縁は異なもの味なもの
1
二つ年下の妹のところの三歳の子が、肺炎にかかって、鹿児島市谷山の病院に入院して、三日。そろそろ、自宅の事や自分自身もお風呂を浴びたいわ、との連絡を受けて、姉の寺園幸子は、日曜日の朝八時に、小学四年生の娘、心春と車に乗り込んだ。
なぜ、これほど朝早いかと言えば、酒乱の旦那が起きてこないうちに、出掛けたかったからだ。殴られない日はないというくらい酷い旦那だった。
幸子は、夕べも足蹴にされた左内腿を擦りながら、アクセルを踏む。
後部座席右には、心春が座っていた。
軽自動車の箱バンで、後部にエンジンが載っているタイプで荷室は広いが、後部座席はビニール製で背もたれが短く直角で、快適さはない。
それでも、心春はこの車が好きだった。小さな後部座席を畳むと、広い荷室に布団を敷いて、寝転がれる。よく酒乱の父が暴れだすと母、幸子と二人してこの車で逃げ出し、近くの公園の駐車場で、一晩明かしたものだった。
その時、必ず幸子が唄う歌が、心春は好きだった。
「幸せを数えたら片手にさえ余る。不幸せ数えたら両手でも足りない・・・」
ばんばひろふみの「SACHIKO」だった。
幸子は、心春を思い、車中泊を不憫に思っていたけれど、心春は子供のバイタリティーで、楽しんでいた。
今も、荷室には、布団一式が置いてある。
クーラーとラジオが付いていて、前と後ろにちゃんと走りさえすれば、車としての不自由さは感じなかった。豪華さは、必要なかった。
小さな一戸建てを買い、酒乱の旦那は大型バイクを二台も購入。屋根だけの車庫には、その二台が停まっていて、軽バンは雨ざらしだった。
介護士として、近くの病院で働く幸子の給料と、たまに思い出したように、日雇いの仕事で貰う、旦那の日当ではとてもやっていけず、幸子の実家に、よく食事に帰っていた。旦那の分は、タッパに貰って帰っていた。
お金の工面もしていた。車で二十分と掛からない距離なのも助かった。実家の方では、そうは思ってなかったかもしれないけれど。
国道10号線を、鹿児島市方面に走る。やがて、左側に鹿児島湾が見えてくる。四月の朝の弱い陽に、キラキラと水面が煌めく。その向こうに、桜島。
片側二車線に入ると、養魚場のイカダが無数に見えてくる。右側は、切り立った山々が連なっている。
幸子も心春も、春の清々しい好天のもと、笑顔だった。
新年度、なん組になるのか、友達の誰々と一緒になるのか、先生は誰になるんだろう。話しは、尽きなかった。
ラジオでは、10分間の県内ニュースが、昨日起こった、鹿児島市コンビニエンスストア天保山中学校前店のコンビニ強盗のことを放送していた。
それによると、犯人は中肉中背、身長は170センチほどで、黒のジャージ上下に、短髪。押し入ったときは、サングラスに、白いタオルで顔を隠していた。と言う。
「なにを盗ったんだろ?」
心春が、後ろから身を乗り出して、幸子に訊ねる。すると、ラジオから、
「犯人は、タバコを二個奪い逃走。今なお、捕まっておりません」とタイミングよく喋ってくれた。
「昨日のテレビで見たけど、ニコチン0.1㎎のタバコだったよ。健康に気を遣う強盗なのかな」
幸子は、そういうと笑った。心春も、
「普通、現金だよね」と相づちを打つ。
右に、仙巌園が見えてきた。つい先頃も、薩摩のお殿様、島津家伝来の雛人形が飾られ、春祭りを開催していたところだ。
鹿児島市内から、市外向けの車の検問が行われていた。朝が早いからか、渋滞は起こっていなかった。
幸子たちの車は、そのまま市内に入った。
鹿児島市に入って、左に桜島フェリーの発着場が見えてきた。少し、行ったその先のコンビニに入る。
先日、幸子の給料が出た。
