其の六 師匠と言うには余りに一方的な
場所を移した俺たちは、それぞれ一振りの得物を握って対峙する。
俺は抜かれた【透鳳凰】を両手で握り、タリロは無銘の刀を左手に握ってだらりと垂らしている。
先程タリロは、俺の現時点での到達度を測る、と言っていた。
ならば、火蓋を落とすのは此方の役目だ。
「おぉおッ!」
「踏み込み、そして上段」
風の力で身体を瞬時に押し出し、俺はタリロを本気で斬りにかかった。
振り下ろされた【透鳳凰】が無銘の刀との間で火花を散らす。
が、一向にそこから刃が動かない。
「!?」
「力任せの一振りか。筋は悪くないが、悪くないだけだ」
接着剤で固められたように動かなかった鍔迫り合いが、タリロの押し出しによってほどける。
少し距離を取って相手の出方を見る俺だが、タリロは相変わらず脱力した状態で刀を無気力に握っている。
数秒経った頃、今度は息をするように前方に倒れ込んだタリロが、散歩でもするかのように俺に接近する。
そのまま一歩一歩を重ね、刀一振りの間合いからやや近付いた時。
唐突にタリロの腕が振り上げられる。
「くっ」
「反応も問題なし」
決して鋭い勢いがあった訳ではなかった。
これまで〈妖技場〉で戦ってきた選手や、琉球で相手したシャアラ、その他諸々の対戦相手の方が活力では上回っている。
なのに、ただ振り上げられただけの一太刀は、何とか受け止めた俺の手をビリビリ痺れさせる。
「よっ……と。成程。凡そ理解した──まだ続けるか?」
「ッ、はい、お願いします」
圧倒されっぱなしじゃ終われない。
これが試合だから俺はまだ生きているが、仮に本当の殺し合いだったなら、命を落としていても不思議じゃなかった。
呼吸を整え、思考を巡らす。
「──その態度が駄目だ」
「何ッ、速ッ」
溜息を吐いたタリロが、さっきと同じように脱力したまま、素早い動きで俺に切りかかる。
右から左から、上から下から、回るように流れるように自由な刀裁きが、俺に防戦一方を強いる。
「わたしが今何を思考しているか分かるか?」
「は? そんなの、分かるワケ」
「そうだな、その通りだ。つまりはソレが答えだ」
言葉を口にし終えたタリロが俺の【透鳳凰】を弾き飛ばし、流麗な動きで俺を組み伏せる。
天井の照明の眩しさに目を細めた俺は、タリロが逆手に握った無銘の刀の切っ先が自分に向いていることに気付く。
間一髪、ドス、と刀が床に押し込まれる寸前で、首を動かし致命傷は避けた。
頬から血が流れ出し、金属が落ちる音が部屋に響く。
「白旗を揚げるか?」
「──はい」
神髄を掴めないままこれ以上戦っても無意味だ、とタリロの冷たい瞳が暗に言っていた。
俺が首を縦に振ったのを見て、タリロが刀を引き抜き部屋の棚に向かった。
「ならよい。わたしも少々熱が入りすぎた、詫びを言う」
「いや、そんな。続けたのは俺ですし、実力が足りていないのも俺で──っと」
寄越された救急箱を受け止める。
頬の手入れをしろ、ということだろうと解釈し、消毒液をガーゼに染み込ませる。
そうしているうちに、二振りの得物の手入れを手際よく済ませたタリロが【透鳳凰】を鞘に納めてくれた。
「おまえの力量は凡そ理解した。そのままでは領域構築には程遠いこともな」
「そう、ですか」
率直な物言いは有難いが、少し意気消沈する自分がいた。
少しは実力が付いてきたと思っていたのだが、やはりまだまだ上には上がいる。
そもそも、まだシンミやトイに勝ち越しできていないし、サミハに至っては勝率が三割を越えない。
治せないネガティブ思考によって自責思考に陥りかけた俺の前に、一杯の水が差しだされた。
「勘違いするなよ。力量自体は悪くない。『化生會』にもおまえ程の使い手はそうそう居らん」
