其の三六 俺と………………願いは。
<>(^・.・^)<さあ、此方のターン最終回
「ラァアァアァッッ!」
「オォオォオッッッ!」
狐の脚と鬼の腕が交錯する。
それは一瞬だけ均衡し、直ぐに狐が飛ばされる。
「ガアッ!」
木に叩きつけられた狐は、轢かれた猫のように情けない声を出す。
全身に纏った妖力のお陰で、物理的なダメージこそ無いものの、衝撃だけは今のトロンにはどうしようもない。
薙ぐように振られた鬼の腕には権能こそ乗っていなかったが、それでも圧倒的なパワーを誇る。
人間一人を吹き飛ばすには十分で、例え妖怪だろうとも余程のことがない限りは蹂躙できるはずだった。
しかし、この一合では未だ勝負は決まらず、現に狐はまた立ち上がる。
「………………グッ………………! ハァ、ハァ………………」
「貴様、中々、しぶとい、なッ!」
流れは狐にある筈であったが、疲労がより見て取れるのは鬼でなく狐だった。
それもその筈、基礎的な妖力量がまず違う。
数々の妖力を使い熟す事を前提に設計された、ナサニエル・バトラーという男。
彼には、生まれ付きの力を活かす為、通常よりも格段に多い妖力が備え付けられていた。
対して、まだ若く、それ程鍛えられてもいない、器用貧乏な妖狐。
最初のスタートラインからハンデがあるのは、仕方のない事ではあった。
然し、これまで十分以上も闘いを継続させていて、気力が衰える様子は無い。
どのように殴られようと、蹴られようと、彼は決して諦めなかった。
今まで自分を押し殺してきた、ナサニエルだからこそ分かる。
それが、どんなに勇気が必要で、その勇気は、どんなに臆病な者の勇気であるかを。
分かっているからこそ、彼は手を抜かない。
そして今、新たにタガを外そうとしていた。
ソレが自分に組み込まれていると知った時には、使うことはないだろうと思っていた力。
「………………なぁ」
「………………? 何だ」
何とか体勢を立て直したトロンが、ナサニエルに対して言葉を投げる。
反射的にナサニエルは先を促す。
狐は、息を切らせて、フラフラとした足取りをしながら。
「ァ、ハァ………………お前、何で俺を殺さない?」
「………………何を言っている」
一瞬、鬼の意識が揺れる。
固めていた守りを無視するかの様な、狐の疑問。
余裕を貼り付けた不敵な笑みを零し、狐は続ける。
「だって、考えてみろよ。お前みたいに、見るからに強そうな奴が、未だにこんな新人を倒せないなんて。その様子じゃ、他の仲間は――――――」
「黙れ」
鬼は制止する。
狐にしてみれば、鬼の冷静を欠こうとしての発言で、特に他意はない。
然し、往々にして、言葉とは受け取る側のモノ。
ナサニエルは、違ったニュアンスでトロンの言葉を受け止めていた。
「貴様が余裕綽々だという事は、十二分に理解した。私が未だ貴様の膝を折っていない事実も、甘んじて受け入れよう」
自分についての事は良い。
それは確かに事実であり、悔しいが認める他ないのだから。
然し――――――
「だが、私の部下を侮辱する事は許さん。貴様が如何に生意気であろうと、その点だけは見過ごせ無い」
そう、それこそは。
「私は、彼等の意思を背負って、此処に居るのだから」
その言葉が引鉄となる。
ナサニエルの身体に変化が起きる。
「………………」
纏っていた橙色の妖力は、燃え上がる炎を髣髴とさせる真紅に染まる。
夕暮れをひっくり返したかのような鮮やかなオレンジから、沸々と沸騰する血液を思わせる赤色へと。
橙の管が無数に通っていた腕は、存在感を増し、纏う妖力量は桁違いに跳ね上がる。
「貴様は後悔するだろう。それでいい。自らの無謀さに漸く目が向くだろう」
言いながら、ナサニエルは、相対するトロンすらも気圧する重圧を身に纏う。
ジリジリとトロンに向かって前進する、その一挙手一投足が、ともすれば必殺の一撃となり得るだろう。
何時の間にか、芯から紅に染まっていた双眸で、大鬼は告げる。
「………………終了の時間だ。己の無力を嘆くが良い――――――《模倣加速・鬼魂解放》ッ!」