いつもなら、飲み物は水筒にお茶を持参。おにぎりなどの食べ物も、自宅から握ってくるか、夕方のスーパーの安売りで買った惣菜をひとつだけ持参しての、短いドライブだった。
長く留守にすると、パチンコに負けて早々に帰って来た極悪旦那に、暴力を振るわれるからだ。
給料日の最初の日曜日だけは、コンビニで買い物ができた。とはいえ、幸子はコンビニの煎れたてコーヒ一杯だし、心春はツナマヨのおにぎり一個だった。
二人の好きなものは、変わらなかった。いつもそれだった。
車に戻る。幸子が、重くなった運転席側の後ろのスライドドアを、心春のために開けてやる。
心春は 乗り込むとしばらくは両手に、ツナマヨのおにぎりを載せて、眺めていた。ひと月一度の、贅沢だった。
「ひゃっ!」
幸子が、コーヒーの小さな飲み口を開けて、一口飲もうかとしていたところに、後ろから悲鳴があがった。
何事かと、ルームミラーで後ろを見やると、後部座席のその後ろの荷室から、心春のこめかみに拳銃を押し当てた見知らぬ男がいた。
心春も驚いていたが、ツナマヨのおにぎりは落とさなかった。
ちょっとの間の、車の施錠忘れ。特に、朝早くの空いた駐車場での、一瞬の気の緩みだった。
その男は、低い後部座席の背もたれを、跨いで椅子に腰かけると、
「車を出せ」と作ったような、低い声で言った。
幸子は、言われるままに、発進した。
2
「おじさん、昨日のコンビニ強盗でしょ?」
車が、片側三車線の産業道路に入った頃に、寺園心春は、突然車に乗ってきた男に、訊ねた。
母、寺園幸子が、チラチラとルームミラーで伺うも、男は黙っていた。
「だって、昨日のまんまの服装だもん。黒のジャージ上下に、サングラスに。白いタオルはないけど」
男のだんまりよりも、幸子は心春の言動が気になっていた。
最近、 酒乱で暴力を振るう極悪旦那に、言葉遣いが似てきたからだ。
学校で、心春が友達と喧嘩になったと呼び出しがあったことがある。その時の友達の言うことには、
「寺園さん、ヤクザみたいだった」と。
一度、心春が酔っ払った旦那に、
「昼間っから、恥ずかしくないのっ。酔っ払い!」と言い放ったことがある。旦那は心春には手を上げない。その日も、幸子が代わりに殴られた。
それを見て、心春も余計なことを言わなくなった。自分のせいで母が殴られるのは、忍びないと思ったのだろう。
心春は父が心底嫌いだけれど、ひとつ屋根の下、暮らしていれば似てしまうのかもしれない。幸子は、そう思っていた。
幸子は、コンビニ強盗が何処へ行けとも言わないので、そのまま妹の子供が入院している、谷山にある病院に向かって走っていた。
そして、このまま行けば、先程のラジオで言っていた、警察の検問所のひとつに出くわすはずだった。
鹿児島市内から、市外へ通ずる主要道路を封鎖して、犯人を市内に閉じ込めようとする、警察の作戦なのだろう。
右に、ラウンドワンが見えてきたとき、突然、後ろの男が喋った。
「指宿に行ってくれ」
なるほど、道はこのまま指宿に通じている。だから、黙ってたのか。幸子は合点した。
「ダメだよ、おじさん。あたしたち今から、あかりちゃんのお見舞いに病院に行くんだよ」
あかりとは、幸子の妹の子供の名前。
「心春、黙って。指宿のどこまで?」
幸子も小学六年まで、指宿に住んでいた。もし、後ろの男がそこに住んでるのであれば、年格好からして、知っているかもしれないと思った。
「指宿に入ったら、また細かく言う」
男の言葉は短い。喋るのが億劫そうだ。
落ち着いてきたからか、男が脇腹を押さえるしぐさをよくしているのに、気づいた。
「何で、コンビニ強盗何てしたの?何で、お金じゃなくて、タバコなの?好きなの、タバコ。体に良くないんだよ」
心春が、喋りだした。ラジオも切られて、静かな室内で退屈してきたのかもしれない。が、幸子は、気が気ではなかった。
