幼馴染との縁を切らない話
ヘレナと縁を切ってから二日になる。清々しい気持ちで伸びをした。パーティメンバーとの相部屋ではない宿は広い。とても広い。なにせ腕をぶつけてキレられる事なんてないのだ。
そもそも俺が都会に出て、最前線で戦う冒険者とパーティを組むこと自体おかしいのだ。こちとら凡人だぞ。畑を耕すかモンスターと戦うかで迷って、僅差で楽かなと攻撃魔法を勉強した男だぞ。しかも独学だぞ。
だから、ヘレナみたいな天才についていける訳がないのだ。
――ウィルは私の荷物持ちだから!
澄ました顔でそう言って憚らない幼馴染に付き従ったのは、あいつが心配だったからだ。腕力ばっか育って常識の無いあいつが人様に迷惑かけやしないかとか、アホなのでおだてられて人攫いに遭わないかとか、悪い男に引っかかりやしないかとか。
でも、そういうのは全部やめだ。そもそもただの幼馴染、あいつがどこで野垂れ死のうが俺には関係ない。
実力に見合わない戦場に連れていかれてアホだのグズだのノロマだの、仲間とは名ばかりの奴らに罵られずに済む。それだけで清々しい気分だ。
確かヘレナとその仲間達は新しい迷宮に挑むのだったか。今頃は偵察を終えて一旦街に帰ってくる頃かな。
どうでもいい。さて、手紙も出したしそろそろ故郷に帰る準備でも整えて
「ウィルーーーーー!」
と、思っていたら。
蝶番が弾け飛び、扉が吹っ飛ぶ。その奥から現れたのは、そんな細腕のどこにメスゴリラみてぇなパワーがあるのか分からない幼馴染である。いつもはきちんと纏めてある金の髪を振り乱して、大股開きでこちらにやってくる。
怒りか、羞恥か、爆発しそうに赤い顔。正直滅茶苦茶怖いので動けなかった。だってこいつが一発殴れば俺死ぬぜ。
「だ……っ」
「だ?」
両肩をがっしり掴まれる。握り潰さない程度の配慮はあるようだが結構痛い。
こいつは昔からそうだ。他人の気持ちも痛みも分からない。俺が怪我をするまで「痛いと思ってる」って事を理解してくれないのだ。
そんな自分勝手を極めたようなこいつが言い淀むなんて珍しい。死ねとか全財産寄越せとかでも笑顔で言うようなクズなのに。
「だい……だい……」
「なんだよ、パーティ資産の分配ならこれ以上は出るとこ出て争うぜ。これでもカツカツなんだ、いくらお前でも」
「ちーがーうー!」
名状しがたい表情で、獣みたいに牙を剥いて、ヘレナは叫んだ。
「大好きーーーー! やだーーーー! 行かないでーーー!」
ダンジョンを攻略中に、パーティぐるみで『正直の呪い』を受けたらしい。自分の心に嘘を吐くほどに弱体化していくそれは、時にひどく効果的だ。
性格の悪いヘレナを雇い入れるような、人間関係がボロボロのパーティが崩壊するぐらいには。
「リーダーにキモいしねセクハラとかずっと陰口言ってたもんな、お前」
「えぐえぐ」
「んで、リーダーはマジでお前の身体目当てだったんか。まぁ顔は良いもんなぁ」
「ぶえぇ」
「痴情のもつれの果てに、呪いのせいでクソザコになったお前は大義名分アリアリで放り出されたと」
「ひぃん」
ヘレナは一時期部屋の隅で泣いていたが、寂しくなったのか俺の胸元で涙と鼻水を拭っている。
女を胸に抱くの、もっとロマンチックな奴だと思ってた。つれぇ……。
「まぁ、なんだ。お前にパーティなんて早かったんだよ。地元でやり直そうぜ?」
「こどもあつかいしないで」
声が震えていては迫力もない。
「ていうか、へんじは。ないの」
「何の?」
「好きって言ったじゃん! 弱体、解除するために!」
その後に「マジで屈辱」とか「なんで私から告白しなきゃいけないの」とか「今まで何も言ってないとかありえない」とか散々言ってたけどな。泣きまくってたけど、被害者は十割俺だよ。
思わず溜め息が出る。
「お前ね、アホだから勘違いしてるんだよ。まともな付き合いは俺だけでしょ」
「めっちゃくちゃモテますけどォ!?」
「遠巻きにな。本性分かったら縁切られてるじゃん」
口をぱくぱくさせていた。
高嶺の花に恐れをなしただけ、なんて気取っているこいつにいつも調子を合わせていたが、いい機会だ。言ってやろう。
「お前を誘った男、毎回俺に同情して帰っていくんだぞ。お前の相手は慈善事業じゃなきゃ出来ないって」
あの猛獣を解き放たないでくれ――とか言われてるのは流石に伏せておく。俺にだって情けはある。
