#1-5.風と樹の歌合戦
木曜日は風魔法の日。
で、本日の担当教授は森人族の男性だった。ガジョーエン迷宮に潜るときや、魔王との決戦に向けて扇動……もとい勧誘を行った時に見かけたけど、直接かかわるのは初めてだ。名前はサルモン。鮭じゃない。菜食主義者らしいし。
しかしだ。……うーむ。
オードリーはじめ、教室の大半を占める少女たちは、果たして講義の内容が記憶に残るだろうか? 教授の端正な顔と癖のない金髪だけじゃないのか?
しかし、そんな彼女らの様子には全く頓着せず、イケメン教授は淡々と講義を続けた。
森の民は風を読むが、空気は読まないようだ。
で、例によって教科書代わりにされる俺。
「では、タクヤ。風属性と他の属性の呪文との間で、最も大きな違いは何かな?」
イケメン教授の質問。品良く穏やかだけど、内容は俺が基本魔法の講義で口にした「呪文構造から見た魔法分類」に対する反論だ。
「風魔法の呪文に『生成』はない、という点でしょうか」
教授はうなずいた。金髪がサラサラだね。トリートメントとかするのかな?
「風とは流れそのもの。草木をそよがせ、雲や船を動かす。つまり、君が言うところの『操作』そのものだ」
さらにその理屈で言うと、『付与』も少ないことになる。熱風や冷風を作り出すのは火や氷の術式とされている。強いて言うなら、攻撃に使われる疾風斬撃などに付与する、「硬さ」や「鋭さ」だろう。
だが、俺の分類に拘るなら、風魔法の『対象』は「空気」そのものだ。熱風や冷風は空気に熱や冷たさを付与するもので風魔法に含めるべき。つまり、火魔法で生成した熱を付与した風が熱風。単一の呪文のようで、構造的には二つの呪文を複合させているわけだ。
この辺が分ると、火炎旋風の呪文がなぜあんなに長くて複雑なのかが見えてくる。
そして、空気を生成する魔法は確かにある。新しいアイテムボックスを開いても、そこは真空ではないから。ちゃんと、空気も一緒に生成されているのだ。
だが、この世界の常識では「空気」そのものは意識されていない。まさに「空気のような存在」なわけだ。この辺から、まず認識を変えていく必要がある。
俺は手を上げてイケメンに意見した。
「サルモン先生。まずは風魔法の『対象』は風そのものではない、と考えてみてはどうでしょう? 何もないところを満たしている、空気、と言うものを仮定するのです」
まずここから初めて、俺の考えを色々例をあげて話した。
「例えば、水の中で息を吐くと、泡となって出ます。つまり、空気が水を押しのけているのが泡です」
「ふむ」
イケメン教授は顎に手を当てて考え込んだ。
「これはちょっと、詳しく聞いてみるか、彼女に……」
悔しいけど、そうして呟くさまは絵になるよな。さすがは森人族。
「君の考えは実に興味深いが、この場で論じるには時間が足らないようだ」
そして、教室を見回すと、ため息をついて言った。
「さらに言うと、他の学生たちは、我々の議論に付いて来れていないようだしな」
俺も見回す。ああ。
大半の女子は目をハート形にして陶然としているし。
残りの男子は目を閉じイビキかいて熟睡している。
まるで、闇魔法の講義で眠りの霧と魅了の呪文が暴発したかのようなありさまだ。
「この講座を履修してくれることを、切に願うよ、タクヤ」
そう言い残して、サルモン教授は教室を出て行った。
まぁ、いいか。イケメン先生は一番話を聞いてくれそうだし。
イビキの歌合戦の中、俺は履修登録にサインした。
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履修はしても、二限目の実習と午後の実技はパスなので、このまま帰ろうかと思ったのだが。とりあえず、オードリーを夢の世界から呼び戻しておくか。
「オードリー。起きろって。講義、終わってるぞ」
肩に手を置いてゆすると、はっと正気に戻った。
「サルモン先生、もう出てっちゃったぞ。履修するんなら、教卓の名簿にサインしないと」
念のためだが、某指輪に魅入られて堕落した賢者とも無関係のはずだ。
「そ、そうね」
階段を教卓へと降りていくオードリー。
俺は周りを見回す。うーん。これじゃあ学生課の人が困っちゃうな。
『キウイ。遠話V2でこのテキストを読み上げて』
『イエス、マスター』
教室にかなりの音量でキウイの合成音声が響いた。
