頂点に立つために
―――――放課後―――――
クラス中がざわついている。いつもなら、とっくの昔にみんなは帰っているはずだ。なのに、みんなは一枚の紙切れを見て、歓喜、落胆、憤怒、優越感、様々な感情を露にしている。
まぁ、簡単に説明するとテスト返しがあったわけだが、自分の点数と学年順位が乗った一枚の紙が渡されたのだ。テストの点数は、各授業ですでに知っている筈なのに、改めて見ると不思議な緊張感がある。
しかし、この紙切れの重要性はそこではない。そう、学年順位が表示されているのだ。他所の学校は掲示板に順位を張り出し、上位の人間は崇められ、下位の人間は蔑まれるという鬼畜行為を行っているようだが、この学校ではそんなことは無い。プライバシーをちゃんと守ってくれる良き学校なのだ。
さてさて、俺の順位はというと・・・・・・143位。
「この学年の人数って300人くらいだよな。ということは大体半分くらいの順位ということか」
なんとも言えないこの点数。どうすりゃ良いんだろう。
「よっしゃぁ~、いくぞぉ優希!」
「うん、いつでもオーケーだよ」
「「せーの」」
バンッと柊と小野坂は同時に一枚の紙切れを机に叩きつける。
「・・・・・・ふ、ふふふ、ふはははは、どうやら今回も私の勝ちのようだなぁ」
胸を張り、声高々に笑いを上げる柊。
「あぅ、また負けた・・・・・・」
対照的に落ち込む小野坂。
「やっぱり、この数学の点数が大きいよね。一問間違えるだけで十点は差が付くもん。彩音は数学得意だからな~。物理もそれで差が付いてるし」
「はっはっは~、学年トップの壁は厳しいのだ」
「うぅ~、この1の横に付いている0が忌々しい」
楽しそうだな、あの二人。そしてレベルが高すぎる。
「あ、そうだ、藤井君ちょっといいかな?」
彼女たちの横で傍観していた俺に、柊は一枚の紙を取り出し見せた。
「ん、どうした?」
「さっき河野先生に会ったんだけど、その時に藤井君用の特別メニューを渡されたんだ」
「特別メニュー? なんでまた俺だけに」
と、問いかける俺に、柊は首をかしげた。
「とりあえず、これから一週間はこのメニューをしろ、って言ってたよぉ」
「う~む」
先生のことだから、何かしらの意図はあると思うんだが、なぜ一人だけ別メニューなのだろうか。
「よし、着いたよぉ」
と、柊の後ろに付いてやって来たのは、俺の家の前の坂道であった。
「えっと、ここでやるの?」
柊に聞くと、彼女は笑顔で頷いた。
「誰が好き好んで自分の家までの道を行ったり来たりをしなければならんのだ」
先生の特別メニューとは、坂道を自転車でひたすら登り降りする、というメニューだった。分かる、先生の言いたいことは分かる。先生の意図することも分かる。ただ、何故にここなのだ。
「この山道は「スゴクイイ」らしいよ」
先生、それは分からないです。
「よし、それじゃあ行ってみよぉ」
「ちょ、まだ心の準備が・・・・・・」
「よ~い、どーん!」
「のわっ! くそ、この―――――ぬぅぉぉぉぉおおおおお!!!」
―――――数分後―――――
「藤井君、ペースが落ちてるよ」
「ぬぅぉぉおおおおお!」
―――――それから数分後―――――
「藤井君、ペースが落ちてるよ」
「ぬぅぉぁあああ!」
―――――またまた数分後―――――
「藤井君、ペースが落ちてるよ」
「んぐぎぃいいいいい!」
―――――これまた数分後―――――
「藤井君、ペースが落ちてるよ」
「っつはっそおおうぅぅぅ!」
―――――そして数分後―――――
「藤井君、お疲れ様」
「っだはぁあーーー!」
何だこれ。いや、何だこれ。もう足が動かない。まるで、自分の足ではないかのような、どうやっても思うように動いてくれない。
「それだけ藤井君が頑張った、っていう証拠だよぉ」
うん、頑張った。今までに無いくらい頑張ったよ、俺。
「それじゃ、帰ろっか」
「え、ちょっと、まだ、足が・・・・・・」
「これでメニューは終わりじゃないからね」
衝撃発言である。てっきり、これで終わりかと思ってたのに。
―――――グラウンドにて―――――
「先生、いま帰りました」