歯ぎしりしながら青ざめていた。自分の今までの態度がどんだけ恥ずかしかったか、気付いたらしい。
「き、き、気付いてましたけど! あいつらがざいあくかん的な奴抱かない為に!? きじょーに振る舞ってただけですけど!」
「そっか」
頬をむにーっとしてみた。
振り払おうとする腕の力がとんでもなく弱々しかった。呪いって便利だなぁ。
「ん、そっかそっか。で、本当は?」
「ウィルに聞いて初めて分かりましたぁ……めっちゃはずい……」
それだけ言うととんでもねぇゴリラパワーで振り払われた。そのまま人の服でずるずる鼻水をかんでいる。
とりあえず旅立つ前に洗濯はしないとなぁ。故郷に帰るのは少し遅らせよう。
「へんじ! へんじ! こくはくのへんじー!」
「そもそも告白じゃないのでは」
「女の子が好きつったのに、返さないとかクズじゃん!? 殺すぞお前!」
本当に素手で絞め殺せるので洒落にならない。告白とやらの返事をするしかないようだ。
「別に何とも思ってない訳じゃないよ。情の無い相手についていく訳ないし。近所の犬ぐらいにはお前の事が大事だぜ」
「うがーーーーー!」
しねしね言いながら殴ってくるが、全然痛くない。物心ついた時から岩みてぇな拳だったので新鮮だな、これ……。
少し考え込んで、ヘレナは叫ぶ言葉を変えたようだ。
「死なないでーーーー! ずっと一緒にいたいよーーーー!」
ちょっと痛くなった。
話し合いの結果、ヘレナと二人で冒険者を続ける事となった。実家に帰るかどうかは様子を見て、だ。
というのも、渋るヘレナの頬をむにむにしながら真意を聞き出した所によると
「地元やだー! みんな私のこと嫌いだし、実家の仕事、私下手くそだもん!」
ヘレナの実家は布の工場だ。女に生まれたからには幼少の頃から織物を叩き込まれるが、まぁ勿論こいつは手先が不器用であり、口も性根も悪く、根気もない。なんとなくそういう空気は感じていたが、やっぱり実家とは仲が良くないらしい。
対し、この都会ではヘレナは有数の冒険者である。実績も名声も上から数えた方が早い。
実家でゴリラじみた才能を腐らせるよりは、ここで人様の為になった方がいいのではないか。そう考えての事である。
「とりあえず二人になったし、難易度低い奴受けてこうな」
「はぁ!? 私ならA級でも余裕なんですけど!」
ぐいぐいクエストカウンターに引っ張ろうとするヘレナに力では勝てない。プライドばかりが高いこいつを口で説得するのは相当骨の折れる作業だ。
けど、対処法は出来た。
「そっか。二人でゆっくりするのもいいと思ったんだけどな。薬草摘みとかデートみたいなもんじゃん」
「は、はあああ!? 今更そういう事言ったって騙されないかんね! 犬扱いした後だよ!?」
ずるずる。明らかに引っ張る力が弱くなった。
具体的には、さっきまで俺の身体は宙に浮いていたが今は足を引きずっている。
「犬みたいに可愛いとは思ってるんだ、ワンチャンあると思わないか? 俺だって恋愛経験豊富な訳じゃないし、雰囲気に流されるかも」
「なんで冷静なの! めっちゃ自己分析出来てますみたいな言い方! そーいうのクッソムカつく!!!」
足が止まった。とうとう引っ張るほどの力もなくなったらしい。
「……で?」
「そーいう理屈っぽいトコもかっこいいと思ってますーーー! これでいいかよーーー!」
ずるずる引っ張られていくが、これでヘレナも理解しただろう。俺の言葉を否定するような行動は出来ないと。
いや、律儀に返事とかしなければいけるんだろうが、ヘレナはそういう事を考える頭もなければ、我慢する根気もないので。
「デートな! デートな! 信じるよ、デートだぞ!」
「あーうん、それでいいよ。名目は何でもやる事変わらんし」
「ホント冷静だよなー! 殺すぞ!」
また引っ張る力が弱くなった。ので、ヘレナは考え込む。
「……末永く時間をかけて優しく殺す!」
「あ、それはOK判定なんだ」
またずるずると引きずられていく。今後が心配になる本音だが、変な性癖持ってたりしないだろうな。こわいこわい。
誰のせいだか、とんでもなく疲れた様子のヘレナはクエストの受付へとようやくたどり着いた。
しかし、そこに立ち塞がる巨漢の男数人のパーティ。確か俺達よりほんの少しだけ格が低いパーティだ。
