「アーマード・マニュピレータ」
~~~小鳥遊勇馬~~~
光そのものを梳いたようなベリーショート、青空を結晶化させたような瞳。
年の頃なら十四、五くらいのその女の子は、金刺繍の施された赤い上着を着ている。赤いキュロットから覗く両脚は白いタイツに包まれている。
中世ヨーロッパの貴族の少年みたいな格好が、活発そうな雰囲気によく似合っていた。
などと冷静に分析している場合ではなくて……。
「お願いだよ! 中に入れて!?」
女の子は必死に俺に助けを求めてくる。
ぴょんぴょんと飛び跳ねて、盛んに運転席の窓を叩いてくる。
「中に入れてっておまえ……」
俺は一躊躇した。
自分以外の者を誰も中に入れるなと綾女に厳命されていたからでもあるが、それだけでもない。
日本有数の資産家の血族である俺は、小さな頃から様々な人の暗部を見て育ってきた。
誹謗中傷、欺瞞に策略。
好人物だと思っていた人が豹変する様を、何度も見てきた。
だから他人なんてものは最初から信用していない。
こんな見知らぬ土地で、名前も知らない可愛いだけの女の子を中に入れるなんて持っての他だ。
………………とは言え、状況が状況だしな。
このまま外に放置しておけば、この女の子がオルトロスのエサになってしまう。
さすがに俺も、そこまでは割り切れていない。
「……わかった! 今入れてやるから待ってろ!」
覚悟を決めて立ち上がろうとした──瞬間。
「きゃああああああ!?」
女の子が甲高い悲鳴を上げた。
なんだと思って振り返ると、目の前に広がっていたのは驚きの光景だった。
女の子が地面に倒され、その上に誰かがのしかかっていた。
「……ゴブリン!?」
緑色の皮膚に鷲鼻、ぼろきれみたいな服を身に纏った、醜く邪悪な小人。
ゲームや漫画で有名な、あのゴブリンが乗っていた。
しかも一匹だけじゃない。
周りにぞろぞろ、ニ十匹ほどもいる。
猟犬扱いなのだろうか、オルトロスも六頭連れている。
小人というだけあってゴブリンたちの大きさはさほどではないものの、手に手に武器を持って武装している。
山刀に手斧、弓に槍……。
「あれってまさか……人の首!?」
見間違いじゃなかった。
丸っこい西洋兜を被った中年男性の首が、目を見開いた無残な形相のまま槍に串刺しにされていた。
「うぷ……っ!?」
吐きそうになったが、すんでのところで堪えた。
倒れそうになったが、運転席の背もたれにつかまってどうにかこうにか体を支えた。
「冗談だろ……!? これじゃまるで……っ」
白い霧にオルトロス、中世ヨーロッパの貴族男子みたいな格好をした女の子にゴブリン。
かてて加えて、無念の色を浮かべた人の生首……。
「異世界転移しちまったみたいじゃねえかよ!」
俺の絶叫に気づいたのだろう。
ゴブリンの内の何匹かがこちらを見た。
ギャアギャアと意味不明に叫び交わしながら向かって来る。
「うお……っ!? しまった!?」
ガンガン。
ガンガン。
ゴブリンたちは武器で窓ガラスを破ろうとしているが、当然それは叶わない。
オルトロスに命じて体当たりなどをさせてきたが、それでもリトルノアはびくともしない。
「か……核戦争にも耐えられるリトルノアの防御がそんなに簡単に破れるかよ……っ」
ほっと胸をなで下ろす俺に冷水を浴びせかけたのは、切羽詰まったような女の子の悲鳴だ。
「やだあああ! やだやだ! 離してよおおおお!」
女の子のお腹の上に、リーダー格なのだろう赤いトンガリ帽子をかぶったゴブリンが乗っている。
「やだよ! 何するんだよお!?」
ジタバタ暴れる女の子の手足を手下とおぼしき他のゴブリンたちが抑え込んだ。
抵抗できなくなった女の子の服を、赤帽子がいかにも楽しそうに舌なめずりしながら剥いでいく。
「やだって……っ」
ダブレットを首元から縦に切り裂いた。
そのまま左右に剥くと、ベージュ色の女の子の下着が露わになった。
「ひっ──!?」
悲鳴を上げようとした女の子の口に、ダブレットの切れ端が丸めて詰め込まれた。
「おいおいマジかよ……こういうのって作品の中だけのことじゃないの? だって相手、違う種族だぜ? いくら可愛い女の子だからって、おまえらゴブリンだろ?」