その姿は、正しくバトラー。
組み込まれた回路をフル稼働させて、彼は駆ける。
ともすれば、三分と持たずに妖力は尽きてしまう。
目の前の相手の妖力が、火の車である事は、未だ経験の浅いトロンにも分かっていた。
だが、元々大量にあった妖力を使い切る勢いで使用すれば、その出力は果たしてどうなるのか。
「――――――軽いな」
一瞬、何が起こったのか、誰にも分からなかった。
いや、正確に言うならば、ナサニエルが、如何にしてトロンに肉薄し、一瞬で弾き飛ばし、更に追撃に向かっているのか。
そしてソレを、如何にして三秒足らずで行ったのか。
「………………ッ!」
妖力で護っていたとは言え、看過できない程の、直接ダメージが狐の身体を軋ませる。
狐は白く飛びかけた意識を必死に押し戻し、体勢を立て直そうとする。
幸いにも飛ばされた方向には大木があり、ソレを足蹴にしてトロンは跳んだ。
狐は考える。
あれは不味い、後手に回ってはならない、先手を取っても直ぐに――――――
「――――――どうした? 御望みの通り、私の全力を以て相手してやっているのだが?」
「な、ッ!」
またしても、一瞬で肉薄する鬼の姿。
横から現れた鬼から逃げるように、狐は風で自らを押し流す。
然し、此処は森の中。
周囲には、木々が生い茂っており、四方八方に伸びている枝等を利用出来れば、機動には然程苦労はしない。
先程までは土の上を駆けていた大鬼が、木々を利用して立体的に動き始めた。
それだけで、一つのアドバンテージが消える。
そして、単純な機動力。
狐の少年が、少ない妖力を無理やり割いて作り出していた、移動用の風の力。
足元から飛び出てトロンの動きを補佐していた風の力だが、全力の一端を出した大鬼には、些事である。
此処に、トロンの上乗せ分の要素は殆ど消え去った。
そして残るのは、単純な地力。
素体スペックと、今までの積み重ねだ。
依然狐との距離を保ちながら、鬼は言う。
「貴様よりも俺の方が性能が高い、貴様よりも俺の方が闘ってきた」
圧倒的な自負。
今までの自分ではなく、今までの自分と共に闘ってくれた部下達への誇り。
そういった、時間をかけてゆっくりと育てていくモノを、狐は未だ持っていない。
「貴様に、その重みが、凄みが、それら全ての辛酸が………………分かってたまるモノかぁッ!」
「………………がぁッ!」
鬼は腕を振るい、小賢しい狐を弾き飛ばす。
それは、十分な致命傷だった。
肋骨が数本、呼吸の度に鋭い痛みを伝えて来るのが、トロンにもよく分かった。
今持ちうる、正しく全てを動員した、大鬼の執念、怨念、復讐心。
それ等程の積み重ね、煮え滾って火傷するような思いは、少年の中にはない。
鬼の全ては、少年の心をも折る程の重さを持っていた。
少年の瞳が虚ろに光る。
希望もなく、最善策も思い付かず、起死回生の一手すら、彼には降りてこない。
あぁ、もう神は俺を見放したのだ。
彼は本気でそう思い、命だけは助かる為に逃げようとする。
一端退いて、また少ししたら奏を追おう。
今は撤退すべきだ。
そう信じて、逃げ道を探している時。
「――――――ッ」
見えてしまった。
木に縛り付けられ、朧気な意識を宿した双眸が、少年の姿を捉えている。
奏は、そこにいる。
俺の手は………………届くだろうか。
いや、届かせる他に無い。
「………………ハァ、ハァ………………確かにな、俺はお前の苦しみは分からない」
少年は語る。
今も此方に歩み寄る、鬼の意識を少しでも逸らそうと………………しているのでは無い。
語らずには、いられなかったのだ。
「だけどな、俺にとっては、お前がどんだけ辛くてしんどい想いをしたかなんて、関係ない」
そう、彼は、そうした苦しみも、痛みも、今は持ち合わせていない。
故に、これまでの積み重ねと、現在の相手の背後の事情など、想像する余地はない。
だが――――――
「俺は俺で、これからの未来を取り返す為に、ここに立っているのだから」
そう、それこそは彼の信念。
たった今芽生えた小さな誓い。