『階段教室一号にいる学生に告げます。この講座の受講を望む者は、ただちに履修登録簿にサインをしてください。繰り返します……』
あちこちで異なる夢の世界から帰還する男女。そして、履修登録に殺到する少女たち。階段でこけるなよ。
オードリーは少女雪崩を避けて教室から飛び出した。
俺はと言うと、通路が埋まってしまったので、こっそり机の下に隠れて建物の外へ瞬間転移した。玄関でしばらく待ってると、あたりを見回しながらオードリーが出て来た。
「こっちだよ、オードリー」
「タクヤ! 置いてっちゃうなんてひどいわ」
いや、俺の方が置いてかれてましたけどね。教室とか夢の世界とか。
「で、君はどうする? 俺は座学だけにするけど」
ちょっと迷って、オードリーは答えた。
「あたしは……風魔法、きちんと身に着けたい」
「うん。良い組み合わせだと思うよ」
ここは大学だ。皆、自分の指向に合わせて講義を履修する。ずっと一緒と言う方が、むしろおかしいからね。
「俺の方は、基本魔法は必須だから当然として、火と水と風は教授が良い人なんで座学だけ。残りの光と土と闇は内容次第だな。明日以降、決めるさ」
オードリーにまた明日と告げて、俺は自宅へとてくてく歩いた。カロリー消費して、ギャリソンの昼飯をたらふく食うために。
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その日の午後は、ジンゴロー工房に出向いて、ランシアのためのマタニティー・デスクの仕様検討をした。お腹がつかえて事務机に座れなくなると、俺たちの危機だからね。主に経営面で。
まぁ、妊婦に働かせること自体が間違っていると思うんだが、本人が働きたがってるし、今のところ母子ともに健康なので。
「じゃあ、この『起き上がり機能付き安楽椅子』で良いかな?」
ランシアとジンゴローとトゥルトゥルが拍手。
「いや、男の娘の意見は聞いてないんだが。産めないし産ませないだろ?」
「えー、でもでも、ランシアはボクの大事な妹だもん」
見かけはどう見ても逆なんだが。
……まぁいいか。
この椅子は、腹部を圧迫しないように、浅い角度で横たわるように座る。そうなるとお腹のふくらみは上を向くから、机の天板の高さを調節すればつかえないで済む。
ただ、このままだと席を立つのが大変なので、前後にスライドするようになっていて、レバーを引くと背もたれが起き上がるようになってる。丈夫な肘掛けもあるから、立ったり座ったりでバランスを崩しても支えられる。
考えとしては万全のはず。
「じゃ、まずは十分の一の模型を作って、動きをためそう。ジンゴロー、頼むよ」
「合点承知!」
上手くいったら、これも商品化できるかもしれない。
「ねぇねぇご主人様♡」
トゥルトゥルがお願いポーズだ。
「赤ちゃんの産着とか、作ってみたい」
ああ、それはい良いかもな。こっちの産着や小さい子の服は、短期間しか使わないから簡素なものばかりだ。でも、可愛い子に可愛い服を着せたい親は、どこの世界でも同じくらいいるはずだ。
「まずはアルティに作ってあげて、ランシアの子に作る時に参考にしたい」
「そんな、おさがりで良いのに」
ランシアは言うが、トゥルトゥルは納得しなかった。
「だって、今度は男の子かもしれないでしょ。女の子と同じ服じゃ可哀想だよ」
思わず納得しかけたが、オマエは男の娘だろ。
……でもまぁ、世間一般ではそうだろうし。これも、意外と商品化できるかもしれないし。
他に、色々とマタニティーグッズのアイディアを出しあって、この日は暮れていった。
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金曜日は光魔法。
「そうだな、透明化の呪文は便利かもね」
余計な戦闘が避けられれば、それに越したことはない。でも、瞬間転移が使えれば戦闘をスキップして目的地に行けるから不要かも。使えても損はないだろうけど。
「凝集光も強力みたいだけど、火魔法と効果が被るのよね」
オードリーも、今一つ乗り気でないようだ。
光明なんかは非常にポピュラーな魔法ではあるけど、俺にはサン・アタックと人工太陽があるから、あまり意味がない。凝集光てのは要するにレーザー光線だが、よほど強くないと相手の甲羅とか貫けない。つまり、対価のコスパが悪い。
