「綾女のひとり言」
~~~綾女~~~
ひんやり乾燥した空気の中を、虫の音と獣の遠吠えがクリアに聞こえてくる。
そういえばあの日も、こんな夜だった気がする。
リトルノアの運転席に座り夜の闇を眺めながら、私は昔の出来事に思いを馳せた。
あれは十年前のことだ。
メイド服ではなく、灰色の戦闘服を着こんでいた時分のことだ。
旧ベルキア王国の残党と盗賊くずれを寄せ集めて作った武装ゲリラの小隊長として、私は他の士官や幹部連中とともに、支援者であるロウクス議員の邸宅に招かれた。
宴もたけなわという頃、召使いに促されるままに三階の、張り出したテラスを訪れた。
どんなヒヒ親爺が待ち構えているのかと思いきや、待ち構えていたのは小柄な老人だった。
その当時で齢七十五だが、そうとは思えぬほどに若々しい身なり──サファリジャケットと短パン──をしていた。
そしてそれが私と遊馬様の、初めての出会いだった。
遊馬様は揺り椅子に座り、ショットグラスを傾けていた。
傍らの小テーブルに置かれたウイスキーの銘柄は『魔女のシタール』。一撃で腰が立たなくなるという触れ込みだが、すでに半分ほどが無くなっていた。
「……よーう、おまえさんが綾女かい。綾女・ドラコーヴァ。『ベルキアの殺人人形』ってやつだ。改めて見ると予想以上に嬢ちゃんだが……そうなんだな?」
最初の印象は最悪だった。
酒くさい息を吐きながら、遊馬様は私の名と、忌まわしきあだ名を口にした。
「はい。そのように呼ばれることもございます」
ロウクス議員の友人ということであれば、あまり無体な真似も出来ない。
罵倒する代わりに、私は最敬礼で答えた。
「閣下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「……はっ、閣下ときたか。よしてくれよ、どいつもこいつも、いろんな呼び方で人のことを遠ざけやがる。遊馬でいいよ。遊馬で」
「では、遊馬様と」
「様ねえ……まあいいか、それでも」
遊馬様はわずかに不満そうに、口を尖らせた。
「とにかく楽にしな。そんな堅苦しい格好してないで。ほれ、空いてるとこに座んな」
手近の揺り椅子を示されたが、私は謹んで辞退した。
ベタベタ触られたり酒臭い息を吐きかけられたりしたくなかったので、整列休めの格好で立っていることに決めた。
「……頑固だねおまえさんも。まあ、そういうとこがいいと思ったんだがな」
「……」
いい、とはどういう意味だろうと考える私に、遊馬様は驚くべき話を聞かせてよこした。
「……本気で私を雇おうというのですか? 私を? あなたの孫の護衛として?」
「そうだ。ロウクスの野郎には話がついてる。おまえさんが首を縦に振るなら、それで決まりだ」
「平和ボケした日本で、それほどの危険があるとは思えませんが……」
「その通り。危険はねえよ。あるのはせいぜい親族同士のいがみ合いや足の引っ張り合いぐらいだ。今んとこはな」
遊馬様は、ニヤリと口の端を持ち上げるようにして笑った。
大量に酒を呑んでいるわりには濁りの無い、澄んだ瞳を私に向けてきた。
「あるのは十年後だ。十年後におまえさんの力が必要となるような事件が起こる。それまではせいぜい、喰っちゃ寝してりゃいい」
「十年後に起こるだろう事件のために、ベルキア分割領を離れ日本で待機せよと……?」
あまりにもうろんな話に、私はため息をついた。
「からかってらっしゃるのでしたら勘弁していただきたい。私、冗談を解する性質ではございませんので。もし私に女性としての機能を求めていらっしゃるのでしたら……」
「おいおい、そんなつもりはねえよ」
遊馬様は大きく目を見開くと、ショットグラスを持っていないほうの手をひらひらと振った。
「おまえさんをどうこうしようって気はねえんだ。あくまでこいつは、おいらの孫のため契約だ。そしてついでに、おまえさんのためにもなると思っての話なんだ」
「私のため……?」
「そうさ。ロウクスの野郎にゃ悪いがよ。この戦にゃ大義は無えよ。ベルキアの復興だなんだと叫んじゃいるが、中身はコロンビウム鉱脈巡っての利権争いだ。ゲリラの幹部も士官連中も癒着だなんだでズブズブで、内心ではもっと戦が長引けばいいのにと思ってる。おまえさんみてえに真面目にやってるのは稀少種だ」
「……」
私はチラリと、テラスの下へ目をやった。
宴の賑やかな音が、一階のダンスホールの開け放たれた窓から漏れて聞こえてくる。
まったくゲリラらしくは見えない豚のような男たちの、下卑た笑い声が聞こえてくる。
祖国ベルキアは失われた。
復興を叫ぶ武装ゲリラに、もはや大義は無い。
そんなことは知っている。
ずいぶんと前から、諦めていた。
諦めながらもしがみついていたのは、他に生き方を知らないからだ。
「いずれおまえさんは死ぬだろう。どれだけ強かろうと、しょせんは人間。敵の弾に撃たれるか、味方から撃たれるかはわからんがね」
私の好戦的な志向を忌み嫌う人間は多い。
敵はもちろん、味方の中にも。
「おいらの依頼も、危険さではどっこいだ。つまりやっぱり、おまえさんは死ぬかもしれねえ。だけど同じ死ぬにしても、気分が違うやな」
「気分……?」
「無益な戦いの中で無残に死ぬよりは、明確な何かを守って死ぬほうが気持ちいいだろってことさ」
琥珀色の液体を眺めながら、遊馬様はつぶやくように言った。
その言葉にどんな返事を返したのか覚えていない。
だが結果的に私は遊馬様に同道し、ベルキア分割領を後にした。
戦争に明け暮れていた身には別世界のような日本に渡り、坊ちゃまと出会い、そして──
「……こんな状況にも関わらず、のんきなものですね。さすがは遊馬様の血、ということなのでしょうか」
私はリトルノアのハンドルを握りながら、ボソリとつぶやいた。
リビングルームでは、未だに坊ちゃまとリリー様がごちゃごちゃやっている。
私を勇者にするとかしないとか、くだらないやり取りを。
「……いえ、比べるのも畏れ多いですね」
首を横に振って否定した。
遊馬様のそれは、数々の実績に裏打ちされたものだった。
未だ何者でもない坊ちゃまのそれとは、わけが違う。
「阿修羅6000を初見で動かしたのはまあ……たいしたものですが、その後の見通しが全然甘い。第一波を退けただけで、本当にもう安心だと思っているんですかね?」
敵の再襲撃を想定した私は、ゆっくり慎重にリトルノアを発進させた。
地形に関しては、阿修羅6000を回収した時に調べておいた。
現在地点から左に60度回頭して200メートル。斜度3度程度の斜面の上に、狙撃には絶好のポイントがある。
「……まあいいでしょう。私は私に出来ることをするだけです」
これからの計画を頭の中に思い浮かべながら、私は前照灯の投げる光の輪の先を見つめ続けた。