これは、未来を取り戻す為の戦いである。
ならば、何時までもぐずっては居られない。
「………………貴様は何故、そこまで」
鬼は問う。
彼は、目の前の相手について知ってしまっていた。
その人の人となりを、理解してしまっていた。
だからこそ、ここで迎え撃つ選択をしたのだから。
そして、同時に、目の前の相手らしからぬ行動に対する疑問の念も、当然湧いてくる。
問われた方はと言えば。
「そんなこと、決まっている」
「まだ、あるからだ――――――果たしていない、約束が」
「フ………………」
少年の言う約束は、鬼には分からなかった。
だがしかし、そこにある信念は本物であると、今の一瞬で、理解することができた。
少年の約束とは、彼と彼女の最初の朝のモノ。
『言うことを聞く』、そう言って、未だ果たされていない約束が二つもある。
衣食住、そのすべてを提供してくれている奏に対して、未だ果たした約束が一つであるなど、言語道断である。
狐が、自分の頭を納得させるには、それだけで十分だった。
「こっからは、本気で行くぞ」
「ああ、来てみるがいい………………その最期、俺が直々に看取ってやるわッ!」
そうして、二人は衝突する。
持ちうるすべての妖力を動員して、狐は全力で抵抗する。
それがどれほど鬼に対して効いているかは、自信は無かったけれど。
最後の会話から、一分が経った。
はっきり言って、トロンの置かれた状況は、詰み、と言って差し支えないものだった。
左から飛び掛かれば、左手で薙ぎ払われ。
右から行けば、右の拳が飛んでくる。
上から行こうが、すでに対策されてどうしようもない。
そして今、新たに遠距離からの氷片投擲を試してみるも、鬼の、強靭になった外膜に触れた途端、弾けて消えた。
そしてまた一瞬で詰め寄られ、狐は飛ぶ。
「………………ギュァッ!」
もはや声にならない。
唯の空気を肺から出して、少年はまた前を見据える。
現状一方的に痛めつけられているのはトロンだが、ナサニエルに痛手がない訳ではない。
それは、時間。
そもそもの誘拐計画コンプリート予定時刻まで、残すところは十分もない。
しかし今のナサニエルが心配しているのは、そこではなく、自分の妖力である。
このまま行けば、残り一分もしない内に、自分は戦闘行動が取れなくなる。
その事は、誰よりも他ならぬナサニエル自身が、最も強く実感していた。
――――――そして、それを表に出さないでいられるほど、彼は冷静ではなかった。
少年の目が、今まさに向かってきている鬼の顔に向かう。
「………………」
見た瞬間に、反射的に飛びのいた。
すると、どうだろうか。
十分体勢を立て直す時間はあった筈なのに、鬼はそのまま振り抜き、その右腕は空を切る。
そして、キョロキョロと辺りを見回し、少年が飛んだ方向を発見し、すぐさま追い掛ける。
「………………」
今の一合で、狐が先程から感じていた疑惑が立証される。
まず間違いなく、今の鬼は冷静さに欠けている。
自分のほうがまだ冷静であり、慎重に相手を翻弄すれば、隙は必ず生まれる。
狐はそう確信し、少しずつスピードを落とした。
「………………ハッ」
右へ飛び、左へ跳ね、後ろに退り、上に逃れる。
それをしながら、狐は思考を巡らす。
例え相手に隙ができたとしても、此方にそれを活かす一手がなければ意味はない。
普通に殴るのは効かないし、氷片も有効打にはならない。
試してはいないが、恐らく炎も大したダメージは与えられないだろう。
なら、残す手など、とうの昔に無くなって………………
「!」
そこまで考えた時に、トロンの頭に電撃が走った。
そう、その手があったのだ。
但し、未だ相手に見せていないと同時に、成功例も未だに無い。
それをするには、あの大鬼に近付かねばならず、それは、正に虎穴に入ることを意味する。
失敗する可能性は高く、そうした場合にはまず間違いなく敗北する。
一度鬼の腕の射程に完全に入ってしまえば、まず免れられないだろう。
だが、それでも。
奏を救う為には、それ以外思い付かなかった。
