其の九
日が沈み、星々が輝く夜。
とはいえ、この街では星も見えない……光害、と言うのだったか。
人間の営みが広がり続けた結果、大切なものを見通す術すら失われてしまったその様は、私に似ていると言えなくもないのかも知れない。
「──ふぅ」
冷たく激しいビル風の中、軽く息を吐く。
白くたなびく吐息を見遣るが、当然ソレはすぐさま消えてしまう。
まるで──いや、やめておこう。
いくら何でも感傷的が過ぎる。
「全く、綺麗なものだ」
先程は見えない星を嘆いたが、その実私はその原因が嫌いではない。
太陽という光源の齎す富を跳ね返すだけの星々の光よりも、一つ一つ積み重ねた小さな一歩を感じ取れる照明の方が、私の好みだ。
それに気付けず享受するだけの人生を、私は卒業したのだ。
「さて」
気合を入れ直すために私は私の頬を張り、改めてこの地を見遣る。
目線の先には花壇や植物園が広がる庁舎の屋上があり、私が立つのはその端。
鵺がやってくるのを待ち、私は一人で待ち伏せていた。
蘭は宿に置いてきた、私の分の荷物は全て回収して近くの茂みに隠してある。
「そろそろか」
腕に装着した時計を確認し、目撃証言を基に割り出した鵺の出没時間までもう間がないと悟る。
しばらく待てば、きっと訪れるだろう。
無論、それは鵺に限った話ではないが。
「あらぁ……やっぱりあんさん来はったんやねぇ」
「あぁ。逃げ出す理由も、逃げ出せない理由も抱えきれないほどあるんでな」
「ふふ、吠える吠える。そういうとこはマハちゃんに似とるかもなぁ」
やはり来るものと分かっていたが、夜の闇の中に浮かぶシルエットの威圧感が半端ではない。
昼間の邂逅の後でGNOME時代の記憶を掘り起こしたり、街の書店などで調べたのだが、あの紙の鳥は折り鶴と言うらしい。
纏う衣服はかつての日ノ本で高貴な女性が身に付けていた十二単というもので、幾重にも様々な色の和服を着る仕組みであった。
第二師団長という役職はそうそう前線に立たされることはないため、動きにくい服装なのは分からないでもないが……鵺を追う任務でもその格好のままとは。
「ま、それでもええわ……あんさんが知ってはるか知らへんけどな、うちは傭兵稼業から足洗ってGNOMEにおるんよ」
「GNOMEから抜けた私にその話とはどういう了見だ? それに、突然何を言いだす」
「簡単よぉ。折角洗った足も手も、あんさんの赤ぁい血で濡れたら──かなわんやろ?」
ぞく、と鳥肌が立つ。
仕込まれた闘争本能が目覚め、私は咄嗟にその場から飛びのいた。
瞬間、私が立っていた場所に無数の槍が宙から突き立った。
「ふふ、GNOMEの技術ってやっぱりすごいなぁ。はじめてで此奴喰らわんかったの、あんさんで何時振りやろ?」
「──お褒めに預かり光栄だ」
感嘆の台詞に挑発で返すが、冷や汗は止まらない。
庁舎の屋上はコンクリート造りになっていて、槍の突き刺さりなど許さない。
だがソイグーンが降らせた十本ほどの槍は全て床に刺さっており、それどころか罅割れも起こしていない。
研ぎ澄まされた攻撃は無駄な破壊をしないもの……とは、誰の言だったか。
「ま、こんなん小手調べもええとこやし。簡単にくたばったらおもんないやろ?」
扇を広げて口元を隠す仕草を取るソイグーンだが、その下が笑みに満ちているだろうことは容易に想像できる。
突き立てられた槍は独りでに引き抜かれ、空中で解かれてゆく。
複数のひらひらした薄い何かが宙を舞い、ソイグーンの元へ戻ってゆく。
「あれは、紙?」
「あぁ、見慣れへんよなぁ。これは木綿。布なんよ」
「布? 何を馬鹿な」
ただの布がコンクリートを貫けるものか。
よほど硬度を高めるか何らかの力を付与しない限りは無理な難題をこなしていることから、布かソイグーンの何方かに仕掛けがあると見てよいだろう。
また、ただの折り鶴が宙を舞うはずもないので、其方にも絡繰りがあるはずだ。
「一つ伺うが。貴様は何の妖怪だ?」
「そら、言われて答える義理はあらへんなぁ……そのお頭で考えてみたらよろし」
「道理だな」
探りを入れてみたが、生憎ソイグーンが情報を漏らすことはない。
適度に手がかりになりそうなものをバラ撒くのは戦闘において有利とはいえないが、思考能力の一部を考察に使わせるのはある意味で効果的だ。
短時間で仕留めきる自信と実力がある場合に限るが。
「ほなら、戦りましょ?」
「──お手柔らかに頼む」
絞り出した声で、震えないようにしながら答えた私の目線の先、庁舎近くの空中でソイグーンが微笑む。
次の瞬間、彼女の周辺に漂っていた十枚ほどの布のうち、半数が独りでにきつく巻かれだし、残りの半数は彼女の傍を回り出す。
防御と攻撃に手数を半分ずつ回している、というわけだ。
