美獣伝説-ラブイズビューティ-
透明な液体に満たされたカプセルの中に一人の男が眠ったまま入れられていた。男は裸で、口にはマスクが取り付けられ酸素等はこのマスクから供給されているのだ。
この男は改造人間であった。世界を美による支配を企む美神が率いる秘密結社<ラブ・オブ・ラブ>により改造されたのである。元は誰だったのか改造している<ラブ・オブ・ラブ>の構成員ですら知らない。
だが均整の取れた筋肉が生み出す彼の肉体美はギリシア彫刻すらも凌駕しかねない。改造される前はおそらく名の知れたマッスルメンだったのであろう、しかし今そんなことはどうでもよい。
カプセルの前に純白の絹一枚に身を包んだスキンヘッドマンが立っている。そう、彼こそが美神だった。この世の誰よりもあらゆる神よりも美しき男、美神は現状に満足していなかったのだ。
彼は地球一の美しさを誇る人間であるが、宇宙規模となると疑問だった。美神はエイリアンに遭遇したことはないが、宇宙の広さを知る賢者でもある。そして飽くことを知らない探求者でもあった。
美神≪ビーナス≫はマルチバース一の美を手に入れるため、カプセルの男を改造したのである。
「おい貴様、こいつは何時になったら目覚めるのだ? 我がマルチバースベストビューティの座に至る為の大事な礎だ、早く起きて貰わねば困る」
美神は傍らの研究員に尋ねた。研究員は瓶底サングラスをくいっと揺らす。
どうして研究員が分厚いサングラスを掛けているのかと読者は疑問に思うだろう、しかし考えてみて欲しい。研究員は普通の人間なのだ、地球一の美を持つ美神を直視すれば目が腐り落ちるに決まっている。
「はっ、今すぐにでも目覚めてもおかしくはないのですが……バイタルも安定していますし、問題らしい問題はありません……もしかすると切欠が必要なのかも」
「ほう、きっかけか。ならばこの美神自ら与えてやるとしよう」
美しきスキンヘッドマンはカプセルに近づくとその滑らかな表面を撫で、そして脱いだ。絹布一枚の下には何も身に付けてはいない、そう、全裸。彼の美を隠すものは何もなく、白い肌から光が放たれた。
念のためにいっておくが、美神も人間である。発光する器官を持っているわけではない、ではこの光は? そう、彼の内から溢れる美が光となって見えているのだ。
「目覚めよ! 我が美のために!」
美神がアドミナブル・アンド・サイのポーズを取る、途端に放たれる光量が増し、研究員のサングラスは防御の役割を果たせずに音を立てて割れた。
そしてカプセルの中、男が目を開けてゆく。
「イッツァァァァァァ!! ラァァァァァァァァァァブ!!」
産声が上がる。
今、ここに美獣チャーイが目を覚ます!
◇◇◇
チャーイは今、路地裏を歩いていた。どうしてここにいるのか分からない、足取りもふらついている。昨日の晩は一ポンドステーキを食べたし、朝も牛丼特盛を完食した。空腹が理由ではない。
やらなければならないことがあるのだ、けれどもそれを思い出せない。チャーイは何も思い出せなかった。自分の名前がチャーイであること、美しき獣であること、そして服を脱いではいけないこと。
何故自分がチャーイという名前なのかわからないが、美獣であることと、着衣しなければならない理由はわかっていた。チャーイの肉体は美しい、美しすぎた、ミケランジェロのダビデ像よりも、だ。
もしチャーイが高山に登ろうものなら、アポロンは嫉妬し彼の身を焼くであろう。
着衣の必要がここにあった。美獣の持つ美しさは一般人には刺激が強すぎる、服無しに一般人が直視しようものなら、彼らは美のオーラに粉微塵にされてしまうに決まっているのだ。
だからこそ美獣チャーイは服を着る。これは無辜の民への愛ゆえにだった。
「まろ、まろは何かをしなきゃいけないんだ……まろには、必要なものがあるはずなんだ」
