不思議な再会
筋肉は主に筋繊維というもので構成されている。
筋繊維には大きく分けて2種類がある。
1つは縮む速度が速い「速筋」。もう1つは縮む速度が遅い「遅筋」。この2つである。
速筋は名の通り、瞬発力を引き出す時に使う。無酸素運動のときによく使われる筋肉で、陸上では短距離選手がよく鍛える。
対して遅筋は持久力を引き出す時に使う。有酸素運動のときによくつかわれる筋肉で、長距離を走る場合に必要である。
俺は短距離選手だ。もちろん、速筋を鍛える練習を毎日している。というか、先生がそういう風に練習メニューを考えてくれている。
しかし、今のままで本当に良いのだろうか?最近、いや、あの時そう思った。
最後まであの人に追いつくことはできなかった。このままではあの人に勝てない。
敗因は何だ?スピード?
違う。走力ならあの人にだって負けていない。距離を100mに縮めたとしたら、少なくとも同時にゴールすることはできると思っている。
ならば持久力か?
400mという距離を走るには、最初から最後まで全力というわけにはいかない。どんな選手だって100m選手のように、ただ速く走るためだけに全精力を注ぐことはできない。本気を出さずに本気で走る。これが理想である。正直よく分からないが・・・。
最初だけならあの人に付いていくことはできる。しかし、それは自滅行為だ。確実に動けなくなる。でもそうしなければ勝てない。
速筋は疲れやすい筋肉である。短距離選手には必要な筋肉だが、400mという距離を走りきるには少々無理がある。
ならば、どうやって動いているのか。それは、使う筋肉を入れ替えているのだ。ヒトは、速筋が使えなくなったら、遅筋を使って走ろうとする。
遅筋は長距離選手だけが使うものではない。短距離選手も使うのだ。
400mの後半は速筋よりも遅筋を使う。もしそこで差が生まれるとするなら話は早い。
遅筋を鍛える方法。それは、もちろん長い距離を走ること。普段の練習でそれを鍛えることができないのであれば、練習以外で鍛えればよい。
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という結論を導き出した俺は、今こんな所にいる。
場所は樽坂山公園。樽坂山とは名の通り山である。俺の家やその他もろもろ、このあたり一帯の山が樽坂山と呼ばれている。
昔々この山で、どこかの商人が大量の樽を転がし落としてしまった。というのが名前の由来らしい。
色々とツッコミどころ満載だが、俺も聞いた話だ。あまり責めないでくれ。
そして、公園というくらいなのだから、多くの人が想像するようなものがたくさんある。
例えば、滑り台とか、ブランコとか、鉄棒とか・・・。と色々ある。
そして、謎に面積がでかい。先ほどあげた遊具がある敷地は、この公園のほんの一部である。他には何があるというでもなく、芝生の広場が広がっているだけである。
元々ここは、山をそのまま人が過ごせるようにと作った場所で、皆が想像する公園を作ろうとして出来上がったものではない。だから、芝生しかなかったりする。一応ちゃんとした道はある。
この公園にはハイキングコースというものがある。山と名が付くだけあって急な坂が多かったり、本当に山の中に入っていったりと、なめてかかると結構ひどい目にあう。
全体の面積はおよそ18.5ha。よく分かりません。とりあえず、ものすごく広いということである。
数年前までは多くの、とまでは言わないが、それなりに人でにぎわっていた。今では健康作りのために、という人が数人利用しているくらいである。
それでも、小学校の遠足の地にされていたりするので、そこまで寂れている訳ではない。ところどころにある休息所などの施設は、ちゃんと管理されている。
そのハイキングコースをジョギングしているわけだが・・・。
「さ、さみしい・・・。」
夜の8時ということもあって辺りには誰もいない。今はもう夏だ、と言ってもこの時間は普通に暗い。
「こんな時間に森の中に入るんじゃなかった・・・。」
と後悔してももう遅い。来るところまで来てしまったのだ。折り返しても進んでも同じである。
「は、早く出よう。」
ゆるゆるスピードから1段階上げる。