「ありがとうございます。でも、だったら何故」
「先程、おまえはおまえ自身を知りたい、と言ったな」
自分用に入れたであろう水を喉に通して、タリロが確認した。
俺は俺で、出された水を飲みつつ頷く。
「だが、最初に言っておく。順序が逆だ」
「順序……って言うと、領域構築の習得と、自分の理解、の二つですか?」
「思考は追い付いているようだな。然り、自己の理解が領域構築には必須だ」
話は理解した。
妖怪の在り方を世界に広げる領域構築には、自己の在り方を最初に把握する必要があるということも。
でも、だったら何故。
「だったら、何で今戦ったんですか? 自分への理解が大事なのはわかったんですけど、戦う意味なんてないんじゃ」
「刀の声も聞けない奴が、自分の声を聞けるとは思えんな」
言葉の刃が、俺を切り伏せた。
先程の試合の一連の流れに、納得がいき始める。
「そうか……タリロさんは、あの刀の声を聞いて」
「頭での理解が出来るかと、実践が出来るかは別だ。言わずとも判っているだろうが」
「ですね。理解はしましたけど、正直どうすれば声が聞けるかなんてさっぱり分からないです」
「そうか?」
本音を吐露した俺に、タリロが怪訝な目を向ける。
彼女は【透鳳凰】に指を向け、湯気の立っていない湯呑に口をつける。
「おまえはもう、その業物の声を聞いているだろう」
「あー。一応心当たりはありますが」
〈妖技場〉でサミハと戦った後に見た、あの不思議な景色。
あそこに居たのはまず間違いなく【透鳳凰】で、俺に何か語り掛けてくれていた。
靄の向こうで、俺を激励してくれていた、と記憶している。
「ならば、それをもう一度試みろ。さすれば自然と掴めるだろうよ」
「成程──あの、だったらタリロさんはもう掴んでいるんですか?」
「さてな」
聞くかどうか悩んだ俺の疑問だったが、タリロはごく短い返答だけを寄越してきた。
少しずつ飲み進めていた俺の水が無くなった頃、タリロが手を伸ばしてきた。
タリロの湯呑の中身もなくなったようなので、ありがたく手渡す。
「ありがとうございました、色々と」
「話が終わったのなら疾く去れ。わたしは忙しい」
ぶっきらぼうに言い放ったタリロは流し台に立ち背を向けているが、これまでの短いやり取りでも彼女が優しいひとであることくらいは、俺にも分かっている。
だから、気分を悪くするなんてことはなく、俺は部屋の出口の方へと向かっていった。
「あ、最後にひとつだけ。デンザイから伝言があったの忘れてました」
「何だ?」
「『ちゃんと風呂には入ってるか?』だそうです」
「──うるさい、と伝えておけ」
<***>
「タリロこんちはー! 元気~?」
「大声を出さずとも聞こえている。全く、来客の多い日だ……」
「……疲れ、て、る?」
「久々の肉体労働だ、疲労もたまる」
「へー! タリロが鍛冶じゃない肉体労働するとか、珍しーじゃん!」
「何、した、の? お茶、いれる?」
「狐の少年に稽古をつけてやった。筋は悪くないが、あれではまだ遠いだろうな」
「狐の少年ってさー、もしかしてもしかするとー、白い毛並みだったり?」
「よく知っているな。原始怪異を携えていたが。もしや知り合いか?」
「知り合いも何も! 私達の教え子だよー!」
「(こくこく)……どこか行く、って、言ってた、けど。タリロの、とこ、だった、なん、て」
「教え子? 教え子であの体たらくか。あれではおまえたちの程度が知れるな」
「「は?」」
「ついでだ、おまえたちにも稽古を付けてやろう。先日打ち終えた子の試し切りもしたいところだ。簡単にはくたばってくれるなよ」
「あー、トイちゃん、これまっずいねー」
「……うん。スイッチ、入っちゃ、った、ね」