チャーイはふらつきながらも何かを探し続けていた、何かはわからない。けれど見つけることができれば、その瞬間に何かの正体を掴めるはずなのだ。
分からぬ何か、得体の知れない何かを求め右に左に揺れながらチャーイはいつの間にか大通りへと出ていた。視点は定まらない、冬だというのに着ているのはダメージジーンズと半袖のTシャツだ。
チャーイの持つ美のオーラはこの程度の服では隠し切れない。道行く一般人は、美に圧倒されて美獣に碌な視線も向けずに遠巻きにした。幸運なことに、これでチャーイはふらふら歩いていても人にぶつかることがない。
しかし、しかしだ。どうしようもない奴というのはいるものだ。そう、例えばスマホばっかり見ていて前を見ないやつとか。
視点の定まらないチャーイはそいつのことが見えていなかった、そいつはスマホに魅了されていて美獣が見えていなかった。
ドンッと二人はぶつかって、同時に尻餅を付きスマホばっか見ていたブサイク女子高生のカバンから中のものが散らばり出る。ちなみにこの女子高生、どのくらいブサイクなのかというと渋谷を一〇歩歩けば芸能事務所にスカウトされるレベルのブサイクである。
それのどこがブサイクなのかだって? 考えて欲しい、服が無ければ一般人の目を潰してしまうレベルの美を持つチャーイからすれば、グラビアアイドル程度はブサイクなのだ。
さて、話を戻そう。
カバンの中から散らばった物の中に、チャーイが捜し求めていた物があった。それを見るや否や、チャーイは自分に何が不足し何に飢えていたのかを瞬時に思い出した。
それは鏡である。
チャーイは素早く鏡に手を伸ばすと背筋を正し、様々なポージングを鏡の前でキめていく。
「おいおい、まろたまんねぇなこれ」
そうチャーイに足りていなかったのは、渇望していたのは正にこれだったのである。
「あぁこのライン最高だな……愛してるぜ」
これは愛の自給自足である。チャーイが美しき野獣であるからこそ必要な行為なのである。彼は美により愛を与えることが出来る、だが美獣である彼に与えられる美つまり愛を与えられる者など絶無に等しい。
幾らチャーイが獣であろうとも、彼とてやはり人。愛がなければ生きてはいけない、よってチャーイにはこの愛の自給自足が必要なのであった。
ちなみにこれは最低三〇分続く。
「おぉ何という……やっぱまろは最高だな――」
「ちょっとあんた何やってんの返しなさいよ!」
足りぬ愛を満たそうとしているチャーイの手から鏡が奪い取られる。鏡は元々女子高生のもの、奪い返して当然といえば当然なのだ。
しかしこれは大罪、愛に飢えるチャーイから愛を奪うのは、大罪! チャーイの逆鱗に触れる!
「なんだてめぇこら! このブサイクがぁぁぁ! 人間やめたくなrlkfじfjdじゃdjfいg!!!!」
チャーイの怒りはもはやボルテージマックスであるが、手を出すようなことはしない。何故ならば、幾ら彼女が大罪人であろうとブサイクであろうと愛すべき無辜の民であるからだ。
「はぁ!? ふざけんじゃないし! これ私の鏡なんですけどぉ? なにイキなりポーズ決めてるわけ? ボディビルダーか何かなの?」
ぷりぷりと怒る女子高生《JK》に周囲の視線が集まった。彼女の美はブサイクの域にあるものの、一般人にとっては天使級なのである。
「まろの邪魔をするとか恐れ知らずじゃねぇのぉ。ぶち切れマッドマックスだけど、質問には|答え≪アンサー≫してやるぜ。まれの名はチャーイ! 美獣オブ美獣だ!」
チャーイはサムズアップし、穢れを浄化しそうなほど輝く白い歯を見せながら笑って見せた。女子高生は失神しないまでも、口をあーんぐりと開けてチャーイを見上げる。
あぁ無理もないことだ、美獣のビューティーオーラの直撃を受けて倒れないだけでも彼女の精神力は強靭である。そのタフネスには賞賛の言葉が送られても良い。