暗くてよく見えないが、自然の中の道だ。時折、木の枝が顔にあたったりと若干うっとうしい。道中にも木の枝がたくさん散らばっている。
その枝をパキパキと音を鳴らしながら外へと出る。
「や、やっと出た。」
時間にしたらそれほど経ってはいないが、とても長く感じた。
「今度から、森の外を走ろう・・・。」
暗い中を走ってきたせいか、外が明るく感じた。
「やっぱり外のがいいよな・・・・・ん?」
ま、まさか、あれは。
「あ・・・。」
出会ってしまった。まさかの出会ってしまった。・・・大事なことなので2回言いました。
とっさに身構える。
「・・・なにやってんの?」
「え、いや、襲ってこないのか?」
「あんた、私をなんだと思ってんの?あれは、あんたが余計なことを言ったからでしょ。」
「そんなこと・・・・・言ったな。最初は確実にそっちの勘違いだけど。」
最後にぼそぼそと聞こえないように言った。
「あん?なんか言った!?」
「いえいえ、なにも・・・。」
危ない危ない、もう少しでこの間のようにやられるところだった。
「な、なにやってるんだこんな所で?」
彼女のいた場所は、だだっ広い広場の真ん中。そこには何もなく彼女一人がぽつんと立っているだけだった。
「あんたには関係ない・・・。」
と無愛想にそっぽを向いた。
「そりゃ、関係ないけど。なんか気になるだろ。こんな所に一人でいたら。」
「あんたも一人だけどね。」
なんだか揚げ足を取られた気分だ。
彼女は遠くを見上げる。何を見ているかは分からなかった。その顔は、あの時の獣の顔ではなく、普通のよくいる少女の顔だった。
「・・・あと10分。」
「へ?」
「あと10分私に付き合ってくれたら、教えてあげる。」
ケータイの時計を見ながら言った。
「なんで10分なんだ?」
「そんときになったら分かるよ。」
「・・・・・?」
よく分からないが、とりあえず15分付き合ってみることにした。
「じゃあ、えっと、自己紹介から。俺は藤井友喜。よろしく。」
と手を出す。
「私は根岸星那。」
相変わらずそっぽを向いている。
「・・・どこ見てんだ?」
「さぁね。」
「まぁいっか・・・えー、いきなりだけど、どこの学校の子?」
「ほんと、いきなりね。ってかナンパかよ。――――― そうね、学校は今捜し中。」
「捜し中?引っ越してきた、ってことか?」
「そう、だから、捜し中。」
「そういうのって引っ越す前に決めるものじゃないのか?」
「私もそう思ってたけど、ここでは違うみたい。もっとも、ここ限定じゃないかもだけど。」
ということらしい。今度調べてみよう。
「じゃあ違う質問。え~っと聞きにくいんだけど、年齢って・・・?」
「17。」
それだけ答えた。
「そっか、同い年か。もしかしたら同じ学校で同じクラスになるかもな。」
と冗談交じりで言った。
「そう、じゃあ考えとくわ。」
返ってきた答えが意外だった。それは本気なのか冗談なのかは分からなかった。
間違いなく呆れられるか何か攻撃がくると思ったのだが。
「・・・じゃあもう1個。なにか格闘技やってるのか?」
これは一番聞いておきたかったことだ。
「ええ、ボクシングをね。正確には『やっている』じゃなくて『やっていた』ね。」
「や、やっぱり・・・。っていうか人を殴っていいのか。」
「一般的にはダメでしょ。あんときは例外。れっきとした正当防衛よ。」
「いや、それでもあれは・・・。」
その時のことを思い浮かべる。
なにもできずに地面へと叩きつけられる男たち。傍から見ればどちらが襲われているのか分からない。
まぁ、彼女の言うように、ちゃんとした正当防衛だったが。
「それじゃあ、あのまま連れられて、人様には顔向けできないようになれと。」
「いやいやそこまでは言っていない。ほら、こうなんていうか、もう少しやりようがあったというか。・・・それに、俺も巻き込まれたし。」
「あんときのことは謝ったでしょ。」
根岸は不満そうな顔をした。
「まだ根に持ってるの?ったく心の狭い男ねー。」
「べ、別に根に持ってるわけじゃ・・・。ただ、もう少し手加減してほしかった。」
正直なところ、根岸にやられたところは未だに痛む。
「そ、それは、ごめんなさい。悪かったとは思ってるわよ。」
根岸はシュンと落ち込んだ。
根岸は意外な反応が多い。さっきまでツンツンしていたのに急におとなしくなった。
