其の五
誰もが寝静まった丑三つ時──とまでは行かない時間帯。
企業勤めの人間が帰宅するのを見届けてから、私達は例のショッピングモール近くのビルにやってきていた。
空港での一件と同じように、転移の術を用いて施錠済みのビルの屋上に陣取っている形だ。
「うぅ……流石に風が強いのぉ」
「所謂ビル風、という現象だな。あの庁舎を中心にして、乱気流にも似た風が吹き貫いている」
蘭の黒髪は結わえられているため、風を受けてもたなびきはしない。
とはいえ夜間の風は確かに堪える、風邪でもひかれたら面倒だ。
「これを羽織れ。ないよりマシの筈だ」
「お? 気が利くではないか」
「業腹だがな。この身より、お前の方が体調を崩しやすく、不良は長引きやすいだろう」
「素直じゃないのぉ~。じゃがまぁ、有難く受け取るわい」
私が着ていた上着を与えられた蘭は減らず口を叩き、何周りも大きい上着の端を掴んで自らを包む。
その割に表情は嬉しそうだ。
……よく分からんものだ。
「さて、そろそろ向かうか」
屈んでいた膝を伸ばし、私はショッピングモールの屋上を見据える。
私達の立つビルの屋上はショッピングモールよりも低い位置にあるため、モールの屋上に何があるのかまでは見通せない。
上着を引っ掴んで丸くなっている蘭が私に言った。
「そういえば、あまり詳しくは聞いておらなんだが。お主何やら策があるな?」
「あぁ。人目に付くと拙い故昼日中には使えぬ手だが、夜間のそれも屋上ならば問題なかろう」
上着の下に巻いていたベルトに手を伸ばし、私は青色のカプセルをつまむ。
留め具から外したそれの安全ピンを抜き、中身を出す。
「出でよ。召喚式二号、青鷺の火」
音声認識が必要とのことだったため口に出した台詞だが、改めて耳にするとむず痒い。
青白く発光する鳥が閃光と共にカプセルから現れ、畳んでいた翼を大きく広げた。
「うおぉおおお! 何じゃそれ、どぉなっとるんじゃぁ!?」
「ピィィ……」
夜であっても分かる程に爛々と瞳を輝かせた蘭が、鳥に近付く。
初見の相手に怯える鳥は蘭の視線から外れるために私の背中に隠れ、顔だけを覗かせている。
「名をズアンという。ウチの飼い鳥だ」
「ピィ」
緊張をほぐすため曲げた指で優しく背中を擦るとズアンが落ち着いたのか、小さく鳴き声を漏らした。
チャンス、と思い私はもう片方の手で蘭を招き、ゆっくりと背中を擦らせる。
事前に交流しておいた私がいるためか、蘭の内面を動物の嗅覚で嗅ぎ分けているためか、ズアンが暴れたり逃げたりする様子はない。
「繊細な性質だ、極力傷付けぬ様に、興奮しないように接しろ」
「言われずとも。愛いのぉ~~~」
「ピィ~……!」
そっと手を離すが、ズアンは蘭に撫でられるまま、心地よさそうにしている。
私と共にいることではなく、蘭個人への信頼が最低限成立したのが読み取れた。
これならば有事の際でも問題なかろう。
「では向かおう。ズアン、大きくなれるか」
「ピィ!」
一声鳴いたズアンから蘭を引き離す。
ズアンは翼を畳んで丸くなり、身体を巨大化させてゆく。
巣立ちして間もないくらいの大きさだったズアンが、私の身の丈と殆ど変わらないくらいの怪鳥と化す。
一方で青白く発光する毛並みは変わらず、首や嘴は細く長く美しく伸びている。
「ほほぉ、これはまた凄いのぉ」
興奮しないように、という前置きを覚えているのだろう、蘭は感心しつつも決して取り乱さない。
「怪我が原因で成鳥にはなれないそうだが、我々の技術により一時的な成長が可能だそうだ」
「その技術とやら、先程の容れ物も同じ職人によるものか?」
「そのはずだ」
「うぅむ、通信機といい、容れ物といい、職人の腕は相当のようじゃのぉ。今度顔を合わせたい者じゃ」
「今回の任務が無事に終わればな──と、乗るぞ」
私の『乗る』という発言とアイコンタクトによって察したズアンが、屈んで乗りやすいようにしてくれた。
厚意に甘えて私は飛び乗り、続いて蘭もまた背に乗り私の胴に手を回した。
二人分の重みをものともせず、ズアンは大きく翼を開き、羽ばたきと共に地を蹴った。
「おぉ~!」
「キュイイ」
「振り落とされるなよ。ズアン、目の前の大きな建物の屋上へ行きたい。頼めるか」
「キュイ!」
ズアンの力強い羽ばたきの御陰で、私達の座標はどんどん上昇してゆく。
やがて私達の視点が屋上に対して水平になり、ようやく屋上の様子が見えるようになると──
「やはり、な」
屋上が見え、事態の凡そを察した私は覚悟を決めた。
植え付けられた力を使う時だろう。
私の背中で未だ屋上が見えない蘭は私の呟きの意図が分からないようで、首を傾げているのが分かる。