「色々あるのよ。大人なんだし」
幸子は、コンビニ強盗とおぼしき男の擁護に回る。
怒らせないためだ。そこら辺は、極悪旦那で勉強が要っている。
「でも、お金を払わずに物を盗っちゃいけないんだよね。それとも、おじさんの通った学校では、理由があれば強盗オーケーなの?前にね、あたしの父が『俺と心春じゃ、通った学校が違うから、考え方も違うんだ』って、言ってたの」
あの事件の時の事だ。幸子は思いだした。
昔は、大人は仕事がない日は、朝からお酒を呑んでもいいのだという、極悪旦那の詭弁だった。
学校が違えど、そんなことを教える学校はないだろう。
「お前、よく喋るな」
男が、苦笑いのように口元を歪めながら、心春に言った。言葉の強さから、怒っては無さそうだ。
突っ慳貪な、事を言っても不思議と心春は怒られない。また、相手を怒らせない。
それは、言葉の柔らかさから来るのか、声質からくるのか。得な子なのかもと、幸子は考えていた。
「怖くないのか?」
絞り出すような声。脇腹を掴むようにする男はやはり、具合が悪そうだ。それには、気づかずに心春は、
「うん。だって、あたしの父より優しそうだし、その拳銃だって、先が詰まったオモチャだし」と、そう言った。
コンビニ強盗と幸子は、同時に、えっ!と叫んでしまった。
「なんだ、気付かれたか」
コンビニ強盗は、苦笑いでモデルガンをジャージの上着のポケットにしまう。三分の一は飛び出していた。
「お父さん、恐いのか?」
「うん。お母さんに暴力を振るうの。あたしは殴られないけど。働いてないし、お酒ばかり飲んでるし。大っ嫌いっ」
心春の言葉に、
「そうなのか、お母さんも大変ですね」とコンビニ強盗の気遣い。
「そう言えば、頬に痣が。それも殴られたときのもの?」
コンビニ強盗の指摘に、思わず左頬を隠す幸子。ファンデーションでは隠せないのか、少し照れた。
「僕のうちは、母親が恐くて。恐いと言うか、ぶっちゃけ、変態趣味と言うか、変態夫婦なんだ」
コンビニ強盗は、話し出した。
何でも、コンビニ強盗の母は、痩せこけた父の二倍のふくよかな体をしていると言う。
そして、その体を締め付けるように、レザーコルセットのスカート一体型SMボンテージ編み上げドレス、ゴールド金具付きで身を固めるそうだ。
ミニスカートから出た脚は、黒い網タイツをはき、それはまるでボンレスハムのようだと言う。
母がSなら、父はM。壁に張り付けられ、鞭で叩かれ、ろうそくを垂らされては、恍惚の表情で果ててしまうらしい。
「ある日、いつもと同じではつまらないと感じた母が、壁に張り付けた父に、登山ナイフで切りつけたんです。そしたら、お互いに凄く興奮したらしくて、思わずズブッと」
「ズブッと?」
幸子と心春が目を丸くして同時に、訊いた。
「脇腹を、刺しちゃったんです」
どうやら、癖になるものらしい。
その後も二回、殺傷事件があって、その度に警察沙汰になったそうだ。
その話に、幸子は聞き覚えがあった。当時は子供だから、詳しくは聞かされなかったけれど、よく警察が来ていた家があり、また親からは、そこの家族には近づくなと言われていたのを思い出した。
「窪園信太郎君?」
幸子は、訊かずにはいられなかった。
「えっ」
コンビニ強盗は、少したじろいだ。
当たりのようだと幸子は確信した。さらに、
「あたしよ、幸子。山下幸子」
山下は、旧姓です。
「マジっ」
コンビニ強盗は、サングラスを外して前のめりになる。
その時、目の前に赤く光る誘導灯を振る警察官が見えた。
検問だった。
3
七ツ島プール場を右に見て、しばらく走ると、急速に道路の車線が減っていく。
片側一車線になるその手前で、警察が検問所を設置していた。
