2人の時間
さわさわと音を立てる木々。青い葉は月夜に照らされ、深い光沢を得ていた。そんな木々の中にある一本の道。その道は右へ左へと山に沿うようにうねっていた。
先の頂上にあるのは展望台。ここはそこへいくための唯一の通り道。
そんな道をせっせと登っている俺なわけだが、これが結構きつい。普段から走りこんでいるスポーツマン(陸上選手)の俺でさえ、息を切らし必死になって登っている。
さて、何往復しただろうか。今まで登ってきたこの蛇のようにうねりにうねった道をみおろす。
見下ろした先にはうっそうとした木々が生い茂っている。道はその木々の中に吸い込まれるように途中で見えなくなっていた。
これではどれだけ登ってきたのかわからない。どれだけ登ったか、あとどのくらいあるのか、なんてことは考えないことにした。考えれば考えるほど疲れが増してくるからだ。
それからしばらくして、またあの歌声が聞こえてきた。そう肝心の目的とはこの歌声なのだが、その歌声は徐々に近くなっている。この感じだとあと少しで頂上に着くようだ。
そしてまた少し走ると、薄暗かった森が徐々に開けてゆき、月明かりも眩しいと思えるほど明るくなってきた。
「・・・・・・・」
息を呑んだ。
その先にいたのは、想像した女の子がいた。月に照らされ遠くを見つめる少女。歌声は夜空に響き渡りやさしく包み込んだ。
そこにいた女の子をとても美しいと感じた。今までそんなこと思ったこともなかった。いや、それに近い感情は抱いていたのかもしれない。今感じるこの感覚と、いつもそばにいた彼女の感覚は似ているようだった。
ただ、今はそれを美しいと感じた。それだけだ。
いつ以来だろうか彼女の歌声を聞くのは。
放課後には彼女の歌がいつも聞こえてくるし、一緒にカラオケにも行った。だけど今の歌声は、そのどちらとも違っていた。なにが違うのか、なんてわからないがとにかく違うと感じた。
だからだろうか。今このときを、まるで子供のころのような感覚でいることを。そんな彼女の姿を見て、見惚れて、そして聞き惚れて。この時間がとても心地よい。
そして歌い終わった彼女は、月の光からフッと消えこちらを振り向いた。
「―――――!」
一瞬、彼女はびくりとしたが、目の前にいる正体がわかったのかホッと胸をなでおろした。
「・・・トモ・・くん・・・・だよね?」
わかっていて聞いたはずであろう言葉なのに、なぜか最後に確認の言葉が入っていた。
「お、おう」
と、こちらもなぜかぎこちなく返事をする。
「ど、どうしたの、こんなところで?」
「えー、あーっと・・・散歩?」
って、なんでこんなとこで嘘ついてるんだよ。いや、当初の目的はそれに近いものだったか。
いやいやだから、そんなことはどうでもいいって。
「・・・? どうしたの」
「あ、いや、なんでもない」
そんな自分の一人突っ込みを聞かせるほどアホではない。
「・・・練習、してたのか?」
「うん・・・・」
ぽつぽつとした話。たった一言だけで会話が途切れる。普段ならこの時間を気まずく感じるが、今は逆に、この間を必要なものと感じる。
横にあったベンチに二人で腰掛ける。ベンチはひんやりとしていて、ほんのり熱を帯びた体を冷やしてくれた。
「・・・すごいな。金賞を取れるような実力なんだろ? それなのにこんなところで自主練もするなんて」
「ううん、すごくなんかないよ。私はただ・・・」
と、そこで小野坂は言葉を切った。
「どうした?」
あまりにも沈黙が長かったので思わず聞き返した。
「えっ!? あ、な、なんでもない!」
手をバサバサと横に振る小野坂。
月明かりに照らされた彼女の顔は、ほのかに赤みを帯びていた。
「ね、ねぇ、ちょっと、き、聞きたいんだけど・・・」
彼女の顔がさらに赤くなる。
「ん? どうした」
「あ、あ、あのね、とと、トモくんって、あの、その・・・」
うつむきながら言い淀む。
「すす、すすすっす好きなこここっていいるのぉお!?」
「は、はいぃ!?」
声が裏返りまくりだった。とても小野坂の口から出た言葉とは思えない。
「ど、どうしたんだよいきなり」
「ああ、あの、ふ、深い意味はないんだけどっ・・・・あ、彩音がいつもうるさいから、ちょ、ちょっと聞いてみようかな、って」
また柊の仕業か。今度はいったいなにを吹き込まれたんだ。
「彩音はトモくんが私のこと好きだって言うけど、そんなことないよね? あ、好きじゃないってそういう意味じゃなくてこういう意味だから」
どういう意味だよ、と心の中でつっこむ。
「好きな人、か」
いるのだろうか。友人とかそういうのじゃなく、異性として好きな人が。
俺の周りにいる女性陣を思い浮かべるが、どれも皆『ともだち』というくくりに入っている。もしかしたらこの中に好きな人がいるかもしれないけど、今の時点で気付けていないのだったら、それはまだ好きということではないんだろう。
「・・・・・今のところいないかな」
自信なさげにボソリとつぶやいた。