「ん? どうし」
「ズアン、蘭を頼む。私はこれより戦闘を行う」
状況が呑み込めていない蘭をズアンの背に残し、私は跳び下りる。
上着を脱いだのは悪くない判断だっただろう、長い裾と袖の服を着ていては動きが鈍くなる。
「……ふぅ」
着地の衝撃を脚全体を使って吸収し、私は屋上に見えた人影を見据える。
二つあった影のうち一方が私に気付いたようで、ゆっくりと振り向いた。
「何やら鬱陶しい行灯が浮いたかと思えば。出た出た、随分と剣呑な鬼が出た」
「何を言って……おぉ? あれは何だ、火の鳥か?」
並んでいた二人組の内もう片方も気付いたようで、二人とも私とズアンの方へと向いた。
月の光とズアンの放つ青白い光が光源の夜間だが、私は二人の顔に見覚えがあった。
顔に傷のある女と、髭の男。
二人は一組の傭兵稼業であり、そこそこ名が知れていた。
そんな二人を何故私が知っているかと言えば。
「貴様達、誰の差し金だ? 欧州ということはソイグーン……第二師団長か」
「その名を知ってる……関係者? きひ、きひひ」
「しかしな、我々とて依頼主の情報漏洩を許すわけにはいかん。目撃もな」
傷の女も髭の男も、戦意を露わにする。
可能ならば戦闘は避けたかったが、降りかかる火の粉は払わねばならん。
握りしめた右拳を左手に包み、指を鳴らす。
腕を伸ばし、肩を伸ばし、脚を伸ばし、全身のストレッチを軽く済ませ、床を蹴る。
「おぉおおッ!」
「きひ、怖い怖い」
「さて、ではあの鬼は貴様に任せるか。オレは飛ぶ鳥を墜とすとしよう。鳥撃ちは久方ぶりだ」
私の拳を避けた傷の女は不気味に笑う。
不穏な言葉を漏らした髭の男は、やはり私ではなくズアンの方へと歩みを進めていた。
「お前達! 逃げろ!」
「何を言うとるか! こんな物騒な奴ら野放しにしておけば街が壊れるわ!」
「ッ、ならば生き延びろ! 決して正面から戦うな!」
物分かりの悪い蘭に命令を飛ばすが、素直に蘭がそれを聞くとも思えない。
「お~いおいおい、余所見するなんて余裕綽綽だね?」
「──無論だ。貴様程度、私にかかれば造作もない」
「きひ、じゃ、魅せてみせてよ、ウチにさぁ」
向けた目線の先、傷の女が私に敵意を剝き出しにしていた。
女の下半身は昆虫のように変容している。
否、一般的な昆虫が六本脚なのに比べて女の下半身は八本脚になっており、色合いも黄色と黒の警戒色、産毛のような細かな毛がびっしりと生えているところから察するに。
「蜘蛛の怪異か」
「分かりやすいって? よく言われる」
「だろうな」
蜘蛛……ということは、怪異としての特性は糸や毒だろう。
警戒色を身体のベースにしているところから、毒の方が主要な能力だと判断できる。
いや、怪異相手に早計は禁物だろう。
「行くぞ」
「律儀律儀。戦場で宣戦なんてさ」
「私は誇り高く生きると決めたのだ。戦士としてではなく、一人の人間として」
「へぇ、随分と剣呑な人間がいたものだね」
軽口を叩く傷の女だが、実力は侮れないところがある。
会話をしつつも八本ある脚を器用に動かして私に迫り、何処からか取り出した槍を二振り、それぞれ両手に構えている。
身長にはそれなりの自信があったのだが、女は素の身長と巨大化した下半身の組み合わせにより私の背丈をも上回っている。
機動力と長いリーチを活かした槍術はまるで。
「なるほど、馬上槍の類か」
「半分正解……ところで鬼さん、中華映画はお好き?」
「いや、疎い」
「馬鹿正直だねぇ、結構結構。それじゃ、こういうのはどうだい」
きひ、と口角を上げる不格好な笑みを浮かべ、女は勢いよく右手の槍を投擲する。
しかし所詮はただの投擲、機動を先読みし、身体を危険な範囲から逃せばそう大した脅威ではない。
セオリー通り、私は左側、武器のなくなった方へとカーブを描きながら突き進む。
そこで、視界の端をちらりと光る何かが掠めた。
背筋にぞわりと悪寒が走った次の瞬間、積み重ねた闘いの日々が私に緊急の回避行動を命令していた。
「ッ!」
「おや? おやおや、何時の間にタネを割っていたのさ?」
驚き半分、不服半分といった声色で女が呟く。
床を転がるように回避した私の頬は切り傷を受けており、微かだが投擲された槍の穂先には鮮やかな赤色がてらてらと光っている。
月光に照らされた穂先、その反対側の先端にもまた、透明な何かが伸びていた。
「……食えぬ奴め」
「鬼さんに言われるとは心外だ。予め情報は提示しただろう」
久方ぶりの闘争に踊る心と、任務を忘れてはならぬと忠告する頭。
そのどちらをも抑え込んで、身体が覚えている戦のいろはが、傷の女を目の前にして疼き出す。
<>(^・.・^)<新キャラじゃい!