其の二二 四妖将、そして二人の死神
遅れました申し訳ありませんーーーーー!
古都の西:大河
月が見え始めた宵の入り、早くもなく遅くもない流れの河に、立つ影が二つ。
一つは、比較的小さな人の影。
濡れないように裾をまくり上げ、袖を折った和装の少年が、背負った野太刀を抜いてもう一方の影を睨んでいた。
「ここで、オマエを倒す! せめて行動不能にはなってもらうぜ、丸っこいの!」
野太刀の剣先が向かった先、大きく丸みを帯びた物体が、うなりを上げて起き上がる。
物体に纏わりついていた黒い何かが徐々に溶け落ち、大河を少しずつ黒く染めていく。
「SHU~……」
先程まではくぐもっていた声が、随分とクリアにデンザイの耳に届く。
声というよりも排気音という表現の方が正しそうな物体だが、纏わりついていた泥土が落ちると、中から異形の怪物が現れた。
「なんだあれ、でっかい、蜘蛛……?」
デンザイが、野太刀を構えながら敵の観察を続ける。
丸々とした胴体、そこから伸びる黒光りする脚、重力に逆らって持ち上がる上半身、四対ほどある複眼、横に開く口腔。
全体のシルエットはデンザイの言う通り蜘蛛そのものであり、関節の動かし方も蜘蛛のソレ。
ただし、それだけで情報は完結しない。
「SHU……SHU……」
「にしちゃあ、随分溶けてるっつーか、崩れてるっつーか……?」
大河が揺らす月光の照り返しを受ける蜘蛛の身体から、デンザイは不完全な印象を受ける。
外殻の一部に虫食いのように穴が開いていたり、脚の一部が不自然に湾曲していたりと、自然に暮らす蜘蛛とは異なっている。
まるで、埋葬されていたモノをつい最近掘り起こしたかのような……
「なるほど、そういうことか──随分お痛してくれるじゃねえか……!」
古都に杭を仕掛け、今もこうして『化生會』の邪魔をしてきている敵方のやったことに気付き、デンザイは義憤を込めて拳を握りしめる。
第一歩足──最も頭に近い脚──の爪を研ぐ巨大な蜘蛛は、まず間違いなく、古都の旧い言い伝えにある<土蜘蛛>。
妖怪が今よりもずっと人間とは離れた外見だった時代、優れた武力を持った討伐隊に討ち取られた蜘蛛の怪物。
「SHU」
「山に封印されてたって話は本当だったのかよ。不思議なこともあるもんだな」
言い伝え程度の情報が本当だったことに衝撃を受けながらも、既に死んだ怪物を掘り起こして、現在を生きる皆に危害を加えようとする敵に憤慨するデンザイ。
それに、昔に輝いた勇気ある征伐隊の仕事がコケにされているようで、一層腹立たしい。
しかし、土蜘蛛は何者かに操られているのか、デンザイに向かって爪を光らせた。
「沢山の人と妖怪で征伐したからって、今のおれが諦める訳にゃあいかねえよな……!」
怖気づきそうになる自分を奮い立たせるデンザイ。
ここで逃げるようでは、自分が憧れたヒーローになんかなれないし、かつて古都だけじゃない世界中の皆を護った旧王に合わせる顔がない。
奮起したデンザイのところへ、土塊じみた土蜘蛛が急襲をかけた。
「SHOUOOO!」
「ぐっ、重みは、一丁前だな……ッ!」
五メートルはありそうな巨体に見合わぬ瞬発力で、土蜘蛛は一瞬にしてデンザイに肉薄し、爪を振り下ろした。
遥かに高い位置からの爪の両断を、デンザイは野太刀で受け止める。
爆弾でも破裂したかのような音が鳴り響き、上から巨体を叩きつけられた大河が派手に水飛沫を立てた。
「おら、よっ、と!」
ぐっと全身の妖力を加速させ、デンザイは怪力を発揮して土蜘蛛を吹き飛ばした。
またしても轟音と飛沫が立ち上り、土蜘蛛はすぐさま体勢を整える。
「SHUOO!」
「へっ、仕切り直しだ……今度はこっちから行くぜぇっ!」
野太刀を水平に構え、デンザイは川底を踏みしめながら駆ける。
石が乱雑に並ぶ川底は、一歩間違えれば派手に転びそうになるところだが、幼い時分よりこの大河で遊んできたデンザイにとっては、ただの散歩のようなものだった。
デンザイが一歩を踏み出す度に、月光を照り返す水面が揺れる。
土蜘蛛も歪な口を縦に開いて爪を構え、迎撃の姿勢を取った。
<***>
古都の北:御苑
デンザイが突如現れた土蜘蛛に対処し始めた頃、北の集合地点である御苑でも異変が生じていた。
さらに北の方角、森のある方から地響きが鳴り、一部の妖怪がびりびりと強大な存在感を察知する。
その中の一人、昼間に古都と大和ヶ原の境を見回りしていた妖怪が、ぽつりと零した。
「この気配……あの時の……!」
「何だ、知ってるのか、おい!」
近くにいた別の妖怪が問う。
問われた妖怪──<釣瓶落とし>──が、周囲の皆に向かって叫んだ。
「皆、早く行け! 鬼が来る!」
「お、鬼ぃ?」
「そんなん、うちのボスだって……」
「いいから早く! この場の全員、病院送りにされるッ!」
気迫の籠った強い言葉に圧されて、<釣瓶落とし>と彼を囲む数人の妖怪を残して、全員が散り散りに去って行った。
デンザイの演説の直後に班分けを済ませていたため、少し行ったところでそれぞれの班が合流する。
