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Devil’s patchwork ~其の妖狐が神を討ち滅ぼすまで~  作者: 國色匹
番外章・二 戦う理由があるのなら
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其の一五

 雄国:タンディニウム庁舎




 柔らかなカーペット材の上を、一人の女性が歩く。

 背筋は曲がり、目は伏せがち。

 足取りも重く、誰が見ても体調不良のその女性の名は、メアリー・ジキル。

 若いながらもタンディニウムの副市長を務める才女であり、努力の人である。


「はぁ……はぁ」


 額に脂汗を浮かばせながら歩く彼女のポニーテールが、足取りに呼応して左右に揺れる。

 昨日からの体調不良をずっと引きずっている彼女だが、昼まではまだ平静を保てるくらいの調子だった。

 しかし昼食を取ってから頭痛は酷くなり、ふらつきやすくなり、関節も動かしにくくなる。

 普通なら、何か悪いものでも食べたのかと疑う所だが、メアリー副市長には心当たりが一つあった。


「あぁ……」


 ついに体幹も保てなくなり、副市長は壁に手を掛けた。

 体重を壁に預けながら立てなくなっていき、床にへたり込む。

 瞼は重くなり、破裂しそうな頭では考え事も出来なくなる。

 なんとか副市長室まで辿り着こうとしていた彼女だが、この体調ではそれもできなくなっていき。

 廊下に倒れ込む直前、誰かがそれを背中から支えた。


「──」

「おっと。大丈夫……では、ないみたいですね?」


 支える誰かは、うつ伏せに倒れそうになったメアリーの向きを変え、膝枕をする。

 朦朧とする頭で、メアリー副市長はその誰かの顔を見上げた。


「黒、はら……」

「今はゆっくりしてください。ほら、目を閉じて──」


 赤子をあやすように、黒原小豆はメアリー副市長の頭を優しく撫でた。

 昔を思い出す柔らかな感触に、メアリー副市長は一時だけ責を忘れ、緩やかに意識を手放していった。




<***>


 タンディニウム庁舎:副市長室



 身に覚えのあるソファの感触を背中に覚えながら、メアリーは目を覚ました。

 見覚えのある天井、見覚えのある照明、見覚えのある壁紙、そして見慣れない人影。

 黒い髪の眼鏡の女性が、盆の上に紅茶を載せてこちらに来ている。


「おや。起きました? いやあ、フラフラしてる副市長を見た時はどうなることかと思いましたよ~」


 黒原は軽い口調だが、行動には副市長への心配が現れている。

 身を起こした副市長に掛かっていた毛布もまた、その一つ。

 つい昨日酷い態度を取ってしまった相手からの施しにどのように応えればいいのか、副市長は居心地の悪さを感じながら頭を下げた。


「……感謝します。御陰で随分楽になりました」

「そうです? まだちょっと顔色は良くなさそうですけど。いったんお茶にしません?」


 黒原は、メアリーが座っているソファの隣に腰を降ろし、持ってきた紅茶のカップの一つを取って中身を口に含んだ。

 急に距離を詰めてきた黒原にぎょっとしつつも、メアリーは有難く紅茶を啜った。


「おいしい、ですね」

「お、そりゃよかったです。ま、ここにあったのを使っただけなんですけどね~」

「それは、承知していますが。なんというか、芯が温まるような……久しぶりの感覚です」


 メアリー副市長はほっと息を吐きながら、全身を弛緩させた。

 彼女は、気絶する以前は全身が強張っていたのだ、ということを今ようやく実感した。

 同時に、ここ最近自分が精神的に張り詰め過ぎていたのだ、ということも理解した。


「……あの。改めてになりますが。本当にすみませんでした。許しがたいことと思いますが、何卒水に流していただけないでしょうか……?」

「え。何言ってんですか。べつに最初っから怒ってなんてないですよ」


 神妙な面持ちで謝罪したメアリーに、黒原はあっけらかんと答えた。


「元々今日来たのは副市長の様子がちょっと変で、何かあったんじゃないかって心配だったんですよ」


 蓋を開けてみれば案の定でしたけど、と言いながら、黒原は再びカップに口を付けた。

 社会的な関係や打算を含む優しさではなく、生物の一個体が一個体に向ける共感や心配。

 その姿を見たメアリー副市長は、()()()()()見ていた誰かの姿を重ねていた。

 温かな紅茶と休眠で身体の至る所が緩んでいたのだろう、メアリーの目から涙が零れる。


「ぅ……すいません、ちょっと、涙が」

「あれ、大丈夫ですか、どこか痛みます!?」

「いや、そういうわけでは。ちょっと、昔を思い出して」

「昔を……ちなみにそれって、副市長が〈妖技場〉に反対した理由に関係してます?」

「──」


 メアリーは、黙ったまま小さく頷いた。

 黒原は、涙を流す副市長の背中を擦る。


「よかったら、でいいんですけど。その話、聞かせてもらえません? 事情を聞かせてもらえたら、その心配を拭うお話ができるかもしれませんし」

「いえ、その。気にしないで」

「いやいや、気にしますって! 〈妖技場〉が異物に見えて受け入れがたいのは分かるからこそ、自分に言えることは全部伝えておきたいんです。どーしても話さないって言うなら、さっき助けたお礼として要求しますけど、それでもいいんです?」