「……防御を突破する手段は、ある」
私は拳を握り込み、自分に宿された妖術を思い起こす。
空間や物質を捻じ曲げ、拳が通る先に何物をも許さない力。
方向性が酷くシンプルであるが故に妖力効率が良いだけでなく、大抵の物質は私の妖術の前にひれ伏させられる。
別の妖術もあるにはあるが、実力者相手にそれを発動するタイミングを見出すのは困難極まる。
「ほな、お覚悟」
「く、ッ」
布で出来た五振りの槍が、私を四方八方から狙いに来る。
開戦時のように上空から降り注がせるのではなく、一振り一振りを水平に突撃させることで、攻撃から攻撃の間隔を短縮させてきている。
私を近付けさせないようにしつつ、体力を削るのが本命だろう。
「あらぁ、避けるだけじゃうちは倒せへんよ?」
「だろう、な! 手足に加えて、首も洗って待っていろ!」
「ふふ、こわぁいこわい」
何処までも余裕を崩さないソイグーンだが、実際それだけの実力が伴っている。
私は拳を握ったまま、ソレを振るう隙を見いだせず、ひたすら回避に専念する。
しかしこのままではジリ貧だ、何処かで勝負を仕掛けなければ消耗は避けられない。
一方的に距離を離されている現状を考慮し、私は一つ腹をくくった。
「木綿の価値は知らんが、駄目にさせて貰おうか!」
拳を握った右腕を大きく振りかぶり、前方から迫り来る槍一振りを破壊せんと駆ける。
走る勢いそのままに、右足を踏み込んで槍の穂先に拳を当てるその刹那、私の左脇腹に別の槍が刺さった。
炎で焼かれるような熱を伴う脇腹を意に介さず、私は右拳を振り抜いた。
「ぬうッ!」
槍は私の拳に接触する数ミリ前で穂先を潰し、中心線に杭を差し込まれたように空中で分解される。
布を巻いて作られた槍は、真ん中からバラバラに散らばり、周辺に落ちる。
視界の隅でそれを捉えた私は、前方に生じた槍の包囲網の隙に向かって強く踏み込む。
「──せやんな、そういうふうに作られてはるんやったねぇ」
呟くソイグーンの表情は一切変わらないが、残った四本の槍の攻撃は一層苛烈さを増す。
けれど焦った相手の動きは読みやすいもの、私は花壇の柵や植えられた樹木、水撒き用のポールなどを活用して縦横無尽に動き回り、着々と宙に浮かぶ折り鶴へと向かう。
後ろから、右から、左から、上から襲い来る槍を躱し、時には横合いから殴りつけて歪ませ、私は遂に跳躍すればソイグーンまで届く距離まで辿り着いた。
「──おおッ!」
熱を発する左の脇腹が原因だろう、若干力を込めにくくなっている全身を力ませ、脚に全霊を込める。
畏怖を感じながらも決して外さなかった十二単の女への目線の先、彼女は扇で隠した顔で微笑み、やや首を傾けた。
「──ふふ」
「! 拙ッ」
気が付いた時には、もう既に遅かった。
私の背には一振りの一際大きな槍が刺さり、腹の先に赤黒く染まった穂先がちらりと見える。
脇腹を刺された時とは比べ物にならないほどの熱が身体の芯を覆い、重心の維持すら困難になった私は、全身に籠めていた力を振り絞り、辛うじて距離を取る。
「いっくら痛ぅ思いにくい言うても、串刺しは効いてはるみたいやねぇ」
「──ぐっ、げほっ」
「あんさん焦ったはったなぁ、分かりやすぅて助かったわぁ」
くすくす笑いながら、十二単の女は私の背中から腹を貫いた大きな槍を引き抜く。
大きな槍もまた空中で解かれ、他の木綿よりも二回りほど大きな正方形の布地へと変貌した。
ところどころに、私のものだろう赤い染みが出来ているのが見て取れる。
「が、あぁ」
「随分おっきな傷にならはったなぁ。息もしんどいんやない?」
「余計、な、世話、だ……」
穴が開いた腹に手を当て、私は強がりを放つ。
痛みは殆ど感じないのだが、身体が言う事を聞かない恐怖はどうしても付きまとう。
視界の端も徐々に黒くなり、焦点を合わせられなくなってきた。
私は、このまま、ここで……
「ッ」
ギリ、と歯を食い縛る。
前のめりに倒れそうになっていた身体を、踏み出した左足で支える。
腹から零れる命の証を必死に抑え込み、拳を握りしめる。
「まだ、だ……!」
「粘りはるなぁ。構へんけど、あんさんくたばっても恨まんといてな?」
「無論、だッ!」
私の表情は険しく、眉間に皴が寄り、身体の至る所が強張っている。
傍から見れば醜いことこの上ない、修羅のように見えるだろうが……私はまだ、倒れる訳には行かない。
自ら定めた道を全うするために。
そして、あの狐の少年と同じ舞台に立つために。
「おぉおおおォッ!」
勝ち目がなくとも、私に意志が残る限り、挫折を許すわけには──
「おいおいお主、酷い有様じゃぞ。きちんと飯は食ったのか?」
「──蘭?」
<>(^・.・^)<そんな簡単に見捨てるほど
<>(^・.・^)<蘭は甘くも面倒見が悪くもないんですね