「ヘイ! ブサイクガール! 口をあんぐり開けちまって歯科検診して欲しいのかい? 犬歯のところに汚れがあるぜ、さっきサンドイッチか何か食ったんだろ?」
すぱぁん! と音を立てながらチャーイが指を指すと、女子高生は我に返るとともに顔を真っ赤にして手で口を隠した。
「いきなり何を言ってんの! ケンカ売ってんの!? つかさっきからブサイクブサイクうっせーんだよ! ちょっとぐらいイケメンだからって調子ノんなよ、ヒナコって名前あんだからそれで呼べバカ!」
「あぁんそりゃ悪いことしちまったなぁ、いやまぁヒナコガールさぁ……まろも悪気あってやってんじゃねぇのよ。まろ、自分のマッスルビューティを確認しないとラブをエンジョイエキサイトできなくってさぁ」
チャーイは己の非を認めて素直に頭を下げた。
どこが悪いのかというと、鏡を奪ったことでもブサイクと言ったことでもない。彼女を魅了してしまったことにだった。
チャーイは美獣であり彼女は一般人なのである、住んでいる世界があまりにも違う。ヒナコガールがチャーイに恋心を覚えたところで、それは叶わない夢なのだ。
「ラブをエンジョイ? エキサイト? 何それおっかし、ナンパのつもりなの? いや面白いから良いけどさ、別に暇してっし」
ケラケラと笑い始めたヒナコガールにチャーイは危機感を覚えた。彼女がチャーイに愛つまり美を与えてくれるのならまだしも、彼女の美はチャーイとは太陽と水素原子ほどの隔たりがある。
愛の自給自足は不完全で心の空腹を覚えてはいても、さっさととんずらこかなければならない。早く踵を返そうとした時、頭上から声が聞こえた。
「見つけたぞチャーイ! こんなところで無辜の民を魅了して遊んでいるとはな。貴様が<ラブ・オブ・ラブ>から逃げ出して早一週間、我らが美神様がマルチバースベストビューティに至るために来てもらおうか!」
上を見上げた。
電柱の上に素肌の上にレザーを着込んだ白人のマッスルメンが腕を組んで立っている。
「誰だコラ! まろを見下ろすとは良い度胸してんじゃねぇのぉ?」
チャーイは咄嗟にヒナコガールとマッスルレザーの間に立ち、ヒナコガールがマッスルレザーを直視しないように壁となる。チャーイの第六感はこのレザーを着込んだ男が只者ではないことを感じ取っていたのだ。
レザーがあっても美獣に匹敵するほどのビューティー力を感じ取れる。
「俺は美神四天王の一人! マッスルレザーのリプトン! チャーイよ、どうして<ラブ・オブ・ラブ>を脱け出したんだ? 美神様は大層心を痛めておられたぞ」
マッスルレザーもといリプトンは電柱の上から、華麗に優美に、汚れた大地に天使のように舞い降りるとダブルバイセップスを決め、ビューティー力が放射されアスファルトをレッドカーペットへと変えてゆく。
チャーイも防御のためにサイドチェストを決め、背後にいるヒナコガールをビューティー力から守った。が、完全ではない。防ぎ切れなかったビューティー力は風となってヒナコガールの髪を揺らし、傷み気味だった彼女のキューティクルを修復する。
「えっ!? 何これ!? 髪がすっげサラサラんなったんだけど!?」
「シャラップヒナコガール! あのマッスルレザー只もんじゃねぇな、こりゃまろも……本気出して“アレ”使うしかねぇなぁ」
チャーイは呼吸を整え手を揺らす、リプトンの目の色が変わった。
「ほう“アレ”か……良いだろう。全て受け止めきってやろうじゃないか」
尚、リプトンはチャーイと戦うのはこれが初めてのことでありチャーイの戦いを見たことすらない。
「モォォスト! マスキュラァァァァァァ!!」
筋肉を隆起させTシャツそしてジーンズに裂け目を破りながら、全力のポージング。放たれるビューティー力は元アスファルトのレッドカーペットを巻き上げながらリプトンへと向かう。
「ふんっその程度か」
リプトンが鼻で笑いながら手で払うだけで、チャーイの放ったビューティ力は雲散霧消してしまう。