柊は先生に向かって、ビシっと敬礼するようにした。
というか珍しいな、この人が練習を見に来ているなんて。
「ああ、それじゃあ佐藤、少し付き合ってやれ」
と言う河野先生の言葉に佐藤先輩は少し困惑していた。
「え、私ですか? 別に構いませんが、何をするのですか」
「これから一緒に400mのトライアルをしてもらう」
この言葉には佐藤先輩も驚きを隠せなかったようだ。
「いくらなんでも私と藤井では勝負になりませんよ」
「そうだな、確かに、勝負にならないかもな。なぁ、藤井?」
先生はどこか含みのある言い方をし、心なしか笑っているようにも見えた。
「・・・・・・」
正直言って、今の俺に佐藤先輩に勝てる気はしない。歩くのでもやっとなこの足だ。悲惨なことになるのは目に見えている。
「先生が言うのでしたら私は構いませんが」
「そうか、引き受けてくれるか。それなら、早速始めるとしよう」
―――――それからそれから―――――
勝負は始まる前から決まっていた。どうあがいても勝てるはずの無い勝負。
「ふむ、完走できただけでもよしとするか」
何とか400mを走りきり、地面にぶっ倒れている俺を見て先生は言った。
「悔しいか? ならば勝つことだ。それがこの世界で最速を手に入れるための唯一の手段だ―――――とまぁ、こんな感じだな」
「どんな感じですか!?」
「ただ、全国レベルの人間はこれくらいしている、という事は頭に入れておけ」
先生は言うと、職員室へと去っていった。
全国レベル。これから挑もうとしている舞台。そのためにも、まずは地方の大会を勝ち進まなければいけないが、最終的に目指す場所はその先にある。ならば、やるしかない。必ずその頂点に立つ為にも。
『―――――お疲れ様でしたー!』
練習も終わり、グラウンド整備も一通り終わった。後は帰るだけ、なのだが、やはり足が動かない。
「あれ、藤井君帰らないの?」
帰りたくても動けないのですよ柊さん。
「ああ、もうちょい休んでから帰るよ」
「そっか、じゃあ先に帰ってるね」
笑顔で手を振る柊。あの笑顔が今は恐ろしく感じる。
「はぁ、こんなんじゃ、体がいつまで持つか分からないな」
嘆いたところでどうしようもないのだが、嘆かずにはいられない。
そんなこんなしていると、いつしか日は暮れ、グラウンドには人っ子一人いなくなった。
「・・・・・・ん?」
その誰もいないはずのグラウンドに一人の影があった。
ただひたすらにひた走る。その姿は見覚えのあるシルエット。
「佐藤先輩だよな」
先輩は、誰もいなくなったグラウンドを一人走り、何度も何度も走り続けていた。
「あ・・・・・・」
そして、目が合った。
「藤井、か。帰ったんじゃなかったのか?」
「恥ずかしながら足が動かなくて」
「そうか、さっき一緒に走ったときも、思うように動いていなかったな」
先輩は手に持ったペットボトルの水を一息に飲み込んだ。
「先輩は練習ですか?」
「ああ、私はこれで最後だからな。悔いが残らないように、そして、あいつに勝つために」
先輩の言う「あいつ」とは、木嶋さんのことだろう。佐藤先輩のライバル、そして全国女子高生最速の現女王。
「到底、敵う相手じゃないことは分かってる。だが、それでもやらなければいけない。あいつが私をライバルだと言ってくれるのなら、それに相応しい人間でなくてはいけない。そのためには、もっと、もっともっと練習しなくちゃいけない。それだけしないとあいつには追いつけない」
木嶋さんの強さは先輩が一番知っている。誰も寄せ付けない圧倒的な強さ。それに挑むためにはこれだけやらなければいけない。
それは俺も同じだ。あの人に、伊熊先輩に勝つためにやらなきゃいけない。
「こんな言葉しか言えないですけど、頑張ってください」
「ああ、藤井も頑張れよ」
先輩は夜のグラウンドに戻っていき、そしてまた、走り続けた。
勝つためにはやらなきゃいけない。それは分かる。俺だって同じなのだから。ただ、佐藤先輩のは何か違う。何が違うのかはわからないが、なんだか焦っている様に見えた。
暗闇に走る先輩は、ただ闇雲に走る。走って、走って、走り続けた。