強敵であるナサニエルと言う男を倒し、奏の元に駆け付けるには、それしか無いとさえ言えた。
「………………やるしかない、か」
少年の呟きに鬼が反応する。
「何をだ! 貴様に、ッ、何が出来る!」
「いや………………俺だって、隠し球の一つや二つ、あるかも知れないだろう?」
「虚勢を………………ッ!」
憎々しげにこちらを睨む鬼の目は血走っていて、とても冷静な問答など期待出来なかった。
鬼の息は完全に上がっており、此方を見る顔にはあからさまな疲れが見え隠れしている。
狐の少年にとっては、虚勢を張っているのはどちらなのか、正しく訂正したい所ではあった。
消耗が激しいのは、向こうの方であろうに。
「ハ。どっちが…………………ァッ!?」
鬼から逃げる狐が、苦悶の表情を浮かべる。
この数分の間に受けた傷が、ここに来て痛んで来た。
打撲、切り傷、骨折等…………………全身に刻まれた跡からは、鋭い痛みが襲ってくる。
瞬間、狐は動きを鈍らす。
「………………貴様、私を舐めているのかアァッ!」
そこに、既に冷静さとは縁遠いナサニエルが到る。
トロンは、必死に振り向いて反応しようとするが、当然ながら速度の差により、それは叶わない。
右腕をギリギリまで引き、筋肉を盛り上がらせた腕が、少年の横腹を殴打する。
「ガ………………ヵハァ…………………!?」
最早外聞を気にもしない、鬼の腕は全力で振り抜かれて。
その結果、轟音を響かせながら、トロンは、森の間を飛んでいった。
背中に当たる木々の重みが骨を折り、呼吸の度に胸が痛い事に、その時気が付いた。
鮮烈な音をさせ、ソレを大きく振動させながら、トロンは何とか一本の木で止まることができた。
内臓か何処かが傷付いたのだろうか、口からは赤色の液体が零れ出た。
少年の手にこびりつき、離れようとしないそれには、謎のエネルギーが感じられた。
「ガ、ッ………………ハァ、ハ、アッ…………………」
狐は大きく肩で息をする。
その度に痛む体から考えて、自分が戦えるのは、長くて残り一分だと理解した。
「………………だから、どうした………………ッ!」
軋む身体を無理矢理動かし、四肢が動くかを確かめる。
先程直接殴られた左腕は、少々厳しいだろう。
脚も、最序盤から酷使していたせいで、最早、蹴るなど出来そうにない。
右腕は…………………動く。
多少痛みは感じるが、それだけだ。
恐らく打撲が三箇所ほどあるだろうが、言ってしまえばその程度。
なら、最後の一手の為に支障はない。
鬼が此方へ歩いて来る。
もう少年が立ち上がれないことを確信したからであろう、その姿は悠然としたものであった。
「………………もう、いいだろう」
それは一つの提案だった。
少年と共に果たし合ったナサニエルだからこそ出る言葉。
その言葉に込められたのは、今までのどんな拳に乗ってきたものよりも重い気持ち。
飾りっ気のない率直な心配、気遣い。
「貴様は十分に戦った。そのことを誰が責められようか」
そんな言葉で相手が止まらないことは理解していた。
それでも、腕力による止めは、まだ刺さない。
その上で、僅かにも程がある残り時間を大幅に無駄にして、少年に対して語る。
鬼の目には、少々の水が溜まっていた。
「あの少女の待遇については私が口添えしておく。出来る限り衛生的な環境に置いていただけるように、直訴する――――――だから、貴様は――――――」
それでも、鬼は歩みを止めない。
全身に回している妖力を止めない。
語る言葉を止めない。
振りかぶる手を止めない。
「ここで死んで行け、ッ」
鬼が、腕を振り抜いた、その時。
「――――――すまん。それは出来ねぇ相談だなぁ」
右手を振りかぶりながら笑う狐は、一瞬にして立ち上がり――――――否、立ち上がってはいない。
引きずられるようにして床を這ったのだ。
どうやって?――――――決まっている。
風に吹かれただけの話。
「――――――貴、様………………!」
「そしてありがとう、お陰で息が戻ったよ」
では、そこに回す妖力を、どこから調達したのか?