長い渋滞ができている。
「検問か・・・」
脇腹を押さえ、すでに額からも玉の汗が吹き出ている。
コンビニ強盗、窪園信太郎は明らかに何らかの疾病をその腹部に、抱えていた。
検問にかかるまで、あと五台ほどになったとき、寺園幸子は車を左の脇道へと走らせた。そのまま行くと、工場の材木置き場があり、谷山港の突堤に出る。
何台か、釣り人が車を止めているが、堤防の幅は車がすれ違えるほどには広かった。
窪園信太郎は、その釣り人たちにも顔を見られたくないのか、俯き加減に車内中央を見つめていた。
悪いことをすると、知らない人にも顔向けできない、後ろめたさが出るものなのだ。
釣り人らの車が遠ざかった所に、幸子は車を停めた。エンジンも切る。振り返ると、しばらくは無言で汗を滴らせる窪園を見つめていた。
窪園も、なぜだか目が離せずに、二人は見つめ合う形になった。
そこで、
「ご・ほ・んっ!」
一音一句、滑舌のいい咳払いを寺園心春が発した。
「あのさ、あたしも居るんですけど。なんなら、出てましょうか?釣りをしてるおじさん達と仲良くなって、今夜のおかずに、二三びき貰ってきてもいいわよ」
その大人びた台詞に、窪園も幸子も吹き出した。それが、引き金になったようだ。
「信ちゃんは、覚えてる?あたしが、引っ越した時のこと」
おもむろに、幸子が話し出す。
「うん、覚えてる。さっちゃんがJR指宿枕崎線のディーゼル車に乗って走ってくのを僕が自転車で、国道226を追いかけたんだ」
しっかり覚えてることを、印象付けたいのか説明が、微に入り細にいっていた。
「あたしをスルーした」
心春は、膨れっ面をしながらも、後ろの荷台に移動する。半分、布団を広げて毛布だけ被る。車内を横向きで寝て、身長はギリギリだった。
「喜入まで追っかけたんだ。チェーンが外れなきゃ、そのまま市内まで行っていた」
「何で、そこまで?」
「そりゃ、その・・・」
照れで言葉に詰まったのか、腹痛からか、わからなかったが、窪園は大きな左手で、顔の汗を拭った。
「僕が家庭のことで、ひとりぼっちで川原で泣いていたとき、さっちゃんが歌ってくれたよね」
その言葉に、幸子は深く頷く。そして、ふたり同時に、そのフレーズを歌い出す。
「笑い方も忘れたときは、思い出すまでそばにいるよ」
「ばんばひろふみの、さちこね」
心春は、それ知ってるわと得意顔だ。
「あたしも、好きだったのよ」
突然の、幸子の告白に荷台の心春も、目と口をパックリと開いた。
「お母さん、あたし『も』って」
まるで、あなたもあたしを好きだったんでしょ、と確定しているみたいだ。心春は内心そう思った。
「さっちゃん」「信ちゃん」呼び合う二人。
「あ~ぁ」
心春は、呆れて寝返りを打つ。
「勝手にしてよ」
寺園幸子は、窪園信太郎に交換条件を持ちかけた。
このまま、窪園信太郎が警察に捕まれば、コンビニ強盗と、いたいけな親子の車のハイジャックまでの罪になる。そこで、あたしたちが黙ってれば、コンビニ強盗ですむ。
今までの判例だと、懲役二年、執行猶予五年、て所だろう。牢屋に入らずに済むのだ。
「そこで、あたしからのお願いなんだけど」
幸子が、伏し目がちになりながら、座席の上に正座した。
「信ちゃんにって言うか、お母さんに、なんだけど」
4
寺園兼人が、目を覚ますと、妻の幸子も娘の心春も、すでに仕事と学校に行っていて、静かな部屋に一人きりだった。
いい夢を見ていた気がする。でも夢は直ぐに忘れてしまうものだ。
丸い壁掛け時計は、11時を差していて、さて朝飯にしようか、昼飯にしようかと悩んでいた。
とりあえず、起きてみるかと半身を起こしたとき、玄関のチャイムが鳴った。
上下紺色に、横に二本の白線が入ったジャージのまま、尻を掻きながら玄関に応対に出る。
