開幕
雄国:タンディニウム
西の果ての島国である雄国の首都タンディニウムのコーヒーハウスの、時計塔を眺められるテラス席にて。
私──ナサニエル・バトラーは、紅茶を口に含む。
変装の為に現地で調達した帽子とマスクを身に着けている私の向かいの席に、同様にチューリップハットとサングラスをかけた女──綿貫郭蘭が座る。
テラス席に腰を掛ける私たちは場合によってはカップルや夫婦に見えるかもしれないが、互いの身長差を見ればそうはならないだろう。
「ん~……やっぱり本場のアフタヌーンティーは格別よのう」
「確かに、味がいいのは認めるが、私は他のソレを知らん。おまえはどうだ?」
「キョォォ」
足元に伏せている鵺に声をかけるが、鵺は小さく鳴いて首を横に振った。
元々屋内で秘密裏に飼われていた鵺だ、華々しい外出の記憶はないのだろう。
そうしたところに若干のシンパシーを感じつつ、私は自分のカップを皿に置いた。
「しかし、連続で任務にあたるとは、少々骨が折れそうな予感がするな」
「ほう? らしくないのぅ、仕事は仕事と割り切るタイプと思っとったんじゃがな」
「それはそうだが、こいつを返してやりたい気持ちもあってな」
「キョオオ!」
「いや、おまえの気持ちは分かっているつもりだが」
私と鵺の間で妖怪同士の意思疎通はうまくいかないが、今の鳴き声が何を伝えたいかはなんとなくわかる。
自分も共に戦いたいと、『宝石団』の一員として戦いたいと言っているのだろう。
心配になる気持ちもあるが、ここは鵺の意思を尊重するべきだろう、同じ妖怪として。
「わかった、では私たち三人で今回の任務にあたる。既に上には確認を取ってある」
「流石、仕事が出来るヤツよのぉ」
「茶化すな。地図を開くぞ。まずはここ、タンディニウム総合病院だが──」
<***>
タンディニウム:タンディニウム総合病院
タンディニウムの中心は時計塔であるが、その周辺は政治的機能の詰まった区画となっている。
総合病院はそんな中心地ではなく、タンディニウムのやや離れた地点、川を挟んだ反対側に存在している。
患者が巨大な妖怪であった場合や妖怪同士の諍いで傷付いた場合には特別な医療機器が必要になる場合もあるため、この世界の病院は大抵都心から離れたところにあるのだった。
「ふぅ……」
そんな総合病院の一画、特に病状が重く常時の延命措置が必要な患者が生活する部屋にて、一人の男性が読書の手を止めた。
患者はもう一年以上この病室に滞在しており、高層階にある病室の窓から見える綺麗な景色にも、すっかり見慣れてしまっていた。
「おや」
都心から離れているとはいえ、病室は清潔な空気を保つために、立派な窓が付いていても常に閉じられている。
だというのになぜか爽やかな風を肌に感じた患者は、伏せていた目を開いた。
はためくカーテンの向こう、人影がひとつ見える。
普通に考えれば影などで正体が分かるはずはないのだが、患者は直感で正体を言い当てる。
「──よく来たね、トットー」
<***>
タンディニウム:河川沿いの道
都市とは往々にして交通の要衝にできるもの。
タンディニウムもその例に漏れず、大きな川が東西を貫くように伸びている。
ちょっとした観光地と化している河川沿いには、土産屋や食べ歩きグルメの道ができていた。
そんな食べ歩きの道で鶏肉のサンドを頬張りながら、一人の幼い男の子の姿をした妖怪が空を見上げた。
「ん?」
自分の頭上を、何か小さな影が通り過ぎたような気がしたのだ。
鳥などではないし、翼を持つタイプの妖怪とも考えられない。
何かもっと特別なものが、川を越えた向こう側……病院の方へ飛んでいったような。
「おいハン、余所見すんな、危ねぇだろうが」
「えっ、ああ。ごめんなさい。何か気になって」
「あん?」
ハンと呼ばれた少年の名は、ドメイドハン。
トロンたちが生活する街にある〈妖技場〉にて【戦神両翼】の片翼を担う、<酒呑童子>。
そんな彼に注意をするのは、同じく〈妖技場〉の有力選手の一人トルフェ。
<河童>の妖怪である彼女は、通常の人間よりやや広い水かきの付いた手で空を仰ぐ。
「……別に何も見えないけど」
「あれ? おっかしいな、人影が見えた気がしたんですけど」
「疲れてるんじゃないの? 随分長いこと飛行機乗ってたし」
「そうかもですね。明日のこともありますし、緊張もあるかもです」
ぶっきらぼうな物言いではあるが、トルフェの優しさをしっかりと感じ取ったドメイドハンは穏やかに微笑んで手元のサンドにかぶりついた。
