其の一一 見知った顔/見知らぬ顔
えぇっと、俺は何をしていたんだっけ。
奏と一緒に【化生會】に向かい、そこで再びタリロと言葉を交わした。
シンミや奏との会話で自分の進むべき道がある程度決まったことを話したら、満足げに腕を組んで頷いていた。
それから、細かな仕様や日程、費用などについて話し合っていた奏とデンザイに合流し、ホテルへ戻った。
そして、そして……
「ベッドに横になったところまでは、覚えてるんだがなぁ」
「そう。お前、そこで夢を見た」
「おわっ」
不意に背後から声が掛かり、そちらへ振り向く。
そこで初めて視界と視点がはっきりし、どこまでも広がる、地平線さえあやふやな空間に靄を見つけた。
イザナミさんと会った時に似ているこの雰囲気……俺は見覚えがある。
「前も、あったな。おれ、覚えてるか」
「勿論。前はきちんと確かめられなかったけど、お前、【透鳳凰】だろ」
そこで初めて靄が晴れ、中から透き通るような肌と髪を持つ少年が現れた。
少年というよりもガラス製の原寸大人形とでも形容した方が正しいのではないかと思わされるその姿は、人間ではないことを強烈に示している。
そんな少年が小さく頷いた。
「うん。おれ、【透鳳凰】。おまえのこと、ずっと見てた」
「ずっと見てた、か。てことは、あの神社でおまえを引き抜いた時からか?」
「そう。あの時、おまえの中に入った」
「中に入った、ってどういうことだ? ていうかここは何処なんだよ、俺は夢を見ていたはずじゃ」
「それについては、ボクから話すよ」
色々と状況が呑み込めない俺の横合いから声がかかる。
そちらには透明な少年とは打って変わって平凡な外見の少年が立っていた。
……初対面の筈なのに、不思議と見覚えがある。
「おまえは?」
「ボクは──まあ、転生したキミの肉体に宿った魂とでも思ってくれ。ここはキミの精神世界だ、似たようなものを経験したことがあるよね?」
「精神世界、経験ってことは、シャアラの時の奴か。彼奴は地獄と言っていた、骨塗れの夕暮れ」
「いい表現だね、その通り」
柔らかな語り口の少年の声も、どこか覚えがある。
心当たりはないのに覚えがある……この状態をデジャヴと言うのだろうか。
「誰しも抱いている心の内側、その精神の哲学を反映しているところだよ。人によって景色は違うけどね」
「そうか……」
精神の哲学と言われて辺りを見回すが、これといって何も見つけられない。
ひたすら何もなく、地平線の向こうまでオフホワイトくらいの色味が広がるばかり。
「で、キミが眠っている間にタイミングを見計らってキミ本体の意識を引っ張って来たってわけ。いや、引っ張って来たって言い方は正確じゃないな、ボクらを認識できるようにした、という感じかな」
「なるほど? 理屈はさっぱり分からんが、とにかくここは俺の精神の中で、おまえたち二人はそこにいる魂みたいなもの、ってことか。で、俺は今になってそれを認識できるようになった、と」
「そういうこと。流石、理解が早いね」
褒められたところで、状況は分かっても理由が分からない。
何故今になって、と少年に聞こうと思ったが、そもそも何と呼べばいいのか分からない。
「なあ、おまえはなんて呼べばいいんだ?」
「おれは、【透鳳凰】」
「あー、【透鳳凰】はいいんだ、分かるから。そっちのおまえの方だよ」
平凡な少年を指さして、俺は問う。
「ボク? ボクは、そうだな……ボク自身でもよくわかってないんだ」
「えぇ? んー、じゃあなんか特徴とかないのか?」
「特徴ねぇ……特技なら猫の鳴きまねとか?」
「なんじゃそら。ならミャオでいいか?」
「まあ、なんでも」
猫の鳴き声から着想を得たミャオという名前だが、自分で言っておきながら何だか外国人ぽいな。
本人がそれでいいと言っている以上、あまり深く突っ込むのも変か。
「ミャオ、【透鳳凰】どうして俺は今になっておまえたちを見られるようになったんだ? 前に一回来た時はサミハとの戦いの後で意識を朦朧とさせていた時だったよな」
「そう。あの時、おまえ、じぶんでこっち来た」
「ボクらとしても予想外だったんだけどね……今回ボクらがキミを呼んだのは、キミが自分を知りたいと思ったからさ」
思いもよらぬ内容に首を傾げる。
「ん? 俺が自分の芯を知りたいと思ったのは間違ってないが、それと此処に何の関係があるんだ」
「ここ、おまえの記憶が見られる。視界を通じて見た内容を、頭の中で処理された形で」