「なん……だとッ!? ま、まれ渾身のモストマスキュラーが全く通用しない……?」
「美獣という割には拍子抜けだな。美神様が貴様に目を掛ける理由がわからん。冥土の土産だ、美神四天王の真の力を見せてやろう!」
胸を張り出しレザーの前を開け、逞しき黄金のチェストヘアーを曝け出したリプトン。これは恐ろしい技が来るに違いない。チャーイはヒナコガールを守るために両手足を大きく広げた。
「フロントォ……チェストアッピィィィィル!!」
リプトンの大胸筋が光り輝き、それは光線となってチャーイを襲う。放てるだけのビューティ力をもって対抗するが、光線の威力は強く熱く美しい。チャーイの衣服は破かれ、皮膚は焼かれ、髪はちりちりのパーマにされた。
受けたダメージは大きくチャーイは膝を突いたが、戦意は失っていない。
「え、な、なに!? 人間っていつからビーム出せるようになったの!?」
「小娘! 今のはビームではない、美威武だ。ビューティ力に指向性を与え放つ技よ、<ラブ・オブ・ラブ>に籍を置く者ならば使えて当然だ。もちろん、防ぐこともな」
得意げに解説するリプトンを睨み、チャーイは立ち上がる。
「てめぇやっちまったなぁ……まろがいつ本気出してたと錯覚してたんだ……? まろ、服着てたんだぜ?」
「なん……だと……!?」
リプトンは失念していた。美獣にとって衣服とは、筋肉美を減衰させる……そう、いわば拘束具なのである。
その拘束具《衣服》は今やただの布切れ、筋肉美を抑えるものはもう無い。
「ふんっ!」
チャーイが力を込めると服が弾け飛び、パーマにされた髪はストレートに戻りキューティクルも修復されてさらさらのつやつやに変わる。今や彼は生まれたままの姿、誰にも抑えられない真の美獣になってしまった。
「リプトンよぉ、美威武のやり方教えてくれてあんがとな。こいつが、まろの美威武だ!」
チャーイがポージングを決める。チャーイの全身の筋肉は活き活きと脈動し、肌は生気に光り輝き産毛の一本一本が踊る。誰の目から見ても、チャーイのビューティ力はまたとない高まりを見せていた。
「ハイパァァァァ…イカロスッ! ウッイィィィング!」
チャーイの背中から天使の羽が顕現した。そして放たれる美威武の輝き、リプトンはポージングガードをするがそんなものは最早無意味だ。
美獣の輝きは今や神獣の美と化している。美神四天王といえど、神の頂に指すら掛けられていないリプトンで受け止めきれるはずがない。
「うぼあぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!」
断末魔の叫びを上げるリプトンの体からレザーが剥がされる、筋肉が萎む、肌の艶が失われる、キューティクルの輝きが失われる。
チャーイの美威武が通った後には枯れ木のようになったリプトンが倒れていた。
遠くからサイレンの音が聞こえる、これほどの戦いがあったのだ通報されて当然だ。
「<ラブ・オブ・ラブ>そして美神がまろの新たな敵ってことか、いいぜ。やってやろうじゃん。これがチャンプへの道ってわけか、さぁ~てそろそろ行こうか……青コーナーから」
チャーイは究極兵器を謎の光で隠しながらどこへともなく向かう。その先に待っているのは血塗られし戦い。
美獣チャーイの戦いはまだ始まったばかり。尚、ヒナコガールは既に逃走した。
◇◇◇
チャーイとリプトンの戦いをドローンに空撮させて眺めていた一団がいた。
彼らはリプトン以外の美神四天王、ニットー、ティフィン、スジャータの三人である。
「ほぅリプトンがやられたか……」
「ふんっ所詮は美威武だよりの雑魚。美神四天王の面汚しよ……」
「全くだ、これでは美神様に顔向けできん。どれ、次はこのスィートスジャータがいくとしよう……」
To Be Continued...