「お掃除もメイドの仕事のうちでしょう?」
~~~小鳥遊勇馬~~~
箱根へ日帰りのはずだったのだが、その予定は脆くも崩れた。
理由は天候のせいだ。
突如発生した白い霧に覆われ、リトルノアは道を見失ってしまったのだ。
もちろん綾女はあらゆる手を尽くしていたが、状況は悪くなる一方だった。
アスファルトだった足元がいつの間にか砂利道になり、しまいには土の道になってしまった。
電柱、外灯、道路標識、ガードレール。その他現在位置を示すあらゆる手がかりがなくなってしまった。
「これはちょっとひどいな……」
時刻はすでに夜の九時。
見知らぬ山の中を、リトルノアはフォグランプの灯りを頼りにそろそろと進んでいる。
「なあ綾女。いったん停めたほうがいいんじゃな……」
俺が言葉を言い終える前に、綾女はリトルノアを停止させた。
「ってちょ──!?」
かなりの急ブレーキだったので、助手席に座っていた俺は思い切りつんのめった。
シートベルトをしてなかったら本気で窓ガラスに頭から突っ込んでたところだ。
「なにすんだよ綾女! たしかに停めろとは言ったけど、さすがに急すぎるだろ!?」
思い切り文句をつけたが、綾女は完全無視。
「ちょっと黙ってていただけますか?」
むしろ冷たく叱ってきた。
「黙れっておまえなあ……っ」
綾女はじっと窓の外を見つめている。
その目があまりにも真剣なので、俺は苦情を呑み込んだ。
「いったいなんだってんだよ……?」
一緒になって霧を見つめていると、どこからか声のようなものが聞こえてきた。
しかも人のものじゃない。
狼の遠吠えみたいな感じの声だ。
それが無数に聞こえてきた。
「ニホンオオカミ……は絶滅したんだっけ? じゃあ野良犬? にしてもすごい数だけど……」
遠吠えが止んだなと思った瞬間、そいつらは視界にいきなり現れた。
黒い毛並みの四つ足の獣だ。
狼に似ているが、絶対に狼ではない。
まずは大きさ。
四肢が太く体高が高い。
大型バイクぐらいはあるだろうか。
がっしりした体で体当たりされたら、それだけで俺なんか即死だろう。
次に頭の数。
首の根元から二つ生えていて、それぞれにきちんと顔がついている。
牙はナイフみたいに鋭く、目は車のテールランプみたいに赤い光を放っている。
「あ……あれってまさか、ケケケルベロスゥゥウ?」
自分でもどこから出てるんだかわからないような声が出た。
「……ギリシア神話には違いないですが、三つ首ではなく双頭ですからね。どちらかというとオルトロスに近い個体でしょう」
一方綾女はどこまでも落ち着き払っていた。
異様異形の獣たちを前にして、しかしまったく怯える様子がない。
「いやいやいや、何を落ち着いてんの。ケルベロスがオルトロスだろうがなんでもいいけどさ。あれって完全にUMAだって。雑誌に投稿したら賞金が出るレベルだって。ワイドショーやらゴールデンタイムの特番で話題になって、俺たち一躍有名になっちゃうやつで……うおっ、数増えてる!?」
ぐだぐだどうでもいいことを喋ってる間に、仮称オルトロスは数を増やしていた。
見えてる範囲だけで六頭。
さきほどの遠吠えの数からして、霧の向こうにはもっと大勢潜んでいそうだ。
「ままままさか、俺たちを狙ってるのか!? エサだと思ってるのか!?」
オルトロスたちはリトルノアの周囲をぐるぐると周り始めた。
低く唸り、赤い目で俺たちを見上げて来る。
「どうやらそのようですね」
「ってさっきからおまえは何を落ち着いてんの!? そりゃたしかに、核戦争にすら耐えられるリトルノアの防御がそう簡単に破れるとは思えないけどさあ……ってひぃいぃっ!?」
ドン、というのは体当たりの音だ。
オルトロスの一匹が、窓ガラスにぶつかって来たのだ。
「こここここ殺されるぅうぅうっ!? 壊されて引きずり出されて喰い殺されるううううっ!?」
あまりの恐怖に、俺は頭を抱えて悲鳴を上げた。
「……ふん。犬コロ風情が」
綾女は苛立たし気につぶやくと、シートベルトを外して立ち上がった。
「え? 綾女、どこ行くの?」
置いて行かれてはたまらないと思ってついて行くと、綾女が向かったのは車両後部だ。
ずんずんと突き進み、カーゴルームの扉を開けた。
「……予想よりも早かったですが、遊馬様のおっしゃっていた通りになりました。本当に──」
カーゴルームに入ると、正面奥に機械室へと通じる扉がある。
向かって左側には搬入口としてのスライドドアがあり、その傍には中身のよくわからないチェストが積み上げられている。
小さな机があり、その上には培養器や医療器具が載っている。
向かって右側には大きめのロッカーが四つ並んでいるのだが……。
「──用意して来て、よかったです」
バン、バン、バン。
綾女は端から三つのロッカーを勢いよく開けていく。
「爺ちゃんの言った通りってどういう……げええっ……?」
中に収納されていたものを見て、俺は思わず声を上げた。
「なななななんだよこれは!? 綾女!?」
「あら、見てわかりませんか? どこまで坊ちゃまは学が足りないんですか?」
「いやいやいやいや、おかしいだろ! こんなの学がどうとかいうレベルの話じゃないだろ!」
俺は悲鳴じみた声で訴えた。
だって、ロッカーの中にズラリ並んでいたのは……。
「各種銃火器に山盛りの弾薬。ボウガン等射撃武器。抗弾ベスト等防御兵装。ナイフ等接近戦用武器。加えて言うならチェストの中には対物ライフルや対戦車ランチャーもありますが……それのどこに疑問が?」
「いやいやいやいやいやいや、疑問しかないって! いったい現代日本のどこでそんな用意が必要なんだよ! っていうかどうやって用意したんだよ! ……あ、そうか! オモチャか!? オモチャだよな!? 最近のモデルガンは精巧だとか言うもんな!? 米軍払い下げの部品を流用してたりして、一見本物と見分けがつかなかったりして……っておいおいおーい! 何を普通に装備しちゃってるわけええー!?」
綾女はどこまでもマイペースに武器を装備していく。
腹に弾帯を巻き、銃弾のカートリッジや手榴弾などをポケットに差し込んでいく。
スカートを大胆にめくって何をするのかと思ったら、左右の太腿にシルバーメタリックの拳銃を二丁、それぞれベルトで巻き付けていく。
「……っ!?」
コルトの放つ銀光と綾女の白い太もも。
エロチックなコントラストに思わず息を呑んでいると……。
「……ミリタリーマニアの坊ちゃまとしては、萌えますか?」
綾女がひどい質問を投げかけてきた。
「萌えねえよ! ってかそんなこと言ってる場合じゃないだろ! なあ綾女! おまえはいったいどこへ行って何をするつもりなんだ!?」
「もちろん、お仕事です」
スカートを直すと、綾女はさらに黒鞘の山刀を二本、交叉させるように背中に紐で括り付けた。
「お、お仕事って……!?」
最後にスーペル1000を二丁──大型拳銃用弾を発射可能な、西側諸国最強のサブマシンガンだ──を両手に持って振り返った。
「あら、お掃除もメイドの仕事のうちでしょう?」
全身から切り裂くような殺気を発しながら、綾女は言った。