「そう、【透鳳凰】が言う通り。ここからボクたちはキミの視界を通じて世界を見ていたんだけど、一部の記憶にもアクセスできるんだ。ボクたちがそれを閲覧する時は、キミにも共有されているみたいだけど」
なるほど、そういうことだったのか。
この二人が記憶を閲覧する時に、俺も夢という形で同時に見せられていた、と。
「──というか、やっぱりあれは俺の記憶なのか? 覚えがないから不思議に思ってたんだ、そもそも俺が自分を知りたいと思うようになったのも、以前の記憶を殆ど思い出せないからだし……」
「──」
「それについては、おれから言う。あれはおまえの肉体に結び付けられた記憶。でも今の身体は転生の時につくられたもの。だから、何か変なことがおきてる」
「変なこと? つまり、新しく作られた身体に何らかの記憶が結び付けられてるから、それを確かめようと見てくれたってことか?」
「うん。でも、まったく関係ないもの、なかなか結び付かない。だから、何か手掛かりはあるかもしれない」
【透鳳凰】に眠る少年による片言の説明は理解に少し時間がかかったが、要約すると以下のようになる。
本来有り得ない記憶が植え付けられているが、全くの無関係ということはあり得ないので、見てみれば何かヒントを得られるかもしれない、と。
「なら、まあ見てみるか──あれ、最後に必ず嫌な気分になるから正直積極的に見たいかと言われるとアレだけどな」
「──トロンくん」
先程から黙っていたミャオが口を開ける。
気乗りしないと思わず声に出してしまった俺は、失言だったかと口元に手を置いた。
ミャオは少し下を向いて何か考える仕草を見せた後、顔を上げた。
「何を言われようと、気にすることはないよ。あれはキミの罪じゃないからね」
「え、ああ、ありがとう。気遣ってくれたのか」
「……うん、まあね。宿主のメンタルはボクらにも関係するから」
「まさかそんな……とは、もう言わないほうがよさそうか。記憶とか精神とか、俺の常識の範疇を越え過ぎだ」
「はは」
ミャオは軽く笑う。
心配してくれたのは有難いな、ネガティブになりがちなのは悪い癖だが、あまり周りに出しても仕方ないか。
無闇に思ったことを全て言えばいいという訳ではない、と肝に銘じた俺に、【透鳳凰】が尋ねる。
「じゃあ、そろそろ、見るか?」
「次の記憶か。見るよ、おまえら二人が手配してくれるんだろ?」
「うん、ボクたちが見ればキミも一緒に見ることになるだろうから。ひとまず力を抜いて、流れに身を委ねてみてよ」
「要するに普段通りってことか。任せろ、反復練習は得意なんだ」
軽口をたたき、俺は意識を手放そうと試みる。
眠りに落ちるときのように全身を脱力させ、地面に向かって意識を落としていく。
そうして、何時の間にか俺は何もない俺の精神世界とやらから抜け出していた。
<***>
一旦自分の睡眠に戻ったトロンを見送った後、精神世界には【透鳳凰】とミャオの二人が残された。
ぽつり、と【透鳳凰】が呟く。
「……いいのか? 嘘、ついて」
「何の話、って言おうと思ったけど、キミに隠し事はしようとするだけムダか。助かったよ、適当に話合わせてくれて」
「初めてだ。誤魔化したの」
目に見えてげんなりする【透鳳凰】にミャオ──もとい時雨新が笑いながら、随分感情豊かになったものだと感慨深くなる。
トロンが抜いた時に初めて会った【透鳳凰】はもっと超然としていて、人間性というものに欠片も興味を示していなかった。
それが今では、彼を心配して適当に誤魔化すほど精神が成熟している。
「あっはは……まあ、よかったとは言わないけどね。トロンくんのメンタルが不安だったのさ」
「メンタル」
「そう。自分の成り立ちを知った彼がどういう行動に出るか分からないし……みっともないけど、彼にどういう目で見られるか、ボクが怖かったというのもあったりする」
「責められる、と思ったか?」
「素直な言い方をすれば、そうなるね」
少年は、率直な物言いしかしない【透鳳凰】に追及されているような気分になってきた。
とはいえ【透鳳凰】にはその気はなく、すぐにトロンとの約束を果たそうと試みる。
「じゃあ、見るか」
「そうしよう。この記憶は比較的刺激が強くないだろうから、明日の彼も安心……の筈だよ」
「はっきり、言わない」
「いつでも自信がないのが、ボクの、いや、ボクたちの悪い癖なんだ」
【透鳳凰】の口調、毎回苦労するんですよね……




