじゃ木嶋には勝てないからな」
と先輩は言うが果してそれは事実なのだろうか。
先生曰く、佐藤先輩の練習量は人並みを外れ、トップアスリート並みだと聞いたことがある。量が同じだから同じレベルになれるのかというともちろん否であるが、佐藤先輩のレベルでそこまでの量をこなすならばもっと上にいけてもおかしくないのではないか。
先ほどの先生との会話で少し出てきた話だ。
事実、練習時ではかなりの好タイムをたたき出し、木嶋先輩とも渡り合えるのではないかというレベルだ。同じく超高校級の柊彩夏とはいつもいい勝負をしている。
だがしかし、大会ではその力を出し切れていない。
本人は緊張して力が出し切れていないと言うが、本当にそれが原因なのか。緊張が原因でもその更に要因となるものは何なのか。
いくらなんでも緊張だけでは済ますことができない。佐藤先輩はずっと陸上競技を続けてきた人だ。何度も大会に出て、ある程度の上のステージまで行って、そこで走ってきたのだ。そんな人が緊張などするのか。
自分自身がその場に立てば緊張しないのかと問われると難しい話だが、それでも先輩のそれはおかしいと思える。
「はぁ」
しかし、それをどうにかしようにも原因がわからないのであれば意味がない。わからないからこそ頼み込まれたわけだが、そんなものをただの高校生にわかるはずがない。
「どうしたんだ、溜息なんか吐いて」
「い、いえ、何でもありません」
佐藤先輩はそんな俺を怪訝そうに見たが、そのまま歩いていってしまった。
「ところで、藤井は何をしてたんだ? 先生に呼ばれてたみたいだけど」
先輩は地面におかれたペットボトルを手に取り、キャップを開けてくいと一飲みした。
「ああ、いえ、別にたいしたことじゃありませんよ」
流石に本人の前でリミッターがどうのこうの話すはまずいと思い、それとなく誤魔化しておいた。
「それで、練習はもう終わりですか?」
話題を変えるべく練習に話を戻す。
「まぁな。オーバートレーニングになってもダメだからそこまではしないよ」
先生の考えるメニューは元々選手にあったようにできているので、それ以上やることはオーバートレーニングになってしまう。そんなことがないように少し抑えてもいるらしいが、佐藤先輩のように物足りなく感じる人もいるのだろう。
「最後の大会か……」
先輩がポツリと呟く。
そう、最後の大会。高校生活でインターハイと言えば最高峰の大会であり、最後の大会でもある。これが終われば三年生は引退。
「それを考えると余計に焦りが出て、練習しなきゃって思っちゃうんだよな」
先輩は身体が冷えないように上からジャージを羽織り座り込んだ。俺が立ったままなのはおかしいのでその隣に座ることにした。
「あいつに会う度にいつも言われるんだ。期待してるからね、って。期待されても困るんだが、それはつまり私の知らない何かがあって、それさえわかれば何かしらの力になるとも考えられるわけだ」
しかし、それがわからないから困っているのだと先輩は言う。
「天才と凡人の差か。いつか言ったけど、かなり大きいよなそれって」
天才と凡人。
その差は一体なんであるのか。天才は一般人にできないことを平然とやってのける。だがしかし、それは人間の身体的な機能としては普通のことだ。常人にも可能である動きで、ただ難しいというだけ。
それを簡単にやるからこその天才だとも言えるわけだが。
「ああ~、勝ちたいな~。あいつの前を走って、優勝したいなぁ」
願望がダダ漏れな先輩である。
「そのためには練習しなきゃって思って、でもそれじゃあダメで、ならどうすればいいんだよ、って話だよな」
「は、はは……。本当にどうしたらいいんでしょうね」
まったく、先生はなんて事を頼んでくれたのか。
リミッターがどうのなんてわかるはずもない。自力が確かに届いているのは明白で、それをなんらかの形で止めてしまっている。
んなもんわかんねー! と叫びたい気持ちである。
「練習して、練習して練習して、頑張って頑張って、それでも届かないって、なんか理不尽だよな。時々思うんだよ。届かないのなら止めてしまえばいいんじゃないかって」
「……」
普段はそんなそぶりを見せることもないのに、珍しく佐藤先輩が弱音を吐く。
彼女を知っている人ならば、誰もが驚いただろう。こんな彼女を見るなど天地がひっくり返ってもありえないと。
「私……なんで走ってるのかな……」
好きで始めた筈のそれが、いつしか枷になる。そんなことほど辛いこともないだろう。
それは誰もが思うことかもしれない。何かを続けていると、いつかは壁にぶつかってしまう。それが限界というものだ。
だが、限界とは超えるためにある。それは絶対に破れる壁である。
そうでなければ、成長というものが存在しない。破れぬ壁など存在しない。自身が自身である以上、自身で造り出した壁は自身で超えられる。
「先輩、壁を越えましょう」
「随分と簡単に言ってくれるな」
「でも、超えられると思わなければ、超えられるものも超えられない」
「もっともな言い分だな」
そう、一番大切なのは思いだ。思いがあるからこそ人は行動する。行動するから人は成長する。
「付き合いますよ。その壁を越えるために。練習したいならすればいい。止めたいなら止めればいい。甘いものを食べたいなら食べればいい!」
「なんか最後変なの混じってたぞ」
「そんなことありません。やりたいことをやりましょう。もちろん限度はありますけど。辛いと思って何かをやるよりは、自分の好きなことをやればいいんです」
「そ、そんな無責任な……」
「そんなことはありません。確かに、陸上部のキャプテンで、選手で、高名を背負って、全国で走る人としてみるなら、それは無責任なことかもしれません。でも、その前に佐藤先輩は一人の女の子です。佐藤美雪という一人の人間です。それなのにどうして、周りからの目を気にしないといけないんですか? やりたいようにやっちゃダメなんですか? 好きなことを好きなようにやるのはいけないことなんですか?」
そう、そうである。それは自分にも言い聞かせるようだった。
自身が陸上競技をはじめたのはなんだったか。それを続けたのはなんだったか。好きだからだ。
好きだからこそここまできた。それなのに一番の、大前提を忘れるなんてどうかしている。
「す、好きなこと……か。でも、改めて言われると具体的に何が好きだと言われると困る」
もちろん、走ることは何よりも好きだと付け加えていた。
「よし、それなら……」
「それなら?」
「俺とデートしましょう!」
「はぁ!?」
佐藤先輩が驚きの声を上げ、そして少し顔を赤らめていた。
我ながら素っ頓狂なことを言ったものだと思う。だが、それ以外に案が浮かばなかった。
なんとかして、今は頭から陸上というものを引き離そうとしたかったのだ。それが正しいのかはわからないが、こうなりゃやけである。自分の正しいと思った事をやるだけだ――――――