明日のこと、とドメイドハンが表現した用事こそが、まさに彼ら〈妖技場〉の使節団が飛行機で何時間、下手をすれば一日近くかけて雄国までやってきた理由である。
それ、即ち。
「ここ雄国にも〈妖技場〉を設置する、って話、どうしても成立させたいですよね」
「そう! そうなのよドメちゃん! このプロジェクトの成否によっては今後の〈妖技場〉経営が大きく変わると言っても過言じゃないの!」
「うわっ」
自分の契約相手であり、〈妖技場〉運営の重要ポストに就いており、更にこの使節団の長を務める黒原小豆。
かつてトロンを(強引に)出場させて大盛況を巻き起こした仕掛け人であり、それを機にさらに運営の中で発言力を増したのだった。
そんな黒原が目を付けたのが、海外進出。
「雄国は妖怪──この辺ではデビルって言うんだっけ。その質はそれなりだけど、如何せん実践経験が足りてないから。この辺りで刺激を入れといた方がいいと思うんだよね」
「いろいろ考えてるんだな、お前の契約相手も」
「こう見えて根は真面目だから……」
意外そうな顔で傍らのドメイドハンを肘でつつくトルフェと、困ったような表情で返答するドメイドハン。
実際黒原は黒髪かつ眼鏡という、見た目だけなら委員長と言えなくもない姿をしているのだが、普段の言動がそれを阻害してしまっているのだった。
「はいそこ、ぐちゃぐちゃ言わない! せっかくおいしいサンドなのに冷めちゃうでしょうが!」
「心配するのそこなんだ……」
「ったく、いつまで時間かけて食ってんだよ。このままじゃ観光だけで日が暮れちまうぞ」
「あー待って待って! スケジュール的にはこの後宮殿見に行って、博物館も見学して──」
予定をびっしり書き込んだ手帳と、折り畳んで手帳に挟み込んだマップを取り出し、黒原は今日のスケジュールを確認する。
昼過ぎの時点で既に押しつつあるスケジュールに間に合わせることができるかは、今後の使節団にかかっているのだった。
<***>
タンディニウム:某所
未だ日も高い中、タンディニウムのビルディングの上に佇む影が二つ。
大通りからやや離れた屋上に立つ影の内、ひとつは男子中学生ほどの背丈の、髭のある高齢男性。
男性は複雑に嚙み合った歯車が覗く杖で床を叩き、眼下を見回して溜息を吐く。
「ったく、こんな国なんぞにまた戻らにゃならんとはなァ。窮屈なことこの上ないってぇの」
もうひとつは、身長二メートル近い、顔に傷のある女性。
男性の隣に立ち、付箋でびっしりになった旅行雑誌をハンドバッグから取り出して眺めた。
「きひ、きひひ。ウチは何やかやで、初めてだね。本場のスコーンが愉しみ、楽しみさね」
「そうは言うがなァ。あんなモンどこで食っても味なんか変わりゃせんぞ」
「あぁ嘆かわしい、嘆かわしい。機械弄りしか能のない男は、これだから」
「あぁ? なんだとこら、オレが今まで何度テメエに助けの手を伸ばしてやったと思ってんだ、こら」
「恩着せがましいこと」
普段から馬の合わないこの二人だが、ある一件以降、ペアを組んで傭兵稼業を行っている。
やがて勢力を拡大し始めたGNOMEに打ち倒され、現在はGNOMEの指揮下で都市における様々な任務を担当している。
当初は反抗しようと試みたこともあったようだが、第二師団長らに何度も鎮圧された結果、すっかり服従の意を決め込んでいるのだった。
幸い、傭兵稼業をしていた頃の不安定な収入から、固定給及び任務達成後の報酬という安定を手に入れたため、生計それ自体には苦労していなかった。
「ま、今はそれはいい。どうせ死ぬまで同じ船、今回も気張るとしようや」
「道理、道理さね。上司に勝る恐怖はなし。此度は何を仕出かせば良いんだったかな?」
「ん~」
傷の女性から確認を求められた髭の男性が、握った杖をカンカンと床に叩き付ける。
その規則的な衝撃を感知した杖が内部機構を動かし、ギャリギャリと音を立てる。
自分自身の妖力を馴染ませておいた髭の男の脳内に、第二師団長から送られた指令書の記憶が戻る。
「あ~、裏切り者の処分、だな」
「またかい? 近頃は脱走が多くてうんざり、辟易するねぇ」
「まー色々思う所のあるやつも多いんだろうよ──っと、忘れてたぜ」
杖内部の歯車が止まり、髭の男性は目を開ける。
「此度の任務、どうやら第一師団長まで寄越されるそうだ」
「うげ」
始まります番外編第二章!
なんというか、準レギュラー級のキャラクターを沢山活躍させたい、という章です