なんだかこっちが悪いことをしている気分になる。
「あーえっと、やっていたってことは、もうやめたってことだよな。なんでやめたんだ?」
「・・・1位になったから。」
「1位?」
「そ、全国で優勝したからやめたの。」
「ぜ、全国ぅ!?」
全国というとあの全国である。つまり日本一強い女性(高校生)である。
よく俺は生きていたものだ。
「優勝したのにやめたのか?」
「ええ。」
「どうして?」
「・・・そうね、1位になりたかったから。
――――― 私は今まで1位になったことはなかった。勉強も運動も身長も体重も・・・体重は1位になりたくないけど。とりあえず何でもいいから1位になりたかった。
ボクシングを始めたのはたまたま。近所にボクササイズをしている所があったの。元プロの人が経営していてね。その人と近所付き合いがあって、それにちょっとだけ顔を出した。そしたら君には素質がある、とか言われて始めたの。
最初は乗り気じゃなかったわ。殴り合いなんて好き好んでするもんじゃないでしょ。そういう人もいるけど。でも、私はそっち側の人間じゃなかった。
そのうち試合とかもするようになって、そしたらすんなり勝てちゃって。なんかいつの間にか超高校級とか言われるようになっていた。
私は思った。これなら1位になれると。
そして、ホントに1位になってた。想像以上にあっさりしてた。頂点とはこういうものなのか、と。」
それで根岸の話は終わった。
結局理由がよく分からなかった。ボクシングを始めた理由は分かった。でも、やめた理由が分からなかった。頂点へと上りつめたからやめる、というのは理由になっているのか。そこまで辿り着いたのならばもっと続けようとは思わないのか。
「優勝したからやめたのか?」
「そうよ。もともと1位になることが目的だった。それ以外は何もない。1位になったのだから、それ以上ボクシングに求めるものはなかった。だからやめた。」
そう、根岸はボクシングに何かを求めていたわけじゃない。1位になることを求めていた。そしてそれが叶った。目的が達成された以上それを続ける理由など存在しなかった。
「でも、なんかもったいないよな。」
「・・・そうね、もったいないわね。これだけの力があれば、ボクシングで飯を食べていけたかもなのに。」
「そ、そっち!?」
「?じゃあ、なにがもったいないの。」
「いや、そこまで続けられたのは1位を目指していた、ってのもあると思うけど。やっぱりボクシングが好きなんじゃないかなって。好きなものをそんなにあっさりやめるなんてもったいないなーって思っただけだよ。」
「ボクシングが好き?私が?・・・そう、かもね。じゃなければ、あんな殴り合いやりたくないもんね。そうか、私もそっち側の人間だったか。」
「・・・また、始めようとは思わないのか?」
「ええ、もうやらないわ。だって、そんな単純な動機で始めて、そんな単純な理由でやめたんだから、本気でやってるみんなに迷惑なだけよ。それに、そんな気付かない『好き』なんて、ホントの『好き』のうちに入らないじゃない。今でも殴り合いは好きじゃないしね。だからもう、やらないわ。他のもっと、自分で気づけるような『好き』を見つけたいし。」
「そうか・・・。」
彼女のボクシングは、まるでクリアすることだけが目的のロールプレイングゲームのようだ。クリアするまでのストーリーは関係ない。面白とか、つまらないとか、そういうことではなく、ただクリアするのみ。ロールプレイングをするのではなく、クリアというもののみに意味を求める。
彼女はクリアしてしまった。目的を達成した。だから、そのゲームはもう起動させることはないだろう。
クリアすることだけではなく、その過程の全てを好きだと思えるもの。根岸はそれを捜したいのだろう。
「・・・そろそろ時間よ。」
根岸は再びケータイの時計を見て言った。
「なにか始まるのか?」
無言のまま空を見上げる根岸。
そのとき、どこからともなく女性の歌声が聴こえてきた。
「これは・・・?」
「どう、綺麗でしょ。」
根岸の言葉通り、それはとても綺麗だった。そして、懐かしくも感じた。
どれほどの時間だったかは分からないが、その歌声はすぐに消えた。
「これを聴きに?」