種存本能に従った結果なのか、単純に性欲が暴走した結果なのかはわからない。
とにかく女の子は裸に剥かれていく。
まっしぐらに堕ちていく。
「……!? ……!?」
女の子が顔をくしゃくしゃに歪めながら俺を見た。
助けてと言っているのだろう。
こいつらを追い払って、中に入れてと。
「おいおい冗談だろ……。だっておまえ、俺は無力な一般人だぞ? 平和ボケの日本人の、さらに裕福な上流階級の人間だぞ? そんなバイオレンスなこと出来るわけねえじゃねえか。ケンカすら幼稚園の時に一回しかしたことねえよ」
恐ろしくなって後ずさろうとしたが、後ろは壁だった。
「綾女が戻って来るまで待ってくれよ。あいつは俺と違う人種だから。きっとこのぐらいの連中なら追い払ってくれるから」
「……!? ……!?」
「そんな目で見るなって。きっともうすぐだから。大人しくしてれば、命まではとられねえから……」
本当にそうだろうか。
自分で言ってて疑問に思った。
ゲームや漫画の知識だけしかないけれど、ゴブリンってのは残忍な種族だ。
獲物を犯して、それでおしまいにしてくれるとは思えない。
最悪の場合、さっきの兵士みたいな目に遭わされる可能性もある。
──俺の無能のせいで、この女の子が死ぬ。
それは恐ろしい想像だった。
怖くて足が震えた。
喉が渇き、なぜだか涙が出た。
「…………っ!?」
とうとう女の子の体を覆っていた衣服がすべて剥ぎ取られた。
ショーツと思しきものが、ひらりと宙を舞った。
「……っ!」
俺は逃げた。
これから繰り広げられるだろう悲惨な光景から目を逸らしたくて、転げるように運転席から逃げ出した。
なるべく遠くへ行こうと思った。
外の音が絶対に聞こえてこないような遠くへ。
いつもみたいに引きこもろうって。
そうは言っても車内のことだ。
逃げ場所なんて限られてる。
俺はカーゴルームに入って扉を閉めた。
耳を塞いでしゃがみ込んだ。
「……これでいいんだ。……これでいいんだ」
もう可哀想な女の子の声は聞こえない。
もう不愉快なゴブリンの声は聞こえない。
代わりに自分の、激しい血流の音が耳の傍で聞こえた。
そいつが何か言っているように思えた。
「……バカ言えっ。……バカ言えっ。……バカ言えっ」
カーゴルームの中は、綾女が武器を取り出したままの状態だった。
つまりロッカーが開きっぱなしになっていて、中の武器類が自然に目に入った。
銃火器に弾薬爆薬、ボウガンに矢弾、抗弾ベストにヘルメット、ナイフ等の接近戦用装備が、嫌でも目に入ってきた。
「……そんなことが俺に出来るかよっ」
一瞬だけ頭の中をよぎった妄想をかき消そうと、俺は必死で首を横に振った。
異世界転移でチートで大暴れなんてのは、あれは作り話の中だからこそ許されることだ。
現実の俺はこんなに無力で、可愛い女の子が犯されて殺されようとしているのを黙って見ているのが関の山のダメ人間だ。
「運動も出来ない、勉強も出来ない。チビだし、口も性格も悪い。金に物言わせて引きこもってるだけの自称高等遊民に、いったい何が出来るって言うんだよ。武器持って出て行ったって、きっと隙を突かれて奪われて殺されるだけだ。あの兵士みたいに首を落とされて槍に串刺しにされるだけだ」
そうだ。
そんなこと出来るわけがない。
──だけどもし、出来るとするならば?
──こんな俺でさえ、奴らを排除出来る方法があるとするならば?
意味のない過程を頭の中で繰り返しつつ、いつの間にか俺はカーゴルーム内を探し回っていた。
見つかるはずのない答えを探して、積み上げられたチェストの中や開け放たれたロッカーの中を見渡した。
「……ん? これは?」
四つあるロッカーの内、一番大きいロッカーだけが開けられていないことに気が付いた。
他の三つには武器が入っていたのだから、きっとここにも武器が入ってるんだろう。
そう思って開けてみると……。
「なんだ…………これ?」
開けた瞬間凍り付いた。
想像もしていなかった光景に、目を瞬いた。
だって、そこに鎧武者のような格好で鎮座していたのは……。
白銀に輝く、装甲作業服だったからだ。