素行が良くない事で有名なので覚えていた。依頼の成果を競う敵対パーティを攻撃したり、強引な引き抜きを行ったりと冒険者組合が干渉しないギリギリの行為を積み重ねている。
奴らのうち一人、パーティリーダーがヘレナへと手を伸ばした。俺には目もくれない。
「よう、ヘレナ! 『正直の呪い』を受けてパーティ解散だってな。俺達ならいつでも歓迎するぜ」
「は? お前らみたいなクズと付き合う理由はないんですけど」
肩に伸ばされようとした太い腕を、いつもの力で払いのける。
ここだけ見るとかっこいいが、こいつ自分を棚上げしてクズをクズと認識してたんだなあ。
「そういうなって。おめーは明らかにこっち側だろ。いい子ちゃんしてる雑魚のウィルに首輪付けられてよ、可哀想だって思ってるんだぜ俺達は?」
「はん。一緒にすんな筋肉ダルマ。これ以上ぶぞくしたら殺すぞ」
「侮辱な、良い所で噛むなよお前」
ほら、首輪付けられてる――みたいな視線がヘレナに集まる。
妙な所で口を挟んだのは申し訳なかったが、ほら、放置してもそれはそれで微妙な空気になるじゃん……。
「ウィルは関係ないんですけどーーー! 別に一人でもお前らみたいなクズとの付き合い方に違いはないっての!」
「ほほう?」
ぐい、と手首を掴まれるヘレナ。見た目ゴリラみてぇな向こうのパーティリーダーだが、真のゴリラたるヘレナならば簡単に振り解けるし、掴まれる状態で我慢なんてするはずがない。
けれど、そのままがっちりと腕が動かない。
「ウィルは関係ない。そりゃ嘘だって呪いは言ってるよな?」
「ぐ、ぐぎぎ」
「認めちまえよ、ヘレナ。お前は所詮俺達と一緒だ。自分の得の為に他人なんてどうなってもいい。本当はお前もそう思ってんだろ?」
「そ、そんな事ないし」
言いながらも手首は固定されたまま。
マジでヘレナならやりかねないな……それが心配で田舎からついてきたわけだし……。俺がいなければ、今頃こいつらの仲間になって暴力三昧か。
そっかー。ヘレナ、そっかー。
「うぃ、ウィルの目が冷たい!」
「まだお前に見損なう余地があったんだな……感動するわ……」
「あまりにも失礼過ぎるんですけど!」
顔を真っ赤にしてヘレナは叫ぶ。怒りだけじゃない、明らかに恥ずかしいって顔。
まぁ、分かってる。ヘレナはいつだって自分の都合しか考えない最低最悪のメスゴリラだが、それだけに自分の矜持は大切にする。
自分の美意識に合わない奴らと付き合うはずがない。
「……ごめん、嘘」
固定されていた手首が強引に動く。パーティリーダーの奴は踏ん張りを利かせているようだが、どうしようもなく指が開いていく。
「ウィルがいなきゃ、お前らなんて」
とうとうヘレナの腕が解き放たれた。焦るパーティリーダーへと拳が迫り
そして、鼻先の寸前で止められる。
「話す余地もなくぶっ飛ばしてるわバーーーカ!」
ヘレナはこの組合で最強の腕力を持つ人間だ。鼻先で止まったとはいえ、衝撃は相当だろう――白目を剥いたパーティリーダーの男には少し同情をする。
多少の面倒事ではあったが、これでパーティ解散後のヘレナも道徳的であるという事が対外的に示せただろう。それは今後の大きな財産だ。
ヘレナは野生のメスゴリラではなく俺の犬なので。
「しかし、俺がいるから行儀良くするだなんて、ちょっと真面目に感動したぞ。お前、好かれる為なら我慢出来たりする奴だったんだなぁ」
「ははは、そうだねー」
ポン、と肩に置いた手から伝わる弱々しい感触。
乾いた笑い。
「……本音は?」
「変な男に絡まれてたらウィルが助けてくれるって妄想してましたーーー! いっつもウィルに助けてもらう妄想でめっちゃ気持ちよくなってましたーーー! 実際助けてもらったのはほとんどないし、殴ろうとして止められたことの方が多いけどーーー!」
いつものメスゴリラパワーで俺の手を振り払って、ヘレナは組合の外へと駆けていく。この様子じゃ、同業者全体に知れ渡っちゃうんだろうなぁ。
まぁそんな事はヘレナが恥をかくだけなのでどうでもいい。とりあえず薬草摘みの依頼を受け付けてもらい、ゆっくりその背を追う事にする。
ゆっくりでいい。とりあえず一通り泣いた後で、落ち着かせるように現れるのが一番だ。
「うわーーーーーーーん!!!」
自分以上のクズに惚れたのが運の尽きだよ、ヘレナ。