「ええ、そうよ。前にたまたまこの時間に通りかかったら、この歌声が聴こえてきてね。とても綺麗だったの。また聴きたい、って思って次の日も同じ時間に来たら、また聴こえてきて。それ以来これが日課になっちゃた。」
「そうなんだ。・・・歌が好きなのか?」
「歌?・・・そうね、歌じゃなくて、この声が好きなのかな。」
あの女の人が歌っている曲が何なのかは分からない。それでも聴いていて綺麗だと思えるということは、この声が好きだということなのだろう。
「私、歌なんて普段聞かないからね。今まで、この歌手が好き、なんてことにもなかったから。」
「へー、じゃあ初めてファンになった歌手ってことか。」
「ファン・・・か。うん、これだけ聴き惚れる、ってことはファンってことよね。」
話をしている最中にまた歌声が聴こえてきた。
彼女が見上げる先を見てみると、そこは展望台であった。根岸が見ていたのは空ではなく展望台の人影であった。
なるほど。あそこからならこの辺り一帯に声が届く。
「あの人プロかな?」
「さぁ、どうだろな。」
プロがこんな所で練習をするのか、はたまたプロだからこんなとこで練習をするのか。
「もしプロだったら穴場発見ね。」
「穴場って・・・でもなんか悪いよな。本当ならお金を払って聴くものなのに。」
「練習なんだったら別にいいんじゃない。練習にまでお金を払って聴け、なんてがめついわよ。」
「がめ・・・?」
「・・・え?あれ、がめつい・・・ってしらない?もしかして方言。」
「少なくとも俺は知らない。」
「あ、そうなんだ・・・。えーっと欲深いとかそういう意味よ。」
「ほう、なるほど。」
「で、なんだっけ・・・?」
「練習にお金がどうとかって・・・。」
「そうそう、そうだった。でも、相手がお金を払えっていうなら払うわよ。ちゃんと歌ってくれるならだけど。」
「確かにプロが1曲ちゃんと歌うなら、お金を払う価値はあるよな。生で聴けるわけだし。」
そうこうしているうちに、また曲が終わっていた。
しかし本当に綺麗な声だ。素人でも分かる綺麗な声。間違いなくプロ級(プロだったら申し訳ない)だ。
そしてこの懐かしさ。何なのだろうこの感じは。
「・・・いや、まさかな・・・。」
こういうときの予感というものは、だいたい当たっているものである。・・・というのを前にも言った気がする。
「どうしたの?」
「いや、知り合いの声に似てるかな~って・・・。」
「・・・あんたの知り合いにプロでもいるの。」
ものすごい疑った目で見てくる。
「あー、プロはいないけど、それに近いやつならいる。・・・いやホントに。」
「ふーん。」
全く信じていない様子の根岸さん。
「ま、別にどっちでもいいけど。」
「うん、ホントにどっちでもいいんだけどな・・・。でも・・・なんか気になるなー。」
「なら、行けばいいじゃない。」
「へ?」
「へ?じゃなくて、気になるんでしょ。だったら行けば?」
「いや、でも・・・。」
「でもなに?もしかして、ずっと私といたいわけ。」
なんだかちょっぴり、というより思いっきり含みのある言い方だ。
「そ、そんなわけないだろ!」
「・・・思いっきり否定されるのも、なんか嫌ね。」
「じゃあ言うなよ・・・。」
「・・・ま、でも気になるんなら確かめておけば?じゃないと後悔するかもね。」
「後悔って・・・。」
いくらなんでも大げさではないか。
「何事もはっきりさせておくことが大事なのよ。確かめないとすっきりしないでしょ?」
「まぁそうだけど・・・。」
「いつまでこんなやりとりしてるつもり?あんたがそんなこと言うから、私も正体が気になってきちゃったじゃない。ほら、早く行きなさい。そして結果を私に教えなさい。」
ドンと背中を押す根岸。
「うわ!・・・っと。」
危うくこけそうになる。
「はぁ、分かったよ。じゃあ行ってくるよ。結果が聞きたいならそこで待ってろよ。」
「あまりにも遅かったら帰るけどね。」
「・・・好きにしていいよ。」
根岸の性格が少しずつ分かってきた気がした。とりあえずデレの少ないツンデレだ。いずれはツンツンデレからツンデレデレに変わるのだろうか・・・って何を考えているのだ俺は。こりゃゲームのやり過ぎだな。
とりあえず、気になる歌声の正体を確かめに行くことになった。