「そ、そうなんだ。じゃ、じゃあ私のこと好きじゃないんだよね?」
その聞き方はどうなんだ。
「まぁ、ある意味ではそうだな」
「そっか・・・」
小野坂はほっとした顔をした後、残念そうに下をうつむいた。
「なんか、ごめんね。変なこと聞いちゃって」
いいや、と小さく答え、また沈黙が続いた。
その後も、会話はぽつぽつとしかしなかった。
毎度のごとく長い沈黙が何回も続き、普段ならこんな空気に耐えられなかっただろう。しかし、不思議なことに今日はなんともない。むしろ、この長い沈黙を心地よいとさえ思える。
「なぁ、小野坂。俺、お前に謝らないと」
おもむろにそんな言葉を口にした。自分でもよく分からないが、なぜか謝らないといけない気がした。
「どうしたの急に・・・・?」
そんな俺に小野坂は優しく聞きかえした。
「俺さ、たぶんお前のこと避けてたかもしれない。その、なんていうか、恥ずかしかったんだよ。お前と一緒にいるのが」
一緒にいるのが恥ずかしかった。そう、ただそれだけの理由で、俺は小野坂を避けていた。
どうして恥ずかしいのか。そんなの今でもわからない。ただ、そんな理由で彼女を遠ざけていた自分が恥ずかしい。気付いていなかったわけでもないのに、知らないふりをしていた。それが彼女を傷付けていたのだとしたらと思うと、激しい自己嫌悪に陥る。
だから謝らないと。そう思った。いまさらだと言われるかもしれないけど。
「そうなんだ・・・・よかった」
「・・・へ?・・・・」
よかった? 俺をとがめるならまだしも、『よかった』だって? 一体どういうことなんだ。
「そっか、トモくんも恥ずかしいって思ってたんだ。私もね恥ずかしいって思ってたんだ、二人でいるの。
―――――ふふふ、私たち高校生だよ? それなのに恥ずかしいなんて、なんか子供っぽいね」
彼女は軽く微笑んで
「昔はこんな気持ちにならなかったのに、何でだろう?」
と、俺に問いかけた。
「って、こんなこと聞いてもわかんないよね」
えへへ、と笑い小野坂はベンチから立ち上がった。彼女は展望台の端まで行くと手すりに手をかける。振り向いた彼女はこっちに来てと手招きした。
「どう? すごく綺麗でしょ」
「ああ」
彼女の隣まで行くと一言頷いた。
確かに、とても綺麗だ。目の前に広がる星空は、とても言葉では表せない美しさだ。
「あのさ、ちょっといいか?」
「ん、どうしたの?」
目線を星空から彼女に移し、二人は向かい合った。
「仲直り、じゃないけど、その、なんていうか、また昔みたいに戻れないかなって」
「昔みたいに?」
「そう」
彼女の問いに小さく頷いた。
だが、返ってきた言葉は少し意外なものだった。
「私たちって何か変わったのかな?」
「いや、だって、ほら、あんまり喋らなくなったし、今も、柊がいないと会話が続かないし」
「・・・・・・」
小野坂はしばらく考えるようにして
「ねぇ、今も昔もそんなに変わってないよ」
と言った。
「それは確かに、二人とも部活があるし、一緒に遊んだりすることは減ったけどさ。でも、私たちって昔からこんな感じだったと思うよ。なんていうのかな、どう言い表したら良いのかわからないけど、この距離感が好きって言うのかな? 今もこうしている時間がすごい居心地がいいし、うん、たぶんそんな感じ。って全然説明になってないね」
えへへ、と彼女は笑った。その笑みには、また、ほんのりと赤みがかかっていた。
そう、俺たちはこれでよかった。無理に場を盛り上げたり、話を続けたりしなくてよかった。昔から俺たちはこうだった。なにも変わっていない。
「そう、そうだったな。俺、忘れてたかも」
「もう、ひどいよ、トモくん」
小野坂は笑っていた。それは、いつも彼女が見せる笑顔。昔から見慣れた笑顔。ずっと忘れていた笑顔。久しぶりに思い出したような、ずっと見ていたような、不思議な気持ち。それは自分のせいだと知っているけど、彼女の笑顔が思い出せて本当に良かったと、心から思う。
「でも、たまに小野坂と話す時、気まずいなぁ、って思うことがあるんだが、それは何なのだろう」
「ひっどーい、私、そんなこと思ったことないのにぃ」
小野坂は柊のような声で言った。
「うふふ、冗談だよ」
なんだろう、だんだんと小野坂が柊化していくのは止めようが無いのだろうか。
そんなことを思いながら、小野坂との久しぶりの時間を過ごすのであった。
いつからか止まっていた2人の時間/いつからか止めてしまっていた2人の時間
いつでも動いていた2人の時間
再び動き出した2人の時間は、とうの昔に動いていた/再び動き出した2人の時間は、止まることなく動いていた
それに気付くのに時間はかかったけど、その時間も2人にとっては大切な時間
「―――――遅い、遅すぎる!」
公園の広場に一人佇む少女。少年が去ってからどれほど時間がたったのだろうか。考えれば考えるほど、少女には少年への怒りがこみ上げてくる。
「どんだけ待たせんのよ、まったく。早く帰って来いっての」
イライラしながらも少年の帰りを律儀に待つ少女だった。