<釣瓶落とし>が全員をその場から逃がした、僅か数秒後。
「──おォ、おぉぉおおガああァッ!」
御苑の柵と木々を薙ぎ倒し、全身の衣類をボロボロにしながら、巨躯の鬼が姿を現した。
土埃が舞い、ある程度の広さがある御苑の広場に緊張が走る。
<釣瓶落とし>が腕で埃から目を護り、舞い上がった土が落ち着いた頃、ぽつりと口に出した。
「やっぱり……あの時の!」
「がア、あああ!」
<***>
古都の東:大舞台
北の御苑で鬼が襲来したのと、殆ど同時。
大舞台を有する山の寺。
その傍に集合していた妖怪たちが出発しようとしたとき、バタン、という音がしたかと思えば、ゆっくりと青年が歩み寄って来た。
「ふむ、ふむふむ。これだけの妖怪を一度に相手取るとは。小生、珍しく胸躍る……」
「誰だっ!」
「──」
まとめ役の妖怪が、青年に問いかけつつ、ジェスチャーで周囲に離脱を伝えた。
中心でまとめ役の妖怪の護衛にあたっていたシンミが、腰に挿したヤツデの葉を模した団扇に手を掛けながら、青年の動向を窺う。
意図を汲んだ妖怪たちが離散しようとしたとき、帽子の広い鍔を摘まみながら、青年が呟いた。
「そう殺気立ってくれるな……小生、もっと昂ってしまうだろう?」
<***>
古都の南:総合公園
西、北、東に襲撃がなされたということは、当然南にも刺客が訪れる。
他の集合地点よりも少し遅れていたこともあって、南の集合場所である総合公園では念話を受け取った妖怪たちによって警戒が強められていた。
その最中、森林公園としての性質を持つ総合公園の一角から悲鳴が響いた。
「ッ、大丈夫か!?」
「ひひ、ひひ。逃げ出そうったって、そうは問屋が許さね」
ざわざわと何かが地を這うような音が、あちらこちらから聞こえてくる。
真ん中で迎え撃とうとした妖怪のうち、トイが音から当たりを付けて氷を放つ。
「……ふう、っ」
「ひひ! おお、こわいこわい。そう焦らずとも、お主らはいずれ儂の腹の中さね……」
<***>
古都と大和ヶ原の境:GNOMEの小屋
各地で『化生會』とGNOMEによる衝突が始まった頃。
マハーリーヤが活動拠点にしていた小屋に、ノーヌーとペアリーが留まっていた。
小屋の主とも言えるマハーリーヤの不在に、ノーヌーが首を傾げる。
「ん? おいペアリー、あの生意気ボーズはどこ行った?」
「リーちゃんですねー。リーちゃんはもう出ましたのでーす、なんでも【原始怪異】を獲りに行く、とか言ってたよーな?」
「あー、何だよ、もう動き出してんのか。んじゃ言えよな、まったくよ……」
不平を零しながら、ノーヌーが壁に掛けてあった革ジャンを羽織る。
今度はペアリーが首を傾げた。
「え? ノーちゃん、どこ行くのですー?」
「決まッてんだろ、暴れに行くんだよ。おれたちが暴れりゃ、それだけ生意気ボーズも動きやすくなんだろ」
「えー、でも、どう見たって殴ったり蹴ったりしたいだけに見えるのでーす」
「ははッ、大当たりだ! 何しろ……ほら見ろよ」
ペアリーの目の前で、ノーヌーが小屋の戸を開けて外の様子を見せる。
一体何を、と思いながら扉の外を見たペアリーの顔色が一気に変わる。
ゴテゴテに装飾された、それにしては元の姿が無骨過ぎる鎌を携え、彼女は外に出ていたノーヌーの隣に並び立つ。
「へー、ノーちゃんは、あのひとたちをぶっ飛ばしたいのですかー?」
「応よ。いかにも腕に自信があるッてツラしてやがる。そういうヤツらの鼻ッ柱圧し折ッてやんのが、最ッ高に気持ちいいからなァ! そうだろ、ネズミ二匹!」
肘から先を獣のソレに変化させつつ、ノーヌーが牙を剥き出しにして森に問うた。
程なくして、二人組の男性の影が、森の中からぬるりと現れた。
一つは、四つの腕と四本の足を持つ、夜なのにサングラスをかけた金髪の男。
一つは、全身をゆったりとしたツナギで包んだ、牙を模したマスクをつける黒紫の髪の男。
「ま、呼ばれたからにゃ出ないワケにいかねーよな」
「ふん、挑発に乗る形になるのは業腹だが……仕方あるまい。此奴らを放っておけば何をしでかすか分かったものではない」
金髪の男は前傾姿勢を取りながら、四本の脚に取り付けられたホルスターに手を掛ける。
黒紫の髪の男は、左手に大麻、右手に木簡でできた盾を構える。
「へー、やる気はじゅうぶんみたいでーす」
「らしいな……んじゃ、一暴れ付き合ッてもらうぜェ!」
他の集合地点に比べると、幾分静かに、ゆっくりと始まった戦い。
しかし、現時点で最もレベルの高い戦いは、この小屋の前で繰り広げられることになる。
余談:デンザイの刀について
古都に代々伝わる由緒ある名刀、銘を童子切。
数百年、下手をすると数千年を越えて振るわれているようですが、手入れをタリロが担当しているため、打たれた当初の状態と変わらない輝きを放っています。
タリロ曰く、「ちょっと磨いたらすぐに戻った。打った鍛冶師の腕が確かか、刀本来の性質のどちらかか……或いは、よっぽどの逸話を残したか。そんなところだろう」