戦闘での利便性がさほどでもなく、日常的には光玉の方が便利。そうなると、かなり魅力が乏しいような……。
で、なんとなく、教授はアスクレルの神官かと思ってたが、冒険者の魔術師にいそうなタイプだった。
……つまり、学はあるけどちょっと粗野な感じ。実際、俺自身が南の大陸からリクルートしてきたうちの一人だった。
こうした実戦叩き上げの人は、闘技場で実技の指導教官になる例が多いのに、座学を担当するというのは意外だった。
で、冒険者教授の開口一番。
「この中にタクヤという学生はいるか?」
いきなり指名された。
「あ、はい。俺です」
手を上げて答えると、教授はうなずいた。
「うむ。君の魔法分類に関する意見には非常に興味がある。他の教授から聞いた限りでは――あ、手は降ろしていいぞ」
だるくなってたので助かった。
「君の分類は正しい。光魔法と治癒魔法は全くの別ものだ」
一気にざわつく教室。
俺としては、自説を全面支持してくれた冒険者教授への好感度が赤丸急上昇だ。名前は……となりのオードリーのノートを覗いた。うん。デニスか。
「さらに言うと、火と水、光と闇が対立するというのも間違いだ。火と水が魔法の効果として打ち消しあう面はあるが、同時に習得しても何の問題もない。光と闇に至っては、そもそも作用する対象が異なる」
デニス教授に後光が射して見える。決して、光魔法じゃないぞ。
すると、階段教室の前の方で手が上がった。教授が促すと、十代半ばの少年が立ちあがって質問をした。
「あの、光と闇の作用する対象が違うってのは?」
教授はうなずいた。
「良い質問だ。光魔法は、確かに光そのものを対象にしている。しかし、闇魔法が対象にしているのは『闇』そのものではない。人の『心』だ」
またもやざわつき。
これ、闇魔法の教授はなんて言うんだろう? なんだかオラ、ワクワクしてきたぞ!
そう言えば、マオは「闇魔法」とは一度も呼んでなかった。「精神魔法」だったな。作用する対象は、心、すなわち精神。なるほど。分ってたんだ。
デニス教授は続けた。
「例えば、光魔法の透明化は、光それ自体に透けて通るという属性を付加する、あるいは自分自身を含む物体に、光を通すという属性を付加している。これがどちらかなのかは、まだ結論が出ていない」
呪文を解析すれば分るかもしれんな。ちょっとメモしておこう。
「これとそっくり同じ効果をもたらす呪文が、闇魔法にもある。不可視だ。両者の違いを、その目で確認してくれ」
え、いきなり実演? これは、今までになかった。
「まずは、透明化だ」
呪文の詠唱のあと、デニス教授の姿は忽然と消え失せた。
「どうかな? では、次に不可視だ」
教授の姿が現れた。そして、次の呪文詠唱のあと、再びその姿は消えた。
「さて、この違いが判るだろうか?」
俺は手を上げた。
「よし、タクヤ」
「……影、ですね?」
教授の姿は見えない。しかし、床に落ちた影は見えている。
「正解だ」
教授は姿を現した。
「では、君はこれをどう、解釈する?」
教授は満面の笑み。俺も同じ表情だろう。
「不可視とは、盲点を作り出す呪文です」
「うむ。その盲点とは?」
先を促された。
「じゃあ、皆さん一緒に試しましょう。左右の人差し指を立てて、片目を閉じてください。その、左の人差し指の先端を見たまま、右の方を横に動かす」
教室のみんなが同じことをやる。
「あ」
オードリーが声を上げた。
「右の指先が見えなくなるところがある!」
驚きの声があちこちで上がった。
「それが盲点です。人間の視野には、一か所、物を見ることができない点があります。不可視は、この盲点を相手の心に作り出し、見えているはずなのに心がそれを認識できないようにする魔法なのでしょう」
パンパンパン、とデニス教授が手を打ち鳴らした。
「完璧だ。まさにそれが、私が主張している学説そのものだ」
実に満足げだが。
「学説、なんですね」
俺の言葉に、デニス教授はうなずいた。
「そう、学説だ。学問とはそういう物だからな。どれだけ多くの検証に耐えて、どれだけ多くの研究者を納得させられるか。それが私の、魔法学における戦いだ」
かっけー。
もう、教卓に駆け寄って履修登録簿にデカデカとサインしたいくらい!
しかし、こんな体験、それこそ魔法大学でもなければ、あり得ないよな。
この後も、時間ギリギリまで、デニス教授の講義は続いた。誰一人、途中で退出はしなかった。