チェーンはかけてなかった。不用意だったと思っても後の祭りだった。
玄関のドアを開けてすぐに、ハンカチで口を押さえられた。と途端に、またさっきまでの夢の中に、落ちていった。
「さぁ、お前はこれから、私の奴隷になるのよっ!」
言葉のあとに、激しい火花が散るような、床を叩く鞭の音が、地下室に響き渡った。
指宿市の、表向きは普通のスナック。しかし、その地下には、会員制の秘密クラブが、毎週土曜日開催されていた。
とはいえ、ほとんどお客はいなくて、スナックのママの趣味でしかなかったけれど。
ボンテージファッションに、身を包んだ窪園信太郎の母は、寺園兼人を調教するように申しつかっていた。
彼女からすれば、そろそろ自分の旦那にも飽きがきていて、寺園兼人は丁度いい、獲物だったわけだ。
「私に任せときな。りっぱな、Mに仕立てあげるよっ」
母は息子に、電話口で高笑いした。
あの日。窪園信太郎と密約を交わした、寺園幸子は、車を指宿ではなく、谷山の妹の子供が入院している病院に走らせた。
総合病院なので、おそらく盲腸炎だと思われる窪園信太郎を診てもらえるはずで、その後、警察が来ることになるだろう。
警察も、鬼ではないから、手術後直ぐの窪園信太郎を連行はしないだろう。
もちろん、寺園幸子、心春親子は赤の他人を装うのは、言わずもがなだった。
予想通り、初犯と言うことと、再犯のおそれも、逃亡のおそれもないと言うことで、五年の執行猶予がついた。
幸子と窪園の二人は会うことはなかったが、メールでやり取りを続けていた。途中からは、窪園の母もメル友になり、
「そろそろ、あんたの旦那もいい具合に仕上がってきたから見に来なよ。無料で叩かせてあげるよ。なんたって、元々はあんたの持ち物だしねぇ!」
ギャハハハっ!と突き抜けたメールを毎回、送ってくれていた。
「娘が、成人したら、一緒に伺います。そのときは、よろしくお願いします」
そう、慎ましやかに返信した。
五年がたつ頃。寺園幸子と心春は、姶良市役所加治木支所にいた。離婚手続きに来ていた。
夫婦の片方が五年、行方知れずになった場合、片方の意志だけでも離婚ができるのだった。
「あー、晴れてあたしたち、母子家庭になったね」
伸びをしてその両手を下ろしながら、隣を歩く高校生になったばかりの心春に、抱きつく。
「なんか、いい感じだね」
心春も、母と共に笑った。
そばを流れる川沿いの、公園を二人で歩く。
桜並木はまだ蕾だが、やがてはその公園も花見客で、昼夜問わず賑わうだろう。
コンクリートの長椅子に二人腰かける。
春の川風が、ほの暖かく頬を撫でる。
親子は、会話が少なくとも思う心根は一緒だった。
これから、今までの分も取り戻すのだ、幸せを。
そんな気持ちでいた。
するとそこへ、公園横の道路に一台の小型のミニバンが止まった。歩道に乗り付けた、その車の助手席の窓が開くと、そこには窪園信太郎の顔があった。
五年の執行猶予が、明けたのだった。
「やぁ、さっちゃん、心春ちゃんも、お待ちどう。乗って乗ってっ」
そういうやいなや、助手席側の後部座席のスライドドアが、自動でスルスルと開いた。
「わぉっ」
幸子と心春は、同時に驚きまた、笑う。
「お邪魔します」
二人は次々に乗り込み、また自動で閉まるドアに、
「およよっ」と今度は芝居がかった声を出しながら、のけ反る仕草をしてまた、笑い合う。
「とりあえず、コンビニね」
涼しい顔で、心春が言う。
いつもの、コーヒーとツナマヨのおにぎりを買うのだ。
車は、桜並木を通りすぎ、三叉路を右折して、やがて姿が見えなくなった。
それでもまだ、三人の笑い声が、桜の蕾を揺らしていた。
おわり
*これはフィクションです。
「2016年3月23日」