「それは……分かりました。それほど気持ちのいい話ではありませんが」


 元々義理堅く誠実な性格をしているメアリー副市長は、脅しに近い黒原の言葉を受けて腹をくくった。

 少し長くなる話をするために、メアリーは紅茶で喉を潤す。


「貴女もご存知かと思いますが。数年前に、例の事件が起きたことはいいですよね?」

「もちろんです。世界各国で謎の奇行に走る人間や妖怪──デビルが大量発生して大混乱、一説では世界大戦になりかけた……でしたっけ」

「その通りです。黒原さんの母国ではそれほど被害は甚大ではなかったようですが、雄国、特にここタンディニウムでは途方もない混乱が起きていました」


 記憶を探りながら答えた黒原に、メアリーが頷いた。

 当時の状況を思い出すために、メアリーはすっと目を閉じた。

 事件から一年間は、夜寝る前に脳内に浮かび上がっては飛び起きさせてきた、嫌な記憶。

 そのせいか身体的な成長は想像よりも進まなかったが、数年が経った今なら震えを伴うことなく思い出すことができる。


「狂を発したかのように暴れる人間やデビル、不十分な対デビル犯罪取り締まり、本来体制側で対応するはずの警官たちの無差別発砲、燃える街に壊れる物や建物、倒れる街灯に倒れ伏す人間……地獄とはこのことか、と当時絶望したのを、鮮明に覚えてます」

「……辛かった、ですよね。私には到底想像もつかないことだと思います」

「そうですね。こればかりは否定も謙遜もできません。当事者だった私個人の意見ですが、経験していない方とあの感情は共有不可能でしょう」


 大きな事件や凄惨な現場を見た個人の感情や記憶のうねりは、境遇が違う者同士で完全に分かりあうことなど出来ない。

 その辛さや痛みを、想像することしかできない。

 けれど、メアリー自身はそれを責めることなどしない。

 同じ事件を経験した者同士でも、見た物や感じた思いが微妙に異なっていて、完全な記憶の共有など不可能だということは、孤児院で過ごしたメアリー本人もよく分かっているからだ。


「──もう少し、踏み込んで言うと。私は、少々普通の人間とは違うんです。信じて頂けるとは思いませんが、私、未来が見えることがあるのです」

「そうだったんですか。人間の身体で不思議な能力を持っている方は、私の地元じゃ《術使い》なんて呼ばれたりしますね」


 メアリーとしては一世一代の告白に近いカミングアウトだったが、黒原はするりと受け入れた。

 幼い時期に誰にも受け入れられないとして言わない選択をしたメアリーにとって、その懐の深さはある意味で救いだった。

 故に、そんな相手にもっと分かってもらいたいと思ってしまう。


「他の人と異なるという点は、幼い私を孤立させるのに十分でした。未来を見る少し前は体調が悪くなることも、周囲へ溶け込む難易度を格段に上げていたと、今は考えます」

「それは、少しわかる気がします。私も小さいときは今よりずっと消極的でネガティブで、身体も弱くって。なかなか友達ができなかったのも、そのせいなんじゃないかって」

「分かって貰えて嬉しいです。そんなわけで、小さい頃の私の頼れる人間は、両親に加えて駐在の警察官の方、そして通っていた園の先生くらいのものでした──そんな人々が、目の前で()()()()姿を見たのです」


 静寂が流れた。

 気まずい空気が満ちたわけではなく、黒原が受け止めるだけの時間をメアリーが設けた、という方が正しい。

 日常的に戦闘を見ている黒原でも、否、だからこそ、幼少期に目の前で殺し殺されを見たという経験は軽々しく消化すべきではない。


「──計り知れない、ですね」

「だと思います。極めて個人的な事情が重なってのことですから。似た経験をした方はいるかもしれませんが」


 精一杯寄り添った対応をしようとしている黒原の姿勢を感じ取り、メアリーはらしくなく微笑んだ。

 手の中のカップを軽く動かすと、何時の間にか減っていた紅茶が微かに揺れる。

 壁掛けの時計の針が動く小刻みな音色にしばし耳を傾けていた二人だが、やがて黒原が言う。


「それが、副市長の不安の正体と受け取って、大丈夫ですか? 暴力が身近に現れたとき、また辛い思いをする人やデビルが現れるんじゃないか、って感じの」

「その通りです。私自身、折り合いをつけるのに随分と長い時間を要しました。常にどこかに刃が潜んでいて此方を狙っているのではないか、というような恐れを振り払うには長い時間が必要ですし──何より。想像すると、私の震えが止まらないのです」


 メアリーの手の中の残り僅かな紅茶が、ふるふると震えた。

 隣からその様子を見ていた黒原は、カップをソーサーにそっと置き、メアリーの手に自分の手を被せた。

 人間の温かみを手先から受け取ったメアリーの震えが、少しずつ収まっていく。


「実はですね。私も副市長ほどではないにせよ、ちょっとデビル絡みの犯罪に巻き込まれかけたことがあって」

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