決まっている――――――身体を護る妖力の一切をオフにしただけの話。
殴ったり殴られたりした際には、当然ながら痛みが生まれるが、そこはそれ、これはこれ。
地面の草本で切られた手足の、旋毛風のような痛覚さえも、今の少年の意識の外だった。
「――――――喰らえええええぇぇぇぇあああああぁぁぁっっっ!!!」
少年は、右腕を振り抜く。
大きく振り抜かれたそれには、ナサニエルのそれよりも威圧感は感じられないし、そこに鬼のような追加効果があるわけではない。
しかし、それには、異常なまでの速さがあった。
その速度は、どこから来たのか。
それは、顔の引きつり、筋肉のこわばっている狐の少年の表情から、察せられる。
彼がやっているのは、単純な集中。
体中の神経を右腕の肘に集中し、それを動員して、風を発生させる地点と向きを設定する。
そして、今の身体の残存妖力のすべてを巡らし、右肘に回す。
斯くして、少年は彼史上最高の出力を出せている。
しかし、それはとんでもない綱渡りであった。
妖力の集中に時間がかかったり、残っている妖力量が少なかったり、全ての妖力を回しても威力が足りなかったり、拳を外してしまったり………………上記のいずれかを満たしてしまった場合は、即刻アウト。
ナサニエルの拳の前に、為すすべなく意識を刈り取られていただろう。
だが、今は、奇跡的に成功し。
「――――――嗚呼嗚アァァァァァアアああッッッ!!!!」
トロンは叫ぶ。
己のすべてを賭けて。
そして、これから手に入れる予定の未来全てを。
自分の真下から飛来するトロンの拳に、ナサニエルは対応を迫られる。
一瞬も気が抜けない、緊張感そのものともいえるこの場面で――――――鬼は、瞳を閉じた。
それは、《模倣加速・鬼魂解放》の効果時間の終了であったから。
そして、目の前の少年の想いが、今の自分の願いよりも大きいと、分かってしまったから。
「――――――嗚呼あああァぁぁッッっっ――――――!!!!!」
真下からフックで放たれた拳は、凄まじい速度で鬼の顎を捉える。
刹那の間、鬼の首はそれに抗おうとして――――――まもなく、鬼の意識は――――――消えていった。
「――――――――――――――――――」
「――――――ハ、ハァ………………悪いな………………俺にも、譲れないものがあるんだ………………」
白九尾:トロン
最後に、一言だけナサニエルに残し、俺はその場を後にする。
………………本当に恐ろしい相手だった。
何よりも濃厚な殺気と、一撃でも喰らえば確実に瀕死状態になるだろうその能力が、俺の精神を異常な勢いで摩耗していった。
あの右腕にはもう、二度と触れたくない。
「ハァ、ハァ――――――」
必死に息を落ち着かせる。
奏に会った時に息が切れていたら、格好が悪いから。
と言うよりも、急ごうとしても体が言うことを聞かないのが大きいけれど。
風の妖術でも使って一瞬で移動したいぐらいだが、さっきの一撃で、完全に妖力を使い果たしてしまった。
――――――本当に、俺はまだ、実力不足なのだ。
「――――――あ………………」
奏の前に躍り出る。
心配させまいとして、無理やりに元気にふるまおうとして。
「大丈夫だったか? 酷い事されなかったか? ああ、服は大丈夫そうだな――――――
――――――もう大丈夫だ、帰ろう」
そして、紐をほどく。
本当に柔らかく巻いてあったそれは、なんとも簡単に外す事が出来た。
パサリと音を立てて落ちるロープを見て、奏は最初に手をにぎにぎして。
そしてすぐに。
「――――――ごめん、な、さ、い………………っ………………!」
俯き、大粒の涙を流して、謝罪の言葉を流した。
奏の慟哭に、俺は何も言うことは出来ずに、汚れていなかったハンカチを取り出した。
涙を俺のハンカチに拭われながら、奏は嗚咽交じりに告白する。
「私の、せいで………………トロが、危険、な、目に………………何も、出来ずに――――――!」
その姿は、さながら神に向かって懺悔する聖女のソレで。
不謹慎にも、俺は見惚れて一瞬だけ、次の行動が遅れた。
「大丈夫だ。俺ならほら、こうして元気に立ってる。俺にとっては、奏が無事でいることの方が、ずっと、大事だから」
彼女の嗚咽に紛れながらも、しっかりとした声で告げた。
俺の言葉が、奏に聞こえたのかは分からない。
だが、彼女は謝罪の言葉を述べるのをやめて。
「――――――うぁぁぁ………………あああぁぁぁあああっっっ――――――!」
「――――――大丈夫だ。これからはずっと、俺が守るから」
「………………う、ん――――――約束」
<>(^・.・^)<何も、語るまい
<>(^・.・^)<鼠のターンが終了した後は
<>(^・.・^)<エピローグという名の後日談と
<>(^・.・^)<幾つか解説・紹介を挿し込んで
<>(^・.